52 相克、終末
クロエはすぐ近くにある美術館に向かって走る。
放送は続く。
「私の目的は、悪魔たちとの共存だ。もちろんそれには他国の批判は避けられない。だからサキュバスをダイヤモンドで脅し、他国を全てジェノマニア王国のものにする。そしてそれに必要なのが、強い悪魔の『宝石』がたくさん入った『アフター・ヘヴン』だ。……だから人工の『アフター・ヘヴン』を人間内に作る実験も行っている。……この目的を見抜かれないようにするのに、シェイムというややこしい足止めを作ったりしたのだ」
再び、音声が不自然に途切れた。
「私はこの計画を、『ギルティ・スティール』と呼んでいる」
放送は終わった。
周囲がざわめく。
クロエはなるべく人がいない道を通って、美術館の裏口から入る。
そしてエレベーターで四階へ向かう。
エレベーターを出ると何人かの祓魔師が司令室に群がっていた。
クロエが姿を現すと、彼らは驚きの声をあげ呼び止める。
「どけっ!」
クロエは群がっていた祓魔師を遠ざけると、閉まった扉に手をかける。
扉は内側から鍵がかかっているらしく開かない。
クロエは持っていた合鍵を使って中に入り、部屋の中を見る前に扉を閉めて鍵をかけた。
「はぁ……はぁ……」
大した距離も走っていないのに息が切れた。
放送用のマイクの近くには、全く知らない中年の男が立っている。
まさか幻覚か。
暴れる心臓を落ち着かせて、もう一度見る。
何も変わらない。
「何者だ貴様は! この司令室に侵入するとは、悪魔か!」
「とんでもない、わたしを悪魔だと疑うなんて」
男はこちらを振り返る。
持っている携帯電話で会話を録音し、それを流していたのだとすぐに分かっ た。
「とにかくそこを代われ!」
「あれ、放送をなかったことにするつもりですか? 無駄ですよ。市民にあなたの声は焼き付いていますから」
「貴様はセヴィスの手下か!」
「何を仰るのですか。全く、美術館館長とあろうものが愚かな真似をしますね」
男は怪しげな目つきで睨みつけてきた。
だが、その眼鏡の奥にある水色の瞳には見覚えがあった。
「貴様……まさか」
「やっと気づきましたね。こんな簡単な変装ですら見抜けない……失望だな」
そう言って男はコートを脱ぐ。
その下に着ていたのはエルクロス学園の制服だ。
さらに男は眼鏡を外し、帽子を取る。
すると帽子と一緒に黒い髪が取れて、紫の髪が顔を出した。
制服にぶら下がる『S』の文字を見て、やっと気づいた。
今まで中年だと思っていたのは、全て彼の変装だったのだ。
「どうだ? 負け犬になった感想は」
と、セヴィスは携帯電話を軽く宙に放り投げた。
「話が違うぞ! 裏切ったのか!」
クロエは叫び声に近い声で問い詰める。
「裏切った?」
「そうだ! 貴様は負けた! 貴様に私の計画を暴露する権利はない!」
返事はすぐに返さず、ただ携帯電話を弄ぶ。
その表情はとても敗者のするようなものではなかった。
「負けた? 何に?」
と、セヴィスは聞き返してきた。
「とぼけるな! 貴様は私との勝負に負けただろう!」
「誰が、いつ、どこで負けたって言った? 負けたのはアンタの方だろ」
「……何?」
クロエの頭の中で、嫌な予感が過ぎった。
どんな予感かは、自分でもよく分からなかった。
「アンタの勝利条件は、俺の目的を見抜くこと、じゃなかったか」
「そうだ。だから私は見抜き、勝利を掴んだ」
「残念だけどな、そこからまず間違ってる。俺の目的は悪魔の全滅じゃない」
「何だと」
クロエは焦って混乱する頭を整理しようとする。
それでもよく分からない。
疑問しか浮かんでこないのだ。
「貴様はあの時、明らかに落ち込んでいただろう」
「ああ、確かに落ち込んだな。でもそれが正解だなんて一言も言ってない」
まさか、演技。
嫌な予感の正体は、これだった。
「俺が膝をついて、アンタは自分が勝ったと思い込んだ。その間にこれで録音していたのに、勝利の余韻に浸って気づかなかったんだな」
「それでも、貴様は私の目的を見抜いていなかった!」
「確かに、俺はアンタの目的を見抜けなかった。と言うより、見抜く気もなかった」
「何?」
「俺の勝利条件はアンタの目的を知ることだった。それは、勝ったと勘違いしたアンタが自分から俺に教えたことで達成された。だから、約束通りアンタの声で公表させてもらった」
クロエは反論しようとして呑み込む。
あの時、確かにセヴィスは言っていたのだ。
『俺が知ることができたら』、と。
それを思い出していくうちに、言葉が浮かばなくなった。
「俺は端からアンタを心理戦で追い込もうとは思ってない。そもそも頭で勝つのは不可能だった。モルディオが味方についたのも意図的にやったわけじゃないし、予想外だった。俺が考えていたのは、アンタに吐かせることだけ。最初から負けたふりをして騙すつもりだったんだ」
辺りが静まった。
「そんな」
クロエはその場に座り込む。
何も言い返せない。
なぜなら、クロエはセヴィスの出した条件を全て鵜呑みにして勝負を受けたのだ。
「お迎えが来たみたいだな。祓魔師の真実は刑務所の面会でゆっくり聞かせてもらおうか?」
彼が言っているのは、外で鳴り続けるパトカーのサイレンのことだ。
放送を聞きつけて、やって来たのだ。
「……ははっ」
引きつった、いかにも笑うことに不慣れな少年の嘲笑が聞こえた。
それは、クロエが殺したルキアビッツの民に対する慟哭にも聞こえた。
「一生もがき苦しんで、死ぬまで血反吐吐いてろ。 死んでも、その生首を曝し続けろ」
追い討ちをかけるように、彼は憎悪の篭った低い声で耳を劈く。
「でもそれだけじゃ物足りない。ルキアビッツの人間はアンタのせいで死んだ。生前報われなかったのに、死に際まで苦しめられてんだ。もし今アンタがそれを踏みにじるなら、俺はアンタを跡形なくなるまでぶっ殺す」
セヴィスは中年の男に戻ると、クロエの横を通りすぎて、扉の鍵をドアノブに差した。
「俺はアンタを絶対に許さない」
そう言って彼は裏口方面の窓から飛び降りた。
それから警察がこの部屋に来るまで、クロエは狂ったように自分の敗北を嘆き続けていた。
突然の放送と、自らの罪をあっさりと認め逮捕された美術館館長クロエ=グレインは、世界中を震撼させた。
他国の祓魔師たちは、一斉にクロエの計画について調べ始めた。
大半の祓魔師はサキュバスとダイヤモンドについて調べ、研究者はアフター・ヘヴンに興味を持った。
そして一部の祓魔師と探偵は放送でクロエの計画を暴露した人間が誰なのか、と探った。
選りすぐりの探偵を集めた調査は進み、その候補は祓魔師だと絞られた。
しかし候補に挙がったのはウィンズやモルディオなどで、セヴィスの名が挙がることはなかった。
美術館ではその日のうちに緊急会議が開かれて、次の館長にはウィンズが、副館長にはA級のシュヴァルツ=アルテミスが選ばれた。
そしてウィンズは世界中の館長に言った。
「サキュバスのことは調査を続けることにする。確実な情報が手に入るまで、これまでと同じように悪魔討伐をしろ」と。




