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執務十四:アルバムに続きを-1

 屋敷の中を見えない影から逃げ惑う。そいつは直ぐそこまで迫っているかも知れない。捕まれば、一巻の終わりだ。私は逃げる。

 住処である使用人部屋は、絶好の狩り場になってしまった。私が部屋に戻れば、奴は直ぐ様現れる。逃げなくては行けない。

 何処へ逃げたら良い。何処に身を潜めたら良い。私に逃げ場など、あるだろうか。

 この間の一件以来、ジョンが私に変な目線を送ってくる。私がどれだけ冷たくあしらっても、奴は執拗に付け回して来る。休み時間ともなれば、私は野生のオオカミに目を付けられたか弱いウサギである。逃げるしかない。私に恨みでもあるのか。

(そうだ!)

 隠れる場所を一つ思い出したのである。

「チェンバレンさん? チェンバレンさん、いらっしゃいますか?!」

 周囲に目を遣りながら彼の部屋をノックすると、部屋の遠くから、

「今出ますから、ドアを開けないで下さい」

 そう言うチェンバレン氏の声が聞こえて来た。一体何をしているのだろう。着替えでもしているのだろうか。兎も角、私には一刻の猶予も無い。それに、もし着替え中なら、見てみたいという邪心もある。

 聞こえなかった振りをして、思い切りドアを引き開けた。

 途端、煙が私の顔に襲い掛かってきた。埃臭い。思わず鼻を摘む。煙と思われたのは、大量の粉塵だった。

「ああ! だから開けるなと申しましたのに!!」

 布巾を口元に巻いて、銀行強盗の様な格好をしたチェンバレン氏が居た。遠くから声がした様に聞こえたのは、その所為らしい。

 見れば、部屋のそこかしこに本が積み重ねられていて、彼は本棚の前ではたきを振るっていた。

「な、なんですか、これは……?」

「探し物ついでに本棚の掃除ですよ。本なんて読む時間がありませんからね。暫く手付かずにしていたらこの有様です」

 もうもうとした中で、チェンバレン氏は目を細めて言う。私は顔の前の埃を払いながら、彼の了解を得ないまま部屋に入り、ドアを閉めた。代わりに窓辺へ行って、窓を大きく開け放つ。

「ああ、助かります。まさかこんなに酷いとは……」

 言いながら、口元を出す。すると舞い上がった埃をもろに吸ったらしく、大いに噎せた。

 窓を開けた事でいくらか埃が逃げて、視界が鮮明になる。そうして改めて見ると、凄い蔵書の量だ。種類も豊富で、文学作品から経済学の本、礼儀作法の教本、スポーツのルールブックまでと様々だ。小説だけで例を挙げると、氏が以前読んでいたシェイクスピアや、コナン・ドイルの探偵ものに「失われた世界」、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」もある。殆どが意外な取り合わせだ。彼らしいと思ったのは、

「『オリバー・ツイスト』! 私も子供の頃に読みました」

「げほ、げほッ……子供が読むにはあまり気持ちの良い話ではありませんが、ねッ……」

 何とか言い切って激しく咳をする。涙目になって、何とか埃を払い去ろうと手を動かしていた。

「素晴らしいハッピー・エンドだったと思いますけれど。特に、彼の出生の秘密が明らかにされる場面なんて、感動的でしたよ。ただただ悲しくなるだけのお話とは大違い」

「それはそうでしょう。ディケンズが描いたのは社会風刺で、主人公は善良なる下層階級の子供ですから、幸せにならなくてはいけなかった。それまでの間に、少年やその周囲の人間へ与えられる境遇は、過酷で残酷なものではありませんか。終わり良ければ全て良し、だなんて、わたしには到底思えませんよ。物語ではそこまで描かれませんでしたが、実際問題として、老夫婦はオリバーよりずっと先に亡くなってしまう訳ですから、それから先の人生に対する一抹の不安は拭えませんね」

 少し卑屈な考え方だと思う。しかし、それにはチェンバレン氏自身の半生が裏打ちとして存在するのだろう。

 オリバーの姿を思い描いてみると、昔は寧ろワイアット卿の様な容姿を持つ少年だったのだが、今になってみるとチェンバレン氏に近い。幼少時代の彼にしても私の空想でしかないのだが、それでも、あの物語と彼の歩んできた道程とが、重なって思えるのだ。

 本棚へ本を戻すのを手伝った。私が本を一冊一冊取り上げて、本棚の前に構えたチェンバレン氏に渡す。そうした流れ作業で手早く本を戻せたが、一人で全て出したのかと思うと、大変な重労働だったろう。

「お陰様で助かりました。後ほどクッキーでも焼きましょうか」

 それは嬉しい申し出だ。

「バターはたっぷりお願いしますね。ところで、お探しだった物は見つかったのですか?」

「ええ。御陰様で」

 チェンバレン氏が指差したのは、テーブルの上に置かれた、一冊のアルバムだった。小説本より一回り大きいくらいで、装丁は革表紙に金属の縁取りと立派。表紙には「一九一二年〜」とあるが、まだ余っているのか、右側の年数が埋まっていない。

「これは、旦那様が生まれた頃からのアルバムですか?」

「御名答。先代御当主が旦那様の御誕生記念にと付け始められたもので、旦那様の御成長記録も兼ねているのですよ」

 成る程。それは興味深い代物だ。そんなものをどうしてチェンバレン氏が保管していたかは疑問だが、それより、

「どうしてまたこんな?」

「いえ、まあ、気紛れですね。何となし見たくなっただけですよ」

 漸く埃が消えて、チェンバレン氏は快活に笑った。何となく裏を読んでしまうのは、私の悪い癖か、それとも彼の所為か。何にせよ、私も見たい。

 そんな願望が顔に出ていたのか、チェンバレン氏はアルバムを手に取り、

「御一緒に見ませんか?」

 とにこやかに言う。

「良いんですか?!」

 脊髄反射的に声が出る。我ながらはしたない。チェンバレン氏は頷いて、表紙を開いてくれた。

「これは旦那様が生まれてすぐの御写真です」

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