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執務八:忠犬は甘えない-1

 何故か今日は、チェンバレン氏とお茶をしている。どういう風の吹き回しだろう。私が部屋で休憩していると、突然チェンバレン氏がやって来て、彼の部屋に招待された。

 チェンバレン氏の入れた紅茶で、三角形のスコーンに蜂蜜を掛けて食べる。紅茶は相変わらず、上質な葉っぱに上手な入れ方で、香り良し味良し、非の打ち所が無い。スコーンは少し前まで飽きる程食べていたが、これも格別に美味しい。自分の所の麦を使ったのが一番だと、祖父は生前豪語していたが、これには負ける。

「このスコーンもチェンバレンさんが?」

「ええ。旦那様のアフタヌーンティーに御用意したのですが、ご覧の通り沢山余ってしまいましてね」

 確かに、二人分のおやつとしては有り余る量だ。

 しかし、私がここに呼ばれた理由は、それだけではない様に思えて仕方がなかった。何も休憩中なのは私だけではないし、少ない使用人達の部屋に回ってスコーンを振る舞うなんて訳のない事だ。何も、わざわざ私を部屋に招く必要は無いのである。

 何か用件があって呼び出された。そうとしか考えられない。では何故こんな風に、敢えて二人きりの場を作らなければならないか。私には何となく解っていた。

「もしかして、祖父の遺言の事で、何かあるのですか?」

 気持ちよく話してくれないのには、それなりの理由があるに決まっている。だが私は思い切って尋ねてみた。

「……ええ、まあ」

 歯切れの悪い調子で答え、ティーカップを口元に寄せながら、目を泳がせる。チェンバレン氏が狼狽する様を見せたのは、これが初めての事だ。それにしても微妙な所ではある。多分、私が余程注意深く彼の挙動を見守って居なければ、解らなかっただろう。

 かなり、言い出し難い事の様だった。話を切り出すまでに、彼は二口紅茶を啜った。

「実は……」

「いえ、構いません」

 私はチェンバレン氏の言葉を遮って、言った。

「仰り難い事実なら、仰って頂かなくとも結構です。私には想像が付いていますから」

 祖父のデタラメだったのだ。元々祖父は顔の広いたちではなかったから、きっと自分が死んだ後私が路頭に迷うのを心配して、何は無くとも金持ちの元を訪ねさせ、今度の様に親切にも身元を引き受けてくれると期待して、ワイアット家の名前を出したのだろう。でなければ説明が付かないし、他の事も考えつかない。

「ワイアット様……いえ、チェンバレンさんには感謝しています。素性も解らない私をこのお屋敷に置いて頂き、しかも大役まで頂戴したのですから」

 私の本心からの謝礼にも、チェンバレン氏は釈然としない様な、すっきりしない表情をしていた。仕方の無い事だ。私の生まれや育ちなど嘘なのかも知れない。ここへ来た理由も祖父の根拠無しの遺言なのだから、疑われて当然だ。でも今更、この屋敷から去れと言われても、私はきっぱりと「嫌だ」と言うだろう。

 もっと見たいのだから。

「いや、わたしが言いたいのは……」

 チェンバレン氏が言い掛けた時、ドアが勢い良く開かれた。

「ここに居たか、セバスチャン!」

 ワイアット卿が叫んだ。乗馬服のままで、息を切らして立っている。何処かで見た光景だ。

「旦那様、また御馬の稽古を抜け出して来られたので?」

「それどころじゃないぞ、セバスチャン!!」

「さて。御稽古どころじゃない事とは、なんでしょうか?」

「それどころではないくらい大変な事なんだ」

 会話として成立していない。ワイアット卿はよっぽど興奮しているらしかった。

 そこへ、小さな足音共にやって来たのは、小さな子犬だった。廊下を、ドアの端から端の見える範囲を何度も行きつ戻りつ、ワイアット卿の脚にじゃれつく様な仕草を見せた。

「子犬を拾ったんだ! それも物凄く懐かれている!!」

 ワイアット卿は鼻息を荒くして言う。どうやら嬉しい様だ。

 しかしチェンバレン氏は、俄然、すっくと立ち上がり、

「そんな小汚い犬を御屋敷に入れるとは、どういう御了見で御座います!」

 怒鳴った。こんな風に怒鳴るチェンバレン氏も初めて見た。今日は普段見られない姿の大盤振る舞いだ――と言いたい所だが、彼のただ事でない雰囲気に驚くのが先行して、そんな事を微笑ましく思っていられなかった。

「小汚いとは何だ! 僕のジョンだぞ!!」

「もう名前まで付けているのですか! 名前を付けると感情が移ってしまいます!!」

 それもそうだが、まずそのネーミングは考えものだと思う。子犬のジョンは、私と違った目でこの遣り取りを見ているらしく、楽しげに飛び跳ねていた。

「それの何が悪いんだ。良い名前だろ」

「そういう問題ではありません。良いか悪いかは別にして、まだ飼うとも決めていない野良犬に名前を付けてはいけないと申し上げているのです」

「飼うよ。飼うだろ。飼わなくちゃ。だってこんなに懐いてるんだし」

 そこへジョンがタイミング良く、キャン、と甲高い声で答える様に鳴く。

「いいえ、飼いません。この御屋敷で犬は飼いません」

「良いじゃないか。金なら有り余るくらいあるじゃないか。犬を一匹養うくらい、訳無いじゃないか」

「駄目です。そういう問題ではありませんから」

「僕が毎日散歩に連れて行く。餌だって毎日あげる。だから……」

「駄目ったら駄目なのです!!」

 やけにムキになっている。チェンバレン氏は、例え相手がワイアット卿であってもイェスマンではないと知っているが、この件ばかりは頑な過ぎる。

「もう良い! 来い、ジョン!!」

 そう言い捨てて、ワイアット卿はふて腐れて何処かへ行ってしまった。ジョンも尻尾を振ってそれに続いた。

 チェンバレン氏はそれから暫くの間立ち尽くし、主の去った後のドアを睨み付けていた。私は恐る恐る声を掛ける。

「あの、チェンバレンさん? ひょっとするとなんですが、チェンバレンさんは犬が……」


「あれ、休憩は?」

 玄関ホールにモップ掛けをしていると、片手に雑誌をぶら下げて、眠そうな目をしたジョンに話し掛けられた。

「……ジョンの所為で無くなった」

「ふぇ?」

 ジョンは不思議そうに目をぱちくりさせていたが、私は無視をした。

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