46 復讐に燃える命
やっと見つけた黒い取っ手を掴んで、両手両足で立つ。
電車がまだ止まらないところを見ると、乗客が全員悪魔で、悲鳴をあげる人間がいないことが分かった。
一歩、一歩と進むだけで、体力が削られる。
それに伴って手の感覚は少しずつ失せていく。
両と両の間を飛び越えると、これでやっと四両目かと一気に疲れが押し寄せてきた。
「……くそ」
天気がさらに荒れてきた。
視界は左腕で前を遮って確保するのが精一杯だ。
そしてさらに事態は悪化する。
「見つけた!」
目の前にうっすらと見える一つの影。
どうしていつもこうなんだ。
セヴィスは己の不運さを嘆きたくなった。
「走れないS級なんて雑魚だ! 殺してやる!」
風を背にして立っている男悪魔には、自分の場所などお見通しだ。
反対にセヴィスには、向かい風で男の顔も分からない。
ナイフを届かせられるかどうかも分からない。
影の形で男が持っている武器がボウガンと判断したセヴィスは、男ではなくボウガンの影を凝視する。
ボウガンの影が男の腰より上にあるのが分かると、姿勢を低くして伏せる。
すぐに矢が撃ち出された。
矢は頭上を通り過ぎた。
「死ねよ、死ねよ死ねよ、しねよぉ」
男はぶつぶつと暗示をかけるように言う。
悪魔に罵倒されるのはよくあることだが、ここまで言われるとさすがに言いがかりだと言いたくなった。
「クソ野郎! テメエのせいで、おれはおかしくなった。テメエなんかいなけりゃよかったんだよ!」
男は矢を装填しながら、文句を吐き捨てた。
その言葉を聞いた途端、疲れが消え失せた。
寒さで凍えていた身体は、少しずつ熱を帯び始めた。
「仲間はテメエに殺されたんだ! それでおれの夢で何度も問いかけるんだ! 何の為に生きてきたんだって!」
男の声は完全に泣いている者の声だった。
「テメエのせいで、おれは生きる意味が分からなくなった。テメエは存在そのものが、罪だ。おれの憎悪の根源だ」
「……いい加減黙ってろ」
降り注ぐ矢の雨は風を切る。
セヴィスは男の前にあるもう一つの黒い影に向けてナイフを投げ、白い地面を蹴る。
ワイヤーが収縮する勢いを利用して、身体を影まで引き寄せる。
「ぐっ」
繋ぎ目の近くに降り立って、男の顔を掴む。
指の隙間から見える男は瞳孔を開いていたが、顔は一つも恐怖に染まっていなかった。
「何の為に生きてきたのか、だって?」
「そうだよ、テメエに壊された、何もかも」
「そんなの俺だって分からないし、アンタの生きる目的は本当に俺のせいでなくなったのか? 違うだろ」
「え……?」
「何で分からないのに生きてる?」
「……何で、そんなこと聞くんだよ」
「俺には、アンタが俺を殺すことを目的にしてるようにしか見えない。そうでもしないと、アンタはここにいないはずだ」
男は自分の様子に驚いているのか、身体に力をこめた。
自分自身も、ただ無我夢中で喋り続けていた。
「それでも、もうおれは決めたんだよ! テメエのせいだ! 何もかも!」
「本当に、それしか考えてないのか? 一度も迷わなかったのか?」
「ああそうだよ! テメエさえ死ねば、おれは死んだっていい」
何のためらいもなく、セヴィスは男の首を掴んで地面に叩きつけた。
男との根本的な違いに落胆した。
男は抵抗しているが、力は弱かった。
「もういい……生きる意味を知る前に殺してやる。それなら何も考えなくていいだろ」
「何、すんだよ」
動けない男をワイヤーで拘束して、先端のナイフを一番上にある電線に巻きつける。
「うぁあああああっ!」
ワイヤーを伝って、男に多大な電流が流れる。
セヴィスはそれを冷たい表情で見ていた。
「苦しんで死ね。お前は俺の一番嫌いな悪魔だ」
そう言って、セヴィスは腕からワイヤーを伸ばしたまま繋ぎ目に下りる。
目の前にトンネルが迫っていることを、分かっていてやった。
「がぁっ!」
嫌な音がして、黒い塊が下に落ちていった。
わずかな血の雨が自分の顔に付着した。
その血すらも強風で流れていった。
しばらくして、ナイフと一緒に男が着ていた無地の上着が戻ってきた。
セヴィスはそれから手を放して、風に任せる。
線路には、惨い死体が転がっていることだろう。
彼との問答は何だったのだろう。
俺は、復讐に燃える彼に昔の自分の面影を重ねていたのかもしれない。
後味はこの上ない程悪い。
シンクとは違い、セヴィスは悪魔を瞬殺することが多い。
こんな惨い殺し方をすることは今までほとんどなかった。
それでも彼は復讐をする為に、クロエの一味に入ったのだ。
もう少し良い方法で来たなら、まだ少しの情けはかけられただろうか。
男が死んでも尚、自分の身体は寒さを感じていなかった。
そのせいか、二両目まではトンネルさえ気をつければ簡単に進めた。
「っ!?」
突然、列車が揺れた。思わずバランスを崩して、手をつく。
響く金属音が、運転手がブレーキを踏んだということを知らせてきた。
頭に浮かんだのは『まずい』の一言。
電車が止まってからすぐに、セヴィスは一両目まで走って運転席へ向かう。
「悪魔!」
運転席に窓から侵入すると、中年の女運転手は震える手で拳銃を向けてきた。
確かに勝手に窓から入って来られたら、悪魔だと疑って当然だ。
だがそれは相手の顔を見てから決めることだ。
実際、女はこちらをほとんど見ていない。
「落ち着け」
この声で誰か分かったらしく、女は拳銃を下ろす。
「あっあんたはS級の! あんたが来たからにはもう安心だ! 助けに来てくれたんだね!」
女は涙を流してセヴィスにしがみついてきた。
それを気にしながら、一両目の様子を見る。
ジェノマニア王国は祓魔師発祥の地だけあって、電車にも対悪魔用の設備が施してある。
運転席と一両目の間にある分厚い扉や、この女が使った拳銃もその一つだろう。
どうやら運転席への侵入はまだ許していないようだが、それも時間の問題だ。
対悪魔用とはいえ、所詮単体に備えたものだ。
こんなに多数の悪魔が来るとは想定していない。
「そんなことより、早く電車を動かせ!」
「何を焦ってるの? 本部に通報だってしたし」
女は落ち着いて尋ねてきた。
逆にセヴィスの焦り様を不自然に思っているらしい。
女が悪魔を数人だと勘違いしているのは考えるまでもなかった。
「早くしろ! この電車にいる全員が、クロエが呼び出した悪魔なんだ!」
「えっ、どういう……こと?」
「このままじゃ全員死ぬぞ」
「そんな! あ、あんたはS級でしょ! こんな時に市民一人守れなくてどうするの!」
この女はS級祓魔師を何だと思っているのだろう。
苛々して考える気もしなかった。
「大体、電車を動かしてどうする気なの!」
「それはモルディオの提案で」
「モルディオって、あのA級の子もいるの? それだったら……」
モルディオの提案というだけで、女は納得した。
これが信頼の差か、とセヴィスは実感した。
祓魔師と一般人では、考えていることが大きく違っていたのだ。
「今いるのは俺とあいつだけだ。この場だけは俺が防ぐけどな、それも長く持たないかもしれない。だからクレアラッツまででいい、早くしてくれ」
「わ、分かったよ」
女は運転席に座って、すぐに電車を発車させる。
がくん、と慣性が働いて再び電車が動き出した。
「何で悪魔が」
女は恐怖のあまり震えている。
レバーに涙の雫が落ち、操作を間違えそうなくらい手が痙攣していた。
運転席と一両目を隔てる鉄の扉が嫌な音を立てている。
壊れるまでそう長くはない。
セヴィスは女を庇う様に扉の前に立ち、扉に掌をあてる。
一両側にいる悪魔は大型の武器で攻撃を加えているらしく、振動が来る間隔はほぼ一定だ。
それを瞬時に察知すると、手を離して八本のナイフを取り出す。
「うおおおおっ!」
向こう側から悪魔の雄叫びが聞こえて、会心の攻撃と共に扉が崩壊した。




