第四話 ヒロインは街を発展させるべく動き回る
ファウスト伯爵家のミアンナという名前は最近周辺の町や村に知れ渡っている。
ローゼリテが追放されてから半年が経過し、ファウスト伯爵領地は活況を呈していた。
「すごい熱気ね。少し前までは店も数えるほどしかなかったのに、あんなに列をなして露店ができているわ。それに、人、人、人。こんなに袖すりあうくらいに人がくるなんて」
「ええ、これは皆地方からここに出稼ぎに来ている者ばかりです」
少し前までは泥道だったところに石畳が敷かれ、魔法灯がつくようになった。
職人たちをイーシュが紹介してくれたのだ。
当然、町の開発や発展には莫大な金がかかる。
新たな借金を作ることにファウスト伯爵は躊躇したが「これも領地にお金を落としてもらうための投資なのです」とミアンナが説得し、開発に踏み切った。
滑り出しにはだいぶ苦労をしたが、その結果がこの人の多さである。
税収もけた違いになった。
ファウスト伯爵はご満悦で、自ら度々鉱山や街に視察するようになった。城に引きこもっていた時とはえらい違いである。
ごった返す人波をかき分けるようにして、ミアンナの乗った馬車は進んでいく。
ミアンナは護衛のエルフに興奮を隠せないように話しかけた。対してエルフは静かに答える。
「ロレーヌはいつも静かね」
「私どもにとっては喧騒は騒音以外の何物でもありませんので」
「ごめんなさいね、そんなところに連れ出してしまって」
「いいえ、仕事ですので。主の向かうところにはお供させていただきます」
ミアンナの向かいに座り、絹のような緑の髪に時折手をやりながら、外を見ているロレーヌは魔法の扱いや弓に長けているエルフで、ランクも上級に位置する。
気のないような、それでいて射るような細い緑の眼であたりを見回している。
少し前までは見ることも雇うこともかなわなかった人材である。
「人々が競い合って採掘している、ここの鉱物について主はご存じでいらっしゃいますか?」
唐突にロレーヌがミアンナに尋ねた。
「希少価値の高い鉱物のこと?」
「あぁ、そのようにお考えですか」
「え?」
何かまずいことを言ったのか、とミアンナが反芻しかけたが、エルフはそれ以上話をする気のない様子で、外を向いてしまった。
「何か気になることでもあるの?」
「いいえ、何でも・・・いえ、一つご忠告を差し上げますと、あまり一つの側面から物事をご覧になるのはよろしくありません」
「どういうこと?」
ミアンナが言いかけた時、馬車が振動した。目的地に着いたらしい。
「今日はここで商談をすることになっているの。ファウスト伯領内には風光明媚な場所があるから、それを生かし、旅館を呼び込むことができればもっと税収はあがるわ」
「そうですか」
気のない返事に鼻白んだミアンナは、それ以上何も言わずに馬車を降りた。
目の前に立派な3階建ての商館がある。最近完成したばかりだ。
周りを見回すと、新しい建物が急ピッチで建造されている光景がいくつもある。
「少し前までは考えられなかった光景よね。ほんと転生前の知識があってよかった」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、何でもないわ、行きましょう」
主の使用人たちの出迎えに応えながら、ミアンナとエルフは建物に入っていった。
「これはこれは、このようなところにお越しくださり、誠にありがとうございます」
太った太鼓腹のひげ面の商人は、ミアンナを見ると相好を崩した。
香りの高い茶が運ばれ、主人自らミアンナにふるまった。白い茶器やカップは汚れ一つない綺麗なもので、お茶請けとして並べられたお菓子もめったに手に入らないものだ。
「わざわざ時間を作ってくださりありがとう。随分な熱の入れようですわね」
「中央商会も新発見の鉱物については、注目しておりますとも。発展開発を中央商会にお任せくださったこと、誠に感謝しています。売り上げの2割を税金として納めても十分なおつりがあります。それで本日はどのようなご用件ですかな?」
ミアンナは携えてきた紙片を取り出した。説明を織り交ぜながら指をさしていくと、商人の顔がますますにこやかになる。
「ほほう・・・これはこれは、確かに風光明媚な場所があるとは存じ上げておりましたが、そこに旅館を立てて誘致するとは」
「ええ、長年続いた戦争で皆が疲れ切っております。今までは、旅は必要に迫られてやむを得ず行うものでした。けれど、これからの平和な時代、あえて好き好んで旅をすることが趣味流行になると考えましたの。であれば、その先駆けをファウスト伯爵領で行ってもいいのではないかと」
「なるほどですな。傷によく聞く鉱泉、景色の良い場所に宿を作る、ですか」
「これがその設計案です。どうかそれをお読みになってご検討いただけますと幸いですわ」
「いつもながらありがとうございます」
商人は丁重に書類を受け取った。
「しかしながら、ミアンナ様の才能にはほれぼれ致しますな。願わくば中央商会にお務めていただいて金のなる・・・あ、いやいや、有益な案を出していただければ助かります」
「たまたまですわ」
「いやいや、しかしながら、どうでしょうかな、生活が変わるというのはなかなか大変なことではありませんかな?」
ミアンナは首を傾げた。この商人に自分の境遇を話したことはないのだが。
「ええ、まぁ」
「あ、いやいや、これは失礼を。ミアンナ様のことではございません。どのような人でも自分がそれまで営んできた生活が一変するとなると大変な心労を伴いますからな、という意味です」
「ええ」
どうやって商人がこちらの境遇をつかんだのか、それを知らなくてはならない、うかつには信用できないとミアンナは思った。
ミアンナが暇を告げて立ち上がると、背後の壁際に控えていたエルフが音もなく近寄った。
「では、お願いしますわ」
「どうかお気を付けてお帰りください」
ミアンナがエルフを伴って退出し、扉が閉まった。
ややしばらくすると、馬のいななき、ついで、馬車がガラゴロとたち去っていく音が聞こえ、静かになった。
「さて、どうしたものかしらね」
ミアンナが帰った後、主の様相は一変していた。太った太鼓腹のひげ面の商人は消え失せ、赤いふちの眼鏡をかけた女性になっていたのだ。
皿を下げに来た使用人たちも心得ているらしく、それを見ても何も言わない。
「閣下、失礼します」
アンジェが部屋に入ってきた。
使用人たちが音もなく、二人に新しい茶を置いて立ち去った。
「閣下、街で聞き込みを行い、反対派の意見を集めて回りました」
「それで?」
「元の生活が恋しいと訴える者が続出しております」
フフフ、と女性が笑った。
「そうでしょうね。鉱山から垂れ流す汚水、採掘に伴いやってきた素行がよくない者と住民の間でのトラブル。子息たちが目がくらみ採掘に出かけてしまったことによる農地の荒廃・・・・あの転生者は、誘致の前に住民たちから意見を聴取したのかしら?」
「何も・・・・自分の一存で決めた模様です」
「でしょうね。私がそれとなく意見しても通じなかったくらいの凡庸さ。鈍感さ。あきれてものも言えないわ」
そう言いながらも、女性は嬉しくて仕方がない様子だ。
「アンジェ、ローゼリテはどうしているかしら?」
「自らの転生前の知識を生かし、幼児たちの玩具を作り、恩人の子育てを行っています」
「玩具とは?」
「絵本や絵の道具、ゆりかご等の入眠補助具、野外で自然とともに遊ぶ遊具です」
アンジェは手を一振りすると、宙に具体的なイメージ画像が描き出された。
「なるほど、自らの知識を生かしつつも、秩序を破壊しない程度には、わきまえているようね」
「そのようです」
「ならば私の方針は決まったわ」
女性がほほ笑んだ。配役はきまった。あとはシナリオをどのようにして描いていくか、どのように破滅に持ち込むのかを考えればよい。
すぐにできるものではないが、女性は気にしていない。
その過程こそが自分にはたまらなく面白く、快楽そのものなのだから。
「さて、どうしたものかしらね」
再びそうつぶやいた女性の微笑が濃くなった。