払拭
「――じゃあ、行ってくる。今日も冷えるから、暖かくして寝るんだぞ」
「……もう、分かってるよ。いつも言ってるけど、子どもじゃないんだから」
「……いや、子どもだろ。あと、別に子どもだから言ってるわけじゃねえけどな」
それから、一ヶ月ほど経た宵の頃。
そう、くしゃくしゃと私の頭を撫でながら可笑しそうに微笑むエリス。そんな何気ない仕草に、無邪気な笑顔にドキッと胸が高鳴る。……むぅ、ずるいなぁほんと。
ともあれ、例によってお仕事のため部屋を出る彼をこうして見送っているわけで。未だ、何の仕事をしているのかは不明だけど……うん、何にせよ申し訳ない。と言うのも、私はほぼ何もしていない。経済面はもちろん、家事もほぼエリスがやってくれている。……あっ、一応言い訳しておくと、私とて何もする気がないわけじゃなく。でも、せめて生活費だけでもと渡そうとしても彼は断固として受け取らないし、ならば家事の方をと意気込むもいつの間にかほぼ終わらせちゃってるし。容姿端麗で温厚篤実、稼ぎもあり家事も出来る――うん、どう考えても引く手数多。……うん、ほんとになんで私なんかといてくれるんだろ。
「…………っ!! エリス!! …………あれ?」
パッと、目を覚ます。すると、朧な視界に映るは木組みの天井。……夢、か。うん、良かった。エリスがいなくなるなんて、考えるだけでも苦しくなるし。
徐に、視線を移す。見ると、窓の外から柔らかな陽が差し込んでいる。どうやら、もう朝のようで。
ゆっくりと身体を起こし、洗面所へと向かう。それからさっと顔を洗い、歯磨きを終え髪を梳く。さて、普段なら――とは言っても、エリスのいない日に関してだけど――普段なら、今か今かと部屋でエリスを待っているところなのだけれど……今日は、ちょっと外に出たい。何と言うか、さっきの夢の残像を払拭したくて。
「…………ふぅ」
それから、数十分経て。
澄んだ空気の中、ふっと息を吐き歩いていく。今更ながら、この時期の朝は気分がすっと爽やかになる。こんなことなら、普段から……それも、可能であればエリスと一緒に何時間でも散歩をしたいく――
「…………あ」
すると、ふと目に入ったのは一艘の船が浮かぶ小さな波止場。場所こそ違うものの、こういう風景を見るとどうしても脳裏に過ってしまう。誰が悪いわけでもないけど、折角の爽やかな心地が台無しになった気分で。
一応、例の仕事は続けている。頼りっきりのこの状況で説得力なんてないとは思うけど、それでも私だって何かしたい。今のところそんな様子はないけれど、もしもエリスが助けを求めてくれた時に応じられるよう自分でもこうして資金を貯めてはいるわけで。
とは言え、以前より頻度は落としてるけども。と言うのも、仕事をするのは彼にバレない時間――彼がまず間違いなく『例の場所』に来れないであろう時間と決めているから。……まあ、バレるも何も最初から知られてはいるのだけども……それでも、今もこんなことをしていると思われたくないのもあるし――何より、他の男性と『そういう行為をしているところ』なんて彼にだけは絶対に見られたくないから。……まあ、流石に心配ないとは思うけど。一応、船室内だし。
――さて、それはそれとして。
「……そろそろ、帰ろっかな」
数分歩みを勧めた後、ポツリと一人呟く。さっきの風景でちょっと気分が落ちてしまったこともあるし、エリスもそろそろ帰ってくる頃だと思う。待ちに待ちわびたエリスが。なので、先に戻って出迎え――
「………………え」
卒然、呼吸が止まる。視界には、黄色い屋根のたいそう立派な一軒家。ただ、そんなことはどうでもいい。問題は、たった今そこの扉から出てきた綺麗な男性――そして、その男性を笑顔で見送る見知らぬ女性で。止まった思考の中、震える唇でポツリと声を洩らす。
「…………エリ、ス……?」




