25 時計塔にて
まだ空は暗い。
時刻は午前二時三十分。
クロエに言われた時間よりも三十分早く、三人はエルクロス学園の中央にある時計塔の最上階、展望台に集まっていた。
この時計塔は生徒の立ち入りを禁止しているが、防犯カメラはなく夜中なら誰にも気づかれることはない。
クロエに聞かれないことと、館長室を監視できるという理由で三人はここを選んだ。
この場所を提案したシェイムは最初気まずそうだったが、今は吹っ切れたらしく望遠鏡で館長室を監視している。
モルディオは入るまで反対していたが、結局ついてきた。
セヴィスに関しては言うまでもなく、何の抵抗もなしに入った。
「館長が街を滅ぼすって、失望したよ」
モルディオは細剣の刃を磨きながら言った。
現在はモルディオとセヴィスが座っており、シェイムが時計塔の展望台から立って監視しているという状況だ。
「で、その街ってどこ?」
シェイムは望遠鏡を下ろしてセヴィスの表情を確かめると、
「スラム街ルキアビッツ。セヴィスさんの……故郷です」
と答えた。
「ルキアビッツ? 聞いたことないよ、そんな街」
シェイムは無言で監視を再開する。
特に喋りたいとも思わなかったので、セヴィスも何も言わなかった。
「僕はジェノマニア出身じゃないけど、来る前にこの国の地名は一応網羅したよ。でも初耳ってどういうこと?」
蜘蛛の巣が張った茶色の古風な部屋に、モルディオの声が響いた。
シェイムはセヴィスのことを気遣っているのか、俯いている。
「まっ、これでセヴィスが阿呆な理由が分かったよ。クレアラッツに住む人間なら、もっと頭はいいはずだからね」
「モルディオ先輩、それって失礼じゃないですか? セヴィスさんだって、好きであの街にいたわけじゃないんです」
モルディオの言い草に反感を覚えたシェイムは、望遠鏡から目を離して言い返す。
確かにルキアビッツは嫌いだった。
だが、あの時はクレアラッツの方が嫌いだった。
平然と自分たちを蔑ろにする美術館や王族たちが悠々と暮らしている様が気に食わなかったからだ。
だからS級になった今、王族を偶然助けてイヤーフックを貰っても嫌悪感しかなかったのを覚えている。
「僕はスラム街にいる人全員を侮辱してるんじゃないよ。もしセヴィスが学園に入ってから勉強しようとしたなら、僕も言動を考慮する。これでもウィンズ様の弟だしね。でもこいつは入学してから一つも勉強しようとしてないじゃん」
「で、その阿呆な俺に負けたのがアンタか」
「……そうだね」
モルディオが、珍しく自分の非を認めた。
そのことにセヴィスは少し驚いた。
「補助系じゃない祓魔師に求められるのは戦闘能力。今の美術館ってそんな感じじゃん。だから僕は中途半端だったって今も思ってるよ」
そう言って、モルディオは細剣を鞘に収める。
「ただウィンズ様の次に館長になる人間には、戦闘能力よりも学力の方が重要だと思うよ」
「別に俺は館長になりたくない」
「なりたくないんじゃなくて、なれない」
結局、モルディオは最後に自分を馬鹿にする。
先程は認めようと思ったが、やはりモルディオは変わらない。
「シェイム、作戦について説明してくれる?」
モルディオがシェイムの方に首を向けて言う。
「あっはい。分かりました」
「監視はセヴィスに任せていいよ。どうせ作戦通りに動かないから」
モルディオに言われたくないと思いながら、セヴィスは立ち上がってシェイムのいた場所に向かう。
「望遠鏡はいらないんですか?」
「こいつの視力は異常だから大丈夫だよ。今思ったら、ほとんど電気がない生活してたから当然なのかな」
シェイムが座ると同時に、セヴィスは美術館を見下ろす。
館長室には電気が点いていて、その中にはクロエの後姿が見える。
本当に真っ暗なら何も見えなかったが、クレアラッツは夜も明るいので気にすることではなかった。
「じゃあセヴィスさんは耳で聞いてくださいね。まず、先程にも言いましたが私たちの目的は友達の救出と、館長の計画の阻止です。最初、これは極秘任務である為、館長は車で私たちを送ります。その後、館長は美術館に戻り準備を開始します。それで私たちは、館長が美術館に戻る前に百五十体の悪魔を突破して、友達を救出しないといけません」
「ちょっと待って。館長って一人で街を滅ぼすつもり?」
と、モルディオが言う。
「館長には何人か味方がいるんです。私もそこまではよく分からないんですが、祓魔師と悪魔の両方がいると思います」
「その祓魔師って、裏切り者じゃん」
「いいえ、世間的には私たちが裏切り者です。館長のやること全てが正義だと、ほとんどの人間が思っていますから」
「へぇ。館長が偽善者かぁ」
モルディオは楽しそうに言った。
自分も一ヶ月前笑ったので人のことは言えないが、ルキアビッツの存続が掛かった今では、セヴィスも笑っていられない状況にある。
「私、百五十体を三人でひたすら相手するだけでは多分間に合わないと思うんです。何かいい案はありませんか?」
と、シェイムがたずねる。
「僕もそれ思ったから、家で考えたよ。まずその友達なんだけど、顔はシェイムしか知らない。だからシェイムは最前線で、突破することを優先して」
「はい」
「で、聞くところによると教会の礼拝堂は結構広いんだよね」
モルディオは顔を自分の方に向ける。
聞いているか確かめているらしい。
「悪魔は必ず僕たちを囲んでくるはずだ。そこで、まず全力で逃げて悪魔たちを廊下の奥まで誘き寄せる」
「それだったら逃げ場がないだろ」
と、セヴィスは館長室を見ながら言った。
「セヴィス、遠距離に徹底してくれないかな」
「どういうことだ?」
「廊下なら一度に来る悪魔の数も限られるし、全力で逃げれば着いて来る悪魔も少ないはずだ。シェイムも通りやすくなるしね。後は僕が前衛を担当するから、セヴィスは壁を背にして僕の援護かな」
援護など、したことがない。
モルディオの要望に、セヴィスは首を傾げた。
「分かる? 館長の計画を阻止する以上、戦力は温存しないといけない」
「館長の邪魔も入る可能性があるってことですか?」
シェイムの質問にモルディオはそうだね、と感心している。
どうせ内心では自分のことを馬鹿にしているのだろう。
「屋内じゃセヴィスはあまり役に立たないしね」
「つまり、ルキアビッツにはセヴィスさんを優先して行かせるつもりですね。さすが、先輩はよく考えてますね。セヴィスさんに故郷を」
「別にそういうわけじゃないんだけど」
目を輝かせるシェイムに、モルディオは不満そうに言った。
「僕は足を引っ張られるのが嫌なんだ」
「トーナメント前に気絶した奴が偉そうに」
と、セヴィスは口を挟む。
「その話さ、いい加減しつこいよ。僕はハミルを庇ったって何回言えばいいわけ?」
言い返そうとしたセヴィスは、館長室にもう一人いることに気がついた。
茶色の頭で黒い服、男だ。
後ろを向いている為、顔まではよく見えない。
「どうかしました?」
シェイムが望遠鏡を持って隣に立つ。
「誰かいる」
「この時間に館長室に入るなんて余程のことだよ」
後ろからモルディオが立ち上がって、自分とシェイムの間から覗き込む。
気になっている様だ。
どうでもいいことには興味を示さないモルディオが気にしたということは、彼の言う様にこの時間に誰かがいることが余程のことなのだ。




