執務十四:アルバムに続きを-7
「……やっぱり女の匂いがする」
アデルはセバスチャンの胸元に顔を擦り寄せながら、呟いた。
「鼻が利きますね、御坊ちゃん」
セバスチャンは茶化す様に言う。
「五月蠅い、馬鹿。解る訳無いだろ」
「わたしにかまを掛けたおつもりですか?」
フ、と鼻で笑い、アデルの髪を撫でた。
「わたしは貴男が思っている以上に、狡猾な男ですよ」
「……何か理由でもあるのか?」
問い掛けに、執事は、さあ、と肩を竦めた。
「本当は性欲を持て余していただけかも知れませんよ。狡猾な故、狡猾な男と貴男に思わせる事で、それを誤魔化しているのかも……」
「解った。もう良い。言葉の上ではお前に敵わないよ」
アデルはシャツ一枚に覆われた細腕をセバスチャンの腰に回して、強く抱いた。
「……嫉妬ですか」
「そうだ。悪いか。今度は思い違いでも思い過ごしでもないぞ」
「悪くは御座いませんよ。わたしも悪い気は致しません」
セバスチャンも、アデルの背中を抱く。
「……お前の事はよく解ってる。過去の事ももう知ってる。けど……嫌なものは嫌だ」
「そうでしょうが、御坊ちゃんには慣れて頂きませんと。でないと、後々困りますよ」
その言葉に、アデルはセバスチャンを突き飛ばした。
「どういう意味だ」
セバスチャンは立ち尽くしたまま、じっとアデルの目を見詰めて答えた。
「……いずれ離れなくてはならない時が来ると、そう言っているのですよ」
普段からは考えられない、口を突いて出た消極的な言葉に、アデルは絶句した。
「わたしは常に現実を見据えているのです。いつまでもこんな関係が続くだなんて、絵空事で御座いますよ、御坊ちゃん」
「お前……ッ」
アデルは拳を握った。
「……本気で言ってるのか?」
「ええ。真実で御座いますから」
セバスチャンは片側の頬を吊り上げて笑う。
「お前は僕のセバスチャンじゃないのか!」
「左様で御座いますが、しかしわたしか貴男、どちらか一方が死ぬまでの事。更に、それは執事と主人の関係の話であって、毎晩の様に寝所を訪れては、倫理にもとる事をする関係とは異なります」
冷たく言い放つ。アデルの眉が、悲痛に歪んだ。
「……そんなものじゃないだろ、お前と僕とは」
「はて。左様で御座いましたか? 先日はわたしの事を『優秀な執事』であるから『手放さない』と、そう仰っていた様に記憶して御座いますが?」
恥じらって濁した言葉を逆手に取られては、言い返す言葉がなかった。
「なら、執事として御仕え出来るのにも、限りがあるかも知れませんね。わたしより『優秀な執事』が貴男の前に現れ、わたしは捨てられるかも解らない」
「……だから、さっきも急にあんな事を言い出して、写真を撮らせたりしたのか?」
「せめて貴男の思い出に残れば、という事ですよ」
執事はあくまで冷たい。今日の様子は、いつもと違った。アデルの目にじわりと涙が溜まる。堪えかねたアデルは、セバスチャンの胸に再び飛び込んだ。
「どうしたんだよ? どうしてそんな酷い事を言うんだ」
額を擦りながら、拳でセバスチャンの胸を打つ。
「僕は、お前じゃなくちゃ嫌なのに!」
今度ばかりは、セバスチャンもアデルを撫でない。
「それは、まだ貴男からしっかりとした御言葉を頂戴して御座いませんので」
「言葉が何だ?! 僕にはお前が必要だ。お前無しじゃ眠る事も、起きる事さえ出来やしない!!」
「もっと大事な御言葉があるでしょう?」
「何だよ?! さっきからお前は、僕を突き放してばかりだ。僕がどんな気持ちか考えろ! 僕はお前の事をいつだって考えてるんだぞ!!」
「もっと」
「お前が居なくなるなら死んでやる! お前まで僕を残して何処かへ行ってしまうなら、僕に生きる理由なんか無い! お前が僕の全てだ!!」
「もっと」
「僕は……僕は、お前が大好きだ!!」
セバスチャンはアデルの小さな肩を掴み、その唇を吸った。矢継ぎ早に舌を差し込んで、アデルの舌を弄ぶ。互いの唇同士が糸を引いて離れた時、セバスチャンはにっこりと微笑んでいた。
「ええ、わたしも大好きで御座いますよ、旦那様」
「お、お前……」
アデルの目から涙がこぼれ落ちる。セバスチャンはそれを、為すがままにさせた。
「……僕を乗せたなッ」
「貴男が言葉の上では敵わないと仰るからですよ」
セバスチャンはアデルの前でひざまずく。
「執事に二言は御座いません。貴男がわたしを『セバスチャン』と呼ぶ限り、わたしは貴男の『セバスチャン』でい続けましょう。ならば、わたしは未来永劫貴男だけのセバスチャンで御座います」
「……馬鹿ッ!」
アデルは自ら袖で涙を拭った。セバスチャンはその仕草を見上げて、ニヤリと笑う。
「御尋ねしたいのですが、御坊ちゃん。私の身体に染み付いた女の匂いを消すには、一体どうしたら良いのです? 行動ではなく、言葉で御答え頂きたいのですが」
「調子に乗るな、この馬鹿!!」
アデルはセバスチャンの袖を掴み、泣き顔のまま笑う。
「取り乱した御坊ちゃんも、可愛らしゅう御座いますね。出来る事なら今の御顔もアルバムに残しておきたいものです」