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執務十二:二人の黒い執事-2

「お前はこんな所で燻っていてはいけない。もっと広い世界に出てみろ。ミラー公爵は実業家だ。金だけ動かして企業家面しているのとは訳が違う。もっとビジネスに触れろ。ミラー家に執事として仕えれば、ゆくゆくは子会社の一つや二つ任される事だって考えられる。それに、公爵はお前を特別待遇でもって迎え入れて下さる。給料は今の二倍、いや三倍出す。環境はずっと良い」

 随分な謳い文句だが、嘘では無いだろう。伯爵家から公爵家に仕えるとあれば、それは事実上の出世だ。執事の肩書きは変わらなくても、家の名前が違えば大変な差になる。更に会社を持つ事は、この時代に生きている人間ならば誰もが掲げる理想だ。ジョンが良い例だ。彼は使用人をしながらも、ビジネスに強い関心を持っている。

 もし、チェンバレン氏が経済的な潤沢と成功を望む野心家だったら、これほど甘い言葉はないだろう。だが、彼は違う。

「わたしにも職場と上司を選ぶ権利はありますよ」

 そう、彼は決して離れない。この屋敷から、ワイアット卿から。それはアディントンも予想していたらしく、怒りもしなければ驚きもせず、鼻で笑った。

「お前ならそう言うだろうと思っていた」

 顎をしゃくり上げて、見下す様にチェンバレン氏を見る。

「ミラー家としても、お前の様な経歴不明の人間を雇う訳にはいかない。そこで調べさせて貰ったよ、お前の過去。探偵を使ってな」

 凶悪な笑みを浮かべた。

「色々解ったよ。随分と面白い事がな」

 一体何の事だろう。私が知っているのは、この屋敷に来てからの彼の事だけだ。聞けば話してくれただろうか。しかし、彼の毅然とした無表情の中に、うっすらと浮かび上がる陰を見て、それが後ろ暗いものなのだと知れた。

「……脅迫するつもりですか」

「脅迫? ハハッ! 馬鹿を言え。これは相談だ」

 アディントンは勝ち誇った様に言い放つ。

「調べ上げた事は、まだボクの耳にしか入っていない。ミラー公爵に対して良い報告にするのはやぶさかじゃないが、誰にどう告げるかはボク次第だ」

 つまり、ミラー公爵以外の耳に、ありのまま彼の過去が伝わる可能性を暗示している。

 誰にでも触れられたくない過去はある。しかしそれは程度の問題だ。軽度の失敗か、或いは、重度の過ちか。脅迫となり得るのはどちらかという事なのだ。

 チェンバレン氏は過去の暴露を脅迫と捉えた。大きな過ちを犯した、その証拠だ。

 だとしたら、それを一番に知られたくない人物が居る。きっと、誰に知られるよりも、ワイアット卿ただ一人に知られるのだけは、避けたいはずだ。

 だからアディントンの「相談」は、チェンバレン氏に最も有効な脅迫なのだ。

「これは正規の契約だ。だから決定権はお前にある。別に、断りたいなら断ればいい。ボクは構わない。ただ、まあ、ボクが知った事をどうするかは、また別の話だな」

 ククク、と笑う。嫌な男だ。それ程、彼の大きな弱みを握っているのか。今まで顔色を変えなかったチェンバレン氏だが、この時ばかりは、悲痛に顔を歪めた。

 彼が最も恐れている事。それはワイアット卿と離れる事に他ならない。だが、アディントンの脅迫に屈しても、また拒んでも、どちらにしてもこの屋敷を出る事になるのだろう。耐え難い苦しみを伴って。

 私の胸まで痛み出す。こんな乱入者に、こんな男に、二人が引き裂かれて良いものか。良いはずがない。

「決めろ。これからボクと一緒にここを出るか。それとも……」

 アディントンが脅し文句を重ねようとした、その時突然に、勢い良くドアが開かれた。

「セバスチャン、こんな所で油を売っていたのか!!」

 大声を張り上げたのは、乗馬服姿で飛び込んできたワイアット卿だった。脊髄反射的に立ち上がったチェンバレン氏は、目を見張った。続いてアディントンも席を立つ。

「ああ、これはワイアット伯爵。ご機嫌うるわ……」

「雨が降ってるぞ、セバスチャン! 馬に乗っていたのに、急に降り出してきた!!」

 ワイアット卿はアディントンの存在を完全に無視していた。大股に歩み寄り、チェンバレン氏の手首を掴む。

「来い! 暇だからババ抜きの相手でもしろ!!」

 二人でババ抜きをして面白いのだろうか。そんな疑問を挟む余地もなく、くるりと踵を返し、チェンバレン氏を引きずって部屋を出て行ってしまった。

 残されたアディントンはぽかんとして、開け放たれたままのドアを見ていた。

「……ハ、ハハハ。坊ちゃんは相変わらずだ」

 笑いながら髪を掻き上げる。その様子は明らかに狼狽えていた。

 いや、ワイアット卿は我が侭を言ったのではない。アディントンの来訪を知った彼は、チェンバレン氏をここから引き離すべく、自由奔放で天真爛漫な少年を演じたのだ。これまでの話を聞いていたかは定かではないが、兎に角助かった。

 私ももうこんな所に用は無い。退室の無礼を一応に詫び、二人の後に続こうと背中を向けた。すると、

「おい。ちょっと待て」

 アディントンが呼び止める。憎まれ口の一つでも言いたい衝動を抑えながら、ゆっくりと振り向いた。アディントンは早足にこちらに歩き、ドアを閉めた。

 密室にこの男と二人きりだなんて、吐き気がする。虫唾が走る。怖気が来る。私はなるべく考えない様にした。

「お前、話を聞いていただろう?」

 近い。吐息が掛かりそうだ。呼吸を押さえて、頷いた。

「なら気になっただろう? どうだ? 奴の秘密を知りたくはないか?」

 何を言っている。何が目当てだ。しかしアディントンは、何かを要求する素振りを見せなかった。

 解った。こいつは最低だ。

 女の使用人はお喋りで噂好きだと思い込んでいる。それを利用して、チェンバレン氏が契約交わすか否かの決断をする前にも関わらず、先んじて噂を流してしまおうと画策しているのだ。卑劣な手段でチェンバレン氏を攻め落とそうと考えている。

 だが、それは失敗だ。野次馬な性格である事は否めないが、私は口の軽い女ではない。殊、チェンバレン氏とワイアット卿に関わる事なら、尚更だ。

 私は思い付いた。ひとを利用しようとするのを逆手にとって、アディントンを利用してやる。胸の中でせせら笑う。私も随分と腹黒くなってきた様だ。

「……ええ、気になりますわ。教えて頂けますか?」

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