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ロリータ公女とロリコン執事  作者: K.バッジョ
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【第四章】【理想、革命、狼の牙】

【第四章】【理想、革命、狼の牙】

 シロたちがアンジェリク救出に動き出すより少し前――。

 ターヒルに誘拐されたアンジェリクは、ホテルの一室に監禁されていた。

 イラクリオ市の高級ホテル『クノッソス』。

 歴史を感じさせる佇まいと最高級の調度品を数多く取りそろえ、王侯貴族のような非日常を楽しめる、海外のセレブ御用達のホテルだ。

 その中でも最上階にあるスイートルームは有名で、ギリシア様式で統一されたフロアは王の住まう宮殿そのままのデザインで人気を博していた。

 そんな最上階フロアの一室。

 寝室として使われるのが常のその部屋は、空間を贅沢に使った開放感のある広さを持ち、ふんだんにレースを遇ったカーテンに包まれた天蓋付きのベッドが置かれている。

 本来ならば極上の睡眠を楽しめるその寝室は、だが今は窓からの陽光は遮られ、暗い部屋の中でベッドサイドランプだけが室内を仄かに照らしていた。

 淫靡な雰囲気が漂う寝室では、四肢を開いてベッドの四隅に拘束されたアンジェリクが、鼻息を荒くする巨漢にのし掛からていた。

「ハァ、ハァ、ハァ……ぐへへ、すごく可愛いなんだなも……」

 小柄なアンジェリクの三倍はあろう体躯を持つ巨漢が、アンジェリクの小さな身体に覆い被さって鼻息を荒くする。

 生暖かい鼻息がアンジェリクの肌に当たり、生理的嫌悪によって肌を粟立たせる。

「スゥー、ハァー……いい匂いなんだなも。おで、我慢できないんだなも……!」

 口角から涎を垂らし、劣情を露わにしてアンジェリクの肢体を眺める巨漢の背後で、つまらなそうに銃を弄っていた男が険のある声で巨漢を叱った。

「おい。何度も言わせるな。公女に手を出すんじゃねえ」

「で、でも、ボスぅ! この子、こんなエロい下着を着てたんだなも! こんなのヤッてくれって言ってるようなものなんだなも!」

「まぁ……小学生が身に着ける下着じゃないのは同意するがな」

 にやりと笑ったターヒルが、四肢を拘束されたアンジェリクを見下ろした。

 アンジェリクはフィル・カトレイヤ学院の制服を引き裂かれていた。

 最高級シルクを使った薄手のキャミソールは、純白の生地にうっすらと肌の色が透けており、その一部は微かに隆起して影を作っている。

 下着もレースがふんだんにあしらわれており、扇情的なデザインのガーターベルトがサイハイストッキングを固定していた。

 男なら誰もが振り返る整った容姿を持ち、天に祝福された高貴な(ロイヤル)銀髪(シルバー)を持つアンジェリクが、扇情的な下着姿で両手両足を無理やり開かされてベッドの上に拘束されているのだ。

 例え、未成熟な肢体だったとしても、並の男なら今のアンジェリクの痴態を見れば幼い色香に惑わされて道を踏み外してしまっただろう。

 今のアンジェリクは、それほどまでにアンバランスな美しさを醸し出していた。

「少し背伸びしすぎですな公女殿下。……こういう下着は大人の女が意中の男を誘惑するときに着けるものだ。……それとも誰か誘惑したい男でも居ましたかな?」

 いやらしく笑って羞恥を煽るように言葉を発したターヒルを、アンジェリクはきつい眼差しで睨み付ける。

『できることなら、あらん限りにこの男を罵倒してやりたい』

 そんな心中の言葉が聞こえてくるほどのきつい眼差しだ。

 肝の小さい男なら、そのひと睨みで股間に滾る劣情を萎えさせていただろう。

 だがその激烈な視線は男たちには伝わらない。

 下着姿のまま四肢を拘束され、言葉を発することができないように拘束具(ボールギャグ)によって自由を制限されたアンジェリクにとって、強い視線によって相手を威圧するしか、抗議の方法がなかった。

「フー……フー……!」

 激高する感情が呼気を荒立たせ、少女の口腔の自由を奪っている拘束具の穴から、粘液質の唾液が垂れ落ちる。

「うへへ、美味しそうなのが湧きだしてきたんだなもぉ……」

「おい」

「わ、分かってるだなも! 公女には直接触れないだなも!」

 そう言うと巨漢はポケットから子供用のショーツを取り出した。

「安心するんだなも。新品だから汚くないんだなも。これで拭いてやるんだなも」

 下卑た笑いを浮かべた巨漢が、手に持った下着をアンジェリクを口を塞ぐ拘束具に押し当てる。

「うへへへへ……公女様の高貴な唾、あとでたくさん味わうんだなも……!」

「おいっ!」

「だ、大丈夫なんだなも! 手は出してないからセーフなんだなも!」

「……ちっ。まぁいい。見逃してやる。だがここで楽しむんじゃねーぞ? やるなら一人でやれよ、気色悪い」

「わ、分かってるんだなも。あとのお楽しみなんだなも……!」

 焦ったように言い訳しながら、男はアンジェリクの唾液を下着に染み込ませる。

「……」

 キツイ眼差しはそのままに、だがアンジェリクの目尻に微かに涙が浮かぶ。

 その涙はアンジェリクの心の悲鳴だった。

 少しでも状況が変われば、変質者に押し倒され、蹂躙されてしまう――そんなギリギリの状況の中でも踏ん張っていたアンジェリクの心が、今にも折れそうになっていた。

 だがアンジェリクは必死に心を奮い立たせる。

(きっと……きっとシロが来てくれる)

 それはまだ幼いアンジェリクが縋るべき妄想、というものではない。

 確信なのだ。

 シロならば、こんな犯罪者たちに負けるはずがないという、強い確信だ。

 だからこそ、アンジェリクは気丈に心を奮い立たせる。

(心を強く持ちなさい、アンジェリク。あなたは聖ソレイユ公国第三公女、アンジェリク・ド・ラ・ソレイユなのだから……!)

 絶対に負けない。

 そう心の中で自分を鼓舞し、アンジェリクは再び男たちを睨み付けた――。




 ファビオラ嬢を解放した俺は、ハニア港からイラクリオ市まで戻ってきた。

 太陽が沈み、空には月が浮かんでいる。

 満月の光が煌々と街を照らすなか、市内を制限速度を無視して爆走しながら通信機を通してエマに呼びかける。

「エマ! 市内に到着した! ホテルまでの最短ルートを寄越せ!」

『ん。モニターに転送する』

 エマの声と共にヘルメットのバイザーに最短ルートが表示された。

 そのルートに従って、俺は最低限の減速でカーブを曲がる。

『ホテル『クノッソス』の館内システムを全掌握。シロ、いつでもどうぞ』

「了解だ。俺が突入するまでに一般市民の避難誘導を頼む」

『ん。館内の火災装置を誤作動させて一般人を外に出す。あと、ICPOSTにも連絡を入れておいた。おっつけ現着すると思う』

「おい、突入に同行させるとか言わないよな?」

『当然。ICPOSTには令状の呈示と一般人の保護を頼んでる』

「なら良い。お嬢様の姿が表に出ないよう、細心の注意を払ってくれ」

「ん。マスコミに圧力を掛ける」

「助かる」

 聖ソレイユ公国の第三公女が誘拐されたとなれば、不愉快なゴシップ記事のネタになる可能性が高い。

 その全てを今から潰しておくのも、俺たちの重要な仕事だ。

「情報操作はエマに任せるぞ」

『ん。エマは為すべきことを為す』

 応えたエマの口調が、いつもと少し違っているように思える。

「気負うなエマ。いつも通りで大丈夫だ」

『……ん』

 返事をしたエマが、大きく息を吐いたことが通信機越しに聞こえてくる。

 肩の力が抜けた声音にひとまず安堵しながら、俺はバイザーに投影された最短ルートに沿ってバイクを飛ばす。

 と、そのとき新たな通信が飛び込んできた。

『よぉ子犬(パピー)! 追っ付け、そっちに合流できるから、俺が着くまで死ぬんじゃねーぞ』

 声の主はセシリア・ヴァンダービルド嬢の護衛を務めるビリー・ザ・キッドだ。

「誰が死ぬかよ。それよりオッサン、CIAの後始末はもう終わったのか?」

『三家からの貸しにしとけ、とお嬢から言われてな。全員、身分証を没収した上で解放したよ。身分証はリボンを付けてラングレーに送るんだとさ』

「いい判断だ。……ファビオラ嬢は?」

『あの後、すぐに新しい護衛が迎えに来て勝手に帰っていったよ。……タイミングから見て俺たちの動きを監視していたんだろう』

「フンッ。アンジェリクお嬢様を救出したあとで、中東連合ごと報復してやる」

『おお、怖えぇ怖えぇ』

『怖いと言えばうちのお嬢様もカンカンやで。愛しのアンジェリクお嬢様に手を出した奴への報復には、近衛も力を貸す言うとる』

 俺とビリーの会話に、日頃よく聞く女の声が混じってくる。

(けい)か!」

『せや。桂お姉さんの登場やでー』

(それがし)もいるでござるよ!』

「近衛も動いてくれるのはありがたい」

『当たり前だのなんとやらや。近衛、ソレイユ、ヴァンダービルドの三家は、実家はどうあれお嬢様方は同盟関係みたいなもんやからな。咲耶お嬢様も今、ここに()るで』

「なに? 咲耶嬢ご本人が現場に来るのは危険すぎるぞ」

『心配は要りません。うちの護衛は腕が立ちますから』

「しかし咲耶お嬢様……」

『シロさんはアンジェ様の救出に集中するように。咲耶たちはアンジェ様が救出された後、車にお迎えしてそのまま寮に戻るつもりです。いくら情報操作をするとはいえ、盗撮屋(パパラッチ)対策には必要なことでしょう?」

「……お気遣い、感謝します」

「アンジェ様の友として為すべきことを為すまでです。……寮で待機しているセシリア様もきっと同じ気持ちですわ」

『咲耶嬢の言う通り、うちのお嬢もアンジェリク嬢の誘拐を聞いた時は、寮を飛び出す剣幕だったよ。俺が止めたがな』

「オッサンにしてはいい判断だ」

『今回、うちのお嬢が目立つ訳にはいかねぇんだ。すまん』

「分かっているさ。オッサンの援護だけで充分だ」

『言ってくれるじゃねーか。……背中は任せとけ』

『あー、イチャついてるところ悪いんやけど、ウチと咲耶お嬢様はホテルの前に待機しとくから、事が済んだら呼んでや』

『だ、誰がイチャついてんだよ! 気色悪いことを言うな!』

『シロ、某は同行するでござるよ!』

「助かる。雑魚を任せていいか?」

『いいでござるよ! なにせ某、強いでござるからな!』

 通信機越しに聞こえる声の調子から、鞆江が自信ありげに胸を張る姿が目に浮かぶ。

『シロは颯爽と主を迎えに行くと良いでござるよ』

 鞆江の返答に感謝を伝えようとした俺を遮るように、通信機からエマの声が届いた。

『ホテルまで二百メートル。館内マップを送る。総員戦闘準備』

「おう!」

 四者四様に声を張り上げ、臨戦態勢を整える。

『ホテル内の一般人はほぼ外に誘導できた。でも館内にターヒルとは別の武装勢力を確認した』

『なんだそりゃ? 敵の協力者か何かか?』

『最近、入島の多かった海外の犯罪組織のメンバー』

『手駒にするために呼んでたって訳か! でもどうせ使い捨てにするんちゃう?』

「恐らくな。何の餌を使ったのかは知らんが欲に目が眩んだ報いは受けさせてやる」

『当然でござるな! それでシロ。敵はどうするでござる? 切り捨てゴメンして良いでござるか?』

「そうしたいのは山々だが、うちのお嬢様はお優しいんだ。できる限り命は取らず、腕の一本か二本程度に止めておいてくれ」

『そうでござるかー……残念でござる』

 心底、残念がっている鞆江の台詞に苦笑しながら、俺はアクセルを開いてバイクの速度を上げた。

 視界の先にあるのは、ガラス張りのホテルの入り口だ。

「真上白、先行する!」

 同輩たちに告げると同時に、俺スピードに乗ったバイクでガラスをぶち破った。




 シロたちがホテルに突入する、少し前――。

 アンジェリクが監禁されている部屋に、ターヒルの部下が慌てた様子で駆け込んできていた。

「ボス、ホテルの様子がおかしい。一般人の姿が見えない」

「ん~? 詳しく説明しろ」

「詳しくも何も、言葉の通りです。宿泊客の姿がない。今、ホテルに居るのは偽情報でつり上げた弾除けの犯罪者どもと私たちだけです」

「……なるほど。公女の番犬どもが嗅ぎつけてきたって訳か」

 報告を受けたターヒルが、下着姿で拘束されているアンジェリクを振り返る。

 その視線の先では、巨漢の男がビデオカメラを手にして鼻息を荒くしていた。

「ぐへへ、可愛いんだなも。エロいんだなも……」

 ベッドから椅子に場所を移されたアンジェリクは、華奢な手首とか細い足首を椅子に固定され、両足を無理やり押し開かれた姿を晒していた。

 両目はタオルによって塞がれ、口元には相変わらずボールギャグが填められており、溢れ出した唾液が幼い身体を汚していた。

「ううっ、堪らないんだなも……!」

 ズボンの上からでも分かるほど股間を勃起させた巨漢の男が、まるで美食を前にしたように口元から涎を垂らし、拘束された少女を醜い表情で視姦する。

 男はアンジェリクの身体に顔を寄せ、少女の体臭を楽しむように大きく息を吸い込んで見せる。

 普通の少女ならば、生理的嫌悪と恐怖によって悲鳴を上げていただろう。

 だがアンジェリクは、巨漢が近付いてきたとしても何の反応もせず、人形のように動きを止めていた。

 諦めではない。

 反応すればするほど変質者を喜ばせ、行為がエスカレートすることをアンジェリクは知っているからだ。

 時折、恐怖や嫌悪を噛み殺すように下腹に力を入れて折れそうになる心を叱咤する。

 拷問のように続くその時間は、だがターヒルの声によって中断した。

「……おい、変態野郎。仕事だぞ」

「ぶへっ? ううー、おで、このまま公女様の撮影をしていたいんだなも! きっとすごくエロいイメージビデオが出来上がるんだなも! その予感があるんだなも!」

「うるせえ。変態プレイに夢中で自分のボスが誰だか忘れたか? 殺すぞ?」

「ううっ、ごめんなんだなも」

「ソレイユの護衛が来る。お前の仕事は公女の護衛を殺すことだ。そのためにお前を連れてきたんだから、給料分の仕事をしろ」

「分かったんだなも。おで、頑張るだなも!」

 立ち上がった男はドタドタと足音を響かせてスイートルームから駆け出していった。

 出て行った男を一顧だにもせず、ターヒルは他の部下に指示を飛ばす。

「部下どもに戦闘態勢を取らせろ」

「レベルは?」

「ウェポンズフリー。出し惜しみは無しだ。相手は『ロリコンのシロ』なんてひでぇ二つ名を持つくせに、公女殿下の懐刀にして最低最悪の狂犬だ。気を抜けば痛い目を見るのはこっちだぞ」

「そんなにですか? 相手はただの人間でしょう?」

「今まで公女に手を出した奴らは、その護衛によって壊滅に追い込まれてるんだよ。ただの人間だからって油断すると痛い目を見るぞ?」

「……俄には信じられませんね」

「そのためのウェポンズフリーだ。やっこさんらが一般人を追いだしてくれたんだから、派手にやっちまえば良い」

「承知しました。『セリアンスロゥプ』の力、見せてやりましょう」

「おう。成功報酬をベッドに敷き詰めて待ってるぜ」

「ふふっ、楽しみにしておきます」

 そう言って妖艶な微笑を零した女は、武装を確認しながら部屋を出て行った。

「……ったく、人がせっかく準備に手間と時間を割いて公女から引き離したってのに。嗅ぎつけてくるのが早すぎだ」

 ターヒルは己の誤算を嘆きながら、わざとらしく溜息を吐いた。

「餌に使ったCIAが思いの外、腰抜けで計算違いしたぜ。貿易交渉の間、公女の身柄を確保しておかなきゃなんねーってのに。どこでミスったんだか……」

 嘆きながらも、ターヒルは淡々とした調子で武装を確認し、臨戦態勢を整える。

「まぁそれもこれもロリコンを()れば帳尻は合う。お手並み拝見と行こうか」




 ガラスを割ってホテル内に突入した俺は、バイクから飛び降りながら鯉口を切る。

「なんだぁ、てめぇ」

 派手な音と共に現れた闖入者である俺に対し、無頼漢が威圧するように声を荒げながら近付いてくる。

 あまりにも無防備に近付く無頼漢に憐れみを覚えるが、ただそれだけだ。

 一歩踏み込むと同時に愛刀・都牟刈(つむがり)を抜刀し、無頼漢の腕を下から上に向かって真っ直ぐ斬り上げた。

「あん? てめぇ、何を……ぎゃあ! 腕が! 俺の腕がぁぁ!」

 腕を切断されたことにしばらく気付かなかった無頼漢は、だがそこにあるはずのものが無いことに気付くと恐怖に満ちた悲鳴を上げる。

 それが開戦の合図となった。

「おい! あいつがロリコンのシロじゃねーのか!」

「標的がご到着だ! ぶっ殺すぞ!」

「あいつを()れば、クリティ島でやりたい放題だ! 絶対に殺せぇ!」

 口々に喚きながら無頼漢たちは銃器を取り出し、俺に向かって一斉に撃ち放った。

 数えるのも嫌になるほどの拳銃や短機関銃が火を噴き、発砲音が鼓膜を叩く。

「ちっ……」

 数十丁もの銃口が俺一人に向けられては、無謀に突っ込む訳にはいかない。

 舌打ちと共に地面を蹴って遮蔽物に身を隠す。

(相手は銃を持ってるが動きは素人同然。だが如何せん数が多くて面倒だな。懐に飛び込めれば制圧は容易なんだが……)

 次の一手をどう打とうかと考えていると、そこに頼もしい同輩の声が聞こえてきた。

「援護するぜ、子犬(パピー)!」

 散在しているガラスの破片を踏み越えて姿を現したビリーが、腰だめに構えたトミーガンで弾をばら撒く。

「ガハハハハッ! 銃には銃をってなぁ! くたばれ雑魚ども!」

「助かるぜオッサン!」

「某もいるでござるよ!」

 ビリーの背後から飛び出してきた鞆江が、(だん)()の合間を縫うようにロビーを疾走し、銃を撃ち放している男たちに突入した。

「ゴメンでござる! ゴメンでござる!」

 奇妙な声を上げながら、鞆江は周囲の男たちに手当たり次第に斬りかかる。

 弾雨の中を突っ込んでくる女の姿に度肝を抜かれたのか、悪漢たちに混乱が生じた。

 できた隙に便乗して遮蔽物から飛びだし、鞆江に向けて発砲しようとしていた悪漢をたたき伏せる。

「シロ! 待たせてすまなかったでござるよ!」

「いや、充分助かっているよ。鞆江、ここは任せて良いか?」

「当然でござる。ここは某とビリーに任せて、シロは早くアンジェリク嬢の救出に向かうが良いでござる」

「恩にきる……!」

 快諾してくれた鞆江に頭を下げたあと、俺はエレベーターに向けて駆け出した。

 時折、物陰から飛び出してくる悪漢たちを叩きのめしながら、エレベーターホールに駆け寄って、手近な昇降ボタンを叩く。

 やがて到着を告げる場違いなメロディがいくつも聞こえ、何基も並んだエレベーターの扉が一斉に開くと、そこから影のようなものが飛び出してきた。

「なにっ!?」

 不意を突かれ、仰け反った俺に襲いかかってくる影の一撃。

 その一撃を首の皮一枚でなんとか回避した俺は、距離を取るように後方に飛んだ。

 体勢を整え、一撃を放ってきた影の姿を確認すると――。

「ちっ、うまく避けたね」

 忌々しげに吐き捨てる異形の者たちの姿があった。

 上半身は豹で下半身は人。

 半人半豹の異形の女は、爪に付着した俺の血を払い捨てた。

「変態に似つかわしい不味そうな血の匂いだわ。反吐が出る」

人豹族(ワーパンサー)だとっ!? おまえらセリアンスロゥプか!」

 セリアンスロゥプ。

 亜人とも、獣人とも呼ばれる『人に似て、人に在らざる者』。

 人類が支配するこの世界において、人類とは相容れない種族であり――人々から化け物と蔑まれ、歴史の闇に葬られた存在だ。

「今更気付いても!」

 人豹族の女の声に呼応して獣人へ変貌を遂げた男たちが、一斉に襲いかかってきた。

 人を凌駕する速度で間合いを詰め、拳を振り上げる。

 獣人の膂力は人のそれとは比べものにならないほど速く、強い。

 普通の人間なら頭蓋が粉砕され、脳漿を撒き散らすこととなっただろう。

「死ねぇぇぇ!」

 呪詛を吐きながら、四方八方から一斉に飛びかかってくる男たちに、

「ちっ!」

 俺は舌打ちと共に腰間の愛刀を抜き放った。

「ハッ! ただのジャパニーズソードで私たちの攻撃が防げるものか!」

 人豹の女は俺の動きを見て勝ちを確信したように嘲笑する。

 だが、その嘲笑はすぐに驚愕の響きに変わった。

 俺が鞘から抜き放った刀で獣人の攻撃を全て弾き飛ばしたからだ。

「俺の愛刀をそこらの数打ちと一緒にするんじゃねーよ!」

「なっ……っ!? だが! そんなジャパニーズソードで私たちが傷付くとでも!」

「今のままではな。起きろ都牟刈(つむがり)! 仕事の時間だ!」

 丹田から声を張り上げると、正眼に構えた愛刀の刀身がぼんやりと光を放ち始めた。

「な、なんだいそのジャパニーズソードは!」

「ジャパジャパうるさいな。これは刀って言うんだよ。それぐらい知っとけ」

 人豹の女に吐き捨てながら、俺は祓詞(はらえことば)を奏上する。

八十禍津日神(やそまがつひのかみ)に真上白が奏上仕る! その御霊(みたま)にて真偽聖邪(しんぎせいじゃ)を見抜き(そうら)え!」

 奏上を終えると同時に、都牟刈の刀身に神代(かみよ)文字が浮かび上がる。

盟神探湯(くがたち)によりてその悪心、俺が斬って捨ててやる!」

「こけおどしを! 何をしてるの! さっさと殺ってしまいなよ!」

「おう!」

 人豹の扇動に呼応するかのように、獣人の男たちが再び飛びかかってきた。

「何度も同じ手を食うかよ!」

 連携して繰り出されてくる拳を全て見切り、すれ違い様、がら空きになった胴に一撃を入れていく。

 愛刀は男たちの胴を確実に真っ二つにし――だが男たちの身体は二つに分かれることは無く、獣化を解かれて人の姿に戻った。

「な、なんだ? あ、あれ? 俺、一体……ぐっ!」

 胴を斬られた男たちは、異口同音に記憶を無くしたかのように混乱した呟きを残し、やがてその場に昏倒する。

「なっ……おまえ、一体何をした!」

「悪心を摘み、刈り取る。それが俺の愛刀・都牟刈の力だ。さぁ、あとはお前の悪心を刈り取れば仕舞いだ!」

「くっ、貴様ぁ!」

 女の表情からは余裕が消え去り、殺意に満ちた視線が俺に向けて放たれる。

「御託はいらん。来いよ。おまえの悪心、刈り取ってやる」

「舐めるなよ、たかが人間風情が!」

 咆哮をあげた女は、重力に逆らって飛び上がり、壁の間を高速に移動する。

 右だと思えば左に。後ろだと思って振り返ると、女はすでに場所を変え、死角から必殺の一撃を放ってくる。

 その一撃を紙一重で避けてはいるが、女の爪は時折、俺の肌を斬り裂く。

「臭い血だ! ほんと不愉快だよ、おまえの存在全部が!」

「悪心に塗れた者にとって俺の血は毒だからな。だが安心しろよ。すぐにその悪心を刈り取ってやる」

「やれるものなら!」

 真っ正面から躍りかかってきた女は、だが持ち前の速度で一瞬にして俺の背後に回り込んでいた。

()ったぁ!」

 勝利を確信した歓喜の声と共に繰り出される、首元への一撃。

 当たれば爪によって頸動脈を切断され、大量の出血の中、血溜まりに倒れることになるだろう。

 だが――。

「千年早い」

 飛び込んできた女に向かって自ら踏み込み、女の爪が首元に届くよりも早く都牟刈を振り下ろした。

「が……!」

 都牟刈は女の頭頂から股間までを紙のように容易に斬り裂き――だが男たちの時と同じようにかすり傷一つつけず、女の中に巣くった悪心だけを刈り取った。

「あ、あれ? 私は一体……ううっ!」

 獣化が溶けた女は呆けたような声を上げると、そのまま頭を抱えて失神した。

 女の身体から漏れ出してくる黒い靄のようなものが都牟刈に纏わり付き、やがて刀身に吸い込まれていく。

「どいつもこいつも結構な量の悪心を溜め込んでいたな。悪心を抱いているセリアンスロゥプばかりを集めた集団ということか? ターヒル・ハキム……おまえは一体何を考えているんだ?」

 まだ見ぬ敵の思惑が気になるものの、それは今、俺一人が考えて解決できるような問題では無いだろう。

 俺は思考を切り替え、通信機を操作する。

「エマ、聞こえるか」

『ん。ホテルの監視カメラを通して見てた』

「なら話は早い。事態は予想以上に混沌としているようだ。エマはこの事を本国に連絡し、情報部の連中を動かしてくれ」

『ん。こっちも情報操作のレベルを上げておく』

「頼む」

 手短に返事をしたあと、男たちが乗ってきたエレベーターに足を踏み入れた。

『シロ。お嬢様が監禁されている最上階のスイートルームに敵を確認。数は二十ほど。気をつけて』

「要らぬ心配だよ。だが……ありがとう、エマ」

『ん。お嬢様とシロの帰りを家で待ってる』

「ああ、そのときは美味い珈琲を淹れて出迎えてくれ」

『ん』

 エマとの通信が終わり、俺は都牟刈を鞘に戻して昇降機のボタンを押した。




 シロが最上階を目指して奮闘している頃――。

 部下を迎撃に向かわせたターヒルは、部屋で臨戦態勢を整えながら、拘束されているアンジェリクに語りかけていた。

「いやはや。二ヶ月という時間を掛けて慎重に事を進めてきたというのに。公女殿下の護衛は優秀で困りますな」

 言いながら、ターヒルはアンジェリクに近付き、目隠しと口枷を外した。

 ついでとばかりに開脚を強要されていた四肢の拘束を解き、痴態を晒すアンジェリクにシーツを投げ渡す。

「部下の福利厚生を充足させるのも上司の仕事ですからな。ですが私自身は子供の痴態に喜ぶ性癖は持ち合わせていない。公女殿下には身なりを整えてもらい、しばし話に付き合っていただきましょう」

 投げ寄越されたシーツで半裸の身を包んだアンジェリクは、きつい眼差しでターヒルを睨み付けた。

「ターヒル・ハキム。あなたは一体何者です?」

「何者とはまた妙なことをお聞きなさる。挨拶をしたときに申し上げた通り、俺は金さえ貰えれば非合法なことでも喜んでやる何でも屋。秩序に反抗するならず者。ただのしがないテロリストですよ」

「……そんなことは分かっています。私を誘拐したのも中東連合からの依頼なのは明白。確かにあなた自身が言う通り、金さえ貰えばなんでもやる悪人なのでしょう」

 そこで言葉を切ったアンジェリクは、探るような表情でターヒルを睨む。

「私が聞きたいのはそんなことではありません。あなたは獣人(セリアンスロゥプ)を集めて何をしようとしているのです?」

「ほお。お気づきでしたか。さすが獣人の支配階級である幻想種(ファンタジカ)だ」

 肩を竦めて応えたターヒルは、テーブルに置かれていたグラスを手にしながら言葉を続ける。

「公女殿下。獣人たちがこの世界でどのような生活を送っているか、あなたは知っていらっしゃるか?」

「当然です。私たち幻想種は獣人たちを導く使命を持つのですから」

「導く使命ね。さすが支配者として獣人の上に君臨している上級種族は意識が高い。……高すぎて反吐が出る」

 吐き捨てるように言ったターヒルの瞳に暗い炎が宿る。

「あなたたち幻想種は口を揃えて獣人に指導する。『人類を敵に回してはいけない』『人類に獣人だとバレてはいけない』『獣人は獣人たちで協力して生き延びねばならない』。……全て欺瞞。全てただの理想論。現実を知らない高慢な種族の押しつけだ」

 アンジェリクをじろりと睨みながら、ターヒルは皮肉を吐く。

「バカな獣人たちはその言いつけを頑なに守り、人間の中に紛れて生活をしている。社会からの保障もなく、何の後ろ盾も持たず、闇に隠れるように生きている。そんな後ろ暗い奴らには当然、害虫どもが集ってくる」

 ソファーにどかりと腰を下ろしたターヒルが、感情を押し殺した声で続ける。

「俺の母はね。その欺瞞に満ちた言いつけを守り抜いて死んだんですよ。人間たちにレイプされ、最後は拳銃で眉間を撃たれて。獣化すれば人間なんて簡単に殺せたものを」

 憎しみに満ちた口調で吐き捨てたターヒルは、手に持ったグラスを煽った。

 注がれていたウイスキーが、怒りの感情と共にターヒルの喉を焼く。

「人間なんてものはただの雑魚だ。俺たち獣人よりも力が弱く、動きも鈍く、魔力だって持っていない。ただ数が多いだけのゴキブリのようなものだ。だから駆除するんですよ。俺たち獣人が」

 暗い笑みを浮かべたターヒルが、アンジェリクを睨み付けた。

「獣人を導くだの、人類との共存だの、叶いもしない御託を並べ、今、苦しんでいる獣人たちを不幸のどん底に叩き落とす幻想種どもを。目前にある現実を否定し、獣人を空想の産物として切り捨て、数を恃んで世を支配する人間どもを。両者をこの世から抹殺し、この世界を獣人の楽園にする。……それが俺たちはみだし者が目指す世界だ」

「世迷い言を……! それこそ現実を知らない誇大妄想ではないですか!」

 ターヒルが語った目的を、アンジェリクは強い口調で非難した。

「世界はすでに暴力で物事を解決できる時代ではないのです。力とは暴力だけを指すのではなく、経済と世論と外交を含むようになった。例え獣人としての力を乱用し、人間よりも強いと誇ったところで、そんなものは一時的な快楽に浸るだけの誤魔化しでしかないでしょうに……!」

 拳を握りしめ、アンジェリクは非難を続ける。

「獣人とて生きるためには食事をしなければならない。食事を欲するならお金が必要で、そのお金を稼ぐために働かなければならない……。全世界に居る一億の獣人たちが健康で文化的な最低限度の生活を営むためには、社会を構築し、他国と貿易して外貨を稼ぎ、経済を循環させなければならないのです。そのためにも人類との共存が不可欠!」

「そんなことは分かっているさ! だが挙げ句、俺の母はレイプされて殺された!」

 アンジェリクの言葉にターヒルが激高する。

「母を殺された俺に、それでも人類を憎むなと言うのか!」

「それは……」

「答えろ幻想種!」

「――」

 ターヒルからの詰問に答えられず、アンジェリクは絶句するしかなかった。

「……答えられないのであれば、これ以上の問答は無用でしょう。あなたは幻想種としての使命とやらを果たせばいい。俺は俺で、俺の目的のために人間どもを殺して生きていく。ただそれだけのことだ」

 ターヒルの言葉に被せるように、廊下から銃声が響いてくる。

「どうやら公女殿下の護衛執事が到着したらしい。公女殿下は精々、護衛の無事を祈っておけばいい」

「……シロは負けません。絶対に」

 身をくるむシーツをギュッと握りしめながら、アンジェリクは信頼する護衛の顔を思い浮かべる。

「その信頼にあのロリコン野郎が応えるのが先か、それとも――」

 続く言葉を噛み殺したターヒルが、シーツに包まったアンジェリックの手を乱暴に引っ張った。

「立ってもらいましょう。あなたをロリコンに渡す訳にはいかないのでね」

「どこに行こうと言うのです」

「屋上に迎えの馬車が来る予定でね。あなたの身柄を中東連合に引き渡す。貿易交渉が終わるまでの間、中東男の力強さを味わうのも乙なものでしょうよ。……但し、日常に戻れるのかどうか、俺は知りませんがね」

「……外道め」

「そう。俺は外道だ。それでいい。俺には目指す世界がある。そのためには外道にだってなってやる」

 そう言うとターヒルは短機関銃をアンジェリクに向け、部屋を出るように促した。




 和やかなチャイムの音が鳴ると同時に、エレベーターの扉が開いた。

「来たぞ、撃て!」

 轟音と共に銃口から吐き出された銃弾が豪雨のように降り注ぎ、エレベーターの中に無数の穴を穿つ。

 そんな中、身を低くして飛び出した俺は、弾雨を掻い潜るようにジグザクに走って敵に肉薄する。

 迫り来る銃弾を刀ではじき返し、ホテルの廊下を駆け抜ける。

「な、なんで当たらないんだよ!」

「こいつ本当に人間か! 動きが速すぎる!」

「ええい! 接近戦で片を付ける! 各員、獣化しろ(トランスファー)!」

 リーダーらしき敵の号令に反応し、男たちが一斉に獣人と化した。

 豹や犬のような姿の者……多種多様な獣人たちが立ち塞がる。

「真上白、推して参る!」

 名乗りを上げながら廊下を駆けぬけ、獣人化した敵に向かって斬りかかる。

 敵は膂力も敏捷性も、何もかもが人よりも高性能(ハイスペック)な獣人だ。

 少しの油断が命取りになる。

 敵が多人数の利を活かす前に主導権を握るのが肝心だった。

「刈れ、都牟刈!」

 愛刀に命じながら、接近戦を挑んでくる獣人たちを迎え撃つ。

 人豹は自らの速度を武器を活かして四方八方から鋭い爪で一撃を放ち、人犬(コボルト)は銃器に装着した銃剣を素早く繰り出してきた。

 一つ一つの攻撃が急所を確実に狙い、その一撃が連続して襲いかかってくる。

 例え戦いに慣れた歴戦の兵士であったとしても、人類であるならば膂力と速度で圧倒され、簡単に血溜まりに伏すことになっただろう。

 だが――

「俺たちの連携が通用しないっ!? なんだこいつは!」

「忘れたのか! こいつはロリコンのシロ! 油断するなよお前ら!」

「おう!」

「好き勝手言いやがって! ロリコンで悪いか!」

 男たちの攻撃を弾き返し、返す刀で胴を薙ぐ。

 腹部に吸い込まれた刀身は、敵の肉体を傷付けることなくすり抜け、それと同時に体内から湧き出る黒い靄を引き千切った。

「ぎゃあ!」

 断末魔のような声を上げた男が、糸の切れた操り人形のように床に倒れ込む。

「な、なんだっ!?」

「八十禍津日神の御霊に奏上し、真偽聖邪を見抜く『盟神探湯(くがたち)』によっておまえらの魂にへばりついた悪心を斬って捨てているんだよ!」

「悪心だと! 俺たち獣人が悪魔だとでも言いたいのか貴様ぁ!」

「神に神魔(しんま)の区別なし! 神が分かつは善悪のみだ!」

 善とは『善くあろうとする心』。

 悪とは『悪さをしようとする心』。

 亜人、獣人だからと言って悪ではないし、人だからと言って善でもない。

 人種、性別、種族に思想。

 その全てには本来、善悪なんてものは存在しないのだ。

 それらを分かつのは『善くあろうとする心』か『我利を求める悪心』。

 悪心に染まった魂から穢れだけを取り除くのが愛刀・都牟刈の力だ。

「悪心無くして出直してこい!」

 男たちの魂にこびりついた悪心を刈り取りながら、俺はホテルの廊下を疾走する。

 やがて行く道を塞ぐ敵をあらかた熨した頃、一人の巨漢が目の前に立ちはだかった。

 手には時代遅れの戦斧を持ち、嘲笑を浮かべて俺を見下ろす。

「ぐ、ぐへへ、ここは通さないんだなも」

 醜く歪んだ笑みを浮かべる巨漢から微かに漂う、嗅ぎ慣れた匂い。

「……おまえ、お嬢様に触れやがったな?」

「ど、どうして分かるんだなも? ぐへへ、その通りだなも。あの美少女な公女さま、ひん剥いたらすんごいエロい下着を着てたんだなも。おで我慢できなかったんだなも!」

 鼻息を荒げながら、巨漢はポケットから取り出した下着らしき布を顔に密着させた。

「スーッ……はぁ~……げへへ、いい匂いなんだなも。おまえなんてさっさと殺して、撮ったばかりのお宝映像を楽しむだなも!」

「お宝映像だと?」

「そうだなも! しっかりムービーを撮っただなも。おでの宝物だなも!」

 取り出した小型カメラをさも自慢げに掲げたあと、巨漢は宝物でも愛でるかのように小型カメラに頬ずりをする。

「そうか。……そのカメラ、こちらに寄越してもらおうか」

 お嬢様の動画など世に出回らせる訳にはいかない。

「いやだなも! そんな意地悪言うやつはぶっ殺すんだなも!」

 そう言うと巨漢は人の姿を捨て、獣人としての本性を現した。

 肉体が一回り大きくなり、顔は豚のような顔に変化へんげする。

豚鬼族(オーク)!」

「そうなんだなも! おでは豚鬼族一の戦士なんだなも!」

 咆哮を上げて襲いかかってくる巨漢の一撃を見切り、最小の動きで躱す。

 空を切った巨漢の一撃は、ホテルの廊下を大きく穿つ驚くべき膂力を示した。

「おまえもすぐにぺしゃんこにしてやるんだなも!」

 丸太のように太い腕が、巨大な戦斧を自由自在に操って襲いかかってくる。

 その様はまさに暴風だ。

 鈍い風切り音が響くたびに、人の目を楽しませていた美術品は破壊され、ホテルの廊下に大穴が空く。

「ぐぬぬー、ちょこまかとぉ!」

 当たらない攻撃に苛ついた巨漢が、忌々しげに吐き捨てる。

「どうして当たらないんだなも! おまえ、ちょっとジッとしてるんだなも!」

「おまえが豚鬼族一の戦士だったとしても――」

 答えながら、俺は愛刀・都牟刈を正眼に構えた。

「豚がオオカミに勝てる道理はないんだよ!」

 雄叫びと共に大きく一歩踏み込んで、上段から真っ向に振り下ろした。

 それは何の工夫もなく、何の外連味もない基本に則った斬撃だ。

 だが――。

「げへっ?」

 巨漢はキョトンとした表情を浮かべ、俺の一撃を防ごうともせずに受け止めた。

「あが、あ、あばばばばっ!」

 頭頂から股間に至るまで、真っ向から刀を受けた巨漢は、体から黒い靄を吐き出しながら奇妙な悲鳴をあげて昏倒した。

 靄は導かれるように都牟刈に吸収されていく。

「……お嬢様に触れて良いのは俺だけだ」

 昏倒する巨漢のポケットを探り、下着と小型カメラを没収する。

 やがて靄を吸い終えた都牟刈に視線を向けると、刀身が鈍く光っていた――。




 廊下に倒れた巨漢の身体を跨ぎ、先へと進む。

 二十メートルほど先にある扉の奥からアンジェリクお嬢様の匂いが漂ってきている。

「ここか……?」

 扉の向こうから漂ってくるお嬢様の匂いは、予想に反して薄くなっていた。

「エマ。お嬢様が監禁されているらしい部屋の前まで来た。3001号室だ」

『ん。今、扉を開ける』

 エマの返事とほぼ同時に、扉のロックが解除される。

 これで部屋の中にいる者にも、俺が到着したことがバレてしまっただろう。

 あとは突入するのみだ。

(三、二、一……今!)

 ドアノブを捻り、身を低くして室内に突入する。

 だが――

「居ない?」

 予想外と言うべきか、予想通りとでも言えば良いのか。

 広いリビングといくつかの部屋で構成されたスイートルームの中に、お嬢様の姿を見つけることはできなかった。

 部屋の一つ――寝室では、お嬢様が着ていた服が無残に切り裂かれており、窓際に置かれた椅子には、拘束に使ったであろう縄が無造作にうち捨てられていた。

「エマ! お嬢様がいない! もう一度、ホテル内を精査しろ!」

『ん。五秒待って』

 通信機の向こうでエマが何かを操作している音が聞こえ、やがて答えが返ってきた。

『見つけた。屋上に続く階段の監視カメラで映像を確認。五分前』

「分かった!」

 エマの報告を受けてすぐに部屋を飛び出して目的の階段へ走る。

『シロ。イラクリオ市上空に所属不明のヘリを確認。ホテルに向かってる』

「ヘリで連れ去ろうって訳か」

『ん。到着は推定十分後』

「了解した! エマはヘリの追跡を頼む」

『ん。了解』

 エマとの通信が終わると同時に、屋上へと続く非常階段のドアをぶち破った。

 コンクリートの階段を一足飛ばしに駆け上がる。

(待っていてくださいお嬢様! もうすぐ御身をお救いに参ります!)

 全力で階段を駆け上った先にあった扉の向こうから、二つの鼓動が耳に届く。

 一つは小さく早鐘を打つ鼓動。

 これはきっとお嬢様の鼓動だろう。

 だがもう一つ。

 平常と変わらぬ強い鼓動を響かせる者がお嬢様の傍から感じ取れた。

(こいつがターヒルか……!)

 大きく息を吸って呼吸を整え、俺は屋上に繋がる扉を開いた。

「お嬢様!」

「待ってたぜぇ、ロリコン野郎!」

 罵声と同時に響く銃撃の音。

 短機関銃より放たれる弾丸は秒間十五発。

 絶え間なく降り注ぐ弾丸を、俺は刀を振るって全て叩き切る。

「おいおい! 飛んでくる銃弾をぶった切るとか、どこのサムライヒーローだよロリコン野郎め!」

 弾倉が空になった短機関銃を捨て、男は腰から引き抜いた拳銃の引き金を引く。

 眉間を正確に狙って撃ち放たれた弾丸は、だが俺には届かない。

 全ての弾丸を斬って捨てて、刀を正眼に構え直す。

「拳銃如きで俺を傷付けられると思うな」

「ちっ、化け物が」

「失礼だな。俺はただのオオカミだ」

「シロっ! 気をつけて! ターヒルは――!」

 屋上の柵に手錠によって拘束されているお嬢様が、声を振り絞って警戒を促す。

「セリアンスロゥプ。獣人なのは気が付いていますよお嬢様。ご安心を。すぐに解放致しますので少しの間、ご辛抱ください!」

「はんっ、余裕だな。気に食わねえ」

「それは奇遇だ。俺もお前のことは気に食わない。だからさっさと決着を付けようぜ」

「さっさと? 舐められたもんだ。……たかが人間風情のロリコン野郎が!」

 咆哮と共にターヒルの体型が急変した。

 足の筋肉が盛り上がり、体躯が一回り大きく膨張し――人の顔があった所に紛うこと無き虎の頭部が鎮座する。

人虎(ワータイガー)!」

「種族で一括りにするんじゃねえ! 俺はターヒル! 豚鬼でも無ければ人虎でもねぇ! ターヒル・ハキムだ!」

 雄叫びを上げると同時に、ターヒルが地を蹴って距離を詰めてきた。

「ちっ!」

 ターヒルの動きに対応し、正眼から真っ直ぐに刀を振り下ろす。

 だがその一撃を難なく躱したターヒルが、鋭い爪を立てた豪腕を繰り出した。

 腕力だけで首をもぎ取られそうな強烈な一撃だ。

 その一撃を紙一重で避け、手首を返して逆袈裟に刀を振り上げる。

「はんっ、当たるかよ!」

 身体を仰け反らせて回避したターヒルは、そのままの勢いで後方にとんぼ返りし、俺の首に向けて蹴りを放つ。

 振り上げた足が顎を擦りそうになるのを何とか避け、後退するターヒルを追いかけるように踏み込んで、右袈裟斬りを叩き込む。

 その一撃はターヒルの腕を辛うじて掠めた。

「あんっ?」

 斬られた感触があるのに痛みを感じなかったことに、ターヒルが疑問の声をあげた。

 だがそれは俺も同様だ。

 擦っただけとはいえ、確かに愛刀・都牟刈はターヒルの腕に一撃を入れた。

 本来ならばその一撃によって、ターヒルの魂にこびりついた悪心が都牟刈に吸収されるはずなのだ。

「……てめぇ、俺に何をした?」

 体勢を整えたターヒルが、腕に傷がないことを確認しながら俺を睨みつける。

「さあな」

 ターヒルの問いを誤魔化しながら次の一手を考えていると、胡乱げな表情を浮かべてターヒルが俺を値踏みする。

「獣人化した俺の攻撃を捌き、互角に戦えるなんざ人間のできることじゃねえ。……おいロリコン。おまえ、一体何者だ?」

「おかしなことを聞く。俺はアンジェリクお嬢様の護衛執事だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「はんっ、まともに答える気はないってか」

「どうせ調べたんだろう? お嬢様をプロファイリングしたように」

「そりゃ調べたさ! 標的の周辺にいる者たちは全員調べた。あおっちろい理想論を吐く公女殿下、公女にスカウトされたハッカーメイド。そして七年前に雇われた前歴不肖のロリコン執事。公女の側仕えの中で、おまえだけが唐突に公女の前に現れていた」

「美少女の前に颯爽と現れるのは、できるロリコン紳士として当然のことだぞ」

「ただのロリコンが聖ソレイユ公国公女殿下の護衛執事を務めるだぁ? 冗談も休み休み言えよ。そんなこと、普通はあり得ない」

「なら俺は普通じゃあり得ない特別なロリコンってことだ。お見事。答えが見つかったじゃないか」

「……」

 挑発を聞き流し、ターヒルは値踏みするようにジッと俺を見つめてくる。

「男の熱い視線なんざ願い下げなんだがな。どうせならアンジェリクお嬢様のような美少女に見つめられたいものだが」

「ふんっ、俺は子供に色目を使うような変態は大嫌いだ」

「お嬢様を裸にしておいてか?」

「それは部下がやったことだ。うちの部隊は部下の福利厚生に力を入れていてね。好きにやらせるようにしているのさ」

「つまらん言い訳だ」

「リーダーってのは色々と大変なんでな」

「大変なら、そろそろリーダーを辞めたら良いじゃないか。今なら素敵な腕輪をプレゼントするぞ」

「手錠なんざ願い下げだね。俺にはやることがある」

「代わりに俺がやってやるさ」

「おまえ如きが俺の大望を成し遂げられると思うな、ロリコン野郎が!」

 ターヒルは雄叫びを上げて地を蹴った。

 攻撃は単調だ。

 だがその威力は目を見張るものがあり、俺が攻撃を回避する度に、衝撃によって屋上の床が無残に粉砕される。

「はっ! 俺の生まれ故郷にはこんな言葉があるんだよ!」

「聞いてやるから(さえず)ってみな!」

「当たらなければどうということはない、ってな!」

 当たればただでは済まない力を存分に活用し、豪腕を振り下ろし、蹴撃を繰り出して力で圧倒してくるターヒルに対し、俺は速度でもって立ち向かう。

 得物は愛刀・都牟刈だ。

「力だけで俺を殺れると思うな! 眠れ都牟刈!」

 回避から一転、攻勢に移る。

 ターヒルの攻撃を掻い潜り、懐に飛び込んで渾身の力を籠めて突きを繰り出した。

「ちっ!」

 『斬撃』から『刺突』への動きの変化に戸惑いながらも、ターヒルは首元を狙った刺突をギリギリ回避する。

 だが都牟刈はターヒルの肌に届き、薄皮一枚を斬って血を流させた。

「やはりそういうことか……!」

「はんっ、たかが首の皮一枚で得意がってんじゃねーぞ!」

「謎が解けたんだ。少しぐらいは得意にもなるさ」

 都牟刈は盟神探湯(くがたち)によって悪心を斬る。

 だがターヒルの足を擦ったとき、都牟刈は反応しなかった。

 つまりターヒルには刈り取る悪心がないということだ。

 ならば刀は刀として役立てれば良い。

「探偵気取りとは余裕だな! だが簡単に解決まで持って行けると思うなよ!」

「いいや。そろそろ事件解決と行かせてもらうさ」

 突き出していた腕を引き、瞬息の間に幾度も刺突を繰り返す。

「ちっ! しつこい!」

「獲物の喉笛を食い千切るまで止めるつもりは無いからな!」

「はっ! それが狼だとでも言いたいのかよ」

「違うな! 俺が執念深い性格ってだけさ!」

 ターヒルが刺突の速度に慣れた頃合いで、腕を狙って刀の軌道を変化させた。

 鋭く振り下ろした都牟刈が、虎毛に覆われたターヒルの小手を深々と斬り裂いた。

「くそがっ!」

 斬られた腕を庇いながら、ターヒルが大きく飛び退(すさ)る。

 瞬間、お嬢様とターヒルの距離が大きく離れた。

「お嬢様!」

「シロ!」

 その隙を突き、俺はお嬢様を確保しようと地を蹴って手を伸ばす。

 だが――。

「はっ! 残念だったな! 時間切れだ!」

 ビルの影から突如現れたヘリが、ホバリングしながら機首先端に備え付けられた機関砲(タレット)を稼働させた。

 風の音を吹き飛ばすほど激しく鼓膜を叩く二十mm弾の発射音は、屋上のコンクリートを粉砕しながら俺に迫ってくる。

「あと少しだっていうのに……!」

「ははっ! ざまぁねぇなロリコン野郎! てめぇはそこでジッとしてろ。おまえの大事なロリータ公女は、俺が中東にエスコートしてやるよ!」

 ターヒルは拘束されているアンジェリクお嬢様の下に走り寄ると、手早く手錠を外して力尽くに引っ張った。

「来い!」

「痛っ……!」

「貴様ぁ! お嬢様に乱暴するんじゃねえ!」

「生憎、俺は女への優しさなんざ持ち合わせてないんでな!」

「最低野郎め!」

「ロリコンよりはマシだ!」

 機関砲によって釘付けにされている俺に嘲笑を向けながら、ターヒルはお嬢様を連れて悠々とヘリに近付いていく。

「くそ、このままじゃお嬢様が……!」

 二十mm弾を毎分七百発発射することのできる機関砲を前にして、俺はお嬢様に近付くことさえできず、回避に専念するしかなかった。

 敵はなかなか仕留めることのできない俺に業を煮やしたのか、短翼に装着している対戦車ミサイルを放つべく、空中でホバリングを開始する。

「おい、まさか撃つってのか? 下手すりゃ屋上が崩壊するぞ……!」

 敵の浅慮に呆れと焦りを感じながら、俺は周囲を見渡し、隠れる場所を探す。

 だが、だだっ広い屋上にそんなものがあるはずもなかった。

「くそっ、手の打ち様が――」

 無い。

 思わず弱音が漏れそうになった、そのとき。

 俺の背後で大きな音を立てて扉が開くと、聞き慣れた声が飛び込んできた。

「騎兵隊の参上だぁ! 配達(デリバリー)は要るか子犬(パピー)!」

「要るさ! お代は望みの酒をボトルでくれてやるよ!」

「ダースで寄越しな!」

 笑いながら答えたビリーが、肩に担いだ対空ミサイル(スティンガー)の引き金を引いた。

 腹に響く発射音と共に空を走った弾頭が、ホバリング中のヘリに命中する。

 空気を震わす轟音が辺りに響き、爆風が身体を浮かす。

「ハッハー! 見たかクソッタレ誘拐犯ども(キッドナッパーズ)!」

 爆散するヘリに向かって中指を立てながら、ビリーはさも愉快だとばかりに甲高い笑い声をあげた。

 だが――。

 機体のバランスを崩しながら、ヘリは最後のあがきとばかりに照準していた対空ミサイルを撃ち放っていた。

 射出されたミサイルが屋上に接触し、轟音と爆風を撒き散らす。

「きゃあーっ!」

「お嬢様ぁーっ!」

 爆風によって足を掬われたのか、お嬢様の華奢な身体が宙に浮き、屋上の外側へと投げ出された。

「げぇ! やりすぎちまった!」

「構わん! 俺が助ける!」

 ビリーの焦り声を背中に聞きながら、俺は屋上の縁に駆け寄り――一切の躊躇なく、屋上を蹴って宙に飛んだ。




 地の支えを失い、重力に引かれて空を落ちる。

「お嬢様ぁーーーーっ!」

 目の前を地面に向けて落下する小さな身体。

 高貴な(ロイヤル)銀髪(シルバー)を大気に翻弄されながら、木の葉のように儚げに落ちていくアンジェリクお嬢様に向かって、俺は必死に手を伸ばした。

「シロ!」

 細い身体を風に翻弄されながらも、お嬢様は俺に向かって必死に手を伸ばす。

 触れそうで触れられない距離。

 互いを求めるように伸ばした手は、やがて指先が軽く触れる。

 その指をたぐるように。

 互いを求める心を重ねるように。

 必死に伸ばした手は、互いの願いが叶ったように重なり合った。

 アンジェリクお嬢様の小さな手は恐怖に震えながらも力強く、俺の手を握り返す。

「アンジェリクお嬢様!」

 小さな身体を掻き抱くと、胸の中に場所を移したお嬢様は俺にしがみ付く。

「シロ……シロ……ごめんなさい! 私は穢されてしまいました……!」

 苦しげな懺悔の言葉は、きっと身体を見られたことに対してだろう。

 俺は笑顔を浮かべて(かぶり)を振り、お嬢様の言葉を即座に否定した。

「お嬢様は些かも穢れてなどいませんよ」

「ですが私はあなたの(せん)。穢れる訳には――!」

 卑下し続けるお嬢様の唇を指で塞ぐ。

「人は皆、塵芥(ちりあくた)に塗れて生きるもの。もしあなたが穢れてしまったと卑下するのなら、俺はいつでもあなたの穢れを祓って差し上げましょう。それが俺の本来の役目です」

「シロから見て、私は穢れていないのですか……?」

「ええ。お嬢様はいつも輝く光を纏い、真っ直ぐに人生を歩む方。我が希望。我が夢想。そして我が(せん)

「私はまだ、あなたの饌でいられるのですね……」

 饌。

 それは神への供物のこと。

 お嬢様は自らを供物として捧げることで俺と契約を交わしたのだ。

「ええ。逃げられませんよ、お嬢様」

「……ふふっ、もとより逃げるつもりなどありません。ありがとう、シロ。あなたがそう言ってくれるのなら、私はまだ、私として生きていられます。あなたの饌としてこの身を捧げるそのときまで」

「その意気ですお嬢様。とはいえ……まずはこの状況を何とかしましょうか」

「シロならばどうにかしてくれるのでしょう?」

「仰せのままに。……封印を解きます、お嬢様」

「封印を……ええ。分かりました」

 意図に気付いたのか、お嬢様は俺の目を真っ直ぐに見つめ――やがて瞼を閉じた。

 俺は薔薇の蕾のように色づくお嬢様の唇に、自分のそれを重ねて舌を差し込む。

「んっ……ちゅ……ジュルッ……」

 激しく舌を絡め、互いの唾液を交換する。

 その唾液こそ、封印を解く鍵――。

 お嬢様の胎内で燃えさかる、俺の魂ともいえる鬼火石。

 その鬼火石から湧き出す神力が、唾液に混じって俺の体内に染み込んでいく。

「お嬢様。真上白、しばし人を辞し、悪を征する牙狼となります。お許しください」

「我が身の命運、あなたに託します。大口(おおくちの)真神(まかみ)様」

 お嬢様に頷きを返し、体内から溢れる神力に身を任せた。

 身体は白い光を放ち、肉体が一度、分解される。

 これは神として再生するための儀式の一つ。

 分解された肉体は神力によって(みそぎ)され、神として存在を再構築されて――真上白は大口真神として現界するのだ。

 大口真神となった俺は重力を操作してて落下速度を緩め、お嬢様を抱えたまま地面に舞い降りる。

「お嬢様、怪我はありませんか?」

「大丈夫です。……久しぶりの現界、あなたこそ大丈夫なのですか?」

「なぁに。この程度、どうと言うことはありません」

 お嬢様に返した言葉に嘘はない。

 しかし大口真神としての肉体を構成する神力が、現世の穢れによって黒く染まっていくのを止めることはできない。

 現世の穢れに染まりきったとき、大口真神という神は魔に落ち、核を構成する真上白という人格は消滅することになる。

「無理はしないで。シロはいつも私の傍にいなければなりません。これは雪の夜、あなたが私の、私があなたのものになったとき、交わした約束です。……絶対に忘れないてはいけませんよ」

「御意。……という訳で(けい)。隠れていないで出てこい」

 俺の言葉に反応し、木陰から姿を現したのは近衛咲耶嬢と桂桂の主従だった。

「あ、あははー。なんやバレとったんかいな」

「ビリーや鞆江と違って、桂の気配は分かりやすいからな」

「ほーん? もしうちを格下扱いしてんねやったら、神様と言えども喧嘩売るで?」

「そっちが年若なのは否定せんが、そう言う桂だからこそ、分かりやすいってことさ」

「なんや。うちの本性の話かいな」

「まさか地中海に比良山の鬼が居るとは思いもしなかったがな」

「そらウチもおんなじ気持ちやわ。……鞆江らには内緒にしとってや?」

 肩を竦めた桂の後ろでは、主人たちが言葉を交わしていた。

「……咲耶、もしかして」

「はい。一部始終、拝見させて頂きましたわ、アンジェ様」

「そ、その、これは――」

「慌てなくても大丈夫ですわ。他言するつもりはありません」

「ありがとう。いつか……いいえ。あとで必ず説明しますから。今しばらくは見なかったことにしてください、咲耶」

「承知致しましたわ。……ではアンジェ様。近くに車を止めておりますので、そちらに移動致しましょう。新しいお召し物も用意しておりますわ」

「でも……」

 咲耶お嬢様に頷きを返しながら、アンジェリクお嬢様は俺に視線を向ける。

「俺なら大丈夫です。後のことはお任せを」

「……分かりました。咲耶、手間を取らせます」

「うふふっ、この程度のこと、何でもありませんわ。……シロさん」

「はっ」

「アンジェ様のためにも早く帰ってきて下さいね」

「承知」

 咲耶嬢に頷きを返した俺は、お嬢様に背を向けた。

 重力を操作し、身体を浮かせてホテルの屋上へ飛翔した。




 空中を飛翔し、一直線でホテルの屋上に戻ると、そこではヘリからの銃撃を回避しながら応戦するビリーと、ターヒルに接近戦を仕掛けている鞆江の姿があった。

「ちっ! なんだよこのタイガーマスクはよぉ! こんなの聞いてねーぞ!」

「ビリー、無駄口を叩くなでござる! 目の前にあるものこそ真実であり事実! それを疑うのは生を疑うことと同義でござるよ!」

「つまりは何か? タイガーマスクは実在したってか!」

「人の皮を被った鬼もいるでござろう。人のような虎が居たところで驚くには値せんでござるよ!」

「剛毅だねぇ。だが確かにな!」

 軽口を叩き合いながら応戦していた二人に向けて、ヘリからミサイルが発射される。

「鞆江! ミサイルが来るぞちくしょうめ!」

「あわわわわっ」

 ミサイルを打ち落とそうとするビリーと回避しようとする鞆江。

 だがホテルの屋上に居る以上、隠れる場所などない。

 ヘリから発射されたミサイルは、ビリーたちに向けて一直線に宙を滑り、やがて大爆発を起こした。

 だが――。

「へっ? なんともないでござる?」

「なんだぁ? どうなってんだ?」

「俺が結界で守ったんだよ。……二人とも待たせたな」

「なっ!?」

「おおっ! ……おおっ? 誰でござる?」

「ハクだよ。真上白。今は大口真神だけどな」

子犬(パピー)だと? ……おい。イエスの続き、言ってみろ」

「ロリータ」

「ノー?」

「タッチ」

「こいつ、マジで子犬だぞ鞆江!」

「……その合い言葉はどうにかならんかったのでござるか」

「しょうがねーよ。これが一番分かりやすいだろうが」

「それはまぁそうでござるが。しかし大口真神……なるほど。シロは武蔵(むさし)御嶽(みたけ)に祭られる神様でござったか。まさかシロが人ではなく神様だったとは思いもよらなかったでござるが……まぁ何でもよいでござる。あの悪漢を捕まえれば一件落着でござろう。手伝うでござるよ」

「……俺の本性、気にならないのか?」

「シロはシロでござろう? 某にとってはそれ以上でもそれ以下でもないでござる」

「確かにな。どれだけ見た目が変わろうとロリコンには違いねーし。子犬は子犬だ」

「そういうことでござる。目の前にあるものこそ真実であり事実。某にとっては特に大きな問題にはならんでござるよ」

「……感謝する」

 見た目が変わろうと頓着せず、普段と変わらぬ態度を貫く同輩たちに、俺は少なからず安堵した。

「それよりも、さっさと奴らをとっちめて警察に突き出すでござるよ」

「ヘリまで持ち出すような奴らを警察に突き出して何とかなるのかよ?」

「それは某の考えることではないでござるな」

「相変わらず清々しいほどの投げっぱなしだな!」

「某は刀。難しいことは(あるじ)と桂がなんとかしてくれるでござろう」

「それは俺もおんなじだがよ。まぁ今回はハクとアンジェリクお嬢様が主役だ。脇役は場を盛り上げることに徹するぜ。ヘリは任せとけ」

「ああ。奴のことは俺がやる」

 睨み付けてくるターヒルに向かって、俺は一歩踏み出した。

「はっ……ははっ、はははははっ! これは傑作だ! あのロリコンが神様だって? 笑わせてくれる! 神などいないと呪ったこともあったが、目の前にいるんだったら今までの恨みをぶつけさせてもらおうか!」

 雄叫びをあげたターヒルは、懐から手榴弾を取り出し、俺に向かって投げつけた。

 投擲された複数の手榴弾に向かって、俺は自ら突っ込んでいく。

「気でも狂いやがったか!」

「爆風なんかで神が傷つくものか!」

 至近距離で破裂した手榴弾は、爆風と共に鉄片を撒き散らす。

 だが現世(うつしよ)の武器が結界を纏っている俺に通用するものではない。

「ちぃ!」

 俺の斬撃をぎりぎりで回避したターヒルが、お返しとばかりに豪腕を振るった。

 人の身であれば骨が折れ、腕は引き千切られるだろう人虎の一撃を、俺は片手一本を添えるだけで止めてみせた。

「なんだと……っ!?」

「ターヒル。おまえが根っからの悪人ではなく、本気で獣人の未来を憂いているのは都牟刈を通して伝わってきた。だが……! 安易に暴力に手を出す貴様は、そのせいで大義を失っているのだといい加減に気付け!」

「大義だと! そんなものが何の役に立つ!」

「大義無き力は他者を害する暴力にしかなり得ない! 本当に獣人の未来を勝ち取りたいのであれば、もはや人間と共存するしか方法は無いんだ!」

「あの公女みたいにすれば、獣人は幸せになれるっていうのか!」

「そうだ!」

「笑わせるな! 一度も弱者の立場になったことのない幻想種(ファンタジカ)が、上から目線で語る幸福なんざ反吐が出るんだよ!」

「だからって暴力による革命を志して成功するとでも思うのか!」

「成功させるさ! この俺が!」

「他者の自由を侵害して得た自由は、いずれ他者によって再び侵害されることになる! それが歴史の常なんだよ! その一時的な自由のために、一億を超す獣人たちの未来を侵害するのは間違ってる!」

「ああそうかい! 俺は正しいと思ってるよ!」

 距離を取るように飛び退ったターヒルが、懐から注射器を取り出した。

「あの坊ちゃんの力を借りるのは癪だがな!」

 にやりと笑ったターヒルが、注射器を自分の胸に突き刺した。

 注射器を満たしていた薬品らしきものがターヒルの体内に注入され――やがてターヒルの肉体に変化が起こる。

 黄金に輝いていた虎毛がどす黒く染まり、鋭かった双眸が血のように赤く濁る。

 その双眸に憎悪の光を湛えたターヒルが二回り以上太くなった腕を振るうと、地響きを上げて屋上に穴が空いた。

「見たか! これが俺の力だ! 今ならどんな奴だってぶち殺せる気分だぜ!」

「魔獣と堕ちたか、ターヒル!」

「魔獣だぁ? これは単なるドーピングだ。あの坊ちゃんが寄越したものにしちゃ、いい薬だよ。この力があれば部下共を集めて人間どもを皆殺しにできる! そうすりゃ隠れて生きている獣人たちだって、日の目を見ることができる! 幸せになれるんだ!」

「暴力で得た幸せが長続きすると本気で思っているのか!」

「思っているさ!」

「バカ野郎が! 自棄(やけ)になりやがって!」

「なんとでも言うがいい! 俺はターヒル! ターヒル・ハキムだ!」

 己の存在を訴えるように腹の底から天に向かって咆哮したターヒルが、大人の上半身はあろうかという拳を握って上段から振り下ろしてきた。

 その一撃を身を捻って避けると、拳は空を切って屋上を粉砕する。

「ハハハハハッ! 最高だ! 最高の力じゃないかこれは!」

「ターヒル! 心を仮初めの力に委ねるな! 魂さえも魔獣となりきってしまえば、もう獣人には戻れないんだぞ!」

「構わない! この力で人間どもをぶっ殺せれば!」

 その声を後押しでもするように、ターヒルの身体から湧き上がる黒い靄。

 それはターヒルの悪心だった。

「くそっ、どうしてこうなった……!」

 ターヒルにはそもそも悪心が無かった。

 都牟刈で斬ったときも、悪心が無かったからこそ無傷でいられたのだ。

 ターヒルは純粋に獣人たちの未来を考え、身近であった暴力を使うことでその未来を掴もうとしていたのだ。

 敵としてごく短い時間、言葉を交わしただけだが、ターヒルは手段を間違えた理想家であり、革命を志す男だったのは伝わってきていた。

 だが今、俺の目の前でターヒルは悪心に染まりきってしまった。

 こんなこと、普通ではあり得ない。

(悪心は日々、積み重なっていくもの。それを一気に噴出させて魔獣と化すなんて)

 人に魔が差せば鬼となり、獣人に魔が差せば魔獣となる。

 悪心に染まりきって魔獣となったターヒルは、もはや人に害を為す災厄と同じだ。

「……仕方がない」

 悪心を刈り摘み、穢れを祓うのが俺の役目。

 悪心に塗れ、穢れきってしまったターヒルの魂は浄化するしかない。

 必要なのは悪を摘み刈る都牟刈ではなく、神魔を分かつ神意の剣だ。

十握(とつか)変生(へんじょう)天羽々斬(あめのはばきり)

 握っていた都牟刈にそう命じると、形代(レプリカ)である都牟刈はその本質を変生させて天羽々斬となる。

 これぞ十握剣の内の一振り。

 荒ぶる神である『建速(たけはや)須佐之男命(すさのおのみこと)』が魔獣を退治するのに使った剣だ。

「ターヒル。魔に堕ちたおまえの魂、大口真神が祓ってやろう」

「やれるものならやってみろよ!」

 黒い靄はターヒルの肉体を包んで禍々しく荒れ狂い、赤黒い口を大きく開けて凶悪な牙を見せつける。

 すでに肉体の大部分が悪心の靄に包まれて魔獣化し、人の姿を捨てて獣となってしまったターヒルが、しゃがれた声で咆哮しながら飛びかかってきた。

 首筋を狙う鋭い牙を辛うじて避ける俺を追いかけるように、鋭利な爪が宙を滑って肩を斬り裂いた。

 爪跡からじわりと黒い靄が湧き出して肉体を浸食してくる。

 黒い靄は鎖となって俺の神体に纏わり付いた。

「動けまい。これは俺の! 生まれたときから迫害を受け続ける俺たち獣人の! 獣人なんてものを産み出した神への恨みの鎖だ!」

 纏わり付いた鎖はターヒルの声に合わせ、腕を、足を、首を引き千切らんばかりに締め付けてくる。

「……」

 ギリギリと肌に食い込み、傷を付けると共に肉体を浸食してくるターヒルの悪心を、俺は天羽々斬によって斬り裂いた。

「ぎゃあ!」

 悪心を斬られて悲鳴をあげたターヒルに切っ先を突きつけて言い放つ。

「神がヒトを産み出したんじゃない。ヒトが神と崇めたからこそ、神は神たる存在としてヒトの世に君臨するんだ。……おまえの恨みは筋違いなんだよ」

「だったら俺は! 獣人たちは! 何を恨めば良いって言うんだ!」

「恨むなら悪を恨め。我利(がり)のために誰かを貶める悪を恨み、その悪を跳ね返すために生きろ。アンジェリクお嬢様のように」

「獣人を支配する幻想種の真似なんざ、誰がするものか!」

 天に向かって咆哮したターヒルが、地を蹴って俺に肉薄する。

(こころざし)は違わないというのに。残念だよ」

「死ねぇ! ロリコン野郎!」

 振り下ろされた鋭い爪の一撃。

 その一撃を天羽々斬によって跳ね上げた。

「なっ……」

「さらばだ、ターヒル」

 渾身の一撃を簡単に防がれて呆然とするターヒルに、天羽々斬の振り下ろす。

「ぐああぁぁぁぁぁっ!」

 切口から吹き出すどす黒い汚泥が身を包む神装に降り注ぐ。

 受肉した肉体が魔によって浸食される激痛を堪えながら、ターヒルに止めを差すために刀を突き出した。

 悪心に染まった魂を断ち切る手応えと共に、天羽々斬の切っ先は魔獣となったターヒルの心臓を貫き――俺は刀を引き抜いた。

「ぐぼっ……」

 逆流する血を吐き出しながらターヒルは地に伏した。

「あ、が……」

 苦しげな声を漏らしながら、ターヒルは天に向かって手を伸ばす。

「俺は、まだ死ねない……獣人たちの、未来の、ために……」

「獣人たちが幸せに暮らせるように、お嬢様が今、尽力なさっているのだ。だから安心して逝くが良い」

「へっ……幻想種の、世話になんか、ならねーよ……」

 ニヤリと笑ったターヒルの伸ばしていた腕が、力無く地に落ちた。

「貴様の目指した世界。必ずやお嬢様と共に実現してみせよう。……だから眠れターヒル。猛々しい心と共に」

 天羽々斬を鞘に戻し、俺は物言わぬ骸となったターヒルに黙祷を捧げた。

「ヒャッハー! ヘリの野郎、退却しやがるぜ! ザマァみろってんだ!」

「やれやれ。何とか生き残ることができたでござるなぁ。さすがに空を飛ぶ相手は疲れるでござる」

 ターヒルの死を確認したからだろう。

 ヘリは踵を返してホテルから離脱していった。

「二人とも無事で良かった」

「ヘリの機銃掃射なんざ、若い頃に散々浴びたもんだ。今更当たるはずがねーよ」

「某はそれなりに苦労したでござるが。ともかくシロも無事で良かったでござる」

「ああ。助太刀感謝する」

「うむ! 精いっぱい感謝するでござるよ!」

「それよりよぉ子犬。今じゃなくて良いから、おまえの正体、聞かせてもらうぜ?」

「そうだな。お嬢様のお許しがあれば話してやるよ」

「けっ、なにが”話してやるよ”だ偉そうに」

「こればかりは一存で決めて良いことではないからな」

「そういうことなら待っててやるよ。とにかくこれで一件落着だ」

「うむ。後は郵便局員(ICPOST)が令状やらなんやらを配達してきて、後始末をしてくれるでござろう」

「だな。それにしても……さすがに疲れた。帰ろうぜ」

「で、ござるな」

「ああ、帰ろう。俺たちの主の下へ」


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