たちまちにではないけれど、立待月はきっと夢を叶える
***武 頼庵(藤谷 K介)さまご主催の『月 (と) のお話し企画』参加作品です。
残業帰りに、くたびれた29歳独身男を照らしている月を見上げてふと思い出した。
大学時代オレを、今出ている十七夜月のようだと評した女性がいたことを。
「望月と比べると少し自信がなさそうだけれど明るく照り映えて、実は才能に溢れている」
オレに才能がないことは、7年も冴えないリーマンをしてるのがいい証拠じゃないか?
その時も、そんな面映ゆいこと言わないでくれとオレは顔を背けたが、そいつは回り込んできて、「あたしのほうがあなたをわかってるの」と眩しく微笑んだ。
「そういう君はなんだ、自信満々の満月か?」
オレは口先でからかいながらも、心の中で、オレにとっては君の笑顔が満月なんだと唱えていた。
「あたし? そうねぇ、どれがいいかな、二日目の月なんてどう?」
「二日目? 三日月よりも細いんだろ? 見えるのか?」
「ええ、お日様が沈んだ途端の夕焼けの中に見つけたことがあるの」
「そりゃ綺麗だろうな」
「あら、あたし、自分のことを綺麗って言っちゃってる?」
「違うのか?」
「そこまで自惚れじゃないわ。じゃ、これ宿題ね。どうして二日目のお月様がいいか考えて。思いついたら答え合わせに来て」
オレは分かるわけないと肩をすくめて、その話はそれきりになってしまった。
同じ文芸部で同学年、卒業間際まで一緒に活動したのに。
確かに心惹かれていたがそれだからこそ、部誌に掲載される彼女の作品にいつも打ちのめされていた。
彼女の感性の鋭さには決して敵わない。
十七夜のじゃがいものようにずんぐりとした欠け始めの月と、夕焼けにすっと切れ目を入れたような潔い眉月が釣り合うはずもないじゃないか。
コンビニに寄って今日の夕食を買い込む。
弁当にも自炊にも、仕事にも人生にも飽きてしまった今のオレ。
小説も書きかけばかりで公募に出すこともなくなった。
安い賃貸マンションへの道をぶらぶらと歩く。
彼女のあの宿題の答えは何だったのだろう?
眉月以外に、二日目の月に別名があったろうか?
十七夜が立待月と言われるように。
午後8時ごろ出てくる月を、昔の雅な人々は、今か今かと立ったまま待ったそうだ。
彼女のせいでオレは、月にまつわることにちょっと詳しくなっている。
「立待月に願い事をするとたちまち叶う」なんて言い伝えもあったらしい。
自分の夢も叶えられないのに、他人に願い事されても困るが。
家に着いて着替えもそこそこに、缶ビールを開けてコンビニ弁当に箸をつけた。
合間合間にケータイで、いつも見ている月齢カレンダーを検索する。
確かに今日は十七夜だ。
次の二日目月は2週間後。
え?
2週間後?
そういえばいつも2週間後だよな?
月の満ち欠け周期って28日だったか、30日だっけ?
月齢カレンダーに出ている月の見え方の絵を眺めた。
挟んでいたご飯の塊が、ぼろぼろと箸の間から零れていく。
ーー当り前じゃないか! 満月から2日分減ったのがオレ、新月から2日分増えたのが彼女!
弁当はそっちのけで、本棚の隅に入れてある懐かしい部誌を手に取った。
読者からの感想が受け付けられるように、巻末にペンネームとメアドを掲載していたから。
震える手でメールを打つ。
文面は簡潔でいい。彼女が独身でいるはずがない。メアドだって変わっているだろう、手遅れに決まってる。オレなんか、忘れ去られているはずだ。
「今でも宿題の答えを受け付けてくれるか?」
ピコン。
返信があった。
「はい。日時指定をお願いします。今日の立待月は綺麗でした」
「うわぁぁぁぁ」
独りで叫んでいた。
目の前に彼女がいるわけでもないのに、急に自分の容姿が気になる。
家の中を見回してしまう。
汚部屋ではないが、どこか投げやりで味気ない。
今の自分を如実に表している。
彼女がどこに住んでいるのかオレは知らない。
とりあえず、「週末ならいつでも空いている、どこへ行けばいい?」と返した。
顔を合わせてオレは答えを言えるんだろうか?
二日目の月と立待月は、ふたつ合わせて満月だと。
つき合ってほしいと言っていいのだろうか?
-了-