執務九:僕だけのセバスチャン-1
「おい、セバスチャン!」
ワイアット卿が大声を上げる。掃除の指揮を執っていたチェンバレン氏は、はあ、と溜息を吐いた。
「騒々しい。何で御座いますか、旦那様?」
「あのポリだかポールだか言う競技は駄目だ」
「『ポロ』で御座います」
「それだ。お前がしつこく言うから、僕がそのポロに折角興じてやったのに、あのマレットとか言うハンマーみたいな棒がちっとも地面に届かない!」
その絵は何となく想像出来た。チェンバレン氏はさらりと言い返す。
「旦那様の体格に対して短すぎたので御座いましょう」
「僕がチビだって言いたいのか、セバスチャン? 大体、あんなのがもっと長くなったらボールに当てる事なんて出来るか!!」
やれやれ、とチェンバレン氏は呆れる。
「なら御馬を小さいものに致しませ」
「僕にポニーに乗れと?」
ポニーに乗ってポロをする伯爵。そんなのどかな光景を想像して、私は思わず吹き出した。
「笑うなッ」
怒られた。
「僕はもうあんなのはやらないからな! セバスチャンの言い付けでもだ!!」
そう言って、ぷい、と背中を向ける。
「おや、どちらへ?」
「馬で走ってくる」
蟹股に立ち去って行った。
「本当に馬が好きだなあ、坊ちゃんは」
ジョンが呆れた調子で言う。私も玉を転がしているワイアット卿より、馬に乗って颯爽と草原を駆け抜ける彼の方が様になっているとは思う。しかし滅多な事はチェンバレン氏の前で言うものではない。
チェンバレン氏はもう一度溜息を吐いた。
「あんな調子では先が思い遣られる」
独りごちてから、さて、と切り替えて、
「そろそろ休憩と致しますか」
「賛成!」
ジョンは箒を投げ捨てて両手を掲げた。
休憩時間、私はチェンバレン氏の部屋のドアをノックした。中から入室を許す声が返ってくる。ドアを引き開けると、チェンバレン氏は紅茶を飲みながら読書をしていた。
「失礼します」
「ああ、貴女でしたか。何か御用でしょうか?」
パタン、と本を閉じる。表紙にあったのはシェイクスピアの戯曲「ハムレット」の文字だった。
「少しお伺いしたい事があって……」
「そうですか。どうぞ、掛けて下さい」
すんなりと招き入れられる。チェンバレン氏の部屋に入るのは二度目だから、抵抗は無い。
すぐにチェンバレン氏は部屋の食器棚からもう一つカップを用意し、私に紅茶を入れてくれた。
「それで、わたしに聞きたい事というのは?」
紅茶を一口啜ってから、私は答えた。
「すごく下らない事かも知れませんけど、前々から気になっていた事があって」
カップを置いて続ける。
「どうして『セバスチャン』と呼ばれているんですか?」
チェンバレン氏は、ああ、と笑った。
「その事でしたか。話せば長くなりますよ」
そう言いながらも話す事に関しては乗り気らしく、紅茶を口に運びつつ、語り出した。
今からおよそ五年前、チェンバレン氏が十八歳の頃の事だ。当時、彼はまだ使用人の一でしかなかった。とは言え、その時既に屋敷で三年間務め続けてきたという彼の仕事ぶりは、想像に難くない。
突然当時の当主であるブライアン・ワイアット伯爵に呼び付けられた彼は、坊ちゃん付きの使用人に任命された。その若さで次期当主の付き人に抜擢されるのは、異例の大出世と言える。ちなみにアディントンはチェンバレンの二つ年上で、この時はまだただの使用人だった。二人の確執はこの時から始まったのだろうが、この話には関係が無い。
当時十一歳の坊ちゃんは今の様に活発な少年ではなく、部屋の外にはあまり出る事が無かった。その為チェンバレン氏も数回見掛けた程度しか彼を知らなかった。
「先代は旦那様に手を焼いておられる御様子でした」
子供ながらに両親の間にわだかまったものを感じていたらしく、アデル坊ちゃんは父親に懐かなかった。酷く無口で、たまに口を利く相手は母親と決まっていたらしい。
そんな調子だから、チェンバレン氏が坊ちゃんに謁見した時も、半ば無視される形で終わった。今の彼らの関係からすると有り得ない事だが、チェンバレン氏はその時の事を振り返って、
「御母様以外の誰にも心を開かない御子様でした。身の回りの御世話も全て御母様がしていらしたので、わたしは蚊帳の外。何をしようにも何も出来ない状態でしたよ」
母親からの寵愛を受けていた坊ちゃんは、母親以外には近付くことさえ許さなかった様だ。
そうして数日が経ったある日、事件が起きる。
両親が会合の為に遠出することが決まった。当然の事ながら、坊ちゃんはこれを嫌がった。
「御母様、僕も行きたい!」
そう、駄々をこねたのである。