20 滅びゆく街
一度家に戻って私服に着替えたセヴィスは、傘を手に再び雪で湿った大通りを歩いていた。
雪が降っている割にそこまで寒さを感じない。
その為服装は淡い水色のインナーの上に白いパーカーを着ただけの薄着だった。
マフラーをしてきたがこの薄着ではそこまで効果はない。
これで手袋までしたら泥棒として盗む時と同じ気分になってしまうだろう。
だから手袋はしてこなかった。
セヴィスは冷えた頭で考えていた。
自分は子供たちにとって悪い例。
一年生にとっては空振りすらも許されない存在。
チェルシーにとっては自分がS級であることすらふざけたこと。
ウィンズやモルディオにとってはただの馬鹿。
ハミルにとっては実力不足。
そして、クロエにとって自分は利用されるだけの兵器同然の道具。
誰にも必要とされていないわけではない。
もしそうならば、自分は誰だって問答無用に殺せる。
それは戦いたくない相手がいなくなるということだ。
先程の子供がそうではないと教えてくれた。
自分は劣等感しか感じないわけでもない。
自分には戦いたくない相手がいるからだ。
シンクは自分に命を預けた。
自分を信じて、悪魔を討伐する。
自分に合った戦法を教えたのはウィンズではなく彼だ。
たまに文句も言うが、彼は信頼できる。
いつかは敵対する相手だが、今はまだ戦いたくない。
ナインがいなければ、自分は今頃餓えて死んでいただろう。
今はクロエの味方だが、敵ではないと思う。
きっと、何か裏があるはずだ。
そう期待できるから、彼とは戦いたくない。
ロザリアは、もし生きていたら絶対に戦いたくない相手だ。
死んだ後ですら、彼女の存在は美術館で威厳を放っている。
そして、彼女の『宝石』はクロエの目的と大きな関係を持つ。
どんな関係があるのかはまだ分からないが、必ず暴いてやる。
そんな意志を抱いている自分は、やはりハミルの言うように変わってしまったのだろうか。
セヴィスは考えるのを止めた。
こんな煩悶をいくら繰り返しても、ほとんど無意味だと思ったからだ。
しばらく歩くと、河川敷に着いた。
自分もハミルも、この場所には随分思い入れを持っている。
ここはハミルと初めて出会った場所であり、スラム街ルキアビッツへの入り口がある場所でもある。
立ち止まった場所は、ある橋の下だった。
そこには不自然に一軒のプレハブハウスが建っている。
ここに好奇心旺盛な子供たちがいたずらに入ると、泣いて出てくるらしい。
大人たちも気味が悪いと言って近寄らないそうだ。
セヴィスが伝線したカーテンを開けると、正面の扉の穴から拳銃の銃口だけが出てきた。
「合言葉は」
「『穢れた都会クレアラッツ』」
しゃがれた声に返事を返すと、扉が開いて厳つい男が顔を出した。
「何だお前か。随分久しぶりだったからもう泥棒止めたのかと思ったぜ。正義の祓魔師がまだ泥棒やってんのか」
と言って男クインシーは唾を飛ばした。
彼はセヴィスが産まれる前からルキアビッツの番人をしていると聞いた。
彼だけはなぜか苗字を名乗らない。
それを知ったところで何もないので、気にも留めなかった。
なぜ彼だけが番人をしているかも分からない。
昔から謎の多い男だった。
「香水買いに来たんだろ。だったら帰れ」
「どうして?」
「……」
クインシーの様子がどこかおかしい。
彼が冷や汗を掻いているところなど、初めて見た。
「何かあったのか?」
「行ってみれば分かる」
クインシーは扉の奥に行き、地面の板を一枚捲る。
すると、板の下から大きな穴が現れた。
これが、ルキアビッツへの入り口だ。
セヴィスは穴の近くに立って下を見下ろす。
穴の下には懐かしい風景が広がっている。
「セヴィス、これは俺の独り言だ」
自分に背中を向けて、クインシーは続ける。
「もうこの街に二度と来るな。お前は、祓魔師として生きろ。それで悪魔が全滅したら、女でも作って、幸せに暮らせばいい」
「……!」
「まだウィンズに縛られるようなら、殺せ。お前は一生分の苦労を味わった」
クインシーがこんなことを言ったのは初めてだ。
いつもぶっきらぼうな彼が、自分を気づかっている。
一体、ルキアビッツに何が起こったのだろう。
セヴィスは穴の中に飛び降りる。
中の風景は至って変化がなく、トンネルの中に荒れた路地が広がっているだけだ。
空はコケの生えた灰色の天井、壁は落書きだらけのコンクリート。
今日はないが昔は地面に生臭い死体が転がっていた時もある。
それがこの街では普通のことである。
昔クレアラッツに脱走した時、その清潔さには随分驚かされたものだ。
今思えば、あの時脱走しなければハミルに出会うこともなかったのだが。
ここから左に曲がって細い路地に入れば、ファイトクラブがやっている場所に着く。
久しぶりに来たが、まだやっているのだろうか。
それも気になるが、その前に香水を買ってからにしよう。
香水を買う為に細い路地の前にある露店に行くと、いつもの女店主が水とパンを陳列している。
この風景もまた昔と変わっていない。
変わったことと言えば、女店主ルナの顔に少し皺が目立ってきたことぐらいだ。
「え、セビ!?」
ルナは驚いている。
そういえば自分をこの名前で呼び始めたのはルナが最初だった、と思い出す。
「あんた、今更どうしたんだい?」
「香水……」
「ああ、分かったよ。おまえはまだ泥棒をやってるんだね」
そう言ってルナは膝の近くにある瓶を取って、自分に手渡した。
どうしてクインシーもルナも同じことを言うのだろう。
「お金はいらないよ。この街はそろそろ終わるんだからね。あんたもこの街には二度と来るんじゃないよ」
「終わる?」
セヴィスはほとんど無意識に聞き返す。
そんな自分の顔を見て、ルナは大きくため息をついた。
「先月ぐらいだったかな? 祓魔師の女が来たんだよ」
「祓魔師?」
「『この街は悪魔の町だから、一ヶ月以内に滅ぼす』って」




