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執務十二:二人の黒い執事-3

「奴についての一番古い記録は、一九一六年」

 さかのぼる事十二年前。計算するとチェンバレン氏は当時十一歳。その年は丁度、この国が大戦の兵員不足から、徴兵を開始した年だ。

 私の父が死んだ年でもある。

 遠くから雷鳴が聞こえた。

「バーミンガム郊外の孤児院に名前が残っていた。奴は孤児だったんだよ」

 初耳だ。しかし意外には思わなかった。何となくだが、確かに彼からは両親に育てられた「雰囲気」を感じない。根拠も何も無いのだが、強いて言うなら、私も幼い頃に両親に先立たれた境遇にあるから、だろうか。

 チェンバレン氏が孤児だったのだと考えると、色々と納得出来る。屋敷を放り出された時他に行く所が無いのなら、仕事に打ち込むしかない。仕事しか無くなれば自然と、彼の様な人間が出来上がるかも知れない。ワイアット卿との事だって関わりがある。ワイアット卿も幼くして父親を亡くし、母親は去ってしまった。だから氏は共感したのだろう。あの密接な関係に至る程まで彼に固執するのにも、説明が付いた。

 ここまでは良い。寧ろそんな身の上から良くのし上がったものだと、褒められるべき話だ。恐らく本題はこれからだ。

「親や身元に関する情報は一切無かった。ただ奴が孤児院に入った時の詳しい記録だけが、当時の院長の手記として残されていた」

 氏が孤児院に引き取られた時の詳細はこうだ。

 二月のある日――丁度今日の様な大雨の降った夜。職員の一人が門の施錠に出た時だった。門柱の陰でうずくまる、黒い塊が目に止まった。声を掛けてみるとそれは少年で、ただじっとそこで膝を抱えている。親を亡くしたのか浮浪者の子か、兎に角中へ入れと言っても、少年は口も開かず、雨に打たれてじっとしている。職員は一旦引き返して、院長に相談した。

 院長は老婆で――今はもう亡くなってしまったらしいが、優しい人物だった。

「慈善家ってヤツだ。ボクから言わせればよく居る『偽善家』だがね」

 アディントンはそう批評したが、私はそうは思わない。それから先の話を聞けば解る。

 院長は職員の報告を聞いて、表に出るよりまず、食事中だった子供達からスープをスプーン一杯ずつ分けて貰い、それをカップに集めた。カップと傘を手に表に出て、少年の元に歩み寄った。

「スープはいかが? まだ暖かいわよ。ほら、早くしないと冷めてしまう」

 そう言いながら、少年に勧める。少年は突き出されたカップを一瞬チラリと見たが、矢張り頑として動かない。院長は続けた。

「ほら、寒くて、お腹が減って、立てなくなってしまったのでしょう? 一口でも飲んで元気をお出しなさい」

 そう、少年は酷い高熱で、座っているのがやっとだったのだ。横になれば眠ってしまう。眠ってしまえば、凍死は免れない。少年は気力だけでそこに座り続けていたのだ。

「スープを飲み、立ち上がった所を担ぎ込まれた子供は、安心して眠りに落ちながら、名前を問われて答えたのさ。『ギルバート・チェンバレン』とね。泣ける話じゃないか」

 アディントンは茶化す。まだ件の脅迫内容には触れていない。どうやらこの男、語らせると前置きが長くなるらしい。私としては嬉しい事だが。しかし心温まる話だ。それにチェンバレン氏らしいエピソードではないか。

 しかし、ここから先は少し印象が異なる。

 ギルバート少年は荒れていた。誰よりも口数が少なく、また感情を顔に出さない。後者に関しては今でも言える事だが、孤児院の中では異質な存在だった。友達を作らず、遊戯や勉強にも参加せず、ただ一人で窓の外を眺めている。孤独な少年だったのだ。

 彼が孤児院に入ってから半年が過ぎたある日、ギルバートが孤児の一人を殴り付け、喧嘩になった。相手は二つ年上の子供で、理由を問いただしてもギルバートは答えず、相手は「ギブがいきなり殴り付けてきた」と言うばかりだった。この相手の子供というのが孤児達のリーダー格で、ギルバート少年は孤児の全員から責め立てられた。それでもギルバートは無言を貫き、院長は仕方なく、彼を折檻する事で騒ぎを収拾した。

 院長の手記は、この事件をこう綴っている。

「私は知っている。ギブは無意味な暴力を振るう子ではない。ギブは誰かに服従するのを拒んだだけなのである。それはきっと、彼の黒い瞳の内に湛えた、深い闇に根差した行動だったのだろう。彼以外の子供達を落ち着かせる為に彼を叩いた。私は私に恥じている。その所為で彼は……」

 翌日になって、姿を消した。

 こうして一時足跡が途絶えるが、翌年の五月に、また記録がある。

「奴は突然孤児院に舞い戻った」

 その時の事も手記に残されていた。

 数ヶ月の後戻ってきたギルバートの姿は、とても浮浪者生活を送っていたとは思えなかった。身なりは孤児院にいた時よりも寧ろ良くなっていて、髪は整えられていたし、着ていたシャツは目立つ汚れが一つと無い。今まで何処でどう暮らしていたのか尋ねられても一切答えず、代わりに小銭の詰まった袋を取り出して、それを孤児院に寄付したのだと言う。

「奇妙な事だ。院を離れていた数ヶ月の間に何があったのか。ボクは徹底的に調べさせた」

 この辺りになって、アディントンは楽しげに声を弾ませ始めた。いよいよ、チェンバレン氏の暗澹部に触れる。

 浮浪者の行き着く所は決まって犯罪の匂いがする。窃盗、麻薬、殺人。いわゆる「裏」の世界だ。しかし警察には彼の記録が無い。そこで探偵は、よほど良い金額を貰う契約だったのか、考えに考えて、ある一つの可能性を導き出し、その可能性を頼りに方々を訪ねて歩いた。

「何処だと思う? 売春宿だよ」

 売春婦達の殆どは好きこのんでそんな仕事をしているのではない。彼女らにとっても辛い現実で、一部は逃避のために酒や煙草、麻薬に溺れる。しかしどれも身体を壊し、身体を売り物にしている彼女らには天敵だ。そこで必要になるもう一つの逃避策が、慰み者である自分達もが、慰み者を持つ事である。

 嫌な話だが、ここまで聞けば大体の想像が付く。出来る事なら、こんな想像は全力で否定したい。

「優秀な探偵は遂に見付けた。バーミンガムの郊外で売春宿を営む中年女……」

 窓から雷光が差し込んだ。

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