28 口封じ
「『アンタ』、かよ! お前がそれ使うのってさ、嫌いな奴か悪魔だろ? じゃあおれはもう嫌われたってか! お前が勝手に嫌ったんだけどさ!」
ハミルはセヴィスの『アンタ』と『お前』の使い分けを知っていた。
だから笑い出したのだ。
否定はできない。
実際セヴィスは、今のハミルを人の皮を被った悪魔という目でしか見ることができなかった。
当然、悪魔はセヴィスが最も嫌いな存在である。
「笑わせんじゃねえよ! 電気ウナギのくせによ!」
「質問に答えろって言ってんだ。このクソ野郎、殺すぞ」
強い力でナイフを握る。
腕がわずかに震えた。
今目の前にいるのがハミルと同じ顔ではなかったら、何の抵抗もなしにナイフを投げていただろう。
ハミルの歪んだ顔を睨みつけて、理性を辛うじて保っていた。
「おいおい、おっかねえな」
ハミルは笑うのを止めて、ゆっくり後退して距離を取る。
「セヴィスって怒らせるとこんなに危険人物だったんだな。長い付き合いなのに、おれ初めて見たぜ。今まで何されても怒らなかったくせによ、いつからそんなこと言うようになったんだよ」
「……うるさい、クロエの下僕」
「あれ、下等な下衆じゃねえのか。やっぱお前変わったな。まず、おれは何時からクロエさんの下僕になったんだ?」
ハミルは自分が罵る時の言葉ですら覚えている。
もはやそれは、不気味でしかなかった。
「お前なんかハミルじゃない」
「はぁ?」
ハミルは首を傾げて腕を組む。
口は歪み、鼻から小さな笑い声が聞こえた。
これが悪魔だったら即刻殺しているだろう。
「おれはハミルだ。それ以外の何でもねえ。勝手に決め付けんな」
「じゃあ質問に答えろ」
「やだね。人にものを聞くときはそれ相応の誠意がないとな」
誠意を見せろというのは、頭を下げろということなのだろうか。
だが今のハミルには頭を下げたくない。
セヴィスは今も昔もハミルを上に見ていない。
「おれの質問に答えるか、土下座しろよ」
ハミルは地面を指差して言った。
「俺は今のお前に土下座なんか絶対にしない」
と、セヴィスは言い返す。
「てことは質問に答えるんだな。ここに何しに来たんだよ。窓から侵入なんて普通はしないよな?」
「お前がクロエの下僕である以上、教えるわけにはいかない」
「じゃあ交渉は決裂、それでいいんだな」
ハミルは否定しなかった。
そこがもう一人の下僕候補シェイムとの相違点だ。
「なあ、おれ、変わったんだぜ。おれはもうただの格闘家なんかじゃない。真の祓魔師になったんだ」
そう言って、ハミルは勝ち誇った様な顔をした。
「何が真の祓魔師だ。クロエの犬に成り下がった奴が偉そうに」
「教えてやるよ。悪魔を祓い、悪を裁き、正義を貫く。それが真の祓魔師だ。お前なら分かるよな、セヴィス」
「……」
セヴィスはナイフを左手に持ち替えて、右手でハミルに見えない様にポケットから香水を取り出す。
「お前の行動なら、おれは何でもお見通しだ。じゃあな」
ハミルは踵を返すと、扉に手を掛ける。
セヴィスは香水を持ったままその背中に接近する。
そして香水を持っていない左腕でハミルの首を絞める。
「何だよてめえ……っ!」
「俺が敵を簡単に逃がすと思ってるのか?」
と言って、セヴィスは抵抗しようとするハミルの首元にナイフを突きつける。
「殺す気かよ、そんなにおれがいるのがまずい状況なのかよ!」
ハミルは苦しそうに言った。
そこでセヴィスはわざと腕の力を緩めた。
「離せよっ!」
当然、ハミルは拘束から逃れる。
その瞬間、ハミルの顔に透明な液体が降りかかった。
「うっ……これは」
ハミルは口を押さえて蹲る。
ミストの息子ならその匂いは十分知っているはずだ。
「ここに入ってきたことをクロエに密告されたら困るんだ。できれば使いたくなかったけどな」
「う、そだ……」
ハミルはかろうじて気絶していない。
その様子にセヴィスは驚いた。
ロザリアの様に、耐性を持つ悪魔が稀にいる。
だがハミルは悪魔ではないのでその一員ではない。
おそらく、父の警察服にこびり付いた匂いに慣れてしまったのだろう。
セヴィス自身もこの匂いには慣れている為、耐性がついている。
そんな人間でもこの香水を直接身体に流し込めば気絶するのだが。
「言っとくけどな、この毒薬を持ってるのはフレグランスだけじゃない」
セヴィスはハミルの視線の高さまでしゃがむ。
「この毒薬は俺のいた街で、護身用に配られたんだ。あの街の人間は皆これを持ってる。だからこれだけじゃフレグランスが誰かは分からない」
「じゃあ、お前は、フレグランスの正体を……げほっげほっ」
ハミルは口を押さえて二度咳をした。
「俺はフレグランスの正体を知らない。ただ、奴が俺と同じ街の出身だということは確かだ」
「何が、言いたいんだよ、おまえ」
「ルキアビッツ抹消計画を阻止しようとしてるのは……俺だけじゃないってことだ」
そう言って、ハミルの口に香水の瓶を突っ込む。
ハミルが苦しさにのたうちまわって気を失うまで、僅かな時間だった。
その僅かな間は息苦しくて、運動もしていないのに息が切れた。
凄く、嫌な気分だった。




