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美しいひと

「副部長チームの勝利!」

 部長の声に、私たちは両手を振り上げて衛生手袋を履いた手を打ちあわせた。

 私たちは北海道高校の競技料理部だ。競技料理は百年ほど前に成立した、料理の芸術性を競う競技だ。その一方で衛生基準も守る必要がある。つまり、配色と立体表現は美術部並みに追求し、衛生管理は科学部とだって勝負できるという重量級の部活なのだ。

 昔は高校が一つの街にいくつもあったそうだけれど、22世紀半ばの今は、都道府県に一校ずつだ。普段は自宅からネットワーク越しで仮想空間校舎にアクセスして勉強し、体育などの対面授業や部活の日だけ、市街のスクーリング校舎に登校している。今日の部活も道内各地から生徒が集まっているのだ。

 私たちの目の前には二つの料理が並んでいた。私の班は鶏肉と野菜を着色料で染色したうえで全体を構築し、根菜に鱗の一枚一枚までも造形した龍の姿。対する敵側班はヒマワリをかたどった米菓子だ。今回の試合は龍の造形と躍動感で高評価をもぎ取った格好だ。

「野坂副部長、この繊細な彫刻料理は君だけの特殊技術だね。さて料理をいただこうか」

 審判役の秋山部長が私をほめてくれた。私たちは部長に従って料理を取り分ける。栄養バランスを考えて重量を測るのが面倒だけれど、これは競技料理の大切な作法なのだ。

 取り分けた料理を個人用の机に運ぶと、私たちは各々三方に衛生隔壁を立てる。

「面倒くさいよな。そのまま食べたいよね」

「男子は下品過ぎ。覗きにきたらぶっ飛ばすよ! もう少し部長を見習ったらどうかな」

 私は口元のマスクの前で人差し指を交差させ、ばつ印をつくって見せる。ほんと、なんでほとんどの男子って下品なんだろう。というかマスクをしていない顔を見られるなんて、赤ちゃんでもあるまいし恥ずかし過ぎる。

「昔って、マスクを着けずみんなで食事していたんですよね? 俺たちも気にしすぎでは」

 あれほど言っても、まだ蛮勇で反論してくる一年生男子に、私は冷たい声で返した。

「そんなことを言っているから、君たち男子は野蛮なんだよ。だからもてないんだよ」

 ほんとまったく。マスクを着けず会話しながら食事だなんて、150年ほど昔の2020年代で終わった話なのに。洒落っ気のない安物のN95型マスクをしている男子じゃ、気が回らないのも当然の話だけどね。

 私たちは食事を摂った。今日は試合があるので昼食を軽くしたからカロリーオーバーにはならない。とはいえ食事の時間はただの栄養摂取だからもったいないと思う。競技料理部でこれを言っちゃいけないんだけど。

 それでも、味覚過敏症の子たちよりはましかもしれない。味覚過敏症は百年以上も昔に始まった病気だ。とても味覚が鋭敏で、食事の細かい味覚が気になってしまって普通の料理をほとんど食べられないそうだ。味覚という感覚はよくわからないけれど、きっと辛さのようなものなのかもしれない。辛みは正確には痛みで味覚じゃないんだけどね。

 とりあえず私たちは食事を終え、今日の部活は終了となった。

「次のオフ部活は来月の登校日だ。また、すてきな作品を仕上げてきてくれ」

 部長の激励に私たちは、はい、と素直に声をあげる。これぞ私たちの青春の時間だ。


 うちの部活は芸術表現と衛生管理を両立させる必要があるのだけれど、私は衛生管理が苦手だ。とくに私は料理細工を機械で施すので工学系は得意だけれど、微生物学とか面倒くさすぎるし。昔は大半の人がプログラミングなんて簡単なことをできなかったくせに、手作業で飾り包丁や大きな魚を捌くだなんて難しい作業ができたのか、不思議なものだ。

 一方、もう一人の副部長は医学系進学を目指しているだけあって衛生管理は抜群だ。ただ彼は感性がにぶい。対称形は美しいみたいな。そこを崩すから面白みがあるでしょ、と言っても首をかしげて試合じゃ負けるやつ。

 とはいえ、来年度の部長選はその衛生管理マニアと競うわけで、私も最近は衛生管理を勉強している。そんなわけで、今日は朝からVRディスプレイを被り、仮想空間校舎の仮想図書館で微生物学の勉強をしていた。

 普段の読書や教科書は全て電子書籍で、紙の書籍なんて博物館でしか見たことはないのに、仮想図書館では棚に並んだ本を選んで読む。この回りくどくて無駄に見える動作は、百年前にあった現実の図書館を仮想体験しており、脳を勉強状態に引き込むのだそうだ。

 今日はライバル君がこよなく愛する対数増殖期の計算が課題だ。部長の課題をこなすには本質まで理解しなければならない。でも、もう嫌だ。対数グラフなんて見たくない。私は机に突っ伏して落書きを描き始めた。グラフの上をよちよちとよじ登るかわいいリス。

「君、なかなか面白い感性をしているね」

 私は慌てて振り向いた。スクーリングならともかく、仮想図書館の割込通信は珍しい。

「ごめんね。君のリスが魅力的だったから」

 私は慌ててディスプレイにメニューを開いてぼうぜんとした。昨日、競技料理の新作を部員と仮想部室で議論したとき、デザインラフ画を自動公開する設定にしたままで忘れていた。つまり、私の落書きは仮想図書館にいる人なら誰でも見放題になっているわけで。

 私は赤くなってうつむくと設定を変えようとした。すると男性は私のイラストに素早く何かを追記した。それはガーベラの花を口にくわえたうさぎだった。イラスト風な私のリスと違って、写実画風で美しい毛並みのうさぎ。私は一瞬だけ見とれ、次いで慌ててこの男性と自分だけの限定公開に切り替えた。

 私たちの姿は現実を反映しているはずなのに、造形したようにきれいな男性だ。細身の姿と鋭い視線に魅かれてしまう。胸の奥で、何かがゆっくりと浮き上がる。

「僕は三年生の北畠です。美術部長なんだ」

「貴方が、北畠部長ですか」

 私は息を呑んだ。定番の3D動画は当然に素晴らしい作品なのだけれど、彼はなんと油絵や透明水彩といった、現代ではほとんど使われない現実の道具でも絵を描けるのだ。そして、これが息を飲む美しさなのだ。仮想空間で精緻に描かれるイラストと違って、物理空間に縛られた不自由な道具たちで、その束縛を楽しんで描くと聞いている。競技料理部の芸術派筆頭で副部長の私でも、あの絵には勝てる要素が全く思いつかない。

「貴女は競技料理部の副部長でしょう。君の作品は僕も見ていて感心していたんだ」

「そう、ですか。ありがとうございます」

「君、美術の方もどうかな? 何なら君にもアナログ絵画を教えてあげるよ」

 言って先輩は指先を上げた。私たちの眼前に動画が再生され始める。それは北畠先輩のアナログ創作現場を映したものだった。

 服やマスクに飛び散った絵具。金づちと釘を駆使してつくる油絵のキャンバス。分厚い紙に広がる透明水彩の染み。それらを手足のように扱う先輩はなんというか。

 魔法のように美しかった。

 頰が熱くなってしまって。

 動悸が激しくなって。

 初めて、男子のことを美しいと思った。

 彼のマスクを外して見たいと思った。

 そう、私は。

 私は北畠先輩に恋をしたんだ。

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