56 不埒な正義と理想論
それからセヴィスはシェイムの依頼に従い、ミルフィを連れて教会を脱出した。
シェイムが全部倒したのか、本当に悪魔はいなかった。
「雪だね」
外は雪が降っていたが、ミルフィは寒さよりも久しぶりに味わう外の空気に感激しているようだった。
彼女はシェイムと違いクレアラッツの出身で雪を見るのは初めてではないはずなのだが、まるで初めて見たかのように振舞っている。
「ねえ、雪ってどんな感じだっけ」
玄関に置いてあった傘を取ったセヴィスに、ミルフィは尋ねた。
「冷たくて、すぐ溶ける」
と、セヴィスは端的に説明した。
「冷たくてすぐ溶ける……クレアラッツのS級みたい」
「俺は雪じゃない。触ってみればすぐ分かることだろ」
ミルフィは屋根の下から手を伸ばし、降ってくる雪を掌の上に乗せた。
雪は瞬く間に溶けて、僅かな水滴を残した。
その水滴を払って落とすと、今度はその手で傘を持つ手に触れた。
「あんたの手、温かいね」
「お前の手が冷たいんだ。そんな薄着で外に出るから」
「だってコート持ってないし……」
とミルフィが言うと、セヴィスは自分のブレザーを脱いで手渡した。
「これって」
「何か着ないと風邪引くだろ」
「……ありがとう」
そう言ってミルフィはSの文字がぶら下がる青いブレザーに袖を通す。
予想通り、彼女の腕の長さは足りていなかった。
「スラムの少年はお腹すいたって言ったら、自分も空腹なのにパンくれたんだって。シェイムが言ってた」
「だからあれは礼が欲しかっただけで」
「でもあたしだったら、そんなことしない。ロザリアはあんたのこと善人じゃないって言ってたけど、人を助けて礼を得ようとしただけまだ善人だと思う。それって今の祓魔師も同じことだし。あたしが好きだったスラムの少年は、ちゃんとあんたの中にいるんだね」
セヴィスは傘を差すと、その中にミルフィが入るように、傘を左手に持ち替えた。
ふと、頭の中に父への贈り物を買っていた女の子が過ぎった。
あの時、自分の愚かさに気づけたら。
そう思う自分を、もう忘れようとしまい込んだ。
もう二度と同じ過ちは繰り返さない。
どうせ死ぬなら、犯した罪に見合った貢献を尽くした一生を送ってやる。
それが罪を償うことに繋がるのなら、それこそ自分が考えた正義、貫くと誓ったもの。
悪魔のように、後悔しない死に様を曝せるなら本望。
そう、言える。
「命の恩人にあんたなんて言い方も変かな。何て呼べばいい?」
「いや、別に……『S級』とか変なあだ名じゃなければ」
「そういえば、あたしの方が年上なんだっけ。新聞に書いてあったけど、クラスのほとんどの人間はセビって呼んでるんだよね?」
「その名前で呼んだのはルナ……俺の母親が初めてなんだ。だからエルクロスで誰かにそう呼ばれた時は、スラムのことを思い出してしまって、正直いい気分じゃなかった。なのに勝手に広まっていって、今じゃモルディオもそう呼んでくる。でもハミルは昔から俺のことをあだ名で呼ばないんだ。何でだろうな」
「認めた人はセビって呼んでるんだね。じゃあ、あたしもそう呼ぶ」
「ん? ああ、そうか……」
本当は、ちゃんと名前で呼んでほしかった。
そう思ったのは初めてだ。
どうして、彼女だけ……?
ラムツェルは午後であるにも関わらず、人気がない。
二人が黙り込むだけで、辺りは簡単に静まってしまった。
「ミルフィ」
ミルフィは黙って顔だけを向ける。
その表情は嬉しそうだった。
「今、ほとんどの人間が調査対象としてお前を欲しがってるんだ。だからお前がアフター・ヘヴンを所有してる以上、自由にすることはできない」
「……うん、分かってるよ」
視線は地面に落ちる。
ミルフィは分かっていたのか、落胆しているのか、表情から察することはできなかった。
「俺の知り合いに店をやってる奴がいて、一つ部屋が余ってるんだ。働くっていう条件付きだけどな、そこなら比較的自由にできる」
「そこまでしてもらったら、申し訳ないよ」
「自由にするとか言っておきながら拘束してるんだ。これぐらい当然だ」
話している途中に、また携帯電話が鳴った。
内容はクレアラッツ六番通りにC級悪魔が出没したということと、依頼主、安い報酬金が書かれている。
これは祓魔師全員に送られているので、行こうという気もしなかった。
「何か礼をしたいけど……セビは忙しいんだよね」
「礼はもう十分だ。お前がいなかったら、俺は自殺してたんだ」
「……」
「それに俺は祓魔師の中でも暇な方だ。それでも長い間一緒にいることはできないけどな。あの店にはよく行くから」
ミルフィは顔を赤らめて、屈託のない笑顔を見せた。
「なんか、最初会ったときと全然違うね」
「……お前もな」
「そのうち、見たいな。笑顔」
二人は他愛無い話をしながら、クレアラッツへ向かう。
世間のセヴィスに対する目は、決して温かくない。
それでも、彼に尽くしたい。
それが、自分にできる精一杯の恩返しだから。
彼は家族に愛されていなかったのだろうか。
ミルフィの頭に、キングの説教を受けた時の言葉が浮かんだ。
それは短く、「何故、断ったのですか?」の一言だった。
監禁されてから一年後。
何度も自殺しようとしたミルフィを止めようと、キングが少し年上の男を連れてきたのだ。
恋愛でもすればいいと勝手に決め付けられた結果だった。
その男はキングから金を貰ってここに来たらしいのだが、彼はとても親切で、ミルフィにとって嫌な気はしなかった。
その男は会った初日から真剣な顔で、ミルフィに「一目惚れした」などと口説いてきた。
今思えば安い言葉だったが、その真剣な眼差しに騙されたのも事実だ。
その後男はキスを迫ってきた。
最初受け入れようと思っていたミルフィは、土壇場になってそれを拒絶した。
どうしても、スラムの少年の影が頭に残っていたのだ。
先程男は少し不機嫌そうに帰っていった。
理由を話さなかったのだから、無理もない。
そしてその様子を見かねたキングが、今ミルフィの前に正座している。
「何で初対面の男にそんなことしないといけないんだよ」
教会での暮らしとアフター・ヘヴンによるストレスからか、この頃のミルフィはかなり荒れていた。
キングに強要された教会のシスターとしての修行をさぼり、だらしなく肘をついている。
監禁されて間もない頃はミルフィも軟禁という扱いで、教会で花嫁修業をする女の子たちと最低限のコミュニケーションは許されていた。
彼女たちは当然教会の人間が全て悪魔だと知らない。
そして何よりも根本的に違っていた。




