57 ミルフィの決意
ミルフィは死者と話すという悪夢を見て、毎日身体を乗っ取られる苦しみに苛まれない彼女たちを羨み、同時に妬んだ。
アフター・ヘヴンを持たない彼女たちは、ミルフィの話は戯言でただの妄想だと言った。
一度身体が男の悪魔に乗っ取られた時、彼女たちは精神病だ、麻薬中毒だと敬遠した。
そしてキングがいなくなった隙を狙い、シスターとは思えない口ぶりでミルフィを罵った。
事情を話せないミルフィは暴力で解決する方法しか知らなかった。
しかし戦闘訓練を受けていないので、暴力で勝つ方法を知らなかった。
アフター・ヘヴンの悪魔たちから貰った魔力権を使えば勝てると思っていたが、キングはそれを脅迫と同等に固く禁じていた。
結果、修行に顔を出さなくなったミルフィはキングによって隔離され、今の部屋にいる。
「唇を重ねるという行為には、色々な意味があります。互いの愛を確かめ合う為でもあり、そして貴方の孤独を埋める為の行為でもあるのです」
「そんな恥ずかしいことよく言えるね」
「彼は貴方の為に来たのです。何故、断ったのですか?」
と、キングは眼鏡の奥の瞳で睨んだ。
ミルフィは肘をつくのを止めた。
「いつまで、恩人の余韻に浸っているのですか。確かに恩を忘れないことは大切なことです。ですが、貴方の恩人は今生きているのかすら分からないのです」
それからキングが去るまで、ミルフィは黙っていた。
いくら憤りを覚えても、キングに敵わないのはよく分かっていたからだ。
キング=アルマクは元S級祓魔師だ。
魔力権こそ持っていないが、その槍術は教会の裏切り者を粛清する際にミルフィも見たことがある。
キングはトーナメントのテレビ中継を毎年見ていると言い、今の祓魔師は弱いと断言していた。
それを聞いたミルフィはこの頃のS級、クロエ=グレインを何故キングが倒さないのか、と思った。
こいつのせいであたしはこんな目に遭ってるのに、と唇を噛締めた。
キングのことは嫌いだった。
だが、キングが殺害された場を見たミルフィは、嗚咽した。
残っていたのは、キングの細くて白い槍と、赤い『宝石』だった。
そこで、初めてキングが悪魔だったことを知った。
モルディオは本当にこのことを知っていたのだろうか。
まだ候補生なのにとんでもない殺人鬼だとミルフィは思った。
昨年そのクロエが敗北した瞬間を見たキングは、大きなため息をついて部屋にやって来た。
この教会の権威であるはずのクロエが、候補生セヴィス=ラスケティアに僅かな差で負けたというのだ。
その何ヵ月か後キングは、セヴィスがクロエの計画の重要な鍵を握っていると言った。
今からちょうど一ヶ月前の話だ。
食べた悪魔の話で今の現状を知ったミルフィは、アフター・ヘヴン内の身体を乗っ取ろうとする悪魔を落ち着かせ、同時にクロエの計画を台無しにする策を思いついた。
それが、セヴィスを殺すとアフター・ヘヴンで宣言することだった。
以降、彼女の思惑通り悪魔に乗っ取られることは極端に少なくなった。
ミルフィが実際恨んでいたのはクロエであったが、食べた悪魔にはセヴィスを殺すから手伝って欲しいと伝えた。
そう言うと、悪魔はすんなりと魔力権を譲渡し乗っ取らなくなるのだ。
クロエがロザリアの『宝石』を食べさせたのは、彼の暗殺を防ぐ為だったのかもしれない。
実際、ロザリアがいなければミルフィは彼について考えなかっただろう。
それが孤独を埋める為の行為なら埋めるのは何なのか、何が必要なのか、と一度キングに聞いたことがある。
キングは、
「その何かは人によって違います。孤独を埋めるのに多くの人々が求めるのは慈愛ですが、中には別の何かを必要とする人もいるのです。貴方や、貴方の想う彼にとってそれは何ですか?
貴方の話では彼が傷を負っていたのですよね。貴方はこの教会を出ると、きっと彼を捜し出すでしょう。その時もし彼が生きていて、傷跡が残っていたならば、それに触れて理解してあげなさい。決してその背景にある辛いことを掘り起こしてはなりません。掘り起こすのは彼自身です。彼の求めるものが淫楽ではないことを、私は祈ります」と言った。
この言葉は一言も欠かさず鮮明に覚えている。
この時だけ、キングはスラムの少年を馬鹿にしなかったからだ。
もしかすると、キングはスラムの少年が誰だか知っていたのかもしれない。
彼の傷跡に触れた時、普通の傷跡とは違うものを感じたのは気のせいではなかった。
彼の場合、人一倍抱えた孤独を埋めるのに必要な何かが多すぎて、穏やかに求められなかったのかもしれない。
彼は戦闘を除けば常に受け身で、孤独を埋める何かが来てくれることを待っていたのでは、と今更気づいた。
殺せと騒ぐ悪魔を落ち着かせるには、彼を殺すしかない。
ここで乗っ取られたら、悪魔は確実に彼を殺そうとする。
ここでミルフィはあえて彼を求めることでそれに抗った。
そうして、いつの間にか愛を通り越して淫奔になっていた。
そんな女を彼は優しく受け入れた。
なのに彼は自分からだと唇にすら触れることができなかった。
これが明瞭に示している。
あの時、彼は目を閉じていなかった。
常に、こちらの表情を伺っていた。
その間自分は寒さを忘れ、ただ熱い身体を感じていた。
息は少し切れたが、息苦しさを覚えることはなかった。
むしろ胸の中のしこりが溶けてなくなっていくような気分だった。
それなのに最初から最後まで、彼は申し訳なさそうだった。
彼が求めていた何かを自分が持ち合わせていたことに安心した。
安心していられるということは、自分が求めていたものもほとんど同じだということだ。
どうしてそう思えるのだろう。
ずっと想ってきた彼と、こうしていられるからだろうか。
スラムの少年を馬鹿にしたキングを見返すことができたからだろうか。
キングが死んだと聞いた時、あれだけ望んでいたことなのになぜか涙が浮かんだ。
彼は世間からすればある意味完璧なのかもしれない。
だが、彼の本性を知れば完璧とは程遠いと思えるだろう。
そもそも精神的に完璧な人間なんていない。
彼だって感情を露にすることは少ないが、心の奥ではきっと何度も苦しんだだろう。
そんな彼を少しでも助けていきたい。
ミルフィはそう思った。




