邪魔モノ
打ち合わせ――とは言ったものの神楽だけの出席となり、俺は屋敷内で暇を持て余していた。
既に夜も更けていて、時間的には夜中である。一部の使用人を除いて大半の人は寝ていて、幼いノエルも既に眠りについている。よって屋敷内は薄暗く、とても静かなのだ。加えて、何処其処で待っていろという指示もされてなければ、あれやこれはするなという指示も出ていないので、簡単にトイレの位置だけ確認してエントランス神楽を待つばかりである。相変わらず眠気も来なくて、本の一つでもあったらいいなと周辺の物色を始めた。
「あら」
「?」
すると女性の声がしたため振り返ると、目のやり場に困る大胆な服を着た艶美な雰囲気の女性が俺を見ていた。
「見かけない子ね。新しい使用人かしら?」
「あ、いえ。実は……」
ここで変な誤解を起こすわけにもいくまい、俺は事の顛末を話す――
「あぁ、そういうことだったのね」
女性も理解してくれたようだ。
「私はアリシア――グランツの、第2の嫁よ」
「嫁……って、え? ということは、ノエルのお母さん?」
「そうよ」
「若いですね。お姉さんかと思いましたよ」
「ふふっ、冗談が上手いのね」
小さく笑うアリシアという女性は、実際に神楽より少し年上程度じゃないのかと思えるほどに若く見える。
ノエルを子供に持っているということは少なくとも20代後半ではありそうだが――という以前にこの世界の年齢法則が分からないが、女性に年齢を聞くのはどの世界でも失礼に当たるだろうと思って年齢を訊ねるのはやめておく。
それに、流石は第2の嫁か。スタイルが抜群すぎる。男の欲望が一つに纏まったような肉体は最早芸術の領域としか思えない。
「――あらあら、貴方も思春期ね」
「え」
「さっきから熱い目線を感じるのだけど……ご主人のものではないようね?」
さりげなく、自然体にセクシーポーズ。そんな悪戯っぽく笑うアリシアさんの誘惑が、鋼で出来た俺の理性を王水の如く溶かしつつあって困る。
「あの、あんまりからかわないで下さい……」
「ふふっ、男の子も可愛いわねぇ……もう1人くらい子供産んでもいいかしら?」
産む気満々かよ。
「あ、でもその可愛さを引き継ぐのよね。そうすると貴方の遺伝子が必要になる、と……」
「へっ?」
「ふふっ、冗談よ」
冗談に聞こえない件。
「それより、暇なら話し相手になってくれないかしら?」
「?」
唐突に真面目な雰囲気になったかと思えば、俺はエントランスの端にある小さなカフェスペースに招かれた。
淹れてくれた黒い飲み物は"スラガプ"という珈琲に似ているもので、飲めば苦味と共に眠気を一層遠ざける。おかげでアリシアさんの話に耳を傾けやすい。
「主人――グランツに協力するのね?」
「えぇ。ノエルちゃんの依頼ですからね」
「……本当に、グランツに加担しろって言ってたの?」
「――どういうことですか?」
「そのままの意味よ。ノエルが貴方達をどうやって連れてきたのか知らないけれど……あの子、グランツに協力してほしいって言ってたかしら?」
「……いいえ」
思い起こしてみれば――そうではなかった。
ノエルは、自分とルークの身を確保してほしいと言っていた。それが神楽の所為――と言うわけにもいかないだろうが、彼女が依頼の内容を間違った内容で受け取ったというか、勝手に変更していたのだ。"グレイブス一家諸共助ける"形へと。
「芳幸と言ったかしら? あのね、ここまで話が進んだところで悪いのだけど、私としてはグランツに加担してほしくないわ」
「……何故と聞いても良いですか?」
「私の立場は、もう分かってるわね? グランツのもう一人の妻よ。それも違法な、ね」
「何か問題でも?」
「大ありよ。法律なんてものはいいとしても、気持ちの問題が大きいわ」
どうやらアリシアさん自身は、第2にしろグランツの妻であることに不満を抱いているらしい。
「グランツの本命の妻をルージュというのだけど、彼女からすれば私は邪魔者なのよ。確かにグランツはルージュを愛しているわ。逆もまた然り――でもね、グランツが抱く女は私だけ。この意味が分かるかしら?」
「あ……」
つまり、だ。そのルージュという人から見れば、アリシアさんはグランツさんの立派な浮気相手なのである。愛はルージュさんへ。欲はアリシアさんへ。これではグランツさんが単なる都合の良い男になる。
「――アリシアさんは、グランツさんのことをどう思ってるのですか?」
「然るべき処罰を受ける人間――としか思っていないわ」
「……婚約者として、彼への愛は?」
「そんなもの、とっくの昔に失せたわ。探す価値も無い失せ物なんて、誰も探そうと思わないでしょう? それと同じで、所詮は身体目的のあの男に注ぐ愛なんて無いわ。見つからなくて、見つける気も無い――失せ物よ」
「……」
語るアリシアさんの目は、群青色の深みを増しているように見える。
どのような形であれ、親は子供へ愛を注ぐ。その愛情に従うのであればノエルとルークの意見を尊重するべきだろうか。
「――アリシアさん」
「どうしたの?」
「今からルークとノエルを起こしに行きましょう」
似非珈琲を飲み干して、紙コップをゴミ箱に棄てる。
「いいけど、どうするの?」
「あの2人に今の話をするのです」
「何のつもり?」
「この家の誰がどう思っているにせよ、子供を差し置いて勝手に行動なんてできません。あの子達の意見を聞き、その上でどうするべきかを、改めて考えるべきではないでしょうか」
「……」
小さい子に家の未来の一端を担わせるのも気が引けるが、貴重な子供達の意見は重要だ。
「何よぉ2人とも、こんな時間に……」
「むにゃ……」
ノエルとルークは同じ部屋で寝ていた。
「悪いな。大事な話があるんだ、特にノエル、君からのお願いについて」
「ふぇ?」
「お前が言ってきた"お願い"の内容、なるべく一字一句そのままもう一回言ってくれ」
「えっと、私とルークの身だけでも確保して欲しい――だよ?」
「そこで君に質問だ。君のお父さんのグランツさん、彼のことは助けたいか?」
「……」
ノエルは沈黙し、ルークのほうを見る。目を向けられたルークは目を閉じて、ゆっくり首を横に振るだけである。やがて以心伝心か、ノエルがルークの気持ちも代弁するように話し始めた。
「……どうでもいいって思う」
「?」
「裁かれるのはお父様だけで、お母様もルークもルージュさんも無罪よ。王国の法律上そうなるわ。私はルークとお母様が居ればいいし、ルークもルージュさんが居ればいいって言うのよ。だったらお母様とルージュさんに吹っ切れてもらって、お父様だけいなくなる――っていうのが、私とルークの我侭かしらね」
「……」
「アタシは賛成だね」
「?」
今度は誰だ。振り返ると部屋の入り口で、溌剌とした印象の女性が立っていた。アリシアさんにも引けを取らない端麗な容姿で、また同じく若く見える。
「あら、ルージュ」
アリシアさんが、彼女をそう呼ぶ。彼女がルージュさんか。
「こんな夜更けに何用かしら。お肌に悪いわよ?」
「来客があると聞いたから、誰の事やら暇つぶしに探してたのさ。話は聞かせてもらったよ」
「……」
暫し沈黙。
「いいの? 貴方はグランツを愛していたはずよ。婚約相手を見捨てるつもり?」
「一夫多妻は合法にしろ違法にしろ、その地域で古くから強く根付いてなければ誰もが気持ちが追いつかない。アタシも同じさ、二股の男を如何して愛しろというんだ?」
「――そう。分かったわ」
どうやら、未来は確定したようだ。
「さっさと打ち合わせとやらの邪魔をしに行きますか」
今この場には、全員が揃っている。父がいなくなることで蟠りが無くなったらしいアリシアさんにルージュさん、ノエルとルークもいる。
俺は書斎の扉を景気よく開き。
「頼もう!」
――と、わざと道場破り風に言ってみた。
「なんだね?」
すぐさまグランツの厳しい目線が飛ぶ。
「芳幸君?」
それと神楽が反応した時刻は同時に等しい。
「神楽、わりぃがその作戦は中止だ」
「え、なんで?」
「どうやらここは満場一致で大黒柱の消滅を望んでいるそうだ。今やグランツ、そこにいる男は単なる浮気性の男に過ぎないとさ」
「……」
ジリジリと眉根を吊り上げていくグランツを尻目に、俺はさっきまでの事情を神楽に話す――
「――ふうん」
すると神楽は、意外にもあっさりと手を引いた。打ち合わせの席を外れ、俺達の方へ歩いてくる。
「お前たち、どういうつもりだ? この期に及んで裏切るというのか」
「そういうことさ」
ルージュが一歩前に出る。
「アンタが秘密裏にアリシアと結婚したと聞いたとき、アタシは既にアンタへの愛が失せていた。どうしてだ? 愛する人の身体じゃ満足できないのか?」
「……」
続いてアリシアが一歩前に出る。
「態々変装してまで風俗店に来たのが間違いだったわね」
「……」
なんだここは。修羅場か。
「――止むを得ぬか」
「?」
暫く沈黙が続くと、グランツは。
「私は今、王国に捕まるわけにはいかん。ほとぼりが冷めるまでの一ヶ月、お前たちには大人しくなってもらおう」
そんな台詞を最後に、突如俺の視界は暗転した。




