最終話 ヒロインと悪役令嬢は手を組む
ローゼリテは眼を開けた。
何か強烈なめまいがして、自分がほかのどこかに飛ばされ、グルグルと回され続けた気がしたが、気のせいだったのだろうか。
少なくとも今自分は、ミアンナの前に立ち、返答をじっと待っている。
「できない」
ローゼリテは頷いた。そう、自分の言葉にはミアンナはそう反応するだろうと思った。
なぜかそれを冷静に受け止めることができ、そして次の手を考えられていた。
「そうね、私の言葉なら、でも、これを読んでみて」
ローゼリテがエルフに紙を渡した。
エルフは素早く目を通し「お読みになってください、主」と手渡した。
そこに描かれていたのは、領民たちの嘆きの声だった。
『開発をおやめください、ミアンナ様』
『ワシらの家畜は鉱山から流れた水を飲んで、死んじまったり奇形になったりしましたんじゃ』
『知り合いの赤ん坊の指が足りなかったんで母親は嘆いております』
『農作物もとれんようになったり、奇形ができてお納めすることも、売り物にもなりませんのじゃ』
紙を握り締めていたミアンナから、声にならないうめき声が漏れた。
言うべきことは言った。あとは、ミアンナ次第だ。
ミアンナは長い間動かなかった。怒りの表情が、苦悶に変わり、絶望に変わり、そして悲しみに変わっていく。
「あぁ・・・・私は・・・・なんてことを」
ミアンナから懺悔の言葉が漏れ出たのを聞いたローゼリテは聞き違えかと思った。
「皆がそんな風に思っていたなんて・・・・苦しんでいたなんて・・・・全然わからなかった」
ファウスト伯爵家の娘は、がらんどうの人形のようなうつろな眼をしていた。
「私がしてきたこと・・・みんな間違っていたんだ・・・・」
「違うわ」
「悔しい・・・悔しい・・・・私は前世からそうだった。結局ダメな、ダメな人間なんだ・・・・」
「違う!!」
ローゼリテは叫んだ。ミアンナがびくりと身を震わせた。
「貴女はダメな人間じゃない!貴女は逃げ出さなかった!抵当を回避すべき貴女なりに努力して・・・・私なんかより、ずっと、ずっと、立派だわ!」
ミアンナは首を横に振っていた。駄々っ子のように振っていた。
「嫌だ・・・嫌だ・・・いやだ・・・・」
幼児のように震える手をローゼリテはつかんでいた。手は冷たく震えていた。
そういえば、とローゼリテは思い出す。
ミアンナの母親も早くに亡くなっていたのだ。
ミアンナも自分同様、一人で、一人きりでずっと過ごしていたのに。
どうして今まで気づかなかったのだろう。
ローゼリテはミアンナを抱きしめた。引っかかれ、叩かれようとも強く強く抱きしめた。
「私が悪かったんだ・・・ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・・ごめんね!!ごめんね!!」
ミアンナは臆面もなく泣きじゃくっていた。ローゼリテはミアンナを抱きしめながら声を上げて号泣していた。
城の外で微笑を浮かべていた女性はニ度三度、指を鳴らした。
ファウスト伯爵領内に侵入しようとしていた者たちは忽然と姿を消したが、それを目撃した者はいなかった。
数日後――。
「では、鉱山開発は中止すると?」
「はい。私が間違っていました。正確には父が、ですけれど」
「父上については気の毒でしたな。落盤事故にあったとは」
ミアンナは商館を訪れて、例の太鼓腹の商人と話をしていた。
ローゼリテが来る少し前に起こった鉱山の落盤事故。
視察に訪れていたファウスト伯爵が鉱山の落盤事故に巻き込まれ、その遺体が鉱山の落盤現場から掘り出されたのは事故の数日後だった。
鉱物の影響により、伯爵の遺体は半ば結晶化し、半ば異形のものになりかけていたという。
変わり果てた伯爵の姿は、悲しみよりも恐怖の対象となった。
葬儀は早々に終わり、棺は墓地に埋められたが、実は伯爵の遺体は埋葬されることなく、ひそかに火葬されていた。
鉱物の影響を恐れたミアンナの命令だった。
「仕方がありません。抵当実行を回避すべく、私が頑張らざるを得ませんから」
ミアンナは疲れ切った顔でほほ笑んだ。けれど、どこか吹っ切れた様子だった。
「何かいいことがおありだったのですかな?」
「いいえ、あぁ、でも、長年私をむしばんでいたしこりはなくなりましたの」
「それはよかったですな」
「いいえ、これからです。民のことを考え、汚染によって奪われた暮らしの回復に努めなければなりません。ですが、このままでは破産で終わるだけです。いろいろと案もあります。どうか、発展にご協力ください」
「私はここを離れます。投機の対象になりませんからな」
「そうですか・・・・」
にべもない返答に沈黙したミアンナだったが、すぐに顔を上げた。
「わかりましたわ。それでは別の方法を考えるだけです」
「なるほど、どうやら本当に貴女のしこりはなくなったようですな。私はここを離れますが、代わりのものを派遣しましょう」
「え?」
「例の風光明媚な場所に建てる旅館の案、なかなか良いものと思います。それについて話を進めるのはいかがでしょうな」
「よいのですか?」
「貴女の案が儲け話としてはまずますと思ったまで。ただし、まだまだ私自身が手をだす気にはなれませんが。私の気が変わらぬうちに話を進めたほうが良いかと思いますぞ。商人相手に情は禁物です」
「ありがとう!」
「最後に一つ」
「なんでしょうか?」
「その痣はどうされたのですか?」
ミアンナの顔や腕には、そこら中にひどいひっかき傷や痣がついていた。
「先ほど申し上げたしこりを取るためにやったことです、とだけ申し上げておきますわ」
太鼓腹の商人はフフフと笑った。
打ち合わせはまた後日ということで話はひとまず終わり、礼を何度も述べた後、ロレーヌを伴ったミアンナは商館を去った。
ミアンナが去ってしばらくすると、アンジェが尋ねてきた。太鼓腹の商人ではなく、シャロンに、である。
「閣下、よろしいのですか?」
「彼らを生かしたこと?いいえ、アンジェ、実際には彼らは死んでいるわ。正確にはファウスト伯爵領ごと一度丸々消滅したのだけれど」
「存じ上げていますが、私が伺いたかったのは、死んだことを既定の事実として固定化しなくともよろしいのですか、ということです」
「人間の可能性は無限にあるわ。これだけは私が及ばないところよ」
シャロンは微笑した。
「数ある選択肢の中から、彼女たち・・・いいえ、正確にはローゼリテが最適化を願い、ミアンナがそれに応えることができた。そして分相応の路線へと舵をきることを決意した。だから私は殺しはしないわ」
「閣下が生存をお認めになるのは、対象者にやり直せる可能性がある限りは、ですか?」
「いいえ、私の気がすむかどうか、それ次第よ。さて、次の案件に移らなくては」
もっとも、とシャロンは嗤う。
仮に自分の気に入らない方向に舵をきった瞬間に、自分はいつでも舞い戻ってくる、と。
ククク・・・・とこらえきれない笑みがシャロンの口から漏れ出た。
* * * * *
「おいおいどうした二人とも、そのアザやひっかき傷は?仲良く城に泊まっていたんじゃなかったのか?ネズミにでも襲われたのか?」
「ちょっと仲良くしすぎてこうなったのよ」
ローゼリテを迎えに来たギィに問われ、ミアンナがすまし顔で言う。その隣に立つローゼリテが笑ったので、ギィは今度はエルフを見た。
「私は何も存じ上げませんので」
エルフは無表情に脇を向いた。
「そうかい。ま、ご本人たちがいいならいいんだが、さてと、ローゼリテ帰るぞ。リューク、フィアンカの奴らが心配しているからな」
「はい」
「しかしなぁ、その顔、何とかならんのか?関所でひっかかるぞ。鏡を見てみろ、顔を。ひどい顔だぞ」
「あぁ、ええ・・・」
「少し待ってくれるなら何とかなるわよ。これ、塗ってみるといいわ」
ミアンナが小瓶を差し出した。そして自ら小瓶の中身を手のひらに少しあけると、顔や手に塗りたくった。
傷が見る見るうちに消えていく。
ローゼリテはお礼を言って、小瓶を受け取り、手のひらに出した薬を自分に塗りたくった。
「ま、何とかましにはなったかな」
ギィがつぶやく。ローゼリテは小瓶をミアンナに返した。
「これからどうするの?」
「昨日も話したけれど、静かに子供の本やおもちゃを作ろうと思うの。もう迷惑はかけないわ」
「あぁ、そうだったわね」
言いたいそぶりを見せているミアンナがそれ以上何も言わず口を閉ざしたので、ローゼリテは首を傾げた。
「主、何も言わないのはよくありませんよ。後悔します」
「わかっているわよ、あんなに昨日派手にやったのは、過去を全部忘れるためだったんだから。ええと、ローゼリテ、その・・・・」
ミアンナは息を吸って、口早に言った。
「私だけじゃ、この先やっていけないと思うの。父親もお母様もいなくなったし。家族は、その、アンタだけだから・・・・その・・・・私とここで暮らしてほしいな、なんて」
「あ・・・・・」
てっきりこれからも手紙のやり取りをしましょうくらいに思っていたローゼリテは意外な申し出に顔を赤くした。
「・・・・いいの?」
「いいの。というか、父親が死んで後継者についてはまだ正式に決まっていないし。別にアンタがやってもいいのよ」
「私には無理よ。貴女みたいな才能はないし」
「なら、私を助けてよ。そばにいるだけでいい・・・・一人はもう嫌なんだから」
「・・・・・・・」
「それに、見捨てたら恨むわよ。私だけじゃなくて領民たちも。抵当回避しないと、どこの手ひどい人間にこの土地が取られるかもしれないのよ。アンタあの時散々私を責め立てたわね。そう言っておいて、今度は自分だけ逃げ延びるつもり?」
「そんなことはしないわ!」
「じゃあ決まりね」
ミアンナがにっと笑った。つられてローゼリテも笑った。声をあげて笑ったことなどずっとなかったことだった。
「恩人にお別れを言ってから戻ってきてもいい?」
「リュークさん、フィアンカさんね。私からもお礼を言いたいわ。落ち着いたら城に招待したいものね」
「ありがとう」
「おうい、待て待て、さっきから話が盛り上がっているところ悪いんだが、俺の給金は?報酬は?」
ギィが声を上げた。
「え?」
「ここまでの護衛代だ。ローゼリテに払ってもらうってんで約束したんだが」
「ローゼリテが恩人に別れを言って、ここに戻ってきたら払うわ」
「俺、リューク、フィアンカ夫婦のベビーシッターなんだが。二人に悪い。これ以上留守にはできねえからな」
「ローゼリテを護衛して戻ってきてくれたら、これをあげるわよ」
ミアンナが指から指輪の一つを抜き取った。見事な青く輝く宝石が輝いている。
「あいつらがいいと言ってくれるんなら考えるか」
ボソッと漏らした言葉に2人は笑った。ロレーヌでさえも声を出さずに笑っていた。