36 愚痴と劣等感
「お前、何を」
後ろを振り返ると、モルディオがひどく汗を掻いている。
男たちの方からほっと安心の声が聞こえた。
「このまま戦ったら、僕も君も……死んでたよ」
「どういうことだ」
モルディオは無言で上を指差す。
指差す方向を見ると、夥しい数の黒い影が見えた。
さらに、先程通って来た廊下にもたくさんの悪魔がいる。
「あいつらに囲まれて、成す術もなく刺される。そんな未来が見えたよ。このまま大人しく捕まった方が身の為だ」
「話の分かる祓魔師で助かりました」
声がして、階段から一人の老人が降りてきた。
長い白髪と髭が特徴で、黒いローブを着ていることから神父だろう。
「あなたは!」
モルディオは驚愕している。
この老人が誰だか知っているらしい。
「誰だ、アンタ」
セヴィスはナイフを持ったまま尋ねる。
この態度にモルディオが肝を抜かれたらしく、焦った様子でセヴィスの肩を叩く。
「知らないの!? 初代美術館長だよ!」
そう言われても、セヴィスには分からない。
授業を聞かないというツケがここで回ってくるとは思わなかった。
「いいのですよ。抵抗せずに大人しく捕まってくれるだけで助かります」
「……すみません」
どういうわけか、モルディオが謝る。
初代美術館長は、そんなに偉いのだろうか。
捕まえようとしているところや、今のクロエを見ると、セヴィスにとって館長は偽善者にしか見えなかった。
「私はキング=アルマク。二十年前はジェノマニア国王によって美術館長という名誉を与えられましたが、今はこのラムツェル教会の司祭です」
キングという神父は目だけの笑顔で微笑んだ。
シンク程ではないが、悪意のある笑みだ。
「で、俺たちを捕らえるのか。笑顔でとんでもないことをする爺だな」
セヴィスの態度にモルディオはかなり焦っているが、セヴィスはこのキングに従いたくなかった。
キングもそれを分かっているようだ。
「申し訳ありません。手荒な真似はしたくなかったのですが」
と言って、キングは右手を真っ直ぐ上げる。
すると、先程まで怯えていた男たちが両腕を掴んできた。
振り払おうとしたが、無抵抗なモルディオを見ると何もしない方が良いような気がしてきた。
「上の部屋に捕らえておきなさい」
モルディオは悔しそうな表情をしている。
だが、死んでいたかもしれないということを考えればこれで良かったのかもしれない。
それでも大した怪我もなく、武器もあるというのに負けを認めたくない。
セヴィスの本心はどちらかと言うと後者だった。
「安心してください。拘束はしません。時が来れば解放します」
「何が拘束はしませんだ。この部屋にいること自体拘束だろ」
と、セヴィスは愚痴を零した。
「ったく、あいつが悪魔だったら真っ先に殺してやりたいぐらいだ」
「まさかあのキングがこの教会にいるなんて思わなかったよ。武器も携帯電話も取り上げられちゃったし、脱出もできない、か」
モルディオは途方に暮れた様子で地面に座り込んだ。
この部屋は正方形で、広さは五メートル平方だろうか。
扉が一つあるだけで、ろくに掃除もされていない。
天井には蜘蛛の巣が張っており、それ以外には本当に何もない。
「館長の狙いはこれだったのかな。諦めないと、いけないのかな」
「ここで諦める意味なんてない。俺はどういう経緯であの街にいたのかは知らないけどな、あの街がなかったら、多分俺は祓魔師にもなってない」
「君さ、ルキアビッツを守りたいんだよね? それだったら何でここに来たの? おかしいよ。シェイムの友人って、何の面識もないじゃん。結局シェイムは裏切ったわけだし」
「……そいつを助ければあいつが協力するって言ったから、クロエを取り押さえられると思ったんだ。それでこの様だ。ほんの少しでもあいつを信じた、俺が馬鹿だったってことだろ」
「それは馬鹿って言うのかな? 君って、意外と人を信じるんだね。ちょっと見直したよ。でも騙されやすいのもよくないんじゃない。僕が君だったら、シェイムが裏切らないっていう確証を得られるまで信じないけど」
てっきり相槌を打つと思っていたら、自分を見直したようだ。
モルディオが人を認めることなどあるのだろうか。
「とにかく騙されたのが現実なんだ。文句言ってても仕方ないんだ。俺はここを脱出する方法を探す。何の意味もない嫌味を言ってるお前はどうか知らないけどな」
「……僕だって諦めたくないよ」
モルディオの顔は諦めたくない、という言葉を口にする顔ではなかった。
この後に言うことも、大体予想がついた。
「この状況じゃ絶望しそうだよ。キングさんの言うことは嘘かもしれない。ここは寒いし、このまま待っていても、安全が保障されるとは限らない。でも、ここで死ぬのだけは絶対に嫌だ。ここで死んだら、終わりなんだ。何もかも」
モルディオは語気を強めた。
大げさな言い方だが、ここで初めてモルディオと意見が合った気がした。
「お前、魔力権は使えるか?」
セヴィスは扉の斜め上にある通気ダクトに目を向けながら言った。
通気ダクトは『宝石』を盗む際にも世話になっている。
だが、ナイフがなければネジは外れない。
「さっき未来を読んだばっかりだからヘトヘトだよ。これ以上読んだら、気を失いそう」
未来が見えたらこれからの行動計画も立てやすいのだが、仕方ない。
モルディオの体力が回復するのをここで大人しく待った方がいいのだろうか。
「回復するまで、僕の過去について話すよ。そんな時間ないけど、何もできないのも事実なんだ」
「ああ、回復したらできるだけ早く魔力権を使ってくれ」
と言ってセヴィスはモルディオの近くに座る。
諦めたくない。
頭の中はこの言葉で埋めつくされている。
でも、成す術がない。




