門番兵士の書けない報告書
50部「いつの間にか隣に立つ少女」に出てきた門番兵士の話。
門番兵士の話
「今日は領主館の仕事だろ? 気をつけろよ、最近幽霊が出没するらしいからな」
「はは、俺の今日の持ち場は玄関前の立ち坊主だ。さすがに領主館の幽霊も、お出かけはしないだろうよ」
同僚の揶揄に俺は肩を竦めて答えた。
最近領主館を騒がせている一番の噂話は、なんと『幽霊』だったりする。
幽霊、なんとも眉唾な話だが、領主館で勤務する人間は信じている者が多いようだ。
「まぁ、何となく予想はできるがな……」
恐らくだが、幽霊の正体とは、暗殺者騒ぎによる職員の不安から来るものだ。
現に幽霊の噂話が上がり始めたのは、暗殺者がお館様を狙って侵入したという事件の前後からだ。
不安から過敏になった神経が、『無い』ものを『有る』と認識してしまっただけに過ぎない。
ただの見間違いと侮ってはいけない。
本人にとっては『見える』のだ。
友人の話なんだが、その友人は短期の仕事で、開拓事業の作業員をやっていた。
新しく結界を設置する為に、未開の地へと赴いた彼の仕事は過酷なものだったという。
結界に守られていない、森の中でいつ魔物に襲われるかもしれない恐怖との戦いだったそうだ。
そんな彼が仕事を完遂し街に戻ってきた後、彼に異変が現れた。居もしない魔物を『見る』そうなのだ。
それは暗がりだったり、さらには家の中であったりと。
精神的ストレスを受けた友人が、魔物の幻影を見なくなるまでには時間を要した。
つまり何が言いたいかっていうと、人間は簡単に幻覚を見てしまうってことだ。
領主館の幽霊の正体も、言うならば幻覚が正体だと言えよう。
「さて、門兵の仕事に向かうか……」
今晩の俺の仕事は門兵だ。
門兵の仕事は、一定の場所に立ち異常があれば対応する事だ。
今日の俺の持ち場は、領主館玄関前だ。ハッキリ言って楽な場所である。
今日はそこに立って、来もしない来客の対応をするのだ。
もちろん、ただ立っているだけの仕事な訳では無い。
報告書の作成なんかもある。だが、真夜中の玄関前の報告書なんて『変わりなし』意外に報告のしようもない。
「よし、報告書だけ手早く終わらせてしまおう」
薄暗い灯りを頼りに、玄関扉の前でボードを片手に報告書を作成。
それが終わったら、目に見える範囲の掃除だ。チリトリを使って落ちている落ち葉を回収する。掃除をする職員は別にいるが、門兵も見える範囲で掃除をするのが慣わしだ。慣習みたいな物なのでしつこく掃除をする必要はない。
まぁ掃除を行う事で、見張る場所に変わった所がないか確認もあるんだろうな……。
ある程度、落ち葉を集めて捨てた後、玄関前に帯剣をして立つ。
時間までやる事もないので、植木をボーっと眺める。
どの位眺めていただろうか?
ふと、意識を浮上させた瞬間……俺の全身を怖気が走った。
俺の隣に……『何』か居る。
本当にいつの間にか、ソレは俺の隣に現れた。
あり得るはずがない。
いくら気が抜けていたとはいえ、誰かが歩いて来たら気づかないはずがない。
だからこそ、俺の隣に現れた存在が超常の存在だと思い知らされる。
パニックになりかけた俺の心に、同僚の言葉が響いた。
『領主館の幽霊に気をつけろ……』
ゴクリと乾いた生唾を無理やり飲み込んだ。
ガクガクと震える腕を必死に押さえ込む。
物をぶち撒けたような音を立てる心臓が煩い。
幻覚ならどれほど良かったか、……だが冷静な自分が理解してしまう。幻覚なんかじゃないと。
息を吐く事を忘れて、ただカカシのように前を見続けると、自ずと隣に現れた『何』かが視界の端に写り込んでしまう。
視線を向けた訳じゃない。いや、直接視線を向ける勇気など、湧いて来るはずもない。
だが、嫌でも、見ようとしなくても、視界の端に写ってしまうのはどうしようもない。
突如現れた恐怖は……少女の形をしていた。
直接見ている訳では無いので確かな事は分からないが、少女の姿をしているのだと思う。
少女の幽霊がでる……あの噂は見間違いなんかじゃ無かったのだ。
冷えた汗が頬を伝い、地面に落ちる。冬でも無いのに寒さと震えが止まってくれない。
時間の感覚が分からなくなってくる。
少女の霊は、俺を認識していないかのように、ただ立っている。まるで俺とは次元のズレた場所にいるかのようだ。
その間、俺は一歩も動く事ができなかった。本当なら裸足で逃げ出したいのに、ソレができない。
少しでも動く事で、少女の霊に認識されるのが怖かった。ガタガタと震えながらも、眼球さえ動かすことができない。
「……ヒッ!」
ソレでも震えを止める事が出来なかったのが悪かったのか……少女の霊がコチラを見た気がした。
纏わりつく視線が強烈な吐き気を催す。
見ていないのに分かってしまう。何者をも映し出さない様な不気味な瞳がコチラを向いているのだと。
あぁそうだ。不気味な瞳なのだ。全てを吸い込むような、自分の存在が消えてなくなる様な恐怖。
真夜中に真っ暗な海を泳いでいるような不安感と、得体の知れない恐ろしさを、その目に感じた。
「お前……見えているな?」とでも言われているようだった。
蹲ってしまいたい衝動を必死で抑えて、あくまで気づいていない風を装うしか俺に出来ることはない。
地獄の裁判のような時間を過ごしていた俺だったが、少女の霊は現れた時と同じように、忽然と姿を消してしまった。
……許された……のか?
少女の霊が消えた後も、俺はしばらくそこから動くことは出来なかった。
ただ一つ言えることは、領主館に幽霊が出ると言う噂は本当の事だったという事だけだ。
報告書には「変わりなし」と書いた。幽霊が出たなんて報告書に書ける訳がない。
それに、俺は報告書の中でも少女の霊に言い訳をしているのかもしれない……俺は何も見ていないぞ……と。




