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ピアノと心象風景。

クラシコ

作者: 湧水蓮太郎

音楽の力を信じて。




被災地復興チャリティーコンサートの文句。



開演午後7時。

※収益の全額を、被災地への義援金として、日本赤十字社を通じて寄付させていただきます。



音楽の力ってなんだろう?

ひとの嗜好なんてさまざま。


マイセンのカツサンドが好きなひとがいれば、サンマルクカフェのクロワッサンが好きなひとだっている。


音楽と一口にいったって、クラシックとロックとポップスとレゲエとハウスとテクノとヘビメタと浪曲の全てに力をもらってるヤツなんていないのだ。



クラシックコンサートしかやってないくせに、「音楽の力」だなんてあぁおこがましい。

だいたいそもそも赤十字経由で金がちゃんと被災地のひとのために使われるのか。



なんてくだらないことを考えていると、あっと言う間に開場二時間前になった。



館内を見渡し、空調のファンの音、温度、湿度をチェックし、一階席最後列から、ピアノの音の響きをチェックする。

音が弱い。


反響板から、斜め前方、舐めるようにせりだした二階前席に眼を這わせながら、音響室と天井のちょうど真ん中。やや色褪せたグレーのクロスの、吊り照明の陰になっている部分に向けて小首をかしげるような格好で、残響を感じながらゆっくりと瞼をくっつける。



オーケストラホールは、非日常に満ち溢れている。



忙しく弦をピストンするヴァイオリンや、古代ギリシアの艶かしい女を思わせるハープ、トロンボーンは滑稽なおしゃべり 。



近現代に開発された楽器が多いとはいえ、劇場(ホール)の姿は古来より変わらない。






今日、こんなことがあった。




定刻どおりに開演し、世界的に高名なハンガリー人指揮者の挨拶がわりの小品に、大柄な体躯から繰り出される伸びやかな指先のしなやかさに観客がうっとり度肝を抜かれた感動の余韻そのまま、日本人ピアニストによるリスト・ピアノ交響曲第一番のタッチの弱さに、おいおい、そんなの、もしベルリンフィル相手じゃ端々の音が全部掻き消されてしまうぞ、なんてことを思っていた矢先、ステージが軋み、震えた。







地震だった。








一瞬、マエストロの大柄な体躯が宙に浮き、背中越しにメトロノームのように左右する照明、それから吊りものバトン。


ピアノから左手が空中にあがったまま、斜めに体をよじる女性のドレスに無数に皺が寄る。





静寂。


一瞬の静寂。






瞬間、強引にマエストロが腹筋を上下させ体を揺り起こしながら、タクトをぶわっと半回転させながら、空気を抑えつけた。


細長く美しい指が、弱く、ふたたび鍵盤をタッチする。



観客に動揺はない。



多少のざわつきはあったものの、公演は何事もなかったかのように続行された。





僕はふっと喧騒の中に訪れた、ほんの一瞬の静寂に打ちひしがれていた。

なんて、美しい光景だったのか。



防災センターより館内に異常がない旨の内線が入り、館長があわてて降りてきた。



中止となった際の補償や避難誘導について聞かれたが、「天災なので大丈夫でしょう。誘導には十分スタッフを配置しています。」と上の空で答えた。




公演は無事終了した。



曲目や、演奏内容についての意見はあったが、地震への苦情はなかった。




僕は足早に、在来線の快速列車に滑り込みながら、ドアに寄りかかった。


街並みのネオンの光が流れ、流れて、十五分もすると、列車が薄闇の中に突っ込んだ。



薄く瞼を閉じると、新聞の擦れる音や、吊革の軋む音。イヤホンからシャカシャカと漏れる音が聞こえた。



静寂を求め、意識を内面へ内面へ集中させ、ふっと瞬間、この世で生きているのが自分だけのような錯覚に陥って、寂しいやら切ないやら、足裏が鈍い疲労感を伴って痺れた。





少し居眠りをした感覚があって、僕は田舎の町へ降り立った。





田んぼの中を、ゆっくりゆっくり加速しながら銀河鉄道が通り過ぎる。





湿った空気が鼻を突き、梅雨前の初夏を感じながら、見上げる空の星々はさわやかに澄んだ色で瞬いていた。



目を閉じて、宇宙の静寂を全身で感じようと、ゆったり、ゆったり畦道を歩いた。




美しい一瞬の光景を夢想し、僕は、あの地震の瞬間、迫り来る死を、甘美な陶酔の中、受け止めたのだと思った。




3月11日の大震災で、尊い命が一瞬で奪われ、日常は、非日常へと一瞬で様変わりした。



音楽そのものに力なんてない。


ただ、暗闇の中にいるひとが光を求めるように、無音の中にいるひとは必ず音を求める。



音に溢れた生活が日常の僕にとって、静寂は生理的な欲求だったのかもしれない。



被災地はまだ暗闇に静まりかえっている地域も多いだろう。




年末までに、少し希望の光が見えるのだろうか。



大晦日が近くなると、全国のホールでは第九の合唱が鳴り響く。



世界の終わりに聴く第九は美しい。


過ぎ去りし1年を走馬灯のように思い浮かべながら、ひとは再生への希望を抱く。




クラシックだけが希望にはなり得ないが、ひとは希望がなくては生きていけない。



恒星の最期の瞬間のように、希望は、失なわれかけてきた一瞬に閃光のように煌めき、美しく儚い切なさを持って胸を打つのかもしれない。






人間ってなんて複雑な生きものなんだろう。








そして、僕は今日、また命にひとつの区切りの数字を重ねた。



そんな、27歳の誕生日の夜。


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