執務十:理解者-5
「何で急に居なくなっちゃうんだよぅ……」
おいおいと声を上げてジョンが泣く。
「アリアちゃぁん……!」
何だろうこの男。みっともない。
「やっぱりビンタがいけなかったかしら?」
「お、おま……彼女に何したの」
「ちょっと腹が立ったから軽く叩いただけよ」
ほほほ、と笑ってみせる。
「……お、女って怖ェ……」
さめざめと泣いた。いい気味だ。
「まあ、こうなるだろうとは薄々思っていましたよ」
チェンバレン氏は笑って言う。
「何せ、あの旦那様ですから。御陰で空出費がまた出てしまいましたが」
「……チェンバレンさんは、解っていたんですか?」
顎をさすって唸る。
「どうでしょうね。旦那様は易々と騙される事はないと思ってはいましたよ。解っていたと言うより……そうですね。信じていた、とでも言いましょうか」
チェンバレン氏はさらりと言ってのける。彼のワイアット卿に対する信頼は変わっていなかった。結局、私一人が疑心暗鬼に囚われて、孤軍奮闘しているつもりになっていただけだ。
「御母様の事で紆余曲折ありましたから、旦那様にも相手の腹を探る御力はあったのでしょう。殊、女性に対しては余計です。兎も角あからさまな誘惑に騙されるほど、愚かな御方ではないのですよ」
ワイアット卿が自ら言ったのと同じ事を言う。チェンバレン氏は、それでも、と続けた。
「彼女の接近を許したのには、寂しい御気持ちが手伝っていたのではないでしょうか。子犬もわたしが取り上げてしまいましたから。とは言え、それは過ちです。その時旦那様は御自身の立場を考えるべきだった。しかし御本人もそれに気付かれて、御自ら過ちを正した。そんなところではありませんかね。愛すべき御方だと思いませんか」
チェンバレン氏は、やはりワイアット卿の良き理解者だ。彼を一度でも疑った私は、恥じるべきかも知れない。
「しかし五十万ポンドは結構な金額ですねえ。この前のと合わせて百万ですか。これは、御仕置きが必要ですよ」
悪戯っぽく笑う。
多分彼は何があってもワイアット卿から離れないだろう。そういうひとなのだ。
片が付いたこの日の夜になっても、何故か私は眠れずにいた。連日の夜更かしが祟って昼夜逆転したものか、どうにも目が冴えていて落ち着かない。もう部屋には私一人だと言うのに。
とうとう私はベッドを抜け出してしまった。そして部屋を出て、ある場所に向かう。特に理由は無かった。何となく予感めいたものがあって、私はそれに従ったのである。
その場所は、ワイアット卿の寝室だ。
と、ドアの前に誰かが立っている。月の薄ぼんやりとした明かりの中だが、その人物ははっきりと解った。チェンバレン氏だ。チェンバレン氏はノックをせず、さっとドアを開けてその中に姿を消した。
「どうして……?」
私はアリアがそうした時の様に、そっとドアを開き、覗き見た。
「あ……ふ……ッ」
セバスチャンは少年の手首を押さえつけ、強引にその唇を奪う。
「……こ、今度はお前か、セバスチャン?!」
「シッ。大きな声を出してはいけませんよ、御坊ちゃん」
アデルの口に指を立てる。
「こういう事は静かに致しませんと」
クスリ、と微笑する。
「お前ェ……! 主人の寝室に忍び込むなんて、許されると……!!」
「おや。使用人は許して執事は許しませんか?」
アデルは見上げながら睨む。
「……どうして知ってる」
執事は不敵な笑みを浮かべる。
「わたしは何でも知っていますよ、御坊ちゃん。貴男の事なら何でも。例えば……」
少年の白く柔らかな耳たぶを、甘く噛んだ。
「……何処が良いかも」
囁き、耳に舌を這わせる。複雑な曲線に沿って舌先が絡み、アデルは身体をのけぞらせた。
「……うあッ」
「彼女はこんな事をしましたか?」
セバスチャンが手を離しても、アデルはぐったりとベッドに沈み込んだまま、起き上がらなかった。息が荒い。しっとりと濡れた耳まで上気している。
アデルの寝間着のボタンが外されていく。
「そう、例えば……」
シャツを広げて、胸から腹部までの白い素肌が露わになる。月明かりに照らされて、青白く輝いていた。
「貴男のこの……シルクの様な手触りの……」
胸に手を添えて、指先を脇腹に向けて滑らせていく。アデルは震えた。
「彼女は知らなかったでしょうね。貴男のここが、こんなに……」
「や、やめろ……ッ」
アデルはセバスチャンの手を掴んで、拒絶した。執事は笑うのをやめた。
「……何故です?」
「こんな事は、間違ってる!」
少年は叫ぶ。するとセバスチャンは逆にアデルの手首を掴み、無理矢理に引き寄せた。
「過ちなら既に犯しているではありませんか。わたしと、貴男とで」
アデルには返す言葉もなく、ただセバスチャンの目を睨んだ。
「わたしはね、御坊ちゃん。嫉妬しているのですよ」
静かに言う。
「貴男はわたしの何で御座いますか? 仰って下さい。その口で」
「お前は……」
アデルは目を逸らした。
「……僕の……僕だけのセバスチャンだ」
「そう。わたしは貴男だけのセバスチャン。ならば貴男は、わたしだけの御坊ちゃんで御座います」
その身体を抱き寄せて、唇を吸った。そうしながら、アデルの腕をシャツから抜き、裸の身体を愛撫する。
「セ、セバス……ああ……!」
無言のまま、身体を重ね合わせてベッドに押し倒す。身体の輪郭をなぞる様に、セバスチャンの手が下半身に向けて滑り降りていった。
乱れる呼吸と、喉から溢れそうになる声を押し殺すために、クララ・ブレナンは口を両手で押さえていた。