第一話 記憶を封じられて森に捨てられた悪役令嬢
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『私を苛め抜いて・・・・散々いたぶって楽しんだアンタなんか、アンタなんか・・・・一思いに殺さない・・・・殺してやるもんか。ざまぁみろ!!森で飢えながら、後悔しながら、死んでいくがいいわ!!!』
ミアンナは顔を上げて、記憶を払い落とすように首を振った。
異母姉ローゼリテの記憶を封じる前に、罵声憎悪を浴びせ、頬を張り、汚物を見る目で彼女を見下したあの光景が知らず知らずのうちに思い出されていた。
異母姉ローゼリテの恐怖にゆがんだ絶望の表情が忘れられない。
「どうかなさいましたか?」
「ええ、つい心配をしてしまいました。本当に大丈夫でしょうか?本当にあの女が戻ってくることはありませんの?」
「私はミアンナ様のご命令通りしたまでですわ」
ファウスト伯爵家の屋敷の奥まった狭い部屋にも厚い夜のとばりが降りていた。
燭台のわずかな光だけが夜の帳の一角を照らし出している。
ミアンナの前に立つ赤いふちの眼鏡をかけた女性は、微笑を浮かべながら恭しく一礼する。
「異母姉の記憶を消し、貴女の目の届かないところに放置する・・・。これが貴女のご命令であったはず。確かにその通りに致しました」
「安心いたしました。・・・・同じ異世界転生者なんだから仲良くしてくれればよいのに。どうして私をいじめてばっかりいたんだろう」
「何かおっしゃいましたか?」
「何でもありませんの。ただの独り言です。とにかくご苦労様でした。あとで報酬は届けさせますわ」
「報酬などはいりませんわ。私は心からあなたにご同情申し上げているのですから」
女性はミアンナに少し近づき、ささやくように言葉を続ける。
「本当におかわいそうに・・・・。その痣。異母姉であるローゼリテ様は、随分とあなたにつらく当たられたご様子。食事も粗末なもの、衣服も使用人同然のものを身につけさせ、メイドたちにきつく当たるように指示したのでしたわね?」
ミアンナと呼ばれた女性は硬い表情で頷く。薄い金髪が顔に縁取りをしているが、左目の下の頬に痣があるし、皮膚にはところどころ焼け焦げたような跡がある。
生れ落ちてから幾年か。
一夫多妻制度のファウスト伯爵家に生まれ落ちてから、随分とひどい扱いを受けてきた。
生まれてすぐに母親を亡くし、たった一人で父親お気に入りの異母姉ローゼリテからひどい扱いを受けてきた。
粗末な食事に始まる、ローゼリテの意を汲んだメイドたちによる粗末な扱い。
「無抵抗な幼子である貴女にする仕打ちではありませんわね・・・」
わざと地下蔵に放り込まれ、助けがくるまで地下水で飢えをしのいだこともあった。
生まれて間もないころに受けたローゼリテの暴力による痣。
「仮にも家族である貴女に対する仕打ちとしてはあまりにも冷淡ですわ・・・・」
ひょんなことから異母姉ローゼリテもまた、異世界転生者と知ってからもその扱いは続いた。
死のうと思ったことが何度あったか数えるのを忘れた。
「ええ、ええ。わかりますとも。さぞ無念、ご苦労をなさったことでしょうね」
幼子をなだめ、甘えすかすような、とろけるような声がミアンナの耳に届いた。
「・・・ええ、本当に思い出したくもありません。貴女に会うことがなかったら私は未だに虐げられているばかりでした。心からお礼を申し上げますわ。まだ貴女のお名前もうかがっていないというのに」
「そのお言葉だけで十分ですわ。また、私は名前を名乗るほどのものではありません。復讐が終わり、ご自身の気持ちに整理がついたのでしたら、もう私のことなどお忘れになることですわ」
女性は一礼し、部屋を出て行った。夜の部屋に静けさが静かに舞い降りてきた。閉めていた窓を開けてもいつもの夜のひそやかな息吹は聞こえてこなかった。
静かすぎる、とミアンナは眉をひそめた。そのことがたまらなく彼女を不安にさせた。
これでいいのか、とミアンナは思う。
いいのだ、と言い聞かせる。
自分がこれまでに受けてきた数々の仕打ちを考えればいっそ殺そうと思ったことが何度もあった。
辱めを与えて大逆転劇を演じてもよかった。けれど、土壇場でそうしなかった。むしろローゼリテには感謝してほしいほどだ。
「これでいいのよね・・・?」
自分自身に言い聞かせるようにミアンナはつぶやいた。
* * * * *
夜が明け、日が昇る。人々のいつもの日常が動き出す。
だが、この日ばかりは森の一角にいつもと違う光景があった。
「おうい、もしも~し、生きているか~~い!」
森の中で横たわっていた娘は頬を叩かれる。
「おうい、生きているか~~い!う~ん、呼吸はあるし脈拍はあるから生きているとは思うのだけれどなぁ」
「リューク君、さっき私が治癒術をかけたから生きているに決まっているじゃない」
娘は重そうに瞼を開ける。眩しそうに二度三度瞬きする。小鳥のさえずりと木々が風で震える音が娘の耳に入る。
「あぁ、よかった。気がついたみたいだ」
「ここは・・・私は・・・・・?」
娘のぼんやりした視界の中に、心配顔で見つめる数人の顔が映った。
徐々に頭がはっきりしてきた娘は上半身を起こす。
人の好さそうな赤い髪の茶色の眼の青年と穏やかそうな青い眼をした金髪の三つ編みの女性がこちらを見ている。
『私を苛め抜いて・・・・散々いたぶって楽しんだアンタなんか、アンタなんか・・・・一思いに殺さない・・・・殺してやるもんか。ざまぁみろ!!森で飢えながら、後悔しながら、死んでいくがいいわ!!!』
娘の脳裏に、凍り付くほど憎悪にまみれた冷たい声、頬を張られる感覚が襲ってきた。
「あう・・・・・ううううっ」
「大丈夫ですか!?」
突然倒れそうになった娘を女性が支える。
「貴女はここに倒れていたんですよ。ここ、本当に人家がないところで、住んでいるのは私たちくらいなんです。よく魔物に襲われずに済みましたね。あの、お名前は?」
「私は・・・・あぁ・・・・ローゼ、ローゼリテです」
かろうじて、自分の名前だけは憶えているが、記憶がそれ以外にない。
いったい自分はどうしてここに倒れていたのだろう。
ローゼリテと名乗った女はしかめ面をして顔を上げる。白いドレスは泥まみれで顔も泥だらけだった。
「頭が痛い・・・・何も覚えてない・・・・・」
耐えられないほど強烈な頭痛が沸き起こったらしく、ローゼリテは頭を押さえながら我慢できないように倒れてしまった。
「フィアンカちゃん、ローゼリテさん『何も覚えてない』って。もしかして記憶喪失か?」
「・・・そうかも。可哀そうに」
「なぁ、フィアンカちゃん、どうだろう?家、余裕ないけれど、でも、ローゼリテさんをここに置いておくわけにはいかないし・・・」
「うん、リューク君が放置するって言ったらむしろ私は怒ったよ。家に連れて帰ろう」
「おいおい二人とも、マジで言ってんのか?得体の知れない奴を家に引っ張り込むなんざ俺は感心できねえなあ」
二人の幼子を両肩に乗せている傷だらけのボサボサ髪の男が口を開く。
「ギィさん。そうは言っても放っておくわけにはいきませんよ」
リュークと呼ばれた青年が言い返す。
「俺の今までの経験上、こういう記憶喪失の奴を拾い上げるとろくでもないことに巻き込まれるって決まってんだぞ」
「でも・・・・」
「連れて帰りましょう。ギィさん」
フィアンカと呼ばれた女性がきっぱりと言った。
「ごめんなさい。私たちも貧乏で余裕ないですけれど、でも、こんな泥だらけで倒れている人をすぐに見捨てられるほど経験ができていません」
ギィと呼ばれた男は10秒ほど二人を見た後「この夫婦は本当にしょうがねえなぁ」とつぶやき、
「あぁ、あぁ、そうだろうともよ。お前らならそう言うと思ったぜ。んじゃリノアとリーシャ頼むわ」
「え?」
「俺が抱き上げて連れて帰る。そこのモヤシ旦那にはちっとばかし荷が重いだろうからな」
ギィと呼ばれた男はひょいと幼子二人を夫婦に渡すと、ローゼリテをお姫様抱っこで担ぎ上げた。
ローゼリテは身じろぎ一つしなかった。
ローゼリテが目を覚ましたのは、昼近くなってからだった。
目を開けると、自分がベッドに寝かされているのがわかった。
子供の泣き声、なだめる声、何かを並べる音が一緒くたに耳に入ってきた。
「あ、気がつきましたか?」
幼子を抱えた女性がひょいと顔をのぞかせる。確かフィアンカと呼ばれていた女性だ。
「ここは・・・・」
「私たちの家です。うるさくてごめんなさいね」
「いいえ、あの、ごめんなさい。まだお礼も言えていないのに・・・・うう」
「寝ていてください。まだ頭が痛いんですね?ちょっと待ってください」
女性は器用に片腕で幼子を抱っこしながら、ローゼリテに手を向けて何やらつぶやくと、ひいやりした気持ちの良い感覚がローゼリテを包んだ。
「気持ち程度ですがどうですか?」
「ありがとう。随分よくなりました」
「よかった。何か思い出しましたか?」
キャッキャッと幼子が笑い声をあげたので、フィアンカは幼子の相手をし始めた。
ローゼリテは手足を動かした。
言葉もしゃべれる。手足も動かせる。周りにおいてある物の名前やどういった役割をするのかもわかる。
けれど、自分の出自はすっぽりと抜けおちている。
あきらめたようにローゼリテは微笑んだ。
「残念ですが、何も思い出せません。ごめんなさい」
「いいんですよ、すぐに思い出せなくても、大丈夫。ゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
ふと、抱かれている幼子に視線が映った。思わず顔がほころぶ。
「お子さんですか?女の子さんですか?可愛いですね。その子、おいくつですか?」
「謝ることはありませんよ・・・こおれ!リーシャ!ママの髪を引っ張らない!・・・・女の子で、いま2歳です。下に4歳の長女がいます。リノアです。二人ともいたずら娘ですけれどね」
そういいながらとても嬉しそうだ。
「そうですか。いいですね」
「ローゼリテさんスープ飲みますか?何もなくてありあわせのものでしかないのですが」
「はい。あの・・・ありがとうございます。本当に」
「いえいえ、寝ていてください」
フィアンカはにっこりして下に降りて行った。下といってもローゼリテが寝ている寝室はロフトのようなものであり、あまり頑丈とは言えないつくりの螺旋階段で結ばれているだけだった。
「リューク君、ローゼリテさんが気がついたよ」とフィアンカが話しかける声が聞こえてくる。それを聞きながら、ローゼリテはぼんやり横になっていた。
ふと横を見ると、同じ大きさのベッドがもう一つ並んでいる。ベッドは普段この家族が寝起きしているのものなのだろう。それを自分がすっかり占領してしまっている。
ローゼリテは申し訳ない気持ちになった。
* * * * *
ローゼリテが運び込まれた小屋にほど近い木立。
いつも間にか気配もなく現れていた赤いふちの眼鏡をかけた女性は、うっすら微笑を浮かべてたたずんでいる。
「閣下、こちらにおられましたか」
緋色の髪を後ろで束ねた女性が話しかける。
「アンジェ、邪魔をするなと言っておいたはずだけれど」
「閣下、あの者たちに手を出すのはおやめください。情報によれば彼らも異世界転生者ではありますが、幼子2人と家族で静かに暮らしているだけの人間たちです」
「あぁ、そのことを心配していたの」
閣下と呼ばれた女性は微笑んだ。
「この世界で私が見届けるべき人間はあの2人だけ。今のところはね」
「今のところ、と言いますと?」
「心配しなくとも、彼らがあのままでいる限りは、私はあの者たちを殺しはしないわ」
「あのままでいる限りは・・・保留付きですか?」
「なぜだかわかるかしら?たとえ異世界転生者であろうとも自分の能力をわきまえ、自らの意思で分相応に暮らしていれば何の問題もないのだわ。それを己の能力や与えられた祝福とやらを過信して、世界の元々あるべき秩序を破壊しようとしゃしゃり出るから始末に負えないのよ」
うっすら灯った殺気が伝わったのか、相手の女性はかすかに身震いした。
「もっと始末に負えないのは、己の欲に忠実で気ままに突き進む人間ね」
「はい」
「その気になればこの世界ごと対象者を消滅させることは簡単だわ。でも、私はそうしない」
「閣下のやり方は存じ上げているつもりです」
アンジェと呼ばれた女性は無表情に答えた。
「唾棄すべき人間をじわじわと地獄の底に導き・・・・当人が軽率極まりない行動の対価として手に入れた絶望を胸に抱き・・・・・」
女性の微笑が濃くなる。
「そして、気が狂ったように泣き叫び、嘆き悲しむ姿を見るのが、フフフ・・・私は心底楽しいのよ」
ククク、とこらえきれない笑いが女性の口から洩れる。
ほどなくして二人の気配は最初から何もなかったかのように綺麗に消え、あたりは静寂だけが残った。