1.始まり
ふわりと風薫る春。
いや、風が薫るのは夏だっただろうか。
詳しいことは忘れた、とにかく桜などはとうに散り、木々は青々とした緑を茂らせていて、ようやく学校に馴染み始めた頃だ。
彼女に出会ったのは、丁度その頃。
放課後のことだった。
「篠原ー、これやっとけよー?」
俺は、クラスで学級委員に任命されたが為に雑務を任され、集めたプリントを3時までに職員室に持って行かなければならなかった。
全ての授業が2時45分に終わるから、のんびりなどしてはいられない。
プリントを抱え、”廊下は走るな”という貼り紙を尻目に職員室にダッシュする。
これでも、サッカー部だから体力はあるし足の速さもそこそこだ。
自分で誇ることじゃないんだろうけど…。
俺の通う中学は、A校舎とB校舎に
別れていて、1年次である俺の教室が
B校舎2階にあるのに対し、職員室はA校舎の1階にあるため、無駄に距離がある。
まあ、無駄というだけで実際は対した距離ではないんだが。
ともあれ、A校舎とB校舎を繋ぐ渡り廊下に差し掛かったときだった。
風が吹き込んできて、プリントが宙を舞う。
しまった、忘れてた。
ここの渡り廊下は、風通しが良すぎるくらい風が通るのだ。
先輩によると、夏場は最高だが冬なんかは超絶的に寒いらしい。
じゃなくて、プリントを拾わなくてはいけない。
授業終わって、すぐに飛び出してきたからか生徒は全くいない。
随分派手にばら撒いたもんだ、と我ながら感心する。
全部拾い終わったかと思い、急いで枚数を確認していた時だ。
「これは違う?」
顔を上げると、目の前にはプリントを片手に持った少女。
おそらく、同級生なのだろう。上履きの色が同じ学年カラーの青だった。
しかし、初めて見る顔だった。
ここの中学校は、大抵俺の通っていた小学校から来る生徒が多い。
整った顔立ちで、黒縁のメガネから覗く双眸は、憂いを帯びたように落ち着いており、口元はきつく引き結ばれていて、あまり感情の色が感じられない。胸の辺りまである髪が、風になびいていた。
他校からきた生徒なのだろうか。
「渡辺先生のプリントって、3時までじゃなかった?早く行った方が良い」
その言葉を聞いて、ハッとした。
「今、何時?」
「あと3分で3時」
少女が廊下の時計に視線を向ける。
この学校にはチャイムがない。
生徒が自分で時間を見て、行動するためらしい。
そのため至るところに時計があり、この渡り廊下も例外ではなかった。
ヤバい、あの先生は厳守がお決まりだ。時間が過ぎれば、受け取ってもらえない。
「ありがとうっ!初対面なのに、手間掛けさせてごめんな!」
少女にそう告げ、職員室へ走る。
一方の少女は、彼の後ろ姿を見送りながら、
「初対面……ではない………」
ぽつりとそう呟いた。
もちろん、先ほど立ち去った篠原侑里には少女の呟きなど知るよしもない。