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第三話 悪役令嬢はこれからの身の振り方を考える

「ローゼリテさん、ここは、こうです。針に糸を通したら、すっすっと布の縁をかがんでください」

「か、がむ?」

「あぁ、こうやって布地を糸で巻き込むようにしてチックン縫い縫いしてもらえればいいんです。そうすれば、ほつれないんです」


 フィアンカに教えてもらいながら、ローゼリテは慣れない手つきで針に糸をとおし、縫物を教わっていた。

 助けられて数日がたった。

 リューク、フィアンカ夫妻に助けられたローゼリテは居候をさせてもらっている。

 何かお礼がしたいと伝えたら、破れた着物の繕いを手伝ってもらえますかと言われたので、やってみたが難しい。

 料理も手伝ってみたが自分の手を傷つけてしまうし、洗濯物だけはうまく干せたが、たたむのは苦手だし、どうもローゼリテにとって、家事全般は得意分野ではないらしい。

 フィアンカの娘二人は、夫のリュークと外に遊びに行っている。


「フィアンカさん大変ですね。全部自分たちでやらなくちゃならないだなんて」


 そう言ったローゼリテははっとなった。

 なぜこんなことをしゃべってしまったのだろう。


「やらなくちゃならないってことはローゼリテさんはもしかしなくても偉いお生まれですか?ドレスが高そうなものを着ていましたし」


 やっかみやひがみもなく、本当に純粋な質問だったことにローゼリテはほっとした。

 記憶は相変わらず欠落しているが、手先のぎこちなさからこんな作業をやらなくてもよい家に生まれたのは何となくわかっていた。

 それがうっかりとつい自然に口に出してしまったのだ。


「わかりませんけれど、たぶんそうだったのかもしれません」

「おきれいですものね」


 フィアンカはローゼリテをまじまじと見た。

 意志の強そうな茶色の眼。整った目鼻立ち。背中に届くワインレッドの赤い髪はこまめに手入れをしていたらしく、まだ輝かしい。


「フィアンカさんだって綺麗ですよ」

「私の場合はほんわかぼんやりって言われるんです」


 それを聞いたローゼリテは笑った。ほんわかぼんやりと言っても子供たちに対するしかり方やリュークに対する接し方を見ていると、この家の一番のしっかり者は奥さんらしい。

 けれど、リュークとフィアンカはとてもお互いを信頼しあっているし、子供たちを本当にかわいがっている。

 リュークはギルドのその日の単発の仕事を請け負う魔法使い、フィアンカは治癒術師ではあるものの、主な仕事はギルドの受付をやっているのだとローゼリテは聞かされた。

 


「たいま~~!」

「ただいま~」


 リュークと娘二人が帰ってきた。リノアはいつものように無言で入ってくる。リューク、フィアンカによると、ゆっくりちゃんなので、まだ満足に言葉が話せないのだそうだ。


「おかえり」

「おかえりなさい」

「ま~ま、たいま~!ね~ね!たいま~!」


 リーシャがローゼリテに両手を広げて駆け寄ってくる。

 リノアも無言だが、後ろからローゼリテにぎゅうっと抱き着いてくる。


「あらら、今日はお姉ちゃんの気分なのね、ごめんなさいローゼリテさん」

「いいえ、嬉しいです」


 リーシャとリノアとを抱きとめながら、こんな素敵な家庭が自分にもあればいいな、とローゼリテは心から思った。



* * * * *


 その晩。

 子供の泣き声と合間の咳の音でローゼリテは目が覚めた。

 居間の隅にしつらえられたベッド(リューク・フィアンカ夫妻が事情を話したら、ベビーシッターのギィさんが、ぼやきながら作ってくれたものだった)から起き上がって上を見上げる。

 暗くても月の光でわかる。泣きわめいているのはリーシャだ。それを懸命に抱っこしてあやす夫婦の姿があった。

 

 階段を上がっていくと、リュークが頭を下げた。


「起こしてしまいましたか、ごめんなさい」

「気にしないで下さい。どうしましたか?」

「リーシャが熱を出したみたいで・・・それにすごい咳を出すんです。フィアンカちゃんの治癒術でもなおらなくて」


 ローゼリテはリーシャの顔を見た。

 明らかに赤く、苦しそうに咳を出し続けている。それが嫌なのか泣くのをやめない。

 そんな中スヤスヤと眠っているリノアは大物だとローゼリテは思った。


「ローゼリテさんは寝ていてください」

「いいえ、目が覚めていましたし、なんでしたら何かお手伝いできますか?抱っこしてますよ。フィアンカさん、明日も仕事なのでしょう?」

「ありがとう・・・。でも、明日は休もうと思います」


 フィアンカの目が赤い。心配で眠れないのだろう。


「皆起きているともたない。交代交代でリーシャを抱っこしよう。ローゼリテさん、申し訳ないですが、寝るときは僕たちのベッドを使ってください」


 リュークが言った。そして、リーシャを抱っこすると、下に連れて行った。

 リューク、フィアンカ、ローゼリテは交代でリーシャを抱っこし、あやし続けた。


 ローゼリテにとって、その晩はとてつもなく長く感じた。

 なかなか明けない夜。

 フィアンカが懸命に治癒術をかけると、リーシャもウトウトはする。

 ウトウトはするが、咳が出ると起きて泣きわめく。

 その繰り返しだった。


 夜が明けたが、リーシャの具合はよくならない。

 リュークが朝一番でリーシャを街の医者に連れて行った。

 街は遠く離れているのだが、足が速くなる移動魔法を使って移動時間を短縮できるそうだ。

 フィアンカもローゼリテも家事どころではなく、二人してぼんやり過ごしていた。


「こえ、かっき~できた」

「リノアじょ~ずだね」


 リノアが葉っぱに塗料で大きな動物を描いたのを見て、フィアンカがほめる。けれど、心ここにあらずと言った様子だった。


「リノアちゃん、お姉ちゃんとカキカキする?」


 ローゼリテがリノアを自分の膝に座らせ、塗料を取ってリノアに渡してやる。

 ローゼリテも一緒に花や木を描くが、集中できない。

 フィアンカにかける言葉が見つからない。

 今、自分にできることはリノアの相手をすることだけだった。


 午後、リュークは悄然として戻ってきた。泣きわめくリーシャをあやしながら疲れた様子で家に入ってきた。


「どうだった?」


 フィアンカがせき込むように尋ねた。


「今流行りの風土の汚染による病だって。かからない人はかからないけれど、ある種の魔力に敏感な人間はかかってしまうんだって。この病気、高いアセラス薬がないと治らないっていうんだ・・・・・」

「アセラス薬・・・・。ためていたお金で何とかならないかな」

「・・・・買えないよ。メルバ金貨10枚だって。とても足りない」

「メルバ金貨10枚・・・・・・・」

「その薬がないと、リーシャ、数日の命だって・・・・」


 リーシャを居間に敷いた布におろしたリュークの背中が震えていた。

 フィアンカが絶句した。そして両手で顔を覆ってしまった。

 ローゼリテは手で口を覆った。悲鳴が出ないようにするのがやっとだった。


「くそ・・・俺たちの世界での医療なら抗生物質くらい安く手に入るのにっ・・・・!!なんでだよ・・・・神様・・・・なんでだよ・・・・」


 リュークがやるせないように叫んだ。


「あれは税金で負担しているだけだからリューク君。この世界だから仕方がないよ・・・・」


 両手の間から、かすれた声でフィアンカが言う。リュークのほうは耳に入らないようだ。しきりにリーシャをあやしながらもどかしそうに部屋を行ったり来たりしている。

 フィアンカはじっとテーブルに肘を載せて頭を支えている。

 ローゼリテは身もだえし、叫びたい気持ちだった。こんな時に自分は何と役立たずだろう。ギィがいたら何か意見を言ったかもしれないが、悪いことに、昨日今日は休みをとって所用で出かけてしまっていた。


「俺、もう一度行って何とか分割払いで買えないか頭下げて頼んでくる!」


 どのくらいそうしていただろうか、いつの間にか歩き回るのをやめていたリュークがきっぱりと言った。


「ダメだったら報酬のいい仕事探してくる」

「でも、急にいい仕事なんてないよ・・・・分割払いでできるかどうかもわからないし。街のお医者さんお金がない人には冷たいし・・・・」

「でもやらないとリーシャが助からない!何でもできることはしないと!」

 

 どうしよう、どうしよう。

 ローゼリテは震えを隠すのに懸命だった。何か役に立ちたい!日頃自分は何一つできていないのに!

 でも、何ができるだろう。役立たずの自分に。何が・・・・。

 どうしようもなく髪をかき乱したくなって、ワインレッドの髪に手が触れたとき、ローゼリテは決心した。

 こんな自分にもやれることが、一つだけあった。


「リュークさん、待ってください」


 ひょいと髪を片手で束ねるようにつかんで持ち上げると、テーブルにあったナイフをつかんで、すっすっと髪にナイフを入れる。

 

「ロ、ロロ、ローゼリテさん!?」


 リュークの叫びで顔を上げたフィアンカが声にならない悲鳴を上げた。

 ローゼリテは切り払った髪を持つと、頭をニ度三度横に振り払った。


「すっきりしました」

「髪が、ど、どうして!?」


 リューク・フィアンカ夫妻はあっけにとられている。


「これ、お金にしてください。髪、女性の鬘にできるので貴重なんです。自分で言うのも恥ずかしいけれど、私の髪は他の人よりも綺麗だし、街の鬘屋に持っていけばきっと高く買ってくれます」

『ですが・・!!』

「私は役立たずですけれど、でも、あなた方の子供たちがかわいくてかわいくて仕方がありません。あんなに高い熱を出して・・・このままでは死んでしまいます。早く薬を買ってきて飲ませてください」

『でも・・・・・』

「私には必要のないものです。長すぎます。さっぱりしてちょうどよかったです」

『・・・・・・・』


 切っちゃったものは元に戻せませんから早く早く、とローゼリテは手早く髪を布に包んでリュークを促した。

 目に涙を浮かべたリュークは何度も礼を言い、頭を下げながら出て行った。


「ご、ごめんなさい、ローゼリテさん、本当にごめんなさい・・・・ごめんなさいっ・・・・!!」

「大丈夫です。リュークさんは間に合います。リーシャちゃんはきっと助かります」


 涙をポロポロ流して泣きじゃくるフィアンカの手を取ったローゼリテは何度も励ますように言った。

 そうしているうちに、ひとつ沸き起こってきた疑問がある。

 

(そういえば、リュークさんとフィアンカさんは何か妙なことを言っていたような・・・・?)


 それに思考の歩みが行きついた時、何かがパチリとローゼリテの脳裏ではじけた。 


(私は・・・そうだ・・・転生者だった。でも、今までどこにいたのかは思い出せない・・・・)


* * * * *


 リーシャの熱は4日ほど続いたが、下がり始め、順調に回復していった。

 何とか手に入ったアセラス薬の効き目は抜群で、みるみる顔色がよくなったのを見たリューク、フィアンカ夫妻はほっとした顔になった。


「なんとまぁ、物好きな人もいたもんだ」


 と、後から話を聞いたギィがそうつぶやいたが、ローゼリテは気にしなかった。リーシャが助かったのだ。自分の役立たずの髪など些細なものだ。


「ローゼリテさん、本当にありがとうございました。なんとお礼を言っていいか・・・」

「お礼なんて、私は何もしていません」

「いいえ、ローゼリテさんがいなかったらリーシャは助かりませんでした。あなたは命の恩人です」


 リューク、フィアンカ夫妻は何度もお礼を述べた。


「これ、ごめんなさい・・・・あまりお金が余らなくて、後、僕たちも持ち合わせがあまりなくて、こんんなものしか・・・・」


 差し出された布の包みを見たローゼリテは驚いた。衣服だとわかったのだ。


「これは・・・・!そんな、受け取れません、こんなものは」

「いいんです。僕たちの気持ちですから」

「ですが・・・・」

「おう、もらっとけもらっとけ。いつまでも泥染みのついた白いドレスじゃこの先目立ちすぎてしょうがねえ」


 ギィがリノアを抱いたまま横槍を入れる。

 ローゼリテが震える指先でほどいて出てきたのは、上質な旅衣一式だった。女性向けの軽やかなもので、新緑を思わせる緑色のものだった。


「あ、ありがとうございます。わぁ・・・嬉しい・・・・!本当にありがとうございます・・・!」


 喜びで顔を赤く染めているローゼリテを見たリューク、フィアンカ夫妻はニコニコしている。


「着替えてきてください。私たちはもうギルドに行かなくちゃなりませんから」


 にっこりとフィアンカが言う。ローゼリテは赤くなり、何度もお礼を言った。


「ギィさん、着替え見ちゃだめですよ」

「誰が見るかよ!・・・・ったく、二人ともそろそろ時間だろ?鐘がなってる。ギルドに行った行った。今日は俺とコイツとで見ているから」

『ありがとうございます』


 リュークとフィアンカはギルドに向かい、ローゼリテは2階の一角に駆け上がって、素早く着替えを済ませた。寸法はいつの間に図ってくれていたのだろうというくらいピッタリだった。着心地も肌触りもいい。


 着替えを済ませ、下に降りてくると、リーシャとリノアにご飯を食べさせているギィと目が合った。


「おう、なかなか似合ってんな、悪いがリーシャにご飯食べさせるのを手伝ってくれねえか」


 熱が下がったとはいえ、機嫌は悪いらしく、なかなかご飯を食べないリーシャを抱き留めて自分の膝の上に座らせる。


「そういえばギィさん、どうしてベビーシッターなんかしているんですか?」

「ダメか?」

「え、あ、そのう・・・。どちらかと言えば冒険者のほうがお似合いな風貌ですので」

「平和になって、失業したからだ。お前知らねえのか?」

「なんだかそのあたりがぼんやりしていて・・・・」

「記憶喪失か、治るといいな」


 ローゼリテはあいまいにうなずいた。治ればいいが、治ったら治ったでひどく面倒なことになりそうな予感がしている。

 結局、あの晩脳裏に浮かんだ質問を、未だにリューク、フィアンカに尋ねることができないでいる。


「1000年戦争が終わって、世界は平和になった。魔族も人間もエルフも、まぁ軒並み和平協定を結んで平和になったんだ。んで、一気に討伐諸々の冒険者適性の仕事がなくなった」


 世界は平和になりました、解散!!とギルドの元締めに言われた時には、絞め殺してやろうかと思ったがね、とギィは笑った。


「こりょ・・・」

「だめだだめだ。今のは忘れるんだぞ、リノア、悪い言葉だからな」


 もごもごと言いかけたリノアの口を優しくギィがふさぐ。

 リノアはギィの膝から降りると、トコトコとローゼリテの膝の上に登ってきた。

 反対に、ご飯を食べ終えて満足したリーシャはローゼリテの膝から降りて、ギィの膝の上に登る。

 

「おはなち」


 リノアが何の前触れもなくいきなり言葉を発したり、要求をするのに最初は驚いたが、今は慣れてしまった。


「はいはい、リノアちゃん、今日は何にしようか・・・そうね、森ですやすや寝ているドラゴンの話をしようね」

「どりゃご!」


 ローゼリテがリノアに歌うようにしてお話を聞かせる。

 リノアは笑いもしないが、じっと聞いているようだった。いつの間にかリーシャもキャッキャッと笑いながらローゼリテを見ている。

 ローゼリテが話し終わると、ギィがあきれ顔になる。


「お前、すげえな、よくそんなに話が思いつくな」

「なんとなくです」


 転生前の知識のせいか、ローゼリテの頭の中には、たくさんの子供向けの本の内容が頭に入っていた。


「それより、さっきの話の続き、聞かせてください」

「んあ?あぁ、あれか、ええと・・・どこまで話したかな」

「世界が平和になって『解散!』となったところまでですよ」

「かいちゃん!」


 リノアが勢い良く叫んだので、ギィもローゼリテも笑った。


「そうそう、そこだったな。でだ、世界は平和になって、はいそれまでよ、じゃねえんだ。何しろ平和になったら次はみんな子だくさんだ。とても親だけじゃ面倒見きれねえ。神経参っちまう親が続出した。でだ、そんな折に出来上がったのが『ママギルド』だ」


 ママギルド。

 種族を問わず、赤ちゃんの育児を手伝うベビーシッターを扱うギルドであり、その勢いは日の出のごとし、らしい。


「お前も頑張ればEランクくらいになるんじゃねえか」

「Eランク?」

「人間若しくは人間に似ている種族の子守ができるレベルだ」

「ギィさんはランクは何ですか?」

「俺はDランクだ。リザードマンの子育てくれえは何とか出来たんでな」

「はぁ・・・・・」


 リザードマンの子育てなんて、全然想像がつかない。

 リーシャをなだめつつ、優しくお粥を口に含ませながら、ローゼリテは考える。

 自分が何者かは今のところ分からない。

 いつまでもここに厄介になっているわけにもいかない。

 しかし、生計を立てようにもスキルも何もない。読み書きはできるからそれを教えられたら、と漠然と考えているが、どうしていいかもわからない。

 ベビーシッターか、とローゼリテは考える。

 子育てが思っているほど簡単ではないことはリューク、フィアンカを見ればわかる。


 いっそ、とローゼリテは考える。

 転生前の知識を生かし、様々な子供のおもちゃなどを作ってみるのはどうだろうか、と。

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