執務十一:誕生日の夜-1
結局一睡も出来なかった。それはそうだ。あんな場面を見せ付けられたら、誰だって眠れなくなる。
「おや。顔色が優れませんね」
チェンバレン氏が声を掛けてきた。
「寝不足ですか?」
流石に目ざとい。私は笑って誤魔化した。
「いえ、全然大丈夫ですから! あははは、は、はは……」
「そうですか? あまり夜更かしをしてはいけませんよ。何をしていたかは知りませんが」
氏は普段通りだ。昨晩の事がまるで嘘の様である。
そこへ、げっそりとした顔をしたワイアット卿がやって来た。
「おや。旦那様。御馬に御乗りでは?」
「……吐きそうになってやめた」
おやおや、とチェンバレン氏は苦笑する。
「いけませんね。旦那様も寝不足で御座いますか?」
「五月蠅い。誰の所為だと……」
言い掛けて、私の顔をちらりと見てから口を噤んだ。
「……僕は部屋に戻る」
「かしこまりました」
よろよろと去って行った。
どうしてチェンバレン氏は平気なのだろう。超人なのか、このひとは。
超人と言えば、チェンバレン氏は異常な程物事に気が付く。背中に目が付いているのかと思うときもあるし、屋敷の何処にいても声が聞こえているのではないかという事もある。
もしかすると、昨晩私が覗いているのにも気付いていたかも知れない。だとしたら、私にあんな現場を見せて平気な顔をしているなんて、恐ろしいひとだ。いや、まさか。
「さて、駄弁はこのくらいにして、仕事に戻りませんと。……ん?」
窓の外に目を遣って唸った。
「どうかしました?」
「あれは……」
私も外を見てみる。すると、豆粒ほどに小さくではあるが、車が走っているのが見えた。
「……これは大変だ。ミス・ブレナン!」
「は、はい?」
「すぐ皆さんを表に。御出迎えの準備です。わたしは旦那様の元へ。急いで下さい!!」
早口にそう言う。何が何だか解らないが、チェンバレン氏が険しい表情をしていたので、兎に角走った。
「一体何なんだよ?」
玄関先にて、横に並んだジョンがひそひそ声で私に尋ねた。私は首を傾げて返す。
車は庭に入って停まった。今度のはタクシーではない。
「全く、騒々しいな」
ワイアット卿がやって来た。正装である。斜め後ろに立ったチェンバレン氏が私達に向けて、
「さあ、皆さん、ご無礼の無い様に!」
随分と物々しい。一体誰が来たと言うのだろう。
その人物は、後部座席から降りてきた。そして第一声が、
「かわいー!!」
聞き覚えのある甲高い声。麗しきお嬢様。
「レ、レイチェル!」
ワイアット卿はギョッとして叫んだ。
「来ちゃった」
「『来ちゃった』じゃない! アポイントメントも無しに……どわッ!!」
レイチェル嬢がワイアット卿に突進――いや、抱き付いて、いつかと同じ様に飛び跳ねた。細い腕が首に食い込んでいる。
「く、苦し……ッ」
「何このお洋服! 超かわいー!! 新しいの?」
「ええ。レイチェル様の御好みに合う様、新調させて頂きました」
「またお前は勝手に!」
「さっすがセバスチャン! 解ってるゥ」
「ハハハ。こう見えて執事で御座いますから」
そこへ遅れてやって来たのは、キーツ伯爵だった。遅れて来たと言うより、レイチェル嬢が速すぎたのだろう。
「やあ、盛り上がってるね。ぼく抜きで」
相変わらず飄々としている。実に対照的な兄妹だ。対極的だが、それでいて、
「これはワイアット伯爵。随分と可愛らしいお姿で」
「そうでしょう、お兄様? アデルったらかわいーの!」
「そうだね。何だかすごく、アレだよね」
「そうなの! アレなの!!」
妙に息が合っている。兄の方が無理に妹に合わせているという感じはしない。二人はこれで自然体なのである。
「……何だこの兄妹は。僕を馬鹿にしに来たのか?」
「何を言うのかね。こんなに褒めているのにそんな事を言うなんて。心が歪んでいるのかな? それとも照れているのかな?」
「もう。アデルったら、照れ屋さん」
突然訪問して来たかと思えば、完全に自分たちの空間にしてしまっている。やっぱり恐ろしい人達だ。たぶん、真のツワモノは兄の方なのだろう。
「……冗談はさておいて」
ワイアット卿はふて腐れ気味だ。
「何しに来たんだ?」
おやおや、とキーツ卿は肩をすくめる。
「随分な言い様だね。一方的に婚約破棄だの復縁だのしておいて」
「……恨み言を言いに来たのか」
「ぼくはそんなに意地悪かい? 君は今日が何の日か忘れているらしい」
ワイアット卿は首を傾げる。
「今日……?」
唸りながら暫く考えて、それから、あ、と声を上げた。