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執務十二:二人の黒い執事-1

 雲行きが怪しい。真昼間だというのに、黒く厚い雲が空一面を覆い尽くし、太陽が見えない。一雨来そうだ。

「参ったな」

 窓越しに空を見上げて、ジョンが舌打ちした。

「今日辺り下着を洗濯しようと思っていたのに」

 私もだ。普段、洗濯場はワイアット卿のシーツやらテーブルクロスやら、屋敷のものを洗うのにごった返している。使用人の私物を洗濯出来る機会も、同時に出来る量も限られていた。

「私は替えが何着かあるから良いけど」

「羨ましいね。俺なんか二着だけだぜ?」

「え? それじゃあ今穿いてるのは、どれくらい洗濯してないの?」

 さあな、と肩をすくめながらも考えて、

「一週間くらいだったかな?」

 私はそっと、横歩きでジョンから離れた。

「な、なんだよ?!」

「ごめん。ちょっと近寄らないでくれる?」


「参りましたねえ」

 奇しくも、チェンバレン氏はジョンと同じポーズで空を見ていた。

「チェンバレンさんも何か洗濯物が?」

 彼の下着も一週間近く洗われていなかった――想像しそうになり、頭を振った。チェンバレン氏も、いえ、と打ち消すのを手伝ってくれた。

「雨が降れば旦那様は御馬に乗れなくなってしまうでしょう? それが元で不機嫌になられるのを考えると、気が滅入ります」

「ああ……」

 成る程。それは確かに大変そうである。私は苦笑した。

 その時、廊下の電話がけたたましくベルを鳴らした。直ぐさまチェンバレン氏が受話器を取る。

 受け答えをするチェンバレン氏の横顔を見ていた。今更ながら、端整な顔立ちだ。目は二重、鼻筋は通り、顎は細い。ピンとした背筋に育ちの良さが表れている。白手袋をした細い指先まで、才気にあふれて見える。容姿端麗にして眉目秀麗。ワイアット卿が居なければ、私が彼に恋をしていたっておかしくない。

 そんな彼の美しい顔が、次第に歪んでいった。眉を顰める。鼻の辺りに皺が寄る。憤慨している様な、狼狽している様な。そんな顔は似合わない。

 受話器を置くと、噛み締めた歯の隙間から吐息を漏らし、こめかみを押さえた。

「……参りました」

「どうなさったんですか?」

 歩み寄って氏の顔を覗き込む。ワイアット卿の事を考えていた時とは違う、心底参った表情をしている。

「……ミラー家の御屋敷からでした」

 私はぎょっとした。ミラー公爵と言えば、ワイアット卿の母親が後妻に入った家だ。

「あちらは何と?」

「確認の電話でした。スチュワードがこちらに向かっていて、もうすぐ着く頃だと」

 スチュワード――アディントンか。

「ええ? 一体どうして?」

 玄関の呼び鈴が鳴った。


 アディントンは、接客室のソファに踏ん反り返って足を組み、紅茶を啜っていた。

 雨が降り出していた。大粒の滴が窓に打ち当たり、嫌な音を立てている。

「当屋敷に何の御用でしょう?」

 チェンバレン氏もソファに腰掛けているが、こちらはきっちりと背筋を伸ばしている。高慢な男は、ハン、と鼻で笑った。

「随分と偉そうじゃないか、バトラー」

「生憎旦那様は外出中で御座いますので、御用の向きはわたしが御伺いしましょう」

 カップを乱暴に置く。気品あるティーカップが悲鳴を上げた様だった。

「坊ちゃんに用は無い。用のある相手はお前だ」

 なら最初からそう言え。ドアの横に立った私は、心の中でそう叱責した。

「わたしで御座いますか? わたしからは何の御用も御座いませんが」

「黙れ。バトラー風情が生意気な口を叩くな」

 アディントンは執拗に噛み付く。この前の一件を根に持っているのかも知れない。それにしても逆恨みだ。しかしチェンバレン氏はそんな些細な事では動じない。

「では、わたしに何の御用でしょう?」

 平然としている。アディントンはそれも気に入らないらしく、醜悪な顔をより一層歪にして舌打ちをした。

「話だ。お前により良い職場を提供してやろう、ってな」

 氏の眉毛が僅かに痙攣した。

「どういう意味でしょう?」

 アディントンは手を広げて、ニヤリと笑った。

「勧誘だよ。ミラー公爵様の屋敷で働け」

 引き抜くつもりか。それにしても、誘っていると言うよりは命令する口調だ。勿論、チェンバレン氏は良い顔をしない。

「それは一体、どういった風の吹き回しでしょう」

「ハッ! いちいち気に障る奴だ。また殴られたいのか?」

 脅す様に言うが、チェンバレン氏には通用しない。

「確かに、お前は生意気でいちいち気に障る。だが、これでもバトラーとしては高く評価しているんだ」

 奇妙な程に素直な評価だ。それを否定出来ないくらい、氏は完璧なのだろう。だがチェンバレン氏は礼など言わない。当然だ。

「ミラー家は屋敷も広ければ、使用人の数もここと比べて数倍多い。だがお前程優秀なバトラーなら容易に捌けるだろうな。ミラー家はお前を必要としている。だからこのボクがわざわざ出向いてまでこんな話をしに来た。解ったか?」

 チェンバレン氏は、ただこの傲慢な執事を睨み付けていた。 

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