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【序】

「あなたのいうことは、よくわからない」

 ひとりの幼子が、表情も変えずに告げる。自発性など皆無の言葉は、訴えと表現するにはどこか足りない。

 それでも、応じる声は確かにあった。

「わたしも、だよ。あのね、あなたのいうこと、間違ってるって気はしないの。でも、ちゃんとした意味は……わからないよ」

 ごめんね? と顔色を確かめようとする窺いは、先の幼子とそう変わらない年ごろの少女のものだ。しかしその印象は、彼女と真逆のものに他ならない。明るく積極的な声は、起伏に富んで耳に親しむ。一方でその仕草には気品と聡明さが潜んでいた。

 ――ゆえにそのすべては、呟いた少女には眩しすぎる。

 互いも視認できない暗闇のなか、存在を確認できる唯一の証は握られたてのひらだけだ。それは縋りたいほどあたたかいのに、同時に、焦げついてしまいそうなくらい熱い。

「……」

 うつむいたまま少女は動かない。けれど逆に、彼女は指の力を強めて眼前に顔を近づける。ここ最近で見知った輪郭が、黒墨でぼんやりと描かれた。

「なんだかふしぎな気分だね。せっかく仲良くなれたのに、ぜんぜんあなたがわからなくって。なんて言うんだろ……」

 そのまま頭をひねっても、思考回路は混線するばかりだ。つい思索にふけってしまい、冷たい手が居心地悪そうにこわばってから、はっと我に返った。

「あっ、ごめんね。うーん、気分がっていうより、あなたがふしぎなのかも。もっとよくわかりたいって思うんだけどね、なんだかとっかかりのとこしか知らない、みたいな。でも、なんだかそれってね……」

「……さみしい?」

「! うんうん、そうだよ! きっとさみしいんだよ、ちょっとだけ」

 小さな返しを聞いて、思わず大げさな応答を返してしまう。だって、彼女が自分の言葉を遮ってまで何か言うなんて、本当にまれなことだ。頬の緩みが、満面の笑みをかたち作っていることを確信させる。もっとも、彼女には見えていないだろうけれど。

 しかし、至近距離に顔があって、暗所にも慣れている。これらが作用して、曖昧ながらも少女には、彼女の浮かべる笑顔をそれと判別することができた。少なくとも、「寂しい」と吐露するにはあまりにも明るすぎる表情だと、そんな感想を抱ける程度には。

「やっぱりあなたはすごいね。わたしの気持ち、よくわかるんだ!」

「ち、がう……よ」

 手放しの、そして心底からきただろう称賛と喜びが浴びせられて、決まりが悪い。そんな風に褒められ、嬉しがられるようなことではないのだ。

「わからない……あなたのいうことも、あなたのことも……、あんまり、よく」

「んー? えっと?」

 輪郭が少しかたちを変える。首を傾げたか何かしたのだろうか。こういう時、自分の拙い表現力と、臆病な性質に嫌気がさす。

 それでも、彼女は急かすことなく、指を絡めて待っていてくれる。だから、本心を正しく伝えられる言葉を、ゆっくりと掬い上げていった。

「だから……わたしも、あなたのこと……、わかりたいけど、できないから……」

 うつむいたまま、ぽつりぽつりとこぼす声は、その端から闇に吸われて消えていく。それになんともなしに畏縮して、半分泣きそうになりながらも、懸命に語りを継いだ。

「たぶん、あなたといっしょ、だから。あなたも、その」

 さみしいのかな、って。そう締めくくるころには、囁きは羽虫の羽音にも等しいものになっていた。

 掴めそうで掴めない、分かりたいのに分からない。そんなもどかしさを、彼女が自分と同じように感じるのなら、やはり同じく寂しさを得ているだろうか。そう考えたから、確かめてみたくなったのだ。

 それが彼女に聞こえたかも、まして言わんとすることが伝わったかも、それこそ分からない。そうであればいいと、願ってはいるのだけれど。

 しかし、この石の室には少女ふたりの他には誰もおらず、外も場所柄、そうそう騒音など響かない。一度このふたりが沈黙を貫けば、静寂しか残らない秘密の場だ。つまるところ、少女は彼女の語りをしっかりと聞き届けたのだった。

「そっか。じゃあ、わたしもあなたも、どっちもわかんないんだね。もっと仲良くなりたいし、知りたがってるのにね、変なの」

 肩をすくめて、笑みに苦笑の色を差す。鼻先が触れかねない距離まで間を詰めるが、彼女が下を向いているため、その髪の数本が鼻梁をくすぐるにとどまった。くん、と鼻腔に空気を吸いこめば、石蔵の冷えた粉塵よりも、あたたかい香気の方が多く体中に広がる。指先にまで伝ったそれは感じる体温とつながって、心地よい。一方で、それだけでは満たされないのだ。

「あなたともっと、近くなりたいのにな」

 変わらず朗らかに言ってのける唇の、その笑みがかすかに震えたことに、少女は気づいているのだろうか。

「……」

 申し訳なげにうつむき噤んだその口端を、悔しさを滲ませて結ばせていることを、少女は意識しているのだろうか。

 その是非がどうあれ、双方ともが指の力を強めたのは事実だった。

 分かりたい。しかし分からないし分かってもらえない。どうしようもなく平行線であろうふたりは、しかし交わりを望んだ。

 そのためにすべきはなんだろう。少女は考える。性格こそ対照的ながら、互いに同じく幼い少女で、選べるものは手段くらいだ。それなら、学び舎に身を置く者の必然としての発想が、ひとつある。

「――だったら」

 教えあえばいいんだよ。

 そう言って、一層指を絡ませたのは、果たしてどちらだったろうか。

 けれど一拍おいて、もう片方の指先もそれに応じてきたから。その追及はきっと、野暮というものなのだろう。

 重ねたてのひらが互い違いに鼓動して、刻々と過ぎる時を数えていく。永遠にこのままならば、いつしかその音も溶けあうのだろうかと、どちらともなく夢想した。



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