30 S級の独占、王女の退屈
「わたくしはジェノマニア王国王妃、シャルロット・マリアンヌ・ジェノマニア。娘を助けてくれたこと、感謝いたしますわ」
謁見の間がどんな部屋だったかは覚えていない。
覚えているのは雅やかな玉座とこの王妃の長い名前だけだ。
この時、セヴィスはS級ではなくただの候補生だった。
トーナメントを間近に控え、悪魔討伐も許されていなかった頃だ。
一度変装せずに『宝石』を盗んだ際、ある一人の悪魔に顔を見られた。
それを追っていたら王室の立ち入り禁止のところに入ってしまった。
その時庭にいた王女に悪魔が接近したのだ。
助けたのは不本意だったのだが、礼をしたいと城に招待された。
そして今に至る。
「あなたは勇気があるのですね。まだ一年生にも関わらず、この立ち入りを禁じられた城に入ってまで、わたくしたちを助けようというその心意義。わたくしは感銘を受けましたわ」
正体を曝されるのを防いだだけなのに。
それでも礼だけは貰っておこう、と思った。
「相当恐ろしい悪魔だったのですね。娘のジュリアは何も言えなかったそうで」
ここで、初めて助けた王女の名前を知った。
悪魔が来た時は悲鳴ばかりで、倒した後は恐怖のあまり涙を浮かべていた。
初めて悪魔を見たのなら、何も言えなくなっても不思議なことではない。
C級でも、悪魔であることには変わりはないのだ。
「シャルロット様、ジュリア様が落ち着かれました」
と、召使が跪いて言った。
それを見たシャルロットはゆっくり頷いて、微笑んだ。
「我が娘をここに」
別の召使に手を引かれ、一人の女の子が入ってきた。
先程助けた時と比べて、豪華なドレスを着ている。
ルキアビッツにいたセヴィスにからすれば、それは金の塊でしかなかった。
「ほら、ジュリアからもお礼を言いなさい」
ジュリナは何も言わず不満そうな顔をした。
その視線は直線上にいるシャルロットよりも、右側にいるセヴィスの方に向いていた。
「どうしたの、ジュリア」
「名前は」
シャルロットは首を傾げる。
「お前だよ、名前を言え」
ジュリアの態度に、召使たちが顔を見合わせている。
シャルロットは口を開けたまま唖然としている。
とても命を助けられた王族とは思えない口調だった。
「俺の名前?」
「そうだよ」
「何でそんなに怒ってるんだ」
と、セヴィスは肩をすくめる。
この場にいる全員が分かっていなかった。
ジュリアが怒っている理由を。
「いいから早くしろ。それとも人に名前を聞く時は自分から名乗れって言うのか」
「別にそんなことを聞いてるんじゃない」
「じゃあ名乗ってやるよ。あたしはジュリア=マリアンヌ」
ジェノマニア姓が付くのは王位継承権がある人間だけだ。
この時のセヴィスの社会常識は皆無に近い為、名前が短いことに違和感がした。
「ほら、名乗れよ」
この王女は何を急かしているのだろう。とりあえず名乗った方が良さそうな気がした。
「セヴィス=ラスケティア」
「セヴィ……? 言いにくい名前だな」
名前が言いにくい。
よく言われることなので気にしなかった。
「ま、覚えておいてやるよ。クロエを倒す、次のS級候補としてな」
ジュリアは嬉しそうな顔をして自分を指差した。
「ジュリア、失礼じゃなくて?」
シャルロットは厳しい表情で玉座を立った。
「だって、こいつ一年だろ? あれ程の動きが出来るのに称号がないし、去年のトーナメントにはこんな変な戦い方する奴はいなかった」
「変な戦い方って……」
シャルロットの表情が歪んだ。
「候補生になる前に何かやってたんだろ?」
ジュリアは腕を下ろして、得意げに聞いてきた。
この場で悪魔であるシンクに戦法を教えてもらったなど、当然言えるわけがない。
「一応は」
「やっぱりね。あれは一年生の動きじゃないなって思ったんだ。トーナメントに出る一年生って遠慮しててさ、つまらないんだ」
王族は簡単に外に出られないはずだ。
それなのに、この王女はトーナメントを全部見た様な言い草だ。
「あたしトーナメントはテレビで見てたんだ。誰かがクロエを倒さないかなーって」
「あなたは何てことを。クロエ館長はこの国の守護者で」
「ねえ、こいつにあのイヤーフックをあげてよ。今後のあたしの期待を込めてさ」
シャルロットの言葉はジュリアの不敵な笑顔に遮られた。
「あれは国に貢献した人に与えられるものです。祓魔師には余程のことがない限り授与されないことになっていますわ」
「こいつが来なかったらあたしが死んでたんだ。これは余程のことじゃない?」
実際悪魔を追い詰めて城に入れてしまったのもセヴィスなのだが、ここでそのことを言う必要はない。
ここで何も言わなければ、あの無賃乗車と免税で有名なイヤーフックが貰える。
礼のことだけを考えながら、セヴィスはほくそ笑んでいた。
「分かりましたわ。特別に授与を認めましょう。……あら?」
シャルロットはこちらを見て怪訝な顔をした。
「あなた、何を笑っていますの?」
「えっ、いやとんでもない。自分は王族を助けられたことを光栄に思っていますよ」
嬉しさのあまり、敬語を口走ってしまった。
ここにミストがいたら一瞬でフレグランスだとばれただろう。
「突然敬語になりましたわね……」
「変なの。話せるなら最初から話せばいいのに」
ジュリアは楽しそうに笑い声をあげた。
不思議と嫌な気分にはならなかった。
今、三人はクロエの運転するリムジンに乗っている。
あの時は何とも思わなかったが、ジュリアはどうしてクロエを倒すことを期待していたのだろうか。
と、セヴィスは関係がないと思っていることも疑い始めた。
セヴィスがS級になるまで五年間、S級祓魔師の称号はクロエにあった。
その五年間は、トーナメントを純粋に楽しんでいる少女からすればあまりにも長かったことだろう。
トーナメントは祓魔師の格付けの儀式であり、無料の見世物でもある。
一般人がいるからと言って、次のS級に何か関わってくるわけではない。
それなのに毎年席が埋まるのは、やはりジュリアの様に楽しむ人が多いからだ。
ジュリアはS級が変わるのを期待していた。
それは決してクロエだからという理由ではないだろう。
そしてそう思っていたのはジュリアだけではない。
それを、来場者数がはっきりと示していた。
クロエがS級を独占している間、来場者数はだんだんと減っていた。
だからクロエが倒されることを望むのは普通のことだ。
あの時はいくらターレがS級候補の話をしても、効果がなかった程だ。
皆クロエが最強という事実を認めざるを得なかった。
一年前のターレの候補に、セヴィスは入っていなかった。
戦闘能力だけで合格し入学した問題児がいるという噂だけはあったらしいが、一年生など発展途上の存在だっただろう。
そう考えれば、ジュリアがセヴィスにS級を期待したことには全く裏がないと言える。
しかし、何故今更になってこのことを思い出したのだろう。
これは自分の頭からクロエに関係のあること全てを絞り出した結果だと、セヴィスは勝手に解釈した。
「しっかり準備をしておけ。悪魔はかなり強いと聞いている」
と、クロエが言った。
「はい」
シェイムだけが返事を返した。
これが嘘だと確信しているからなのか、モルディオは何も言わなかった。
現在、剣の刃毀れを気にしているモルディオに対し、シェイムは両手を膝の上に置いて下を見ている。
先程から、彼女はソフトケースに入った武器に一切触れていない。
こんな無用心な後輩が外国のS級とは、未だに信じられなかった。
そしてこれからクロエが取ろうとしている行動もまた、信じられるものではなかった。




