45 トレイン・クライシス
車に乗ってからほとんどの時間、シェイムは俯いている。
首の痛みよりも、悲しみと後悔が上回っていた。
「二人のことが気になるか?」
クロエは微笑を浮かべて聞いてきた。
どうしてこの人は笑っているのだろう。
シェイムの頭の中で疑問が蔓延る。
「心配しなくても、奴等は生き残るだろう。あれは足止めだ」
「……館長は、裏を掻くのがうまいですね」
シェイムは棒読みでクロエを褒めた。
「心理戦に強いのは私ではなく、モルディオだ。それでも私は勝利を手にすることができた」
ため息交じりにクロエは言う。
クロエの言葉はほとんど嘘だ。
大した根拠もなく、シェイムは勝手にそう決めつけていた。
「モルディオは裏を掻きすぎたのだ。奴が見ることができる未来は、所詮何も起こらないまま物事が進んだ場合の未来。奴が未来を読んだ後なら、その未来はいくらでも変えられる。それを利用するのが奴の戦術だ。だがそれは私も同じ。奴は私のことを、警戒しすぎていた。私は奴が攻撃してくるまで電車に罠を仕掛けるつもりなどなかった。だから乗る乗らないの判断に関しては、セヴィスの方が正しかったな」
「そんなの、今更です」
「そうだ。セヴィスはモルディオが示した選択肢を選んだのだからな。そしてその運命が向かう先は、『敗北』だ。私は二人が喧嘩して片方だけが来るパターンも想定していたが、無用だった。
順調すぎる程だ。私も肩を震わせて笑えるぐらいに」
シェイムは思わず顔を覆った。
指に伝わる温かい液体は、涙。
絶望なんてありえない。
このクロエの描く未来が自分の末路なら、今まで自分は何の為にこんなことをしてきたのだろう。
これが運命なら、それに抗いたい。
だがミルフィの命を握られている以上、自分にそれはできない。
クロエに少しの隙があればと思っても、攻撃することすらできない。
自分は臆病者だ。
彼を信じることしかできない自分が、情けない。
実際、物事はクロエの思惑通りに進んでいるのだから。
このクロエの思惑を、モルディオが最初に感じ取った。
「……まずい」
電車の中で立っていたモルディオは、突然顔色を変えた。
「どうした?」
「ちょっと来て」
モルディオは周囲の客に視線を配りながら、扉を開けて客席がある部屋から出る。
そしてセヴィスが出るとすぐに、扉を閉めた。
ここは五両目と六両目の繋ぎ目にあたる。
暖房がきいていない為、制服だけでは寒い。
「未来が変わってる。僕が車の中で見た未来と、違う」
モルディオは扉についた窓から、もう一度客席を確かめる。
セヴィスも覗いてみるが、先程と代わり映えしない。
「そうだ、僕は未来を変える為に教会の前で館長に攻撃した。それが逆に利用されたんだ」
震えた声で言葉を紡ぎ、モルディオはその場にしゃがみこんだ。
その形相で、セヴィスは現状を悟った。
「まさか」
「……これは、僕の失態だ。さっき蛾を見た時に、気づけばよかった」
頭を片手でおさえて、モルディオは立ち上がる。
「この電車にいるのは、全員悪魔だ」
予想はついていたが、驚きは隠せない。
一瞬、手が震えた。
それでも、不思議と自信が沸いてきた。
自分には、決して負けられない理由があるからだ。
「諦めたら終わりだ。お前がそれに気づいただけ、まだ救いようがあるだろ」
「そうだね……これは決められた運命じゃない」
モルディオは拳を握りしめて、自分に言い聞かせる。
「僕たちの行動で、未来を切り開くんだ。ここで負けるわけにはいかないんだ」
周囲が、途端に静かになった。
窓を覗くと、乗客が全員立っていた。
どうやら、悪魔たちも行動を開始したらしい。
それもそのはずだ。
繋ぎ目にいる標的など、袋の鼠でしかない。
あの中に親玉がいて、意思伝達の魔力権などで伝えているのだろう。
「この電車で全員倒すなんて無謀だ。電車の分離で、数を減らそう」
すぐにモルディオは作戦を練る。
何度も挫折を味わった人間は、立ち直りが早かった。
そして、諦めるということを知らなかった。
「悪魔に電車は操縦できない。運転手は絶対人間だ。君は一両目に行って、運転手にスピードを上げてほしいことを伝えるんだ。それと、運転手を襲う悪魔を倒して」
モルディオがとっさに練った策を、セヴィスは承諾した。
目的は同じ、裏切ることはないと確信していたからだ。
「僕が囮になって、最後尾に悪魔を誘き寄せる。繋ぎ目は衝撃を吸収する為に柔らかい素材でできてるから、僕がそれを斬って分離する。でも、君に一両目まで行ってもらうには狭すぎる。傷は覚悟で進むしか……」
モルディオが喋っている間、セヴィスは六両目の繋ぎ目近くにある出入り口に目を通す。
昇降口だけあって、扉の窓は分厚い。
だが、これは割れると同時に思う。
防犯用のガラスなら、今まで何度も割ってきた。
「じゃあ俺はそこの窓から屋根に上って行く。こっちの方が早そうだ」
「それは無茶だよ。雪も降ってるし危険だ」
モルディオはすぐに反対してきた。
「やってみなきゃ分からない。それに危険ならお前も十分冒してる」
電車の上に乗るのは初めてだが、雪が降っている日にワイヤーで移動したり、ビルから飛び降りたことは何度かある。
余程の邪魔が入らなければ、難なく進めるだろう。
普段人間離れした速さで動いているセヴィスは、電車のスピードを甘く見ていた。
「今更、だね」
とモルディオが言った途端、視界が自分の腕で塞がれた。
刹那、耳に響くガラスの音。
悪魔が銃で扉を撃ってきたのはすぐに理解した。
破片が刺さるのは何とか免れた。
「……」
モルディオは腕を下げると、顎に手をあてて考える。
その腕には小さな破片が刺さっているが、彼が考える時間は短かった。
「まずい、電車が止められる」
ここは後ろの両なので、運転手にはまだ気づかれていないらしい。
電車の速度が落ちないのがその証拠だ。
「こんなところで命を掛けようなんて思わないで。これが最後じゃないんだ。でも、これを逃したら敗北しかないと思った方がいいよ」
二人はほぼ同時に頷いて、逆方向を向く。
銃弾がさらに降り注ぐ。
五両目の扉にまで穴が開いた。
「じゃあ、任せたよ」
モルディオの声を背に、セヴィスは繋ぎ目から出て、昇降口に一本のナイフを投げる。
派手な音を立てて、線路の上に窓ガラスが飛び散った。
ナイフはすぐに戻ってきた。
手の感触だけでそれを確認すると、窓の縁に足を掛けて外に出る。
「っ!」
顔を覆いたくなるような強風が全身を襲った。
美しかった雪は、吹雪でしかない。
手の感覚はすぐに失せる。
その前に進まなければならない。
ここで手を離したら大怪我は確実だ。
普段は誰も触れることのない電車の屋根。
どこかに掴まれる取っ手がないかと手探りで探していると、バチっという聞き慣れた音と共に、手に何かが掠れたような痛みが走った。
気になって右手を見る。
掌には横に赤い線ができている。
どうやら電線に触れてしまったらしい。
もし、これで自分の魔力権が違っていたら、終わっていただろう。
変な自信が沸いてきた今。
そんなことを考える頭を、悲観的としか思えない自分がいた。




