思考や感情の言語化と言語の情景化というのは私が思っていたよりだいぶ大変らしい
さて、私はここ最近可能な限り”落ち込んでいるときに聞くと元気になれるかもしれないアニソン・ゲームソング ”というエッセイを更新するようにしています。
これ自体は私がその歌が好きだとか、元気が出ると思う曲を何が何でも読者に伝えたいとか、共感が欲しいというより、頭の中の思考をわかりやすく言語化するために必要な準備運動というか、小説を書くための着火剤のようなもので、これをやりはじめてから、ようやくほかの作品の更新が頻繁にできるようになりました。
2回3回見直しているのに誤字脱字がちっともなくならないのは、もう私の頭がおかしいからとしか思えない状態ではありますが、私の脳のなかの情景が文字が間違っていても、正しいものに勝手に変換してしまうのでしょうね。
小説を書いているのが楽しすぎてハイになり、しまいには幻聴が聞こえてきたり、思考と動作がうまくかみあわない状態になるのはこまったものですが。
でまあ、脳内の思考を言語化するのは、自分が思っている以上に難しく、めんどうくさいものなので疲れたりなかなかできなかったりするのも、しょうがないねということにようやく気がついた感じです。
実際に結構疲れていると一応、脳内では情景というかシーンが浮かんでいてもそれを文字に書きあらわすことってできないのですよね。
そして文字を読み取って脳内で情景化するのも同様に結構大変なのだとも思います。
ラノベに限らずソシャゲや漫画に小説の売り上げが大きく引き離されているのは、文字を読み込んで、それを脳内で情景に変換するというのが、実はかなり負担の大きい行為だからなのでしょう。
なろうはテンプレで、同じような展開ばかりとなるのも漫画などに比べて文字を読んで、それを情景化するのが大変だから、情景化しやすいようにするための最適化された手法なのでしょう。
テンプレ展開のほうが情景化はしやすいが、そこに何らかの新しい刺激がないと、同じようなものばかりでは読むのが面白くなくなるということでは文字媒体は、イラストや絵などでイメージを直接視認できるソシャゲや漫画に比べてとても不利であるのかなと思います。
そして、小説を読んで沸き上がった気持ちを感想やレビューとして書くというのも同様にかなり大変なのだと思います。
なので感想を書いてくれる読者さんがいるのはとても幸せなことだなと思うのですよね。