唯一の術
「……ありがとう、ございました」
ハラハラと雪の舞い降る、ある宵のこと。
軽く頭を下げそう告げるも、こちらを振り向くこともなく去っていく恰幅の良い男性。そんな彼の衣服は何とも華やか、そして腕や首には何とも派手なアクセサリーの数々。一方、私はところどころに解れの見える粗末な身形で。……うん、まだしも先ほどまでの――互いに一糸纏わぬ先ほどまでの方が、まだしも惨めにならずに済んだかも。
さて、そんな私がいるのは閑散とした波止場にポツリと浮かぶ廃れた船の一室。そんな雰囲気も何もない空間にて、この身一つを売ることでどうにか生き延びているわけで。
『……本当にごめんよ、ソフィ。こんなひもじい生活しかさせてあげられなくて』
『もう、それは言わないでって言ってるでしょ。お父さんが悪いわけじゃないんだし、それに私は今でも十分に幸せだから』
『……ソフィ……うん、ありがとう』
およそ五年前――11歳の、ある冬のこと。
言葉の通り、痛く申し訳なさそうに話す痩躯の男性。彼はアラン――数年前、私の母であり彼の妻であるアンナを病気で亡くし、今は男手一つで育ててくれている私の父で。
だけど、当然ながら父が悪いわけじゃない。幼心にもはっきりと――そして、娘の私まで嬉しくなるほどに父は本当に母を愛していた。なので、母を失った悲しみも一入――当時の精悍な彼は見る影もなく、今は随分と痩せ細ってしまって。
父自身、何度も死を――母の下に行きたいという感情に駆られたらしい。……まあ、そうだろうね。
それでも、その度に思い留まった。理由は、単純明快――現世に、私がいるから。私一人を置いて、何処にも旅立つわけにはいかなかったから。
そして、私は幸せだった。もちろん、母がいなくなったのは言葉に尽くせないほど悲しいし、どうか生き返らせてほしいなんて十字架にお祈りなんかして。
それでも、本当に幸せだった。何故なら――父が、愛情を注いでくれたから。母の分もと言わんばかりに、限りないほどの愛情を注いでくれたから。だから、お世辞にも裕福とは……いや、明け透けに言って貧しかったけど、私は十分に満たされていた。父の暖かな愛情に包まれ、嘘偽りなく幸せだった。だから、このまま――この日々が続けば良いと強く願った。
だけど、そんな願いは儚く消えた。最愛の女性を失った悲痛は癒えず、どころかきっと日を増すごとに鋭く父を苛み続け日に日に衰弱。そして、私のために無理して働いてくれていた身体はついに悲鳴をあげ――私が13歳を迎えほどなく、彼もまたこの世を去った。
『――ええ、親がいないのかい嬢ちゃん? だったら流石に雇えねえよ。悪いけど帰ってくれ』
『――うちも大変でねえ。孤児を使ってる余裕なんてないの。ほら、お客の邪魔になるから出ていってくんな』
それから、ほどなくして。
両親、親戚ともにいない――文字通り、独りきりの私は仕事を得るべく彷徨い歩いた。ベーカリー、機織り工場、その他諸々――兎にも角にも、手当たり次第に頭を下げてお願いした。どうか、使ってくださいと。
だけど、首を縦に振ってくれるところはただの一つもなかった。……まあ、そりゃそうだよね。もはやまるで身寄りのなく、ボロボロの服を纏った見るからにみすぼらしい子ども――どう贔屓目に見ても、採用するメリットを見つける方が難しい。
そして、とうとう万策……いや、そもそも策なんてなかったけど……ともあれ、もはやどうにもならないと完全に悟った13の冬――私は、生き延びるためこの身を汚す決意をした。




