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執務十二:二人の黒い執事-4

 バーミンガム郊外には売春宿が点在しているが、探偵はそれをしらみつぶしにあたった。何せ十年も前の事で、もし関わりがあっても憶えているかは怪しい。それでも探偵はチェンバレン氏の写真片手に方々かけずり回った。

 見つけ出したのは、一軒の古びた売春宿。その主人は四十歳の年増女だった。

「その女が奴の事を憶えていた」

「まさか」

 思わず声が出る。アディントンはニヤリとして続けた。

 最初は解らないという風だったが、いくらか掴ませると思い出した。

「へえ、チェンバレンってんだ。知らなかったよ。みんな『ギブ』って呼んでたからね。アタイも世話になったモンさ」

 女主人はそう語り出した。

 ある時、ギルバート少年は、当時女主人が売春婦として居着いていた売春宿に現れた。それが孤児院を抜け出してすぐなのか、間があったのかは知れない。

 少年は、ここで働かせてくれ、と申し出た。勿論、当時の主人はこれを突っぱねる。間に合っている、ここは浮浪者の来る所じゃない、そう言ってやる。だが彼は聞かなかった。ただ彼は戸口の所で仁王立ちしたまま、ここで働かせてくれ、の一点張り。他に行き場所がなかったのだろう。堪りかねた主人は実力で少年を追い出そうとしたが、その時一人の娼婦が降りて来て言った。

「まあ可愛い坊や。こっちへいらっしゃい」

 暇潰しにからかうつもりだったのか、それとも初めからそのつもりだったのか。何にせよ泥だらけの少年の服を脱がし、風呂に入れた。洗われた少年を見て、娼婦達は一様にして目を見張った。

「よく見りゃ綺麗な顔してんだ。何処ぞの貴族の坊ちゃんかと思ったよ。高貴な顔立ちっていうのかね」

 凛としたチェンバレン氏の顔を思い浮かべる。幼い頃にもその面影があったのだ。

 こうしてギルバート少年は娼婦達の注目を集め、寵愛を受ける事になる。彼は自らの立場を理解していたのか、不平不満の一つも漏らさず真面目に働き、そして部屋に呼ばれ、娼婦達に弄ばれても、泣き言を言わなかった。代わりに小遣いを貰うと、一言だけ礼を言う。彼は寡黙だったが、しかし真摯だった。

 望んで始めた事ではない。それは売春婦にしても同じだった。だから彼女たちはギルバートのけなげな態度に感銘を受け、同情した。彼は次第に、娼婦達にとって単なる性愛の対象ではなくなる。

「ひとによっちゃ子供みたいに感じてたし、ひとによっちゃ年の離れた恋人みたいな感じだった。アタイらはそれぞれのやり方でギブを可愛がっていたけど、誰も独り占めにはしなかった。みんなで共有してたんだ」

 奇妙な関係が成立した。

 しかしそれも、ギルバートが不意に姿を消す事で、幕を閉じる。丁度、彼が孤児院に戻ったのと同じ頃だ。

「別に何も盗まれた訳じゃなかったよ。寧ろ持って行くものが少なかったくらいさ。あの子がコツコツ貯めた金の小袋だけが無くなってた。アタイらが買ってやった服やら何やらは残ってて、一緒に『世話になった』なんて手紙まで置いてあったんだ。まったく、餓鬼のする事じゃあないさ」

 女主人は懐かしげに目を細めた。彼が居なくなる事で何人もの娼婦が泣いたという。

 チェンバレン氏が何故そんな事をしたのか、私には想像が付いた。氏はきっと、自分の足で地に立とうとしたのだ。孤児院にいれば黙っていても暮らしていける。だがそれではいけないと思ったのだろう。別の子供を殴り、その事で院長が悲しんだ、というのもきっかけだったに違いない。兎に角自分の力で働き、金を稼いで、孤児院や院長への感謝と、自分へのけじめにしたかったのだ。

 それから二年を孤児院で過ごし、終戦直後の一九一九年一月。チェンバレン氏はこのワイアット家に使用人として雇われた。当時、若い男性使用人らの殆どを徴兵され、そして大半が死亡している。人手不足に喘いでいたワイアット家は、十五歳以上三十歳未満の男子に対して求人をかけていた。氏は斡旋所を通じ、「バーミンガムの小さな食堂の長男坊で満十五歳」としてワイアット家に出向き、一刻でも早く男手を増やす事を考えていた屋敷は、彼の経歴などを深く調べもせず雇い入れた。

「浮浪者、売春婦との関係、経歴詐称。こんな事が明るみに出たら、もうお終いだな」

 長々と語り終わった後で、アディントンは、ククク、と笑う。

「にわかには信じ難いお話ですわ。あのチェンバレンさんが……」

 私が心にもない台詞を吐くと、脅迫者は満足げに顎を突き出した。

 これまでの話を聞いて解った事が二つある。

 一つは、チェンバレン氏はやっぱりチェンバレン氏だという事。孤児という境遇にあっても、子供の頃から色々な事を見据えて、自分の意志を貫いて逞しく生き抜いてきた。今でもワイアット卿の元を離れないという強い意志でもって、彼の正義に従っている。彼の過去を知っても、私は彼を見損なうどころか、寧ろ素晴らしい人間だと改めて確認した。

 そしてもう一つは、アディントンは矢張り馬鹿だという事だ。チェンバレン氏が元々浮浪者で、一時期は売春婦と関係を持ち、経歴を偽ってこの屋敷に入り込んだのだと、それだけ言えば氏の人格を疑う目も生まれただろう。しかし生まれが良すぎたか、それとも過去を調べ上げた自分に酔っているのか、多くを語りすぎて全くの逆効果になっている。脅迫者としては失格だ。

「私、彼を見損ないましたわ」

 ここは一つアディントンを担いでやろう。

「まさかそんな汚らしい生まれで、しかもそれを隠していたなんて。もう私は誰を信じたら良いのでしょう?」

 アディントンは大きく頷いて、したり顔をした。

 その時、雷鳴が轟き、アディントンの嫌な顔を暗闇が覆い隠してくれた。停電である。窓の外は夜中の様に暗い。近くに雷が落ちた様だ。しめた、と私は立ち上がった。

「……お、おい。早くランプを……」

 驚きながら私に命令するアディントンを無視して、私はドアに飛び付いた。ここの所夜中に歩き回る事が多い所為か、ぼんやりとだがものが見える。直ぐさま廊下に飛び出し、ワイアット卿の部屋に向かった。そこにチェンバレン氏も居るはずである。

 私は彼の過去を知ってしまった。それをどう告げれば良いのかは、まだ解らない。

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