53 赤いリボン
クロエが逮捕されて、一夜が明けた。
朝は雲一つない暁天が広がっている。
昨晩ウィンズがいなかったので事情を話せず、いつもより暗く感じた。
今日学園の授業は午前だけとなり、トーナメントは再び延期となった。
午後になってから、セヴィスはモルディオに呼び出されて、制服のまま中央クレアラッツ駅に来た。
そこには既にモルディオとシェイムが待っていた。
「僕はこれから城に行って、王族に伝えてくるよ。クロエの陰謀と、新生児誘拐事件の真実をね。クロエさえいなくなれば、王族に会うのは簡単だ。それで、事件の真相を調査するよう依頼するんだ。それが僕が学園に入った本来の理由だし、こうなった今じゃ、王族に頼るしかないんだ」
と言って、モルディオは背中を向ける。
「もう行くのか?」
「うん、伝えたかったのはそれだけだし……元々君に用があったのはシェイムの方だよ。それに、君なら明日からまた学園で会えるから。それじゃ」
わずかな会話をして、モルディオは駅に入っていった。
「すみませんでした。そして、色々とありがとうございました」
モルディオが去ってすぐに、シェイムは頭を下げた。
「もういい、お前がクロエに脅迫されてたのは知ってる。で、何の用だ?」
「どうしても伝えたいことがあって、呼び出しました。厚かましいと思いますが、どうか聞いてください。
私は館長が捕まってすぐにラムツェルに行って、ミルフィを助けに行ったんですが、追い出されました。だから、行ってもらえますか?」
「追い出された?」
「私が合言葉を知っていた理由を全て話します。ミルフィから、私たちがスラムに逃亡した話は聞いたと思います。私は助けを求める為にスラムを走り回ったのですが、迷ってミルフィの居場所すらも分からなくなりました。その時、助けてくれたのが……セヴィス先輩でした」
シェイムは頭の赤いリボンを外す。
セヴィスはシェイムの呼び方が『さん』ではなく『先輩』に変わっていることに気がついた。
「クレアラッツへの道で見つけたミルフィは倒れていて、もう無理だって思いました。でも、先輩がミルフィの命を助けてくれたんです。その後ミルフィはさらわれてしまいましたが、命は助かったんです。
……だから私は先輩に憧れました。自分も人を助けたいって思えるようになって、国に帰ってから戦闘訓練も受けました。それから祓魔師になろうって思ったのは、テレビでクレアラッツのS級を見てからです」
目に涙を浮かべながら、シェイムは赤いリボンを差し出す。
「このリボンは、先輩に貰った赤い包帯をイメージして作ったんです。これを見ていれば、私はいつもあの時の気持ちを思い出せるんです」
そう言って、シェイムはリボンをもう一度頭に結ぶ。
セヴィスはそれを見て変な気分になった。
あんな汚い物をイメージして、リボンにしているとは思わなかった。
「あれは、礼が欲しくてやっただけなんだ」
「でも、ミルフィは命の恩人を想ってるんです。それどころか、それ以外の男性には全く興味を示さない……私には恋してるようにしか見えませんでした」
「それはちょっと大げさじゃないか?」
「ミルフィは恩人のことを知るまで、教会を出たくないって言ってました。だから、ミルフィに真実を伝えてください。お願いします」
シェイムは語気を強めてはっきりと言った。
その気迫がまた、複雑な気分にさせた。
「元々ミルフィのことは助けに行くつもりだった。 スラムの少年はもう消えたって、伝えないといけないからな」
「それは違います! 先輩は、あんな状況下でミルフィを助けることに賛同して……私、騙すのがとても辛かったです。これでどうしてスラムの少年が消えたって言えるんですか」
この少女は、目の前にいる人間が無実だと思っているからそう言えるのだ。
もうあの時の自分はいない。
スラムの少年は消え、そして中途半端な正義の祓魔師もまた、消えようとしている。
「アンタみたいな善人は、俺みたいな奴でも騙すのが辛いんだな」
「え?」
「……分かった。ミルフィは助け出す。俺がスラムのガキだったってことも伝える。でも拠り所がない。しかも、今は他国がアフター・ヘヴンの持ち主を喉から手が出るくらい欲しがってる。だからその後どう暮らすかは彼女次第だけどな」
シェイムは少しも迷わず、ありがとうございます、と礼を言って頭を下げた。
「これで心置きなく帰国できます」
「そうだな」
「……って言いたいところですが、私はクレアラッツのトーナメントに参加してから帰ろうと思います」
「トーナメント?」
言われたことが心外だったので、セヴィスは思わず聞き返した。
「というわけで最初のタッグ戦、ハミル先輩と組むことになりました」
祓魔師のトーナメントはあまりにも人数が多いので、最初の予選はタッグ戦となる。
それを突破できなければD級と決定する。
突破できても、その後の個人戦で初戦敗退すればD級だ。
ウィンズのように特例で称号を貰える人間もいるが、稀だ。
候補生は上位五人がトーナメントに出場する。
誰とタッグを組むかは自由だが、基本的に候補生を誘う祓魔師はいない。
セヴィスも去年はハミルと組んだ。
今年は称号欲しさに見知らぬ祓魔師から何度も勧誘を受けたが、今年もハミルが誘ってくると思って断った。
だが、ハミルは一応去年の優勝者より女を選んでいたのだ。
ナンパ男ハミルが同じS級なら女を選ぶのは当然だとも思うが、あれだけ『今年もやろうぜ!』と言われていたのに裏切られた気分だ。
「だから勝負です。先輩は誰と組むんですか?」
考えていなかった。
チェルシーは既に三年生のグレイと組んでいる。
グレイ=ディスノミアは上位五人のうちの一人で、今回が祓魔師の部初出場だ。
爪という変わった武器を用い、口の下から耳にピアスをしているので分かりやすい。
顔で女子に人気があっていつも囲まれているイメージがあるが、いわゆる不良だ。
しかも卑怯で、あのウィンズの目をかわしたこともある。
そう思うセヴィスも変わった武器で一種の不良で卑怯だと自覚しているのだが。
こんなことを考えてどうする。
自分にはもう、関係のないことなのに。
「そういえば棄権したモルディオはどうなるんだ?」
「モルディオ先輩はA級ですから出場権はありますよ。あ、もしかしてモルディオ先輩と組むつもりですか?」
「……もういい、俺はラムツェルに行ってくる」
その様子を見て、シェイムは堪えきれずに笑い出した。
ラムツェルには四日ぶりに来た。
四日前よりも雪が多くなっていて、クレアラッツよりも寒い。
防寒具はマフラーだけで耐えられると思って来た自分は馬鹿だ。
この寒さで素直にそう感じた。
傘を教会の玄関に置いて、中に入る。
礼拝堂には、古い血の跡といくつかの『宝石』が落ちていた。
今度こそ、シェイムが倒したのだろう。
死んだふりをした悪魔が倒れていたのを思い出すと、少し可笑しく思えた。




