学校の七不思議
翌日、私は幼なじみの玲奈と仮想空間校舎内で雑談をしていた。彼女の所属する報道部は、動画と文章の学園ニュースを校内ネットワークに流す活動をしている。
報道部の女子というと、ちょっと見た目に自信のある子が自己顕示欲で動画に出る印象なのだけれど、玲奈は色々と学校の怪しげなゴシップを集めては、特異な語り口を駆使して文章を執筆するという、なかなか個性的というか怪しげな活動をしている子だ。
「昔は全部をオフラインで勉強していたそうだよ。要は毎日がスクーリングだよね」
「楽しそうだけれど、それだと毎日試合をできちゃうから部費が尽きちゃうよ」
私の苦笑を玲奈は混ぜっ返してきた。
「そんなことを言って、野坂瞳副部長殿は自宅のキッチンで毎日、次の試合に向けて料理彫刻のプログラムを改良しているくせに」
玲奈は笑いながら口元のマスクを直す。私は幼なじみなので、幼稚園の頃にマスクを着けていない玲奈の顔を見たことがあるんだけれど、彼女は口元の小さなほくろを気にしてマスクをしばしば直す癖があるのだ。
「仮想空間校舎って、物理的な突発事故が少ないから面白い記事が足りないんだよ」
「事故を面白い記事とか、玲奈は疫病神だ」
「マスコミは情報ハイエナとも言いまして」
「そこで自虐ギャグを挟む時点で不謹慎だ」
「真面目だなあ、瞳は」
玲奈は大きく笑うと慌ててマスクを直す。気にしているくせに大きく笑うとか、警戒心が高いのか低いのかよくわからない子だ。
玲奈は笑い終えると少し声を低め、いたずらっぽい眼で急に話を変えた。
「今、学校七不思議を取材しているんだよ」
「仮想空間校舎が中心の現代に、七不思議なんてちょっと玲奈はむちゃすぎないかな?」
「たしかにむちゃだと思ったし、どれも百年以上昔の話の焼き直しで笑っちゃう話ばかりなんだけどさ。一つだけ変なのがあるの」
私も少し興味がでてきて聞き返す。この辺りの話の引っ張り方はさすが報道部だ。
「『三聖魔の宴』って話。ある部活の部長三人が世界の隠された真実を知っていて、寄合を開いては代々伝承しているという話」
「世界の秘密なんて、それこそ秘密の暴露が大好きな報道部長が黒幕じゃないの?」
「報道部長は絶対にないよ。あの人なら、隠された秘密なんて知ったとたんに、全校へどかんと報道動画を流すもん」
たしかに。報道部に秘密を守らせるだなんて、カラスに鳴くなというより難しそうだ。
「瞳、すごく失礼なことを考えたでしょう」
「まさか。そんなことはないよ」
「くそう。あることないこと報道してやる」
「ないこと報道したら風評被害じゃない」
私の指摘に玲奈は笑った。
「でも、そんな怪しい部ってどこなんだろうかなってね。一つは文芸部のはずだけどさ」
「なんで文芸部?」
「あの部って、いまだに紙の同人誌を毎年出したりしてるの。建前は昔に書道部を併合したからだけど、常に反電脳社会なんだよね」
私は笑った。電脳社会が嫌いとか、芸術系にはたまにそういう変な人はいるし。すると玲奈は眉をひそめて言った。
「もういちど言うよ。三聖魔。ちょうど『理神』を裏返したような名前でしょ」
私は大脳に埋め込まれた理神チップを起動する。銀色のカクテルドレスをまとった、私と同い年ぐらいの女子が表示された。彼女は二つ結びにした虹色の髪を空中に浮かべ、蛇の巻きついた杯を両手で捧げ持っていた。
21世紀前半、世界中のICT企業が大規模情報解析を繰り返した末にデータの異常融合が起き、2045年に現れた仮想人格なのだという。この悪ふざけのような少女の姿は、世界中の宗教や芸術、彫像、独裁者、そして日本の仮想アイドルたちを分析統合した結果、自動的に生成された姿だそうだ。
彼女は2020年代に始まった疫病を駆逐し、さらに貧困や自殺率も下げ、人類はすっかり彼女に頼りきりになった。聖母マリアや天照大御神の伝承まで組み込んだのだから当然だけれど。それに彼女の捧げ持つ杯はギリシャ神話に伝わる医療神の象徴で、常に人類を病魔から守護する役割を象徴している。
そのうち仮想空間に君臨する機械仕掛けの神、究極の理性として「理神」と呼ばれるようになった。そして百年以上もの間、全世界の公衆衛生と仮想空間を管理してきたのだ。
現在、理神が与えてくれる健康管理は当然として、各種助言や情報支援はかけがえのない社会基盤だ。理神は生まれてまもない子どもたちの大脳に理神チップを埋め込み、一秒も休むことなく全人類の健康をモニタリングしており、理神に救われた命は数知れない。
その、私たち全人類の指導者であり医師であり、母であり姉でもある理神。その理神を愚弄するような「聖魔」という名前。
背中に怖気が走った。理神への叛逆者なんて、理性的な会話が通じるはずのない危ない人たちだ。強盗よりも怖いかもしれない。
「そんなわけでもう一人、私が目をつけているのが美術部長なんだよ」
急に出てきた名前に私は不機嫌になる。
「北畠先輩が怪談的な悪人だなんてないよ」
「あれ? 競技料理部って美術部とライバルで仲は悪いんじゃなかったっけ」
「それとこれとは別。北畠先輩の絵画は本当に美しいから、それを認めているだけ」
「怪しいなー。あ、美術部長って顔もいけてるよね。クールな仮面の下に怪奇の影が!」
「関係ないって。っていうかもうそれ、どう見ても怪談じゃなく陰謀論じゃない」
「でも話が大きすぎて面白いっしょ。ほら、貴方の部にも聖魔様がー!」
「脅かすなデマ風評五流雑誌記者」
「ひどいな。私は未来の言論人だよ」
何が言論人だか。玲奈はできの良い競技料理や、有名店の奇想天外な料理の写真を投稿して見せびらかすのがお似合いだと思う。
私はおばかな陰謀論を笑い飛ばして、仮想空間校舎からログアウトした。
仮想図書館での出会いのあと、北畠先輩とはチャットでやりとりした。学年も違う上に部活も異なり、よりもよってお互いにライバル関係の部活で難しいかなと思ったのだけれど、先輩からアナログ画を教えてもらうことをきっかけに、色々と話せるようになった。
アナログ画はデジタルと違って紙も筆も必要だし、クリックしても消えてくれないとかお小遣いがすごくきつい。でも先輩が教えてくれた鉛筆画だと、鉛筆と消しゴム、それに画用紙だけで安いのでなんとかなっている。
鉛筆画はかすれるし消しゴムで指先は痛くなるし、それでモノクロだなんて最低だけれど。でも、そのかすれた線が、指を汚す粉末が紙との語り合いを感じさせる。
この感じた想いを北畠先輩に言ったら、変人な僕の同類かもしれないねと笑った。変人なんて言っているけれど、昔の画家は誰もがアナログ創作だったというのに。
たしかに、北畠先輩は芸術ばかという言葉がお似合いの人だった。好きな画家についてなら筆づかいの説明だけで三十分は話せてしまうほどだ。でも、その必死に筆致を語る先輩の息遣いが愛おしく思えてしまう。
胸が苦しくなる。でもその苦しさは私の甘く大切な時間なのだ。ところで、甘いって言葉を恋愛でよく使うけれど、味覚過敏症ならどんな風にその味覚を感じるのだろう。
私は少しだけ、味覚過敏症をうらやんだ。