51 復讐の狼煙
それから時を待たずして、制服姿のハミルが同じ踊り場に辿り着いた。
「セヴィス!」
と一言叫んで、ハミルは膝に手を乗せて呼吸を整える。
「ハミル、俺は」
「ごめん! おれが悪かった!」
ハミルの発した言葉が予想を大きく外れていて、 一瞬何を言おうとしたか忘れてしまった。
「……」
唖然として黙り込む。
とりあえずハミルが呼吸を整えるまで待つことにした。
「おれ、お前のこと、何にも知らなかった。それなのに一人でキレて、真の祓魔師とかばかげたこと言って館長にのせられて……本当にバカだよおれ」
声が鼻水を啜る音で途切れる。
彼が泣いているのがじわじわと伝わってくる。
それを見ているだけでも息苦しくなった。
「強くなりたいからって、アフター・ヘヴンの実験台になって、千里眼で見たんだ。ルキアビッツの、最後……もただ見てただけで、モルディオたちを助けるのは当然のことなのにカッコつけて……。おれ、最低だよ。お前の」
「もういい、もうやめてくれ」
「セヴィス……」
「ルキアビッツは、もう終わったんだ。悪いのは全部俺なんだ」
ハミルは言葉を失って、顔をあげる。
溢れんばかりの涙が彼の顔を伝って落ちる。
「本当なら、俺が先に謝るべきだったんだ。お前は悪くない。話さなかった俺が悪いんだ」
「お前……」
「俺は自分なりの方法でルキアビッツの罪を償う」
袖を引っ張って、ハミルは涙を擦るように拭う。
泣き止むまで、再び何分か待った。
「お前の言いたいことはよく分かった。でも、お前一人がルキアビッツの罪を全部背負うのは間違ってると思うぞ」
「生き残ってるのは俺とナインだけだ。兄貴はもうあてにならない。だから……」
「あのな、お前が何したって言うんだよ。お前はルキアビッツだけじゃなくて、シェイムに言われてミルフィも助けようとした。おれはお前が電車で運転手を守ったのも知ってる。なのにどうしてお前が悪いんだよ。殺したのは……館長だろ」
ハミルは自分を励ましてくれている。
自分は彼を騙していることを、申し訳なく思うしかなかった。
「だから、もう自分を責めるなよ。おれも、自分を責めるよりもっとみんなの役に立ちたいって思えるようになった」
そんな綺麗事ばかり言っているから、騙されやすいんだ。
そう思っているのは以前と変わらない。
でも、その綺麗事に対する好感度は変わった。
「な?」
そう言って、ハミルは右手を上げる。
「何してるんだ?」
ハミルの行為が何を意味しているのか分からず、彼の掌に軽く拳をぶつけると、ハミルは怪訝な顔をした。
「まさか、これ知らないのか?」
ハミルは片手を上げたまま目を見開く。
「手挙げてどうするんだ?」
「マジかよ……じゃあお前もおれの真似してみろ」
「こうか?」
言われるままに手を控えめに挙げる。
すると、その掌に殴りだこだらけの掌が勢い良くぶつけられた。
ぱちん、という音が踊り場に響いた。
「よし。……もう手下ろしていいって。いつまでやってんだよ」
とハミルは笑いながら言った。
「これ何だ?」
「んー、なんか運動部とかも点入ったらよくやってるだろ? だから……」
ハミルは頭を掻きながら唸る。
そして一人で笑い出した。
「だめだだめだ、お前といたら常識が狂っちまう。そう思ったら笑えてきた」
「……そうだな」
腹を抱えて笑うハミルにそう言って、降り階段に足をかける。
「あれ、どこ行くんだよ?」
「すぐに分かる」
「……お前さ、今笑ってなかったか?」
「そうか?」
「おれの目に狂いはねえぜ」
振り返ると、ハミルは満面の笑みを浮かべていた。
また、俺はお前を騙したのか。
そんな罪悪感が頭を駆け巡った。
本番はここからだ。
クロエが去った今、ウィンズが武器屋にいる今が、これ以上ない最高の機会だ。
美術館のカウンターに、一人の男性が座る。
名札には『デルタ=マッカート』とある。
彼はC級祓魔師だが、功績が認められて今日から美術館勤務となったのである。
デルタは足を震わせて座っていた。
まだ接客をしたことがなく、仕事は全部覚えていないのだ。
「あの……」
一人、長身の男が来た。
記念すべき最初の客だ。
「はっはい、何でしょうか? じゃなかった! えっと、ジェノマニア美術館へようこそ。どんな御用で?」
デルタは焦るあまり笑って誤魔化す。
太縁の眼鏡をした男は地味で中年のような服装をしているが、水色の目はまだ若々しい。
「先日、S級に助けられた者です。ご存知でしょうか?」
「え? ああはい、もちろん、知っていますよ」
デルタはこの男が誰か分からなかったが、軽く頭を下げて知ったかぶる。
そもそもセヴィスに助けられた人間なんて腐る程いるし、知るわけないだろ、と心の中に愚痴を零した。
一般の人間はセヴィスのことを『S級』と呼ぶことが多い。
理由は一つ。
あまり好かれていないからだ。
「その時ですが、わたしはS級に荷物を置いて逃げろと言われたので、荷物をそのままにしてきました。それで、この前その荷物についてS級に聞いたら司令室に置いてあるって言われたのです。あそこは偉い祓魔師しか入らないから安全だって」
「司令室、ですか」
デルタは考える。
美術館には学園時代もほとんど来たことがなかったので、司令室の場所が分からない。
そもそも美術館に頻繁に出入りする候補生は、悪魔を討伐できる称号を持つ者だけだ。
美術館に出入りする一般人の目的は大体いつも同じで、『宝石』の鑑賞、悪魔討伐願いがほとんどだ。
それに美術館本館は祓魔師の要塞のようなもので、『宝石』展示室があるのは別館だ。
だから一般人に渡せるのは別館の地図しかない。
すると、
「あ、S級に場所は聞いたので鍵さえくれればわたし一人で大丈夫ですよ。四階の東端でいいですね?」
と男は言った。
「え、いいんですか?」
デルタは戸惑いながら司令室の鍵を手渡す。
「それでは、ありがとうございました」
デルタは思う。
やっと面倒な客が帰った。
だが、これでよかったのだろうか。
それから間もなくして、ジェノマニア王国全土に国内放送のチャイムが響き渡った。
この放送が使われる時は余程の非常事態だ。
人々は仕事を中断して、耳を傾ける。
武器屋から出ようとしていたクロエは立ち止まる。
聞こえてきたのは誰もが予想しなかったものだった。
「まず、伝えなければならないのは、悪魔の頭領『サキュバス』の存在だ」
声の主は、クロエだった。
しかし、それを聞いたクロエ本人が驚愕していた。
「この世界の全ての悪魔を生み出しているのは、他でもない、奴だ。そして、全ての悪魔が『宝石』で構成されている様に、奴自身もいくつかの『宝石』で構成されている。……も一度は聞いたことがあるだろう。世界中の美術館で保管されている透明な『宝石』、ダイヤモンドの存在を。
サキュバスは全ての悪魔の母にして親玉。だから、他の悪魔とは少し違うのだ」
少し音声が飛んだことを市民は不思議に思った。
「どういうことだ、これは」
と、ウィンズが言う。
その表情は明らかに分かっていたかのような笑みだった。
「馬鹿な! そんなはずがない!」
国内放送ができるのは司令室だけだ。
一心不乱にクロエは外に飛び出した。




