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執務七:それぞれの役目-1

 平和だった。ワイアット卿の言動は落ち着いているし、チェンバレン氏は普段通りに戻った。私も仕事に慣れてきて、だいぶ安定している。屋敷の中は台風一過の快晴である。

 しかし、後々になって私は思い知ってしまう。これは、本当の嵐が訪れる、その前触れなのだと。

 玄関前の掃除をしていた。それも、またジョンと二人きりである。どうやらチェンバレン氏は私に、先輩であるジョンの監視役をさせたいらしい。私が認められるのは嬉しいが、遙か以前から働いているジョンには申し訳が無い。複雑な心境だった。

「良い天気だなあ」

 箒を杖代わりにして、ジョンはぼんやりと空を仰いでいた。彼は私が居ても居なくても、関係無く仕事をしない。それでも一人にさせないだけマシ、という所だろうか。

 小鳥のさえずりが聞こえる、清々しい朝だ。私も仕事さえ無ければ、床に目を落としていたりはしなかったろう。

「本日も晴れ。お屋敷は平穏なり」

 ジョンは独りごちて欠伸をする。

「ちゃんと働かないと、またチェンバレンさんに怒られますよ?」

 一応、形だけでも忠言しておこう。予想通り効き目は無い様で、

「心配無いさ。今頃坊ちゃんの世話で忙しいだろうし、バレやしないって」

 ヘラヘラと笑った。これで良く一年も続いている。もう一言だけ注意しようと口を開いた時、先に、ん、とジョンが声を上げた。

「今日は客が来る予定だったっけ?」

「さあ? 私は聞いて無いですけど……」

「でも、ほら」

 そう指差した、屋敷への一本道を、確かに自動車が向かってくるのが見えた。二人で首を傾げていると、その車は庭先まで来て停まった。

 助手席から一人が降りてくる。燕尾服を着た、赤毛の男だった。私はその男を、咄嗟に執事だと判じた。普段からチェンバレン氏を見ているからか、何となく解るのだ。その執事が回り込み、後部座席のドアを開け、恭しく手を差し出す。そしてその手を頼りに出て来たもう一人の人物は、貴婦人だった。絢爛豪華なドレスを身に纏った、中年の女性である。ブロンドを頭頂のあたりで纏め上げている。

 婦人は羽毛の付いた団扇を舞わせながら、私達の方に歩み寄った。いや、正確には屋敷に入るために向かって来たのである。呆然と見遣る私の前で貴婦人はふと足を止め、

「あらあら、暫く見ない間に女の使用人を雇ったのね」

 と、一言言うなり、半ば無視する形で真っ直ぐ門扉へと歩き出した。漸く気付いて、ジョンが声を掛ける。

「ちょっとちょっと、お待ち下さいよ。どちら様何ですか」

 ジョンは慌てて女性を呼び止めようとするが、後から続いた執事がジョンを押し除けた。

「無礼だぞ。立場を弁えたまえ」

 高圧的な口調だ。ジョンは眉間に皺を寄せて食って掛かる。

「アンタこそ無礼じゃないのかい。こんな朝っぱらからいきなりやって来て、名乗りもせずにお屋敷に入ろうなんてさ!」

 執事はジョンを爪先から脳天までじろりと見て、それから、フン、と鼻で笑った。

「家事使用人風情が出しゃばるな。お前達に名乗る必要も無ければ、訪問の許可を取る必要もまた無いはずだがね。随分と思い上がっているな。教育がなっていない」

 横暴だが正論だ。私達に客人を引き留める権利は無い。しかし、だとしたら私達を使って、その権利を有する誰かに許可を取らせるのが道理だし、そもそも事前に電話なり手紙なりで告げておけば良い事なのだ。そう言う点では、ジョンが文句を言うのは正しい。だが、格差が大きく、それを武器として振りかざされた時、正しい事でさえ間違いになる。

 品性やモラルというものを私の口から語るべきでは無い。私は使用人に過ぎず、主人を訪ねて来た客にあれこれと言える立場に無い。ただ、人間として、この男の人格は問える。この男を同じ執事のチェンバレン氏と比べたら、彼に対する侮辱になってしまうだろう。それほど、こちらの執事は嫌な男だった。

「アディントン、おやめなさい。下賤の者の相手をするのは」

「かしこまりました、ご主人様」

 アディントンと呼ばれた執事はニヤリと笑う。この男もこの男なら、仕えている女も感じが悪い。

 そして二人はためらいも無く屋敷に踏み行った。

「……何なんだよアレはッ」

 ジョンは怒髪天を衝くという様子だ。私も一緒になって腹を立てたい気分だが、それでは収拾が付かない。私は落ち着いた風を装って。

「走ってチェンバレンさんを呼んで下さい。私は、あの人達が何かしないか見ていますから」

「任せろ!」

 ジョンは箒を投げ捨て、屋敷に駆け込み、二人の背後を睨み付けながら奧へ向かった。私は箒を置いてから、二人の闖入者を監視する。

「嫌ね。まだあんな絵を飾っているだなんて」

「左様に御座いますね、ご主人様。あの様な肖像画は今すぐにでも燃やすべきで御座いましょう」

「どうせ売っても二束三文でしょうしね」

 随分と失礼な会話をしている。まあ、チェンバレン氏も要らないと言っていたのだが、勝手に上がり込んで勝手にひとの絵画をぼろくそに言うなんて、どういう神経をしているのだろうか。

「それにしても、相変わらず辛気くさい屋敷ね」

「左様に御座いますね、ご主人様。華やかさの欠片も御座いませんね」

 そんな悪態を、玄関ホールでペラペラと喋り続けている。どうやら屋敷には前にも訪れた事があるらしい。

 そこへ、ジョンがチェンバレン氏を連れて現れた。チェンバレン氏は、二人の姿を見るなり足を止め、顔を強張らせた。

「おや、やっと執事君の登場だ」

「いつまで待たせるつもりかと思ったわよ、チェンバレン」

 二人はチェンバレン氏の方へ向き直る。チェンバレン氏は、両手に拳を作った。そして苦々しく、呟いた。

「……大奥様」

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