数多の運命
エピソード0、いわゆるプロローグ
────夢を見た。
あの時から何も変わらない。何を願っても無意味な夢を願った。
────そうか。だから逃げ出した。
逃れた先で待っていたのは幸福。誰も見つけられない僕の世界。そんな楽園から、君は僕を連れ出した。
──────そのはずだった。
「……数多の運命、未知の楽園……」
「…………? おい惟兎、朝だぜ。起きないと」
ある学生寮、朝8時。17歳の少年、佐野惟兎がベットから目を覚ました。朝の集合礼拝の支度を急ぐ。
「それにしても……さっきの寝言」
服に着替えて顔を洗う。隣にいるのは佐野の同級生、柊碧。彼とは小さい頃からの仲で、良き友人だ。
「ん……何か言ってた? 寝言?」
「……まぁ、覚えてないなら……ちょいと急ぐか」
碧は顔を洗い終えると、部屋の灯りを消し始めた。
「あ……待って」
支度を終え寮部屋から出た2人は、急いで下の礼拝堂へと降りていく。
……ギギッ!
「……今日はやけに静かだね。"シスター"アイ」
礼拝堂はいつもと違い、静寂に包まれている。おかげで入口の扉を開ける音が、辺りによく響き渡る。
「……31秒遅刻。チッ、素数か。許す…………次からは気を付けろ。2度とこの場に近寄れなくしてや──」
部屋の隅にあるオルガンの影から、アイが顔を覗かせる。
「もう絶対に遅れません。マジで……」
「……全員揃ったな。今から礼拝を始める」
「と、言っても3人だけどね。相変わらず……やる意味あるの?」
3人の日課、礼拝。3年前にアイが始めた頃は、多い時は100人程いた。3人となった現在、司会も賛美も形にならない。
「今日はやけに静かだなら、いつもは外から……」
学校の校風にそぐわない礼拝堂。そこに通う3人を標的とする輩も少なく無い。しかしその邪魔者も、今朝は見えないようだ。
「え? シスター気付いてないの? 昨日の事件……」
佐野が表情一つ変えず、驚いた様子見せる。
「……何だ? 事件って?」
「……そうだ。僕達何気無く来て、シスターに会えたけど……この学校の奴ら────」
───それは昨夜、唐突に起きたことである。
いつもの様に、夕食を食べ終えた2人が寮に向かおうとしたところでいった。
…………バタっ!
「……おい? どうした惟兎? 急に……」
突如惟兎が倒れ、前を歩く碧の背中によれかかった。
「分かんない。体が勝手に……」
「……おぶってくから捕まれ。しっかりしろよ……」
碧が寮に着き、佐野を横に置いた、その時である。
「……数多の運命、未知の楽園……理の世界」
「…………どうした惟兎? 遂に頭おかしく───」
声を低くして何かを呟く佐野に、碧が声をかける。
「───惟兎? 違うな……私は猪狩。猪狩戒。こいうを奪いにきた」
「おい! ふざけてるなら──」
───佐野のソレでは無い。柊は恐怖で一歩も動けない。
「……ここも又、理の分岐点。いつか救い出す……そこから君を」
碧の方を向いて、佐野はそう言った。
「…………?」
戒はそう言うと、佐野の体ごとチリの様に消え去り始めた。
「……何で消えっ!? 何を連れて行くんだ! 何とか言えよ!」
碧は取り乱して佐野に触れようとした。しかし身体には触れられない。戒と共に、彼の姿が消えて行く。
「……消えた? いや……夢?」
そう思う柊の肩には、重いものが抱きついている。
「……? え?」
後ろを振り返り、蒼は驚いた。
「ねぇ……早く下ろしてよ……もう大丈夫だから」
生暖かい手が顔に触れる。振り返ると、消えた佐野がそこにいる。
「……? 何でこっちに!? だって……!」
「……何言ってるの? もういいから下ろし……」
……ドサッ!
驚きと焦りで、碧は肩の力が抜けてしまった。
(……本当に夢? 何だ一体……)
「……夢? 僕も同じ……」
「……!?」
(言葉に発して無かった……筈の、俺の声……)
「え? だって聞こえてる……あ、本当だね」
「……お前、何か覚えてる?」
「……覚えてるって?」
「その……何か無かった? 異変みたいな」
少し考えた後、何かを思い出した佐野は答えた。
「確か倒れた時、変な声が聞こえて……周りから、碧以外いなくなった……夢?」
「……? いやそれって……」
柊は少々戸惑った。同時に寒気が走る。
「……消えた? 人が?」
「……うん。そういう事になるね」
(……それなら俺の夢は一体?)
「……さっきから言ってる夢ってなに?」
「あぁ……お前と違って、お前が消える夢」
「…………?」
「まぁいいんだけど……何で心の声が分かる?」
「……知らない。でも分かる……何でだろう?」
「……まぁいいとして、消えたって…………」
「…………多分ね」
「─────そんでシスターはここにいるって訳」
「……取り敢えず、この学校には誰もいない、と?」
「あぁ……昨日俺たちで確かめた」
「そんな異世界じゃあるまいし…………そう言えば惟兎は?」
「……………………あれ? いないな」
──なるほど、君はあくまで『現実』を望むのか。これが佐野惟兎。
僕が碧に見せた夢は全部『創り話』。彼を僕の世界に巻き込むと厄介になる。
シスター"アイ"……彼女もまた同じ。決して僕の邪魔などさせない。
奴等の世界の佐野惟兎は、偽物。私が創り出した彼に瓜二つの操り人形……あとは削除し、全て計画通り……
──そのはずだった。佐野惟兎、どこへ行ったのだ。
君は自分の運命から逃れたら。自分の生きる世界を書き換えてまで、僕から逃れたいのか? だから、僕がいない世界へと行ったのか。
───そんな『理の世界』などある筈ない。
『未知の楽園』から逃れようとする羊が後一匹。見せて貰おう。君達の辿る道を。