60 Evil QUEEN and Acrid ROSE
「イノセント・スティール?」
イノセント・スティール。
確か、父が最期に言っていた言葉だ。
「そうだ。その名の通り、何が起こってもグロウが無罪となる計画だ。分かりやすく言うと、奴等は手下となる人間を、洗脳されているという自覚なしに上手く操作する。だから奴等は直接手を下さない」
分かりやすく、と言われても意味が分からない。
洗脳されているという自覚なしに上手く操作する、とはどういう状態なのだろうか。
想像がつかなかった。
「その実験の舞台になったのが新生児誘拐事件だ。そこで得られた結果が、強制的に努力させても強くならないということだった。グロウはこの結果を見てレイラ、ベルク、フラン……レイラは行方不明、後の二人はモルディオとチェルシーと名乗っているが、奴らはこの有能な三人を切り捨て、『イノセント・スティール』を遂行する、最強の人間たちを育てる方法を編み出した」
クロエは一度息を吸った。
「単刀直入に言う。グロウはウィンズの父親が作った組織だ。しかもウィンズは今の首領であり、洗脳実験の方法を編み出したのも奴だ。そしてイノセント・スティールには麻薬夫妻だけが作りだせるジュエルバレットの存在が不可欠だった。
ウィンズの父は麻薬夫妻をグロウに入れる為、彼らの弱みを握ることにした。それは犯した罪を張消しにすること、つまり麻薬夫妻を無罪にすることだ」
「無罪? じゃあその父親は相当な権力を持ってるのか?」
「そうだ。イノセント・スティールは有罪で始まり無罪で終わる」
クロエはウィンズの本当の父については知らないらしい。
名前すら挙げないところを見るとそうとしか考えられなかった。
「そしてもう一つ、奴は彼らの最大の気がかりであった息子の命を保証することを約束した。その代わり、この実験の内容について一切詮索しないことと、最愛の息子を実験の被験者として差し出すことが条件となった。それが、貴様だ」
「……親は簡単に俺を差し出したんだな」
「ある時を境に、麻薬夫妻やバレットに関するニュースは一切なくなった。捜査する人間も表向きではいなくなった。麻薬夫妻にとって無実という言葉は大きかったのだろうな」
無実。
ロザリアと出会ってから何度聞かされた言葉だろうか。
「もちろん、それだけで彼らが息子を差し出すとは思えない。おそらく命の保証以外の利点も提案に含まれているはずだ。例えば、『息子をS級にする』とかな。そうすればS級の給料で夫妻にも金が入り、無実で息子と暮らすことができる。奴らにとっても実験台になるのはすなわち強くすることと同じだったからな」
「でも暮らせなかっただろ。アンタの言うことは違うんじゃないか?」
「そうだ、それは叶わなかった。なぜなら、当初の予想と結果は違っていたからだ。
本来、この計画は貴様ではなく新生児誘拐事件の子どもに委ねられることになっていた。それを踏まえた上の提案なら、用済みの貴様は当然解放されるだろうし、辻褄が合う。だが事件の子どもは計画における肝心な部分がなく、捨てられた。だからウィンズは貴様がS級になっても解放しなかった。きっと夫妻は痛恨の弱点を握られている以上、ウィンズに逆らえなかったのだろう。これはあくまで私の推測だがな。
この洗脳実験の話は私も貴様に敗北した後に知ったことだ。貴様は洗脳されたという自覚なしに行動した。その行動そのものが、奴等の操作だったのだ。そしておそらく、奴等はモルディオとチェルシーが祓魔師になるところまでは読んでいる」
突然自分が洗脳されていた、と聞いても納得できない。
それにどうも実感が湧かない。
「今まで感じなかったのか? 自分の目的に対する違和感を。本当に貴様は悪魔の全滅を望んでいたのか? 違うだろう。なぜなら、そう思わせるよう仕向けたのがウィンズだからだ」
「そんなのありえないだろ。俺は今まで自分で自分の行動を決めてきた。それを全部兄貴が仕向けるなんて、無理に決まってる」
「同じことを何度も言わせるな。そう思わせるのがグロウだ。貴様の考え方そのものが、奴等の操作だ。こんな状況で、貴様がそう考えるよう影響を与える。それがウィンズの考えた育て方なのだ」
言葉が出なかった。
本当にそうだとしたら、あまりにも狂気じみている。
「どうして私がこのことを教えたか教えてやろう。イノセント・スティールを阻止させる為だ。今この計画を遂行できる最有力候補が貴様なのだからな」
そうクロエが言った時、後ろからピピピッと音が聞こえた。
「面会時間、終了です」
祓魔師の秘密やサキュバスのことなど、まだ聞きたいことは山程ある。
そう思っているが、ここで抵抗をしても無駄だ。
仕方なく面会室を出た、その瞬間だった。
「ぐわぁあああああっ!」
扉の向こうから男の悲鳴と、肉を裂く音が聞こえた。
すぐに扉を開けて面会室に戻る。
そこには目を覆いたくなる程残酷に殺された警察官がいた。
「うふふっ、やっと会えた」
聞き覚えのない女の声が窓の向こうからした。
「誰だ」
窓の向こうには、妖艶な赤いドレスを着た女と、その腕に心臓を貫かれたクロエの姿があった。
女は地面につく程の長さの、少し赤みがかかった銀髪だった。
壁には血が飛び散っている。
その禍々しい風体を見ると攻撃しようという気すら起きなかった。
隣にいた警察官は眠っている。
向こうの部屋の警察官も眠っている。
催眠術の魔力権だ。
だが、たった一人自分だけが起きている。
「きみに姿を現すのは初めてねぇ。でもここにいる愚者、クロエちゃんに名前は聞いたでしょう」
妙に間延びした緊張感のない喋り方だが、この雰囲気は初めてだ。
この女がサキュバスであることは自然に理解できた。
「きみのこと、ずっと見てたのよぅ。わたしを楽しませるイノセント・スティールの被験者だったし、きみ自体が面白かったからねぇ。名前も覚えているわよう、正義のタロットのセヴィス=ラスケティアでしょう」
と言って、サキュバスは不敵な笑みを浮かべた。
「これからが楽しみよぅ。きみはイノセント・スティールを遂行できる泥棒で、この国で最強の祓魔師で、ミルフィちゃんが一番愛した男。わたしを楽しませる全ての要素を持ってるわ。アフター・ヘヴンの使い方も知ってるしねぇ」
サキュバスは笑いながら、壁を通り抜けて消え去った。
突然訪れたクロエの死、サキュバスの出現。
頭が混乱する。
セヴィスはしばらく呆然として、何も言えなかった。
同時刻、ミストとその部下たちは、空港にいた。
彼らの視線の先には、大きな荷物を持った一人の少女がいる。
少女は二つ縛りで、小柄だ。
かなり若いが、その瞳には強い志を秘めている。
「フレグランス特捜課の課長、ミスト=スレンダだ。よろしく頼む」
ミストは少女に名刺を手渡した。
少女は名刺をポケットにしまうと、鋭い視線でミストたちを見据えた。
「ああ、あなたたちですか。五年もフレグランスを追っているのに、尻尾すら掴めない御馬鹿警察は……」
一人の子どもの言葉に、大人たちはどよめき、舌打ちをした。
「既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、一応自己紹介しておきます。わたしはローズ=ラスターという者です。フリージア連邦で探偵として警察に手を貸していましたが……この度、世界で被害額が最も高いと言われる『宝石』泥棒、通称怪盗フレグランスの逮捕に携わる為、ここに派遣されました。
わたしがあなたたちを使う理由は、人手が欲しいから。ただそれだけなんです」
ミストの頭の中で虫唾が走った。
だが、情けないのも事実だ。
フレグランスを五年も追ってきたが、分かっているのはフレグランスが女であることと、毒薬の名前だけなのだ。
「彼は多分フレグランスの正体を知っています。今は候補生として名前を変えているんですがね」
とローズは小声で呟いた。
「何かあったか?」
「いえ、何でもありません。パトカーがそこで待機しているんですよね? ちょっとお手洗いに行くので、先に乗っていてもらえますか? わたしも終わったらすぐ行きます」
ローズの言動を不思議に思いながらも、ミストたちは外で待機しているパトカーに向かう。
それを確認したローズは突き当たりにあるトイレに入った。
「怪盗フレグランス。まだ誰かは分かっていませんが、あなたが男の祓魔師であることはもう確実に分かっています。正義を貫くはずの祓魔師が泥棒なんて笑止千万。ですが、あなたを女だと思っているこの場では時間が掛かるかもしれません。それでもわたしは必ず、あなたを現行犯逮捕してあげます。
あなたを捕らえるのに必要なのは、圧倒的な頭脳と運動能力。ただそれだけなんです」
誰もいないトイレの洗面台で、ローズは一人ほくそ笑んだ。




