婚約者がウザいですが、婚約者の姉が素敵すぎるので婚約者なんてどうでもいいです
世の中には「どうしてこうなった」と思いたくなるような理不尽な現象が山ほどある。
たとえば、目の前で偉そうに腕を組み、うざったい講釈を垂れている男――私の婚約者であるユリウス・アルフォード侯爵令息のことだ。
「はぁ・・・。アリシア、君は今日も今日とて、実につまらない装いをしているな。少しは姉上を見習ってみたらどうだ」
侯爵家の玄関で出迎えながら、開口一番、挨拶よりも先に文句を言ってくる。
私は深々とため息をつきそうになるのをなんとかこらえ、引きつりそうな笑顔を浮かべた。
「・・・お言葉ですがユリウス様。本日のドレスの仕立ては、先月あなたが『流行に乗れ』とおっしゃったものに合わせて新調したのですが」
「口答えをするな! 姉上ならそんな言い訳をせず、常に完璧な装いをしているぞ! どうして君はいつまで経っても姉上のように美しくなれないんだ?」
はいはい、出ました。本日三回目の「姉上」のお言葉。
ユリウスの口を開けば出てくるこのフレーズ。彼には二歳上に「理想の淑女」と謳われる姉、エレアノール・アルフォード様がいる。確かにエレアノール様は素晴らしいお方だ。国一番の美貌を誇り、教養も完璧で、次期皇太子妃に内定している高嶺の花。
だが、それをいちいち私と比較してけなしてくる婚約者は、控えめに言って激ウザである。
ちなみに、私――アリシア・メイコート子爵令嬢とユリウスが婚約した経緯は、実に下らない。
幼い頃、同派閥の貴族の子供たちが集まるお茶会があった。当時、二人の兄たちの後ろを雛鳥のようについて回り、兄たちから交互にお菓子を取り分けてもらって、無邪気に笑っていた私を、幼いユリウスが見かけて一目惚れしたらしい。
『お嫁さんにするなら、絶対アリシアがいい!』
そう言って大泣きしたユリウスのために、アルフォード侯爵家がうちの子爵家に働きかけて成立した婚約だったのだ。
・・・まあ、当の本人はその黒歴史を綺麗さっぱり忘れているらしいのだが。今や「親が決めたパッとしない子爵令嬢の婚約者」として、私に会うたび、けなしてくるのだから呆れた話だ。
普通なら、こんな理不尽な扱いを受けたら泣いて落胆するか、怒り狂って婚約破棄を申し出るだろう。
だが、私はまったく気にしていない。なぜなら――
「アリシア、いらっしゃい。今日も来てくれたのね」
ユリウスの説教を適当に聞き流して案内された侯爵家の応接室で、極上の微笑みを浮かべて私を迎えてくれたのは、まさにその「姉上」ことエレアノール様だった。
金糸のような美しい髪をなびかせ、透き通るような碧眼の彼女は、私を見るなりパッと表情を華やがせた。
「エレアノール様! お邪魔しております」
「ふん、姉上。この鈍くさい女に淑女のマナーというものを叩き込んでやってください。僕の婚約者として恥ずかしくないように」
ユリウスが偉そうに鼻を鳴らすが、エレアノール様は冷ややかな視線を一瞬だけ弟に向けた後、私に向き直ると優しく手を取ってくれた。
「アリシア、ユリウスの言うことなんて気にしなくていいのよ。そうだわ、新しく入った茶葉があるの。私の部屋で、二人でゆっくりお話ししましょう?」
「はい! 喜んでお供いたします!」
私はユリウスに一礼だけ残し、エレアノール様について行った。後ろでユリウスが「これから僕のお茶会なのに! アリシア、まだ話は終わっていないぞ!」と騒いでいたが、知ったことではない。
そう、私がユリウスのウザさに耐えられる・・・どころか、この婚約に感謝している唯一にして最大の理由とは?
それは、「ユリウスの婚約者」という立場のおかげで、憧れのエレアノール様と姉妹のように親しくできることだ!
エレアノール様は私を本当の妹のように可愛がってくださる。美味しい紅茶やお菓子をご一緒したり、流行の刺繍や最新の読書感想を語り合ったり、時には二人で観劇に行ったりと、まさに夢のような時間を過ごせるのだ。
・・・・・
ある日、エレアノール様のお部屋で刺繍の図案を見ていた時のこと。
「ねえ、アリシア。もし・・・もしもの話だけど。あなたがユリウスと別れるようなことがあったら、私についてきてくれる?」
エレアノール様が真剣な面持ちで私の手を握ってきた。
「え・・・?」
「私は近いうちに、皇太子妃として王宮へ入るわ。けれど、王宮は恐ろしい伏魔殿だわ。信頼できる味方が必要なの。・・・私は、あなたにずっと側にいてほしい。ユリウスの妻としてではなく、私の『一番の友人』として、そして『侍女』として、私を支えてくれないかしら?」
その時のエレアノール様の、少し不安そうな、でも切実な瞳。私の心臓はバックバクしてきた。
(え? それって、ユリウスっていうウザい障害物を排除して、エレアノール様とずっと一緒にいられるってこと!? そんなご褒美があっていいのかしら!?)
「はい・・・! エレアノール様がお望みなら、私はどこへでもお供いたします!」
私が即答すると、エレアノール様は本当に嬉しそうに、私をきつく抱きしめてくれた。極上の香りと柔らかさに、昇天しそう。
ユリウスなんて、本当にどうでもいい。私の未来は、エレアノール様と共にある!
そして、運命の日は、思っていたよりも早く訪れた。
・・・・・
季節は巡り、とある侯爵家が主催する盛大な夜会。
私は気の進まないながらも、婚約者であるユリウスに一応エスコートされて会場のホールへ足を踏み入れた。
今日のドレスも、ユリウスから「君にはセンスというものがないか!?」と注文をつけられまくった末に選んだものだ。
しかし、会場に入って間もないうちに、ユリウスはきょろきょろと周囲を見回し、私の方を振り向きもしないで手を離した。
「お、あいつらも来てたのか。おいアリシア、僕は友人たちと話があるから、ここで待ってろ。勝手に歩き回って、おかしな場所に入り込むなよ」
「あ・・・はい、分かりました」
ユリウスは私が返事をする間もなく、さっさと友人のグループへ行ってしまった。
エスコートの途中でパートナーを放置するなど、貴族のマナーとしては最悪だ。だが、いつものことなので私は特にショックも受けない。
とはいえ、一人で会場の真ん中に突っ立っているわけにもいかず、私は壁際へと移動して大人しく待つことにした。グラスに注がれた果実酒を一口含み、行き交う人たちの色とりどりの衣装を眺めて時間を潰す。
すると、混み合う会場の向こうから見覚えのある顔が近づいてきた。
「ん? アリシアじゃないか!」
「・・・え? レオナルド兄様!?」
そこにいたのは、私の5歳年上の従兄弟であるレオナルド兄様だった。母の姉の二番目の息子で、幼い頃はよく遊んでもらったお兄様たちの一人だ。
彼は数年前に隣国へ留学し、かの地で出会った子爵令嬢と意気投合して、そのまま向こうの家に婿入りしたのだ。
「やっぱりアリシアだ! 久しぶりだなあ! 元気にしてたか?」
レオナルド兄様は顔をほころばせると、私の頭を子供にするようにポンポンと優しく撫でてくれた。
「うん! すごく元気だよ。でも、レオナルド兄様がどうしてここに? 隣国から遊びに来たの?」
「実はさ、妻のミーシャの実家が営んでいる商会の仕事でね・・・扱っているのは美容品やアクセサリーなんだけど、それをこの国でも広めようと思って夫婦で来ているんだよ。ほら、ミーシャはあっちで、ご婦人方と隣国の美容法の話で盛り上がっているよ」
レオナルド兄様の視線の先を見ると、華やかな婦人たちの中で、ミーシャ義姉様がいきいきと楽しそうに談笑していた。
「まあ、ミーシャ義姉様、輝いているわね。レオナルド兄様は幸せ者だわ」
「あはは、あっちの輪には男の俺じゃ入れなくてね、ちょうど手持ち無沙汰だったんだよ。そうだ、アリシア。隣国で流行っている新しいデザインのアクセサリーをいくつか試作品で持ってきているんだ。後でアリシアが気に入ったのを一つ贈るよ」
「えっ!? 本当!? 嬉しい! レオナルド兄様、隣国のアクセサリー楽しみだわ!」
私が素直に喜んで笑顔を向けた、まさにその瞬間だった。
「おい!!! そこで何をやっているんだアリシア!!!」
割れんばかりの大声がホールに響き渡った。
ビクッと肩を揺らして振り返ると、顔を真っ赤に怒らせたユリウスが、肩を怒らせてこちらへ歩いてくるところだった。
周囲の貴族たちの視線が一斉に私たちに集まる。
「ユリウス様・・・? どうされたのですか、そんな大声を出して」
「どうされた、じゃない! 僕はほんの少し目を離しただけだぞ! それなのに、僕という婚約者がいながら他の男に愛想を振り撒き、あげくアクセサリーをねだっているのか!?」
「はい・・・?」
あまりの言い分に、私はポカンとしてしまった。
ユリウスは私とレオナルド兄様を交互に指さし、心底見下したような嫌な笑みを浮かべた。
「全く、君という女はどこまで浅ましいんだ! 姉上のような奥ゆかしさは欠片もなく、僕が目を離せばすぐに他の男に媚びを売る! 尻軽め! 君のようなふしだらで下品な女とは、到底結婚などできない! アルフォード侯爵家の名誉に関わる!」
彼はバシッと私を指さし、大音量で宣言した。
「アリシア・メイコート! 君との婚約は今この瞬間をもって破棄させてもらう!!!」
静まり返る夜会会場。
ユリウスは自分の「決断」に酔いしれているのか、胸を張ってドヤ顔を決めている。
私はめまいがするのを覚えつつ、はっきりとため息をついた。
「・・・あの、ユリウス様。大きな勘違いをされています」
「ハッ! 言い訳など聞き苦しいぞ!」
「言い訳ではありません。こちらのレオナルドは私の従兄弟です。数年前に隣国へ婿入りした母方の親戚です。以前、親戚の集まりであなたにも紹介したでしょう?」
「な・・・に?」
ユリウスの顔が一瞬固まる。
レオナルド兄様も呆れたように苦笑いを浮かべ、胸に手を当てて礼をした。
「お久しぶりです、アルフォード侯爵令息。アリシアの従兄弟のレオナルドです。本日は妻と一緒に商談でまいりまして、久しぶりに妹のように可愛いアリシアと再会して思い出話に花を咲かせていただけです。アクセサリーの話も、私の妻の家で扱っている商品の話です」
「くっ・・・ぐ、従兄弟だろうが何だろうが関係ない! 男と堂々と逢引きして、アクセサリーをねだっていた事実に変わりない! そもそも君のそういう浅ましい態度が不愉快なんだ! どちらにせよ婚約破棄だ! 以前から君のような冴えない女は嫌だったんだよ!」
以前会っていたことを忘れていた恥ずかしさを誤魔化すように、ユリウスはさらにギャーギャーと騒ぎ立てる。見苦しいことこの上ない。
私はもう完全に呆れ返っていた。
ああ、もういいや。
こんな奴のために今まで気を使って、文句を言われながらもドレスを選んで、我慢してきたのがアホらしくなってきた。
どうぞ勝手に破棄してください。せいせいするわ。
そう思って「分かりました」と口を開かけようとした――その時。
凛とした声が会場に響き渡った。
「まあ。そこまで言うのなら、本当に婚約破棄するのね? ユリウス」
人ごみがすっと割れ、そこから現れたのは――
眩いばかりのドレスを纏った、息をのむほど美しい侯爵令嬢。エレアノール様だった。
そしてその隣には、この国の第一王子にして彼女の婚約者であるオーランド皇太子殿下の姿もあった。
「姉上!殿下まで・・・!」
ユリウスが驚きに目を見張る。エレアノール様はゆっくりと私たちに近づくと、冷ややかな視線をユリウスに向けた。
「聞こえていましたわよ、ユリウス。エスコートした婚約者を放置しておいて、自分は友人たちと遊んでいた挙句、久しぶりに再会した親族と話していただけで『尻軽』などと暴言を吐き、公衆の面前で恥をかかせるなんて。アルフォード侯爵家の人間として、いいえ、一人の男として最低の立ち振る舞いだわ」
「なっ・・・! し、しかし姉上! こいつは日頃から慎みが足りなくて、姉上のような淑女とは程遠い出来損ないで――」
「私と比較するのはやめなさい!!アリシアには、アリシアの良いところがあるのよ」
エレアノール様の冷徹な声がホールに響いた。そのお顔は、いつもの「理想の淑女」の微笑みだけど、目が完全に凍てついている。
「アリシアがどれほど優しくて、どれほど控えめで、どれほど愛らしい令嬢か、私は誰よりも知っているの! あなたが会うたびに、理不尽な侮辱を言い続けていたことも、私はすべて、見かねた侍女たちから報告を受けているのよ!」
エレアノール様が、私をいたわるように優しく微笑み、私の両手をそっと包み込んでくれた。
「辛かったでしょう、アリシア。こんな愚弟の婚約者として、ずっと耐えてくれていたのね」
「エレアノール様・・・」
「いい機会だわ。ユリウス、あなたが今言った『婚約破棄』の言葉、取消は一切認めません。メイコート子爵家には、アルフォード侯爵家から正式に謝罪とユリウスの私財から慰謝料を支払いますわ」
「えっ!? あ、姉上、何を言って・・・! 慰謝料なんて、僕が被害者なのに――」
「お黙りなさい!」
ここで、今まで静かに見守っていたオーランド皇太子殿下が、クスリと笑いながら口を開いた。
「君は、幼い頃に自分がメイコート嬢に一目惚れし、泣き落としで婚約を取り付けたことを忘れたのかな? メイコート嬢は、君の度重なる無礼と暴言を、侯爵家への配慮から耐え忍んでくれていたのだぞ」
「え・・・? 僕が、一目惚れ・・・?」
ユリウスが愕然として目を見開く。どうやら、本当に記憶の遥か彼方に追いやっていたようだ。お馬鹿さんだわ。
エレアノール様はふっと満足そうに微笑むと、私の手をぎゅっと握り直した。
「アリシア、お待たせしてごめんなさいね。これで、やっと邪魔者が消えたわ。・・・さあ、私と一緒に、王宮へ行きましょう?」
「はいっ!!喜んでお供いたします、エレアノール様!!!」
私は満面の笑みで即答した。
「まあ! 嬉しいわ、アリシア!」
オーランド殿下も満足そうに頷いている。
こうして、私の「ウザい婚約者との日々」は、最高の形で幕を閉じた。
・・・・・
それから、一年が経ち、オーランド皇太子殿下と、エレアノール様の結婚式は、国中が沸き立つほどの盛大なものだった。エレアノール様は名実ともに「皇太子妃」となり、その美しさと聡明さで、国民から絶大な支持を得ている。
そして、私は――。
「アリシア、その書類はあちらの机に置いてちょうだい。それから、少し休憩にしましょう。甘いものが欲しいわ」
「かしこまりました、エレアノール様。本日のおやつは、料理長特製のメレンゲクッキーです」
「まあ! 嬉しい! あなたも一緒にいただきましょう!」
王宮の一角にある、皇太子妃の執務室。
私は今、エレアノール様の「筆頭侍女」兼「公式なご友人」として、毎日彼女のお側で働いている。
侍女としての仕事は忙しいけれど、大好きなエレアノール様を誰よりも近くで支え、美しさを愛で、こうして一緒にお茶を飲む時間は、何物にも代えがたい幸福だ。
「アリシア、本当にあなたが側にいてくれて良かったわ。あなたなしの生活なんて、もう考えられないもの」
エレアノール様が、クッキーを幸せそうに頬張りながら、私に最高の笑顔を向けてくれる。
「私もです、エレアノール様。私は、世界で一番幸せな侍女ですわ」
窓から差し込む、温かな午後の光の中。
私たちは顔を見合わせて、楽しそうに笑い合う。
ウザい婚約者が、私の人生にもたらした、唯一にして最大のプレゼント。
それは、この極上の「お姉様」との、幸せな未来だった。
補足
アリシアは少し脳筋の兄二人と両親に溺愛されて育った末娘です。毎回、会うたびにけなしてくる相手なんて、眼中にないです。
ちなみに、従兄弟も男ばかりなので、親戚一同に可愛がられています。




