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INNOCENT STEAL -After HEAVEN-  作者: 豹牙
七章 案黒の決着
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44 渦巻く陰謀

 シェイムを乗せたクロエの車は、クレアラッツへ向かう。

クロエを追いかける為、セヴィスとモルディオは駅に走る。

ウィンズは館長会議に出席する為に美術館へ向かう。


 これら全てが同時に進行する朝。

彼らの行動の先には、渦巻く欲望への終止符が待ち受けている。

その終止符が招くのは美術館の繁栄か堕落か、未だ知る者はいない。


 時は、今の彼らにとってはさほど残酷なものではなかった。

ラムツェル駅に到着したのは、電車が発車する十分前。

遅れることを想定して全力で走ってきたことを考えれば、十分の時間は余裕と呼べるものだった。


「後は電車が遅れなきゃいいけど」


 モルディオは携帯電話を使って調べようとする。

つながりが悪いらしく、せわしなく携帯電話を振って、何度も首を傾げている。


「……やっぱり田舎だね。つながらないや」

 と言って、モルディオが駅のホームのベンチに座る。


 その隣に座ろうとしたセヴィスは、ベンチの上に不気味な斑模様を持つ、手のひら程の大きさがある蛾が死んでいるのを見て、座るのを止めた。

別に蛾が苦手なわけではなかったが、たった十分の待ち時間にこの死体を摘まんで座りたいとも思わなかった。

そもそもこの季節に蛾がいたというのも不自然な現象だ。


「へえ、蛾苦手なんだ?」


 モルディオはどこか嬉しそうに聞いてきた。


「お前はこんな鱗粉だらけの椅子に座りたいか?」

「確かにそうだね。でも変だな。この蛾は絶滅寸前で、鱗粉の量が異常だって何回かテレビで見たことあるけど、ジェノマニアには生息してなかったはずだよ」

「風で飛ばされたんじゃないか?」

「蛾がそんな長距離を飛べるわけないじゃん。……で、この蛾なんだけど悪魔の血にすごい敏感なんだ。だから、見た人間に死が訪れるっていう伝説もあるんだって」

「馬鹿馬鹿しい。お前、そんなの信じてたのか」

「こんなの迷信に過ぎないよ。まあ座る座らないは君の勝手だけど、少なくとも僕は君に見下されたくないな」


 そう言って、モルディオは席を立った。

彼と短い口論をすることは頻繁にあったが、雑談をすることはあまりなかったので新鮮だった。


「それよりさ、君の携帯を貸してくれないかな。僕のやつは旧式だから」


 差し出されたモルディオの手に、自分の携帯電話を置く。


「ありがとう」


 モルディオは電源を入れる。


 この時、セヴィスは完全に忘れていた。

モルディオの名前に誤字があったこと。

そして車を降りた際、電話帳の画面のままにしていたことを。


「……は?」


 温和だったモルディオの表情が変わった。


「どうかしたか?」


 セヴィスは自分の犯した過ちに気づかずに、尋ねる。


「ちょっと、これわざとなら承知しないよ」


 モルディオは画面を見せつける。

そこには至って普通のメールアドレスと、『モズディオ』という表示があった。


「あ」

「ふーん。君にとって僕は、『モズ』なんだ?」


 少し背伸びをして、モルディオは怪しげな目つきで睨みつけてきた。

だが、今まで文句を言いたかったのはセヴィスも同じだ。


「お前だって俺を電気ウナギとか言って馬鹿にしてるだろ」

「開き直るんだ? そのあだ名をつけたのはチェルシーだけどね。全く、君を認めようとした僕が愚かだったよ」


 モルディオは携帯電話を返してきた。

先程から、彼の行動には無駄が多い。


「大体、君の名前が呼びにくいからこうなったんだと僕は思うよ。って名前に文句を言っても仕方ないか。親がつけたものだしね」


 そういえば、自分の名前は誰がつけたのだろう。

今まで考えたこともなかった。

果たしてこの名前を両親がつけたのだろうか。

謎を考えると、自分がスラム街にいたこともそうだが、ルキアビッツの存在そのものも謎だ。

クロエを阻止したら、スラム街と自分についてゆっくり考えてみよう。

明確で曖昧な目標が、たった今できた。


「もうすぐ電車が来るよ。これからやるべきことは分かってるよね、セビ」

 と、モルディオは横目で小さく笑った。


「何か、変だな」


 セヴィスは思ったことを口に出した。


「じゃあ今まで通り電気ウナギって呼べばいいんだね」

「そっちの方がお前らしい気もするけどな……一回黙れモズ」


 この二人を見て、誰が緊迫した空気を感じるだろう。

彼に現れていたのは余裕の二文字。

それだけ、モルディオは自分たちの勝利を確信していたのだ。


 しかし、まだたくさんの謎がある。

それが蟠りとしてセヴィスの頭に残っていた。



 美術館の上層部には、下級祓魔師や候補生には知られてはいけない機密がある。

いくらS級でも、候補生であるセヴィスにもその機密は知られていない。


 その機密の一つが、美術館の地下にある。

どの地図を見ても、美術館の地下は一階の医務室までしか書かれていない。

だが、美術館の地下は三階まで存在していた。


「全く、くだらんな」

 と、暗い地下道にウィンズの声が響いた。


「クロエ=グレインですか? それともセヴィス=ラスケティアですか?」


 後ろを歩く黒いスーツの男が尋ねた。

現在、この暗い道を歩くのはこの二人だけだ。


「セヴィスを人間として考えるなら愚かだが、家畜として考えるならあれ程役に立つ下僕はないだろう。クロエは言うまでもなく、愚かの下、つまり問題外だ。電車で雑魚を大量に集めたところでS級が死ぬわけがない。しかも、セヴィスにはモルディオというかなり有能な味方がついている。これはクロエにとっては最悪の事態だ。奴の終焉も、時間の問題だ」


 ウィンズは黒い扉の前で止まり、扉の横にあるボタンを押す。

音を一切たてずに、黒い扉は開いた。

中は至って普通な、明るいエレベーターだった。


「しかし、今のS級が家畜とは。美術館も堕落しましたね」


 男は先に入り、ウィンズを通してから扉を閉める。

しばらくして、エレベーターはゆっくりと上昇を始めた。


「堕落したのではなく、元々堕落していたのだ。それが表に出始めただけだ。

 セヴィスは、元々普通の人間だ。あの麻薬夫妻の間に産まれなければ、な」

「クロフォード=ラスケティアはスラム街という存在に逃げることを選び、その妻ルイスは、未だに麻薬を売り続けています。本当に愚かな夫婦です」


 ウィンズの眼鏡が光を帯び、男のサングラスがそれを反射する。


「ルキアビッツの存在は麻薬夫妻にも好都合で、僕にとっても好都合だった。そして僕の行動により、ルキアビッツは夫妻にとって不幸に傾くことになった。それにしても奴に悪魔が干渉したのは少し予想外だった。最近になって気づくとは、情けない」

「シンク、ですか?」

「シンクの存在は厄介だ。戦闘能力では、おそらくあの女の力を一番多く引き継いでいる。僕の力は到底及ばない。だが奴がいなければ、この計画は利用しにくい、と言うより失敗の危険性が高いモルディオに委ねることになっていたのだからな。

 シンクのことは後でいくらでも処理できるだろう。今は麻薬夫妻の抹殺だけを考えろ、ナイン」

「そうっすね」


 男はサングラスを取る。

曲線を描いた様に笑う目が、姿を現した。


「でも麻薬夫妻を殺すだけなら、今までだって簡単にできましたし、今行くのが一番では」

「何を言う。あれ程言ったはずだ」


 エレベーターが止まる。


「ここが一番重要なのだ。セヴィスとクロエの目の前で殺せ。後は任せておけばいい」


 扉がゆっくりと開く。

前に広がるのは館長室。

まさか本棚がエレベーターの扉であるとは、モルディオも気づかなかったことだろう。


「ほう?」


 館長室の扉が開くと同時に、ウィンズは懐から銃を抜く。

ナインもすぐに機関銃を構える。


「あなたが、黒幕だったんですね」


 彼らの前には、青ざめた表情のハミルが立っていた。

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