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ロリータ公女とロリコン執事  作者: K.バッジョ
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【第三章】【誘拐】

【第三章】【誘拐】

『聖ソレイユ公国で開催される中東連合との「新エネルギー貿易交渉」。その開催が明日に迫り、中東連合の交渉チームが聖ソレイユに入国を果たしています。今回の交渉にはオブザーバーとして米帝エネルギー省のウィリアム・ブレイズ次官が参加。交渉の行方に世界の注目が集まっています。次のニュースです。米帝とシリアの和解交渉が開始されました。シリアのオマル・ターフェシュ大統領によりますと――』

 煙草の煙で白く煙った薄暗い部屋の中で、安物のテレビモニターが今日も理路整然とした口調で世界のニュースを垂れ流していた。

 整髪料で頭髪を整え、黒縁眼鏡を掛けて淡々と喋るキャスターは如何にも誠実に見え、視聴者を騙すにはもってこいな容姿をしている。

「このキャスター、未成年に手を出したのがバレて今、裁判中なんだぜ? お堅いニュースを流す裏では、未成年の肉体をまさぐって下半身を固くしてんだから、クソも良いところだよな」

「……男ってどうして子供が好きなのでしょう? 特に頭の悪いクズと頭の良いエリートほど子供に手を出したがる」

「精神的にも肉体的にも子供なら支配しやすいからさ。支配し、蹂躙し、滅茶苦茶にするのが気持ちいいんだろうな。その気持ちは俺も同じだが、それでも子供を抱きたいとは思えんね」

「隊長は強者だから子供には興味が無いのでしょう」

「固い肉より腐りかけの肉のほうが美味いって知ってるんだよ俺は」

 言いながら、ベッドの隣に横たわっている女性の乳房をわしづかもうと手を伸ばす。

 だが、その手は求めるお宝に届く前に、無情にも振り払われた。

「腐っていて悪かったですね」

 淡々とした口調で言った女性は、身体にシーツを巻いて立ち上がる。

「おいおい。冗談に決まってんだろう? 怒るなよ」

「怒ってはいませんよ。そろそろ起床の時間なので。今日は待ちに待った狩りの時間なのでしょう?」

「ああ。だから滾ってんだよ、俺は」

「ではその滾りは獲物にぶつけてください。成功報酬をベッドに敷き詰めてくれるなら、相手をして差し上げますよ」

「ちっ。金の掛かる女だぜ」

 ベッドから立ち上がった男は、乱雑に脱ぎ捨てたズボンの尻ポケットに手を突っ込み、クリップで留めた紙幣を女性に投げ渡した。

「まぁそういうお高くとまった奴は好きだぜ俺は。……お望み通り、札束のベッドの上でめちゃくちゃにしてやるよ」

「ふふっ……楽しみにしてますよ、隊長」

 部屋を出て行く女性と入れ替わりに、厳つい面持ちの巨漢が入室し、男に敬礼する。

「おう、どうした?」

「部隊の準備が整いました。いつでも狩りを始められますよ、隊長」

「ご苦労さん。それじゃあ子鹿狩りと洒落込もうかね」




 クリティ島の主要都市の一つである『イラクリオ市』には、いくつもの歴史的遺産が存在する。

 その一つは『聖ミナス大聖堂』と呼ばれるクリティ島最大の大聖堂だ。

 イラクリオ市ゆかりの守護聖人『聖ミナス』の名を冠したその大聖堂は、イラクリオ市中央広場から少し離れた場所にあり、美しい色彩が施された宗教画(イコン)や装飾された祭壇が多くの観光客の目を楽しませている。

 その聖ミナス大聖堂のほど近く。

 サッカースタジアムほど広い敷地の中に真新しい病院があり、そこに入院している友人を十日ぶりに見舞った帰り道、アンジェリクお嬢様と俺、エマの三人は、とりとめの無い会話を交わしていた。

「十日ぶりでしたがカタリナが元気そうで何よりでしたね。それにリハビリも順調そうで……退院するのも時間の問題のようで何よりですね。良かった……」

 病院から出て駐車場へ続く遊歩道を歩きながら、お嬢様が嬉しそうに笑う。

「カタリナが元気になれば、今まで以上にレオニダスは尻に敷かれそうですね」

 レオニダスは俺と協力関係を結んでいるマフィア『スパルタンX』のボスの名で、その妹のカタリナはアンジェリクお嬢様の数少ない友人の一人だ。

「逞しい彼女のことです。きっとそうなるでしょう。レオニダスには悪いですが、少し楽しみですね。ふふっ……」

「では次の見舞いのときにはレオニダスも伴いましょうか」

「ええ。是非、同行してもらいましょう。ふふっ……十日後が楽しみです」

 悪戯っぽい微笑みを零したお嬢様と共に、駐車場に向かう遊歩道を歩く。

「シロはこの後、ファビオラ様のところに向かうのでしたね」

「はい。情報を集めるために彼らのセーフハウスに顔を出してみようかと。まず間違いなく歓迎はされないでしょうが、情報を得ないことには動きようもありませんからね」

「……シロには苦労を掛けます」

「なんの。お嬢様の望みを叶えるためならば、例え神様とでも殴り合ってみせましょう。だからそのように悲しげなお顔はしないでください」

「でも私は……」

 納得がいかないのか、お嬢様は申し訳無さそうに言葉を続けようとする。

 そんなお嬢様の言葉を遮り、俺は戯けた調子で提案した。

「お嬢様が心苦しいと仰るのであれば、褒美を前払いしていただく、というのはどうでしょうか?」

「褒美、ですか? ええ。シロが望むものを差し上げましょう」

「では……」

 言いながら、俺はお嬢様の前に跪く。

「いつものように、頭を撫でて頂けますと……」

「こ、ここで、ですか?」

 俺の望みがよほど予想外だったのだろう。

 お嬢様は珍しくたじろいだ様子を見せた。

「ええ、ここでお願いします」

「で、でも人の目がありますし……」

 大人の男を跪かせ、頭を撫でる子供が――つまり自分のことだが――どのような奇異な目で見られるのだろう?

 その想像に羞恥を覚えたのか、お嬢様が顔を赤く染めた。

「いつも二人が部屋でやってることなのに恥ずかしい?」

 エマの疑問に、お嬢様はますます顔を赤くして反論する。

「家の中でしていること全てが、外でしても構わない、という訳ではないのですよ!」

「頭を撫でるのは、家の中でしかやってはいけないこと?」

「うっ……そ、それは、違い、ますけど……」

「シロの目、キラキラしてる」

 エマの指摘は恐らく正しい。

 自分では分からないが、俺の瞳はお嬢様の手を待ち望んで輝いているに違いない。

「ううー……ハァ~……」

 根負けしたのか、それとも別の理由からか。

 お嬢様は大きな溜息を一つ吐いたあと、俺に向かって手を伸ばした。

「シロ。よろしく頼みます」

 小学生らしい小さな手が、俺の髪をまさぐっていく。

 くしゃくしゃとかき乱した髪を撫でつけて整え、整った髪をまたかき乱すお嬢様の手付きは、いつもと同じ優しさに満ちていた。

 時折、お嬢様は俺の髪を強く握り、その刺激が痺れとなって全身を駆け巡る。

 俗説では髪は第二の性感帯らしいが、身体を駆け巡る刺激の心地よさを考えれば、その俗説も頷ける。

 それほどまでに、指先からお嬢様の親愛の情が伝わってくるのだ。

(はみ出し者の俺にさえ、親愛の情を抱いてくれるお嬢様なのだ。俺は必ずその心に報いてみせる)

 忠誠を新たにしていると、やがてお嬢様の手が離れた。

「……満足、しましたか?」

「はい。とても」

「ならば良かったです。……だけど二度と外ではしませんからね?」

「酷なことを。俺はいつでも大歓迎なのですが」

「わ、私が大歓迎できないからです!」

「ならば外でなければよろしいですか?」

「……考えておきましょう」

 フイッと首を横に振って、さも不機嫌そうな様子を見せたお嬢様だったが、耳が真っ赤になっているところを見るに、不機嫌なフリということがまる分かりだ。

「では次もご褒美を頂けるように精進しますよ。で、お嬢様はこの後、どちらへ?」

 俺は膝についた砂を払いながら立ち上がり、お嬢様に問う。

「エマと二人でカタリナの退院祝いを買いに行く予定です」

「ん。エマも一所懸命選ぶ」

「ふふっ、頼りにしてますよ、エマ」

「ん」

 どのようなプレゼントを贈ろうか――楽しげに意見を交換している女性陣の話を小耳に挟みながら、俺は周囲の様子を観察する。

(看護婦と車椅子の少年の散歩に、ベンチでのんびりしている老夫婦、か。確かに今日は快晴だ。まさに散歩日和だな)

 イラクリオン総合病院の広い敷地は、市民たちの憩いの場としても開放されており、天気の良い日には日光浴をする老人や、敷地を駆け回る少年少女たちの姿が多く見える。

 だが和やかな雰囲気に見える景色の中に混じる、無粋な集団を発見した。

「お嬢様、少しお待ちを」

「どうかしましたか、シロ」

「前方に不審な集団を発見しました。念のため、警戒します」

 言いながら、俺はお嬢様を背中に庇った。

 丁度、エマと二人でお嬢様を挟む形だ。

「全員、左脇が不自然に膨らんでいる。銃携行の可能性あり。それと三人が持っているアタッシュケースの中身は多分、MP5」

 エマからの報告を受けながら、腰に佩いた刀を確かめる。

(数は七。あからさまに姿を見せているから、襲撃者の線は低いと思うが……)

 それでも用心して悪いということはない。

 エマと二人でお嬢様の前後をガードしながら、素知らぬ体で集団を通り過ぎようとした、そのとき――。

「まぁ。そこを行かれるのはアンジェリク様ではありませんか?」

 男たちの背に隠れていた少女がアンジェリクお嬢様に声を掛けた。

「あなたは……」

「ファビオラ・ターフェシュでございますわ」

「ええ、もちろん存じております。ごきげんよう、ファビオラ様」

「ごきげんよう、アンジェリク様」

 にこやかな笑顔を浮かべ、少女たちはスカートの端を摘んで淑女の挨拶を交わす。

「まさかこのような場所でお会いするとは夢にも思いませんでした。どなたかご入院されているのですか?」

「ええ。友人の見舞いに来ておりました。ファビオラ様は?」

「わたくしも同じです。護衛の者が二人ほど入院しておりまして。その者たちの見舞いに来ておりましたの」

(来ていた、ということは、見舞いは終わったということか……)

 アンジェリクお嬢様とファビオラ嬢の会話を背中で聞きながら、周囲に怪しい人影がないか確認する。

(それにしても……ファビオラ嬢の護衛どもは素人か? 要人を囲みすぎると動きが取れなくなって、いざというとき要人を逃がすことができないだろうが。もっと分散させろよ……まったく)

 襲撃を受けた後ならば、要人を銃撃から守るために取り囲むことはあるが、通常時に護衛対象の近くに張り付けば、暗殺者の接近を容易に許してしまう。

 接近を許せば、暗殺者に場の主導権が握られる。

 例えば、爆弾を張り付かせた人や動物の接近を許せば、護衛と要人をまとめて吹き飛ばせるし、何食わぬ顔で近付いて護衛の間を縫って刃物で刺殺することもできる。

 護衛が最優先に考えなければならない事は、怪しかろうと怪しくなかろうと、人や物が要人に許可無く近付かないように制止できる状況を作ること。

 護衛とは謂わば肉の盾であり、動く関所も同然なのだ。

 要人の左右と後ろを固めたら、他の者は暗殺者が要人に接近しないよう、距離を取って広がっておくのが大人数で護衛するときの定石だ。

 だがファビオラ嬢の護衛は少女に密着し、片時も離れようとしていない。

(ファビオラ嬢の護衛は正規の軍人だったな……)

 要人警護についてそれなりにレクチャーを受けたのだろうが、有能な軍人だからといって必ずしも有能な護衛が務まる訳ではない。

 書道家が水墨画を描ける訳でもなければ、その逆も同じことで、護衛には護衛用の技術と(センス)が必要なのだ。

「護衛が二人も怪我をなさるとは、尋常なことではありませんね……」

「最近、何かと物騒ですから」

「なるほど。ファビオラ様のご事情はそれなりに把握しております。差し出がましい事かもしれませんが、ファビオラ様の安全のために当家の護衛をお貸し致しましょうか?」

「それは……」

 アンジェリクお嬢様の申し出に、ファビオラ嬢がちらりと俺に視線を向けた。

「アンジュリク・ド・ラ・ソレイユ公女殿下の護衛を務めております、真上(まかみ)(はく)と名乗る者です。以後、よしなに……」

「丁寧な挨拶、痛み入ります。そうですか、あなたがあの噂の……」

「う、噂、ですか? それはどのような噂で?」

 ファビオラ嬢の呟きを受け、アンジェリクお嬢様が焦ったように問い返した。

「うふふ、それはもう色々なところで噂になっておりますから。例えばアンジェリク様と護衛たちの仲睦まじい光景であるとか」

「そ、それは、その……噂と言うのは得てして変に尖った形で一人歩きしやすいものですから、あまり誤解なされないように願います」

「承知致しましたわ。ですが、そうですね……ハク様ならばお力添えを――」

 と、言葉を続けようとしたファビオラ嬢を遮るように、

「余計な口出しは無用に願おうか。ファビオラ様の身辺の警護は我らだけでも充分に務まっている」

 護衛陣のリーダーらしき壮年の男が、不機嫌さを隠そうともせず、ファビオラ嬢との間に割って入ってきた。

(充分に務まっていないから、怪我人を出しているんだろうが……)

 そう思わなくもないが、相手の面子を考えればこの反応も当然のことだろう。

 だが俺にはファビオラ嬢の身の安全を守る、というお嬢様からの密命がある。

 そう簡単に折れる訳にはいかないのだが、それよりも俺は刹那の瞬間、ファビオラ嬢が浮かべた表情が心に引っかかっていた。

(なんだ? リーダーらしき男が割って入ってきたときのファビオラ嬢の表情は)

 ファビオラ嬢の言葉を遮ったとき、彼女はまるで邪魔するなとでも言わんばかりに眉を顰めた。

 それはほんの一瞬だ。それこそ目の前にいるアンジェリクお嬢様でさえ、気付いた素振りを見せていないほどの一瞬だった。

 だが自分を護衛してくれる兵たちに向けて浮かべて良い表情ではなかった。

 その表情が意味するものは何なのか?

 そのことが気になりながら、俺は主命を果たすために思考を巡らせる。

「なるほど。確かに屈強な兵でもあるあなたたちなら、ファビオラ様も安心だろう。だが優れた兵士が優れた護衛であるという公式は、残念ながら成り立つものでは――」

 何とかファビオラ嬢の護衛に食い込もうと、舌を回転させて始めたその矢先。

「シロっ!」

 お嬢様の傍に控えていたエマが警告の声を上げた――。




「シロっ! 九時方向、投擲物三!」

 エマの声に反応し、すぐさま視線を走らせると、

「あれか……!」

 放物線を描き、宙を滑ってくる投擲物を視界に捉えたが、すぐに対処が間に合わないことを悟り、

「伏せろ!」

 叫びながら、俺はアンジェリクお嬢様の小さな身体に覆い被さった。

「きゃっ!」

 爆発物の衝撃からお嬢様の身を守るべく、己の肉体を盾にする。

 だが――予想に反して爆発音はなく、代わりに何かが噴出する音と共に、少女の悲鳴が耳朶を叩いた。

「きゃーーーーーーーーっ!」

 甲高い悲鳴と重なるように短機関銃の発射音が鳴り響き、コンクリートの地面に小さな穴を無数に穿つ。

「あの声はファビオラ様です。シロ、すぐに彼女を――!」

「ダメです! 今はお嬢様の身の安全を優先します! 動かないで!」

「しかし!」

「俺にとってお嬢様の命以上に大切なものはないのです。こればかりは、いくらお嬢様から命令されても聞きません。お願いですから動かないで……!」

 言いながら、腕に力を籠めてお嬢様を抱き締めた。

 お嬢様の小さな身体は、俺が少し力を籠めただけで身動ぎすることもできなくなり、胸の中で肩を小さく震わせる。

 肌を通して伝わってくるお嬢様の鼓動は激しく鳴動していて、感じているであろう恐怖が伝わってきた。

(この程度の修羅場なら今まで幾度も経験してきた。それでも恐怖に慣れるというのは、小学生のお嬢様には厳しい話か……)

 だからこそ俺が守り通す――その決意を再確認しながら、周囲の様子を窺う。

(投擲物はスモークグレネード。煙は広範囲に広がり、視界はゼロに近い。それに血の匂い……ファビオラ嬢の護衛はすでに何人か殺られてるな)

 煙の中で、幾人かが地面に倒れているのがうっすらと見える。

「エマ、無事か」

「ん」

「よし。おまえはお嬢様を連れて駐車場に向かえ。俺はファビオラ嬢の保護に向かう。何かあったら通信で……」

 連絡を取り合おう――そう言おうとした矢先、まだ立ちこめる煙の中、幾人もの足音が聞こえてきた。

 お嬢様とエマに、声を出さないようにジェスチャーで伝え、乱入してきた足音に意識を集中する。

「見つかったか!」

「当然。傷も付けずに確保したさ。ちょろい任務だ」

「護衛と標的以外の奴らはどうする?」

「放っておけ。どうせ何もできやしない」

「了解。標的外の百合姫様については、作戦本部(クォーターバック)に報告する必要がありそうだが」

「それでいい。面倒な調整は上の奴らがやるさ」

「だな。撤収するぞ」

「おう!」

 煙の中に突入してきた時と同様、男たちは手慣れた動きで撤収していった。

 足音が途絶えてしばらくすると、スキール音を響かせて車両が停止し、車扉(ドア)の開閉音が響いた後、音はこの場より遠ざかっていった。

「これは酷い……」

 ファビオラ嬢の護衛を務めていた男たちの半数が青空の下に骸を曝し、残りの者は重傷を負って身動きできずに蹲っていた。

 突然の事で碌に対応出来なかったのだろう。

「シロ。ファビオラ様は……?」

「残念ながら、連れ去られてしまったようです」

「そんな……」

 無念さを噛み締めるお嬢様を慰めながら、俺は襲撃者たちに考えを巡らす。

(実動が三人、逃走車両の運転に一人か。……現場で軽口を叩いていたが、奴ら、本当にCIAなのか?)

 手際については、さすが天下のCIAと言えるほど鮮やかだったが、どこかちぐはぐな気がしてならない。

「シロ。ファビオラ様を助けるのです」

 立ち上がったお嬢様が強い眼差しで俺を見つめていた。

「CIAに先手を打たれましたが、ファビオラ様の身柄を取り返すことができたならば、まだ間に合うでしょう。政争のために不憫な想いをさせてしまいますが……ですが、このまま捨て置く訳には参りません」

「はっ。しかしお嬢様の警護が――」

「エマが居ます。私たちはこのまま学院に戻り、兄様たちと今後の対応について話し合うつもりです。その間にシロはファビオラ様を必ず、取り戻してください」

 両手で俺の服を掴み、縋るように命じるお嬢様の姿を見れば、俺が言うべき言葉は一つしかなかった。

我が主の(イエスユア)御心のままに(マジェスティ)!」

 お嬢様の望みを叶えるのが俺の役目だ。必ずや成し遂げてみせる――その決意を胸に秘め、お嬢様に背を向けた。




「頼みましたよ、シロ……」

 信頼する護衛の背中を見えなくなるまで見送ったアンジェリクは、やがて真剣な表情を浮かべてもう一人の護衛に向き直った。

「エマ、すぐに寮に戻ります。駐車場に急ぎましょう」

「ん」

 簡潔に返事をしたエマは、太股に仕込んでいた拳銃(グロッグ)を構え、アンジェリクを先導する形で移動を開始する。

 だが――二人の少女を襲った危機はまだ消え去ってはいなかった。

「まぁそう急がなくても良いんじゃないですかね?」

 のんびりとした口調とは裏腹に、聞いた途端、背筋に冷たい汗が流れる毒々しい声。

 その声の主は、とびきりの笑顔で――つまりアンジェリカたちにとっては悪意に満ちた表情で――二人の行く手を遮った。

「誰っ!」

 誰何(すいか)の声を上げて銃を突きつけようとしたエマは、だが男の隣に並び立っていた女に肩を撃ち貫かれる。

「ぐっ……」

「うふふ、大人しくしてくださいな、可愛いメイドさん」

 周辺の一般人が悲鳴をあげて逃げ惑う中、女はエマの背後に素早く回り込み、腕を掴んで拘束した。

「急いでいます。エマを離してそこをどきなさい」

「やれやれ。公女殿下は未だご自分の状況が飲み込めないと見える。いや、飲み込めない振りをなさっているだけですかな。本当は分かっているはずだ。俺が何のためにあなたの前に出てきたのか。そして自分がこれからどうなるのかも」

 ニヤニヤと笑った男は、アンジェリクの細い頤に手を掛ける。

「へぇ……子供の癖になかなかどうして。強い意志を秘めた瞳を持ってやがる。さすがは支配階級。……『幻想種(ファンタジカ)』という訳か」

「……っ!?」

「おっと。この程度の揺さぶりに反応するとはまだまだですなぁ公女殿下。それでは相手に正解を教えているようなものですよ」

「……何者です、あなたは」

「ターヒル・ハキムと申します。金さえ貰えば何だってやる、しがない何でも屋ですよ。以後よしなに」

「つまり金を積まれて私を誘拐するのですね。クライアントは中東連合? 米帝? それとも別の勢力かしら?」

「……さて。クライアントについてはお答えしかねますな」

 ほんの一瞬、男が反応に困った事に気付いたアンジェリクが皮肉を零す。

「フンッ……貴方も人のことは言えないようですね」

「くくっ、なかなかどうして。さすが聖ソレイユ公国の公女様だ。小学生と言えども油断はできないらしい」

 肩を竦めて愉快げに笑った男は、だがすぐに表情を改めてアンジェリクを見下ろす。

「俺に付いてきて貰いましょうか」

「無頼漢の言葉に私が従うとでも?」

「素直に従うとは毛ほども思っていませんよ。だからメイドを生きたまま拘束している。その意味……聡明な公女殿下が分からないとは思えませんな」

「……良いでしょう。どこへなりとも連れて行きなさい」

「さすがは聡明なアンジェリク公女殿下。状況の理解がお早い!」

「……」

 男の厭味を聞き流し、アンジェリクは強い眼差しで前を向いた。

「公女殿下を丁重にお連れしろ」

 男の命令に反応し、三人の屈強な男たちがアンジェリクを取り囲む。

「フゴー、フゴー……す、すごい美少女なんだなも……ゲヘヘ、ボ、ボス、おで早くホテルに戻りたいんだなも……!」

「バカ野郎が。公女は大切な人質(ゲスト)なんだよ。間違っても手ぇ出すんじゃねーぞ?」

「う、ううっ、ボス、それはひどいんだなも。こんな美少女が目の前にいるのに、指を咥えてるなんてできないんだなも。早く俺のを咥えさせたいんだなも……!」

「うるせぇ。てめぇ好みの女が欲しけりゃ、この仕事が終わったらどっかで買ってくりゃ良いだろ。公女に手ぇ出すんじゃねえぞロリコン野郎!」

 男は刹那の間に懐から拳銃を抜き放ち、巨漢の部下に突きつけた。

「俺の命令が聞けないなら、今すぐ殺す。どうする?」

「う、うう、わ、わがったんだなも……ボスの言うこと聞くんだなも! で、でも、ちょっとだけ味見とかは……」

 巨漢の男が言った瞬間、空気を震わす音が鳴って巨漢のこめかみから血が流れる。

「わ、わるがった! おでがわるがったんだなも!」

「何度も言わせるんじゃねーよ」

「う、うう、でもおで、こんな美少女初めてみたんだなも……だから、ちんこが勃って仕方ないんだなも……!」

 言いながら、巨漢の男はアンジェリクに顔を近付け、鼻息を荒げてアンジェリクの体臭を嗅ぐ。

「う、う、おで我慢できるか分からないんだなも……!」

「ちっ。ヤるのは禁止だ。ヤッたら殺す。手を出しても殺す」

「うぐぐ、な、舐めるのも禁止なんだなも?」

「当然だ」

「な、なら隊長、着せ替え、おで、着せ替えしたいんだなも!」

「着せ替え?」

「い、生きてる女の子を裸にひん剥いて、自分好みの服を着せるんだなも。げへへ、こ、興奮するんだなも……」

「ちっ……分かった。着せ替えぐらいは許可してやる。それで我慢しろ」

「……! ボ、ボス、動画で撮ってオカズにするのはありなんだなもっ!?」

「手を出さないと誓うなら、見逃してやる」

「あ、あ、ありがとうなんだなもぉぉぉ!」

 感動に打ち震え、涙を流して喜んだ巨漢の男が、アンジェリクに顔を近付けてニチャッと笑った。

「げ、げへへ……楽しみなんだなも……早くおめかししてやりたいんだなも……!」

 生理的嫌悪の塊でしかない巨漢の顔が至近距離にありながら、アンジェリクは表情一つ変えずに黙って前を向いていた――。




 アンジェリクとエマは男たちに囲まれ、乗ってきた車の前まで連行された。

「分厚い装甲と防弾ガラスを備え、対戦車ライフルさえ装甲を貫通することのないスーパーカー。いやはやロマンがありますなぁ。オマケに生体認証によって第三者に利用されることを防ぐ機能まであるときた。要人警護にはうってつけの車両だ」

 男は笑顔のまま、拳銃を抜いてアンジェリクの額に突きつけた。

「だが、どれだけセキュリティを固めたところで、運用するのは所詮、人だ。なぁメイドさんよ。俺が唱える呪文がどんなものか分かるかい?」

「”開け(オープン)ゴマ(セサミ)”」

「Good! 物わかりが良くて助かるね。……公女様のメイドは優秀ですな」

 ヘラヘラと笑いながらエマを賞賛した男は、だがすぐに威圧するような表情を浮かべてアンジェリクの額に銃口を押し当てた。

「開けろ」

「……」

 男の命令にエマは無言を貫く。

「……やれやれ。公女のメイドは優秀なだけでなく頑固なようだ。ここは一つ、公女殿下にも呪文を唱えていただきましょう」

「……エマに手を出さないと約束するなら従いましょう」

「約束、ねぇ。……まぁ良いでしょう。メイドに命じて頂きましょうか」

「分かりました。……エマ」

「ん」

「為すべきことを為しなさい」

「……(コクッ)」

 アンジェリクの言葉に頷きを返したエマは、車のドアに手を伸ばした。

 エマが触れたと同時に全てのドアロックが解除され、エンジンが掛かる。

「おい」

 男に命じられ、部下の一人がドアを開けて運転席に腰を下ろした。

「いけますぜ、ボス」

「そうか。……ご苦労さん」

 乾いた音が鳴り響くと共にエマの額に穴が空き、まるで糸の切れた操り人形のように音をたてて崩れ落ちた。

「エマっ!」

「手は出しませんが、殺さないという約束はしませんでしたからねぇ」

 悲嘆に満ちたアンジェリクの声が響くなか、男はヌケヌケと言い捨てる。

「この外道が……!」

「外道ですが何か?」

「くっ……!」

「金を貰って人攫いをするようなやつが外道でないはずがないでしょう?」

「あなたという男は……!」

「これに懲りたら、次からは無頼漢との口約束など信じないことですな」

「……この!」

 男に食ってかかろうとするアンジェリクに向かって、男は腕を払って頬を叩いた。

 乾いた音が鳴り響き、アンジェリクの小さな身体が大きく揺らぐ。

「ガキが。黙って車に乗れ」

 笑顔の仮面が剥がれ落ち、凶悪な表情を浮かべた男がアンジェリクを威圧する。

「……」

 男を睨み付けていたアンジェリクは、だが状況の不利を悟り、男の言葉に大人しく従うほかなかった。

「ではしばし、ドライブに付き合ってもらいましょう」

「どこへ行くというのです?」

「なぁに安心してください。どこかの倉庫で監禁なんて無粋な真似はしません。向かうのはイラクリオでも人気の最高級ホテルでね。一般人も宿泊するホテルの一フロアを借り切ってご歓待させて頂きますよ」

「……一般人まで巻き込むのですか」

「当然でしょう? 兵隊の数には限りがある。あなたを助けようとする勢力に対抗するのなら、一般人を肉の壁にするのが一番安上がりだ」

「外道め……!」

「ああ、外道だよ。何度も言わせるな」

「……」

「そう、余計な口は開かず、素直なのは良いことです。俺も公女殿下を痛い目に合わさなくて済む。子供を殴るという良心の呵責に苛まれないのは精神的にも健康だ。お互いのためにも貴女には黙っていて頂きましょう。……出せ」

 車の助手席に乗り込んだ男が、ハンドルを握る部下に出発を命じる。

 滑るように発信した車の中で、アンジェリクは窓を流れる景色を見つめながら、心の中で信頼している仲間たちのために祈る事しかできなかった――。




 その頃――。

「ったく、平日だってのに車が多い……!」

 制限速度など無視してアクセルを開け、ヘルメットの中で毒づきながら、俺は遥か前方を走る車両を追いかける。

 行き交う車両を接触スレスレで通過し、時に勢い余って坂道でジャンプし――先行する標的に追い縋っていると、ヘルメットに仕込まれている通信端末が入電を告げた。

「今、取り込み中なんだよ! つまらないことなら怒るからなオッサン!」

『ピリピリすんなよ子犬(パピー)。頼りになる騎兵隊が参上してやったんだからよ。それとも何か? 情報(ピザ)の配達はノーサンキューってか?」

「配達料によるな」

『二十五年物のミクターズで手を打ってやる』

「ショットならな」

『ボトルだよバカ』

「ちっ。分かったから情報を寄越せオッサン!」

『オーケィ、商談成立だ! 情報はおまえの標的の行き先だよ』

「待て。どうしてオッサンがそんなことを知ってる?」

『お嬢がファビオラ嬢を守るって言って聞かねーんだよ。で、俺に命じて色々探らせていたって訳だ。裏付けを取るのに時間が掛かっちまって、一歩、遅かったがな』

「ヴァンダービルドは手を引いたんじゃなかったのか?」

『本家は手を引いたよ。だがお嬢は本家の方針に反発してる』

「末っ子の我が儘ってか? だが大丈夫なのか? ヴァンダービルド家は身内にも厳しい事で有名だろ?」

『大丈夫じゃねーからわざわざおまえに連絡したんだよ』

「なるほど。ソレイユ家を矢面に立たせるつもりか」

『今回はな。元々、おまえの主人にも関係あることだろ? 共闘しようぜ』

「……了解した。但しお高いバーボンは無しだ。代わりにうまい日本酒(ライスワイン)を飲ませてやる」

『ちっ。足下見やがって』

 通信機から舌打ちが聞こえてきたのとほぼ同時に、ヘルメット越しに特徴的な爆音が届いた。

「相変わらず下品な音だなオッサン」

『バカ野郎。こういうのはマッチョな音って言うんだよ。男らしくて格好いいだろ』

脳筋(アメリカ)野郎の言いそうなことだ」

『銃で武装した犯罪者どもに刀一本で突っ込んでいく脳筋(カミカゼ)野郎に言われたくはねーな』

「……くくっ、確かにそうか」

 ビリーの軽口に思わず笑いがこみ上げた。

『目的地はハニア港の第三倉庫地区だ。遅れるなよ子犬(パピー)

「オッサンこそ、先走りすぎてヘマするなよ」

『誰に物を言ってんだ? 俺はビリー・ザ・キッドだぜ?』




 ビリーと合流して目的地であるイラクリオ市の隣、ハニアにある港に到着した。

 ハニア港は主に貨物を扱う港で、広大な港の敷地には海外からやってきた貨物が並び立っており、隠れるには持ってこいの場所でもあった。

「この倉庫にファビオラ嬢がいるのか?」

「ああ。最近、使用目的は不明ながら大金を積んだ借主が現れたらしくてな」

「時期は?」

「丁度、おまえと『アリアドネーの糸』で飲んだあとだ。貸主のオッサンがクラブで派手に遊んで金をばら撒いていたらしい」

「景気のいい話だ。裏付けは?」

「済んでる。情報の出所はヴァンダービルドだがな」

「はぁ? 本家はファビオラ嬢を無視する方針じゃなかったのか?」

「本家は確かにその方針だよ。情報を寄越してくれたのはお嬢より四つ上の姉だ」

「胸は?」

「完璧」

「なら対象外だな。姉ってのは確か……」

「アリシア様だ。アリシア・ヴァンダービルド。ヴァンダービルド家の二男三女の内、次女にあたるお嬢様だ。ちなみに三女がお嬢だが……絶対に手を出すなよロリコン」

「安心しろ。俺の心は世界一美しくて可愛いアンジェリクお嬢様に捧げている」

「世界一美しくて可愛いのはうちのお嬢なんだが……まぁいい。とにかくアリシア様が貸倉庫の情報を俺にリークしてくれたって訳だ」

「セシリア嬢を通り越して、か? ……何か裏があるんじゃないだろうな?」

「アリシア様に限っては無いだろう。家族の中で唯一、お嬢が気を許してるのがアリシア様で、アリシア様もお嬢を可愛がってる」

「……なら、ひとまずは信用に値するってことか」

「俺はそう考えている。……で、どう攻める」

「時間を掛けずに強行突破」

「おいおい、人質がいるのにか?」

「人質を殺すような素人にジャック・ライアンは務まらないだろ? ……と言いたいところなんだがな」

「引っかかる言い方だな。何があった」

「ファビオラ嬢を誘拐するとき、奴ら、現場で雑談してやがった」

「……マジかよ。ラングレーの練度も地に落ちたもんだ」

「相手がプロならある程度、動きは読める。だが素人に毛の生えた程度の自称プロ相手に強行突破する蛮勇は俺には無い」

「同感だ。なら倉庫内に潜入して、隙を突くしかねーな」

「そうしよう。俺が先陣を切る。オッサンはフォローを頼む」

「妥当だな」

「お互いプロらしく、さっさと終わらせようぜ」

「おう」

 握りしめた拳をぶつけ合って互いの健闘を祈ったあと、俺は足音を忍ばせて貸倉庫への接近を開始した。

 倉庫はよくあるタイプの倉庫だ。

 幅は百メートルほど。奥行きは二百メートルはあるだろう。

 どこにでもある一般的な倉庫で、善意の世界で生きている者ならば、こんなところに大統領の子女が監禁されているなど夢にも思わないだろう。

 倉庫の入り口は大型重機が通れるほどの広さを持ち、鉄の大扉の横には人間サイズの通用扉が備わっている。

 壁は打ちっぱなしのコンクリート。

 屋根はトタン板で覆われており、空調用の大型ファンがいくつか設置されている他に換気用の窓がいくつも並んでいた。

 中の様子は窺い知れないが、窓からは高く積まれたコンテナが垣間見える。

 コンテナには錆が浮かんでおり、倉庫が長年、放置されていたのが窺い知れた。

(周囲に人影は無いが、入り口頭上の窓際に一人、歩哨が立っているな。……となると横からか裏からか)

 気配を殺して倉庫の周りを偵察していると、通信機からビリーの声が聞こえてきた。

『裏に歩哨が一人』

 必要最低限のビリーの通信に、俺はマイクを二度叩いて答える。

(表に一人、裏に一人。……ファビオラ嬢の確保に四人動いていたが、それだけってことはないだろう)

 だがファビオラ嬢確保の実働部隊はどこか甘い気がしていてならない。

(俺の勘違いなのか、それとも何かの誘いか……まぁいいさ)

 どれだけ考えたところで、達成すべき目的に変更はない。

 敵の手からファビオラ嬢を救出する。やることはただそれだけだ。

 改めて覚悟を決めた俺は、貸倉庫の側面に備え付けられたメンテ用の金属はしごに手を掛けた。

 音が鳴らないように注意しながらはしごを登り、換気用の窓を開いて貸倉庫の内部に身体を滑り込ませ、意識を耳に集中させる。

「……」

 人間離れした聴覚は俺の武器の一つだ。

 意識を集中すると、広々とした倉庫の中の様子が手に取るように脳裏に浮かぶ。

(入り口と裏口に一人ずつ、他に男の声が五つ……その傍で小さい音が聞こえるな。ファビオラ嬢の鼓動か……?)

 俺は雑多に入ってくる音を意識から外し、ファビオラ嬢の音だけに耳を傾ける。

(聞こえる……)

 とくん、とくん、と一定のリズムを刻む音が耳に届く。

 その音を聞いて、俺は全てを理解した。

 理解してしまった。

「そういうことかよ……!」

 ファビオラ嬢の役割を推察し、俺は確認のためにエマに通信を飛ばした。

 だが――エマが通信に応えることはなかった。

 その事実によって自分の推察が的を射ていることを確信した俺は、身を隠していた場所から飛び出すと同時に、別行動しているビリーに連絡を入れる。

「オッサン、突っ込むぞ。援護しろ」

『へっ? はっ? 何がどうなって!』

「事情は後で説明する。行くぞ……!」

『お、おいちょっと!』

 通信機越しに聞こえる声に応えず、俺は通路の手すりを飛び越えて十メートル下の地面に向かって飛び降りた。

 普通の人間ならば、それほどの高さから飛び降りれば無事では済まない。

(だが、生憎と俺は普通の人間とは違う!)

 俺にとってはこの程度の高さは問題にもならない。

 高所から飛び降りた俺は、重力に引かれるに任せて落下し、コンクリートで固められた床の上に着地した。

 左右を確認し、敵の姿が見えないことを確認した俺は、ファビオラ嬢の鼓動が聞こえる方に向けて地面を蹴った――。




「いまさら作戦を中止するだと! ふざけるな!」

『反論は認めない。何度でも言うが作戦中止は決定事項だ。我が国の治安維持部隊への砲撃は中東連合の自作自演だ、とオマル自身からリークがあった。白亜宮(ホワイトハウス)は事態の異常性を鑑み、作戦の中止を厳命した。おまえたちはオマルの娘を解放後、速やかに撤収せよ』

「簡単に言うな!」

『迎えの船が一時間後にイラクリオ港に到着する。その船に乗ってクリティ島を脱出せよ。繰り返すがこれは白亜宮からの勅命である』

「ぐっ……了解した。すぐに撤収を開始する」

『貴官らの幸運を祈る』

くそったれ(ガッデム)!」

「なんだ? 何があった?」

「俺にも詳しいことは分からん。だが白亜宮から作戦中止の命令が出た」

「なんだと? どういうことだ?」

「だから分からんと言っている! 命じられたのはオマルの娘の解放と、俺たちの即時撤収だけだ」

「マジかよ……」

「マジだよ。馬鹿らしいことだがな。……クソッ、この作戦を成功させれば、SOG偏重の状況が見直され、PAGの存在感を示すことができたものを――」

『なるほどね。おまえらCIAの扇動屋か』

「誰だっ!」

 拳銃を構えようとした男の向かって、俺は物陰から飛び出して刀の峰を打ち付けた。

「がっ……!」

 乾いた音を立てて折れた手首を抱え、苦悶の声を漏らす男には目もくれず、続けて他の男たちに襲いかかる。

「な、なんだぐあっ!」

「ひ、ひぃ!」

「……っ!」

「ぐっ……」

 一呼吸の間に五人の男たちを叩きのめし、俺は刀を鞘に戻した。

 苦悶の声を漏らして床で蹲る男たちを警戒しながら、ファビオラ嬢の拘束具を外すと同時にビリーへ通信を入れる。

「こちらハク。敵は片付けた。そっちは」

「終わってるよ」

 遠くの物陰から姿を現したビリーが、床に転がる男たちの顔を覗き込む。

「資料で見たことのある顔が混じってるな。それも特殊作戦班(SOG)じゃなくて、政策行動班(PAG)の方だが……。さしずめSOGに水をあけられたPAGが、予算確保のためにわざわざ現場に出張ったって感じだな。内部で縄張り争いとはCIAも落ちたもんだ」

 呆れた口調で呟いたオッサンが、男たちの武装を解除しながら俺に問い掛ける。

「で、状況はどうなってんだ?」

「誘拐作戦が中止になって、混乱のさなかってところだな」

「なんだそりゃ?」

「なんだもなにも。全てはシリアの掌の上だった、という訳さ。そうでしょう? ファビオラ・ターフェシュ嬢」

 拘束を解かれたファビオラ嬢は、取り乱すことも安堵することもなく、無表情のまま椅子に腰を下ろしていた。

「……私は何も喋りません」

「なるほど。……その言葉だけで充分だ」

 『何も喋らない』ということは、『何かを知っているが、何を聞かれても答えない』という意思表示だ。

 その言葉は、俺が言った『シリアの掌の上だ』という言葉を無言で肯定していた。

「なんだ? 俺にも分かるように言ってくれ」

「悪いが時間がない。俺はすぐにアンジェリク様を助けに行かねばならん」

「あん? どういうことだよ?」

「エマと連絡が取れない」

「なっ……っ!? ちっ、そういうことかよ……!」

 俺の返答で全てを察したのか、ビリーが苦々しげに吐き捨てた。

「すまんが、後の処理は任せる」

「おう、任された。おまえは自分の主を救いに行け。追っ付け合流する」

「感謝する……!」




 ビリーに後事を任せた俺は、バイクに跨がってイラクリオ市への道を急ぐ。

「まさか、ここまで大掛かりな仕掛けだったとはな……」

 限界までアクセルを開き、並走する車両を追い越しながら、俺は内心の焦りを無理やり抑え込み、自分たちが置かれている状況を整理する。

(中東連合は最初から新エネルギー貿易交渉に焦点を当てて行動していたのだろう。交渉によって聖ソレイユ公国に圧力を掛けるために米帝を巻き込む。そこまではお嬢様も見抜いていたことだが、中東連合はもう一つの手を打っていた。それがアンジェリクお嬢様の誘拐だ)

 キーワードは貸倉庫にいたCIA職員たちが漏らした言葉とファビオラ嬢の行動だ。

(そもそもファビオラ嬢は、米帝との和解交渉の仲介をヴァンダービルドに依頼するつもりなど、最初から無かったんだ)

 その推測の根拠は、砲撃事件後のファビオラ嬢の対応の早さだ。

 あのとき咲耶嬢が気に掛けていた通り、和解交渉の仲介を頼もうとするファビオラ嬢の動きは通例に比べて明らかに早すぎた。

 考えてみれば当然だ。

 ファビオラ嬢は本気でヴァンダービルド家に仲介を求めたのではなく、米帝に対して『米帝内の実力者が介入してくるかもしれない』という危機感――面倒さとも言えるが――を印象づけるためにセシリア嬢に接触したのだ。

 わざわざ人の目のある外庭でセシリア嬢に面会を求めたのがその証左だろう。

 その情報を手に入れた米帝の中枢はこう考えた。

『さっさと利権を確保して軍を引かせたいのに、国内の第三者が介入してくれば交渉は長引くことになるかもしれない』と。

 実力者がシリアを許してやれと圧力を掛けてきたとしても、米帝としては落とし前をつけなければ殴られ損になる。

 国益に必要な利権の確保は、米帝の中枢にとって絶対に必要なことだ。

 そこで米帝は面倒な第三者の介入よりも早く、シリアの利権を獲得して和解交渉を終わらせるため、仲介を求めて動くファビオラ嬢を排除しようとした。

 そして米帝の思惑通り、誘拐作戦は成功する。

 新エネルギー貿易交渉に便乗し、聖ソレイユ公国に軍事的圧力を掛けて何らかの利権を得たいと考えた米帝は、ファビオラ嬢を確保した事実をオマルに伝え、和解交渉の早期解決を迫る。

 だが、その交渉の席上、オマルが真相をリークしたのだ。

 恐らく『米帝を砲撃したのは反政府組織ではなく、偽装した中東連合の兵の仕業だ。中東連合の真の狙いは聖ソレイユ公国の第三公女アンジェリク殿下である』とでも密告したのだろう。

 当然、米帝は事の真相を確認し――アンジェリクお嬢様は護衛が離れた隙に誘拐されていた事実が判明する。

 それもファビオラ嬢が誘拐された現場で、ほぼ同じタイミングで、だ。

 アンジェリクお嬢様の誘拐について無関係だと主張しても、誰も無関係だとは信じない状況に米帝は追い込まれてしまった。

 こうなってしまえば、聖ソレイユの憎悪は米帝に向くことになる。

 中東連合は聖ソレイユの憎悪を米帝に逸らしながら、米帝の軍事的圧力を利用して交渉を有利に進めることができる――。

「米帝は中東連合に利用され、結果としてアンジェリクお嬢様誘拐に一枚噛んだ状況に追い込まれた。ヌーヴェルコロニウムの利権が欲しい米帝は、中東連合の動きを黙認するしかなくなったんだ」

 騒ぎ立てれば、米帝のファビオラ嬢誘拐という非道にまで関心が向いてしまうのだから、米帝としては口を噤んで知らぬ振りを決め込むしかない。

「見事だよ、この作戦を考えたやつは。最小の労力で聖ソレイユだけでなく米帝まで掌で踊らせやがった」

 護衛が離れた隙を突く――その状況に追い込むために必要なのは、状況の構築だ。

 誘拐犯はアンジェリクお嬢様の性格を分析し、ファビオラ嬢に対して手を差し伸べること、その命令は護衛である俺に向けられるであろうことをを予測した上で、この作戦を立てたのだろう。

 結果として、目の前でファビオラ嬢の誘拐現場を目撃したアンジェリクお嬢様は、誘拐犯の分析通り、俺に彼女の救出を命じ、そして俺が離れた隙をついてお嬢様は誘拐されてしまった。

「俺も見事に掌の上で踊らされた。……ファビオラ嬢の鼓動が聞こえていなければ、気付くのにもっと時間が掛かっていただろう」

 見知らぬ暴漢に囲まれ、見知らぬ場所に監禁されているにも関わらず、ファビオラ嬢の鼓動は日常とさほど変わらず、一定のリズムを刻み続けていた。

 そんなこと、普通の小学生では絶対にあり得ない。

 アンジェリクお嬢様でさえ、危機に瀕したときに心臓は早鐘を打つのだ。

 ファビオラ嬢がアンジェリクお嬢様以上に修羅場をくぐってきたとは思えない。

 ならば答えは一つしかない。

「ファビオラ嬢は自分が置かれている状況も、今後、起きるであろう事態も全て知っていたんだ。だからこそ平静でいられた」

 茶番だと知っているからこそ取り乱すこともなく、黙って軟禁されていたのだろう。

 俺が強行突破を図ったのも、ファビオラ嬢の鼓動が聞こえたことで、この誘拐が茶番であることを見抜いたからだ。

 だが……ファビオラ嬢はその役目を好んで務めた訳ではないのだろう。

(『私は何も喋りません』と答えて、俺の推測を肯定してくれたからこそ、すぐに動くことができた。それだけは感謝しておこう)

 ――そのとき、ヘルメットに仕込まれた通信機から声が聞こえた。

『シロ、無事?』

「エマか! お嬢様はご無事かっ!?」

『……』

「くそ……! やはりか……!」

 エマの無言の返答に状況を察し、俺はヘルメットの中で呪詛の言葉を吐き捨てた。

「ごめん……」

「謝るな。おまえがお側にいて、それでも誘拐されてしまったのなら、他の誰がいたとしても同じ結果になっただろう。……怪我はないか?」

「ん。もう治ったから大丈夫」

「治った? よく分からんが怪我がないのなら重畳(ちょうじょう)だ。今はどこにいる? すぐにお嬢様の居場所を探ってほしい」

『お屋敷に戻ってる。お嬢様の居場所は特定してるから大丈夫。敵の正体も判明した。全ての情報をシロに送る』

 エマの返事とともにバイザーの内側に送られてきた情報が投影される。

『お嬢様を誘拐した男の名前はターヒル・ハキム。国際指名手配されている犯罪集団のリーダー。金さえ貰えば何でもする危険度Sクラスの犯罪者』

「待て! そんな危険な犯罪者がクリティ島に来ていた? 入島記録はエマが全て精査したはずだろう?」

『ん。シロから渡されたリストを見直したけど痕跡は無かった。だけど、さっきクリティ島の監視カメラの映像ライブラリを精査してて見つけた。時期はおよそ二ヶ月前』

「二ヶ月前からお嬢様を狙ってたって訳か」

 地元マフィアから受け取った入島リストはここ一ヶ月のものだった。

 エマが見つけられないのは当然のことだ。

 だが――。

「新エネルギー貿易交渉は確か……」

『一ヶ月前、中東連合より聖ソレイユ公国に申し入れがあった』

「ああ。それ以前から準備してたって訳だな。用意周到なことだ」

 中東連合は最初からアンジェリクお嬢様を誘拐することに決め、準備が整った後、聖ソレイユに貿易交渉を申し込んだのだ。

 だが、この分析結果が俺には気に入らない。

 あまりにも綺麗に分析でき”すぎている”。

「エマ、気付いているか?」

「ん。お嬢様の誘拐、裏で第三者が関与してる可能性が高いと思う」

「だな。貿易交渉であれほど願望垂れ流しの要求をしてくる中東連合が、ここまで緻密な作戦をたてられるとは思えない」

 もちろん可能性は完全に否定することはできないが、第三者の黒幕がいると仮定して警戒しておいた方が良い。

「裏取りはエマに任せる。お嬢様が監禁されている場所を教えろ」

『ん。お嬢様はイラクリオ市内の高級ホテル『クノッソス』の最上階。スイートルームに監禁されてる』

「確度は」

『九十九パーセント。ホテル内の監視カメラをハッキングしてターヒルが映ってるのを確認した。敵の数はおよそ三十程度だと思う』

「その程度なら俺一人でなんとかなるな」

『でもホテルには一般人もいる。お嬢様を悲しませたらエマはシロを怒る』

「分かってるよ。一般人にはできるだけ被害は出さないようにする。そのためにもエマ。おまえの力が必要だ」

『ん。ホテルのシステムを掌握しとく』

「頼む。……頼りにさせてもらうぞ、エマ」

『任せて』

 エマとの通信を終え、俺は手首を回してアクセルを全開にする。

 愛車のエンジン音がシートを通して身体中を震動させた。

(待っていてください、お嬢様。すぐに迎えにいきますから……!)




(『任せて』なんて言葉を発したのは何年ぶりかな……。きっと十年。もしかして五十年。下手をすれば百年ぶり。でも……心から言ったのは初めてかもしれない)

 視界を覆うバイザーの中で、私はしばしの間、物思いに耽る。

(お嬢様が拾ってくれてから、まだそんなに経ってないけれど。お嬢様は優しくて、こんな私を受け入れてくれた)

 額を触るといつもと代わらぬ手触りが指先に伝わってくる。

 弾丸を撃ち込まれた跡はもう残っていない。

 これが私の性質だ。

 例え首を斬られようと。弾丸を撃ち込まれようと、爆弾で肉体が四散しようと。

 恐らく核爆弾で蒸発したとしても、私という存在が消えて無くなることはない。

 私が死ぬのは私が死を願った時だけ。

 人間が人間として文化を築くようになって、私たちは生まれた。

 だけど悠久の時間を過ごすなか、仲間たちは皆、自らの死を願い、私を置いてみんな死んでしまった。

 いつのまにか、私は最後の一人になっていた。

 手慰みに電子の世界に触れてみたら、案外面白かったけれど。

 でも一時、気が紛れるだけですぐに飽きてしまった。

 漠然と、そろそろ死んでも良いかなと思っていたら、情報部って人から声が掛かって、言われるままに勉強した。

 勉強はそれなりに楽しかったけれど、やっぱりそれなりでしかなくて……ぼんやりとしていたら、威張り散らした人に命令されて、実戦に投入された。

 そこで私は同僚に人間とは違うことがばれてしまった。

 気持ち悪い、化け物、悪魔、人類の敵。

 そんな風に詰られ、裁判に掛けられて死刑が決定していた。

 死なない私をどうやって死刑にするんだろう?

 そんな風に興味を持ったことは覚えている。

 だけど死刑は執行されることはなかった。

 ある日、女の子がやってきた。

 蹲っていた私に手を伸ばした女の子は、私の手を引いて暗い牢獄から外の世界に連れ出してくれた。

 最初は女の子の目的が分からなくて警戒したけれど、一晩、二人でお喋りをしたら、そんな気持ちも吹き飛んだ。

 私は今、生きている。私は今、生きたいと思っている。

不死者(イモータル)なんて呼ばれる化け物の私を、笑顔で受け入れてくれたお嬢様のために)

 物思いに耽っている間にも、私の脳に繋がれた機械の相棒がネットワークを通じて世界中から情報を集めてきてくれる。

 クリティ島に張り巡らされている程度のネットワークなど、私と相棒にとって解析も侵入も簡単なことだ。

「ホテル『クノッソス』の館内システムを完全掌握。シロ。いつでもどうぞ」


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