第2話 貴族のご令嬢と婚約する
「帰ってきたぜ、王都」
俺は幼馴染との別れの後、水の都ヴェネスシティにやって来た。
ヴェネスシティは水路が張り巡らせて景観が綺麗な都市だ。
城塞都市ような灰色の壁の王都ではなく、自然豊かな王都である。
「最初に来たときは兵役試験のために来たけど。まさか、あんなことがあるとはなぁ」
俺はふと、前回訪れた時のことを思い出す。
「ちくしょう! 勝手に呼び寄せて、適性が無ければ即ポイッかぁ!?」
俺はイライラしていた。
兵役試験を受けなければならず、受けたもののお前は兵には向かないと言われ、俺は翻弄されていた。
「きゃっ」
「おい! 静かにしろ」
ヴェネスシティの端の薄暗い場所に腰を掛けていた俺はなにやら不穏な声を聞く。
「よしっ、これであとは身代金を要求すれば……。へへ、バカなお嬢ちゃん。ゴンドラに乗ったまま昼寝して……。
水路は王都全体に張り巡らせているんだ。宮殿は最上流にあるから市民区や貴族区からは行けない。だが、上流にある貴族区から下流にある市民区には行き来は出来る。
ぷかぷかとしてりゃ貴族でもこんなスラム街に流れ着くわなぁ」
何やら説明口調で男が喋っていた。なるほどここはスラム街だったのか。
さっきの内容を聞くと、貴族の令嬢がゴンドラに乗ったもののうとうとしてしまって、そのままぷかぷかとスラムに流れ着いたのか。
なんだか厄介事なので無視しようとすればできたんだが。
「でも、ちょっとだけ。先っぽだけならセーフだろ。へへ」
男の下世話な声がした。俺はイライラしていた。イライラしていたんだ。
「んーーっ。んーー」
「大丈夫、金さえ払えば返すさ。だがその前に、なぁ。へへ」
「おい、何してんだ」
「へっ?」
俺はついその場に出た。理由はイライラしていたから。
「へぶしっ!」
男が振り返ると同時に俺は顔面にパンチを食らわした。
不意に拳を食らった男はふらふらと地面に転げ落ちた。
俺はここぞとばかりに、今までのフラストレーションを拳に換えた。
「オラ! オラ! オラ!」
「ひっ! ぶっ! ぎゃっ!」
ここはスラム街。日常的にリアルファイトがあってもおかしくはない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
「あばっあばっあばばばばばば」
俺の拳が皮を剥け血が出てくる。いくら怒りに身を任せても完全に痛みを鈍化させることはできない。
なので、俺は男の胸ぐらを掴んだ。
「失せろッ」
「ひぃい」
俺が睨み付けると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「んーーっ。んーー」
声のする方を見ると、麻袋に包まれた人影がいた。
麻袋の口は巾着袋のように紐を引っ張れば閉まるタイプで、俺は袋の口を開いた。
「ぷはぁっ」
麻袋の中から勢いよく飛び出したのは女の子だった。
金髪碧眼の美少女。衣服も貴族と言われれば納得の綺麗な格好。身長は俺よりやや小さい。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
「はい。なんとか……って、きゃあ」
女の子が俺の手を見て叫ぶ。
「血が、血が出ています」
「あぁ、まぁな。皮が剥けたんだし」
「すぐに治療を」
そう言うと、女の子は応急措置を施した。
スカートのポケットから白のレースのハンカチを取り出し、俺の拳にバンテージをするようにくくりつけた。
「私のお屋敷について来て下さい。お医者様がいますので」
「いや、そこまでしなくても」
「いえ、このままでは傷が残ります」
「お、おう」
女の子に気圧され俺は従った。
「ゴンドラに乗って下さい。貴族区に入ります」
「ああ」
「貴族区に行くには上昇水流に乗って行きますので。……って、あれ? ここはどこですか?」
「あー、なんだか嬢ちゃんが昼寝している間に、市民区の端の端まで流れちゃったみたいで」
「えっーー。どうしよう、お父様に行ってはならぬとおっしゃっていたのに」
「……なんだか、かわいいね。嬢ちゃん」
「仕方ありません。やや遠くなりましたが、漕ぎましょう」
「大丈夫か? 嬢ちゃんのか細い腕でそこまで漕げるのか?」
「がんばります。助けてもらった恩人にはお返ししませんと」
「…………」
女の子はそう言って、オールを漕ぐものの思ったほど進まない。
おそらく普段は一人でゆったりと漕いで遊覧するんだろう。
だが今は成人男子一人を乗せたまま、急いで漕ごうとする。それも普段より遠い場所から。
それに見かねた俺は、手伝うことにした。
「手伝うよ」
「えっ、そんな怪我をされているのに。無理なさらないで下さい」
「嬢ちゃんの方こそ無理しているだろ」
「で、でも」
「ほら、反対の手で持つから」
「はっ、はい」
俺は女の子の後ろに立たった。右側にオール留めがあるので右手でオールを漕がないと上手くいかない。
しかし、今は右手は負傷している。嘘言ってでも右手で漕いでもいいのだが、それだと女の子が心配する。
なので、俺は女の子の腹から左手でオールを掴むことにする。ちょうど女の子を左腕で抱きつくような形だ。
「あっ」
女の子はそう小さく声をあげると、首筋からみるみると赤くなっていた。
「ごめん」
「いっ、いえ。構いません」
「………………」
「………………」
無言になってしまった。聞こえるのはギーコギーコと鳴るオールの声。
匂うのは女の子の仄かに香る思春期の匂い。体温が上昇したのか仄かに汗も混じる。
感じるのは女の子の火照った体温。後ろから抱きつく感じなので、女の子のじわりとした背中が俺の胴体に伝わる。
「…………大丈夫? 疲れない?」
「っ!? いっ、いえ。大丈夫です」
女の子の筋力ではそう長くは漕げられない。
でも俺は、こんな時間がもう少し、もう少しだけ長く続いたらなと思った。
「………………」
「………………」
「……ねぇ」
「はっ、はい」
「ちょっと、船首に行って案内してくれる?」
「えっ、でも」
「上昇水流に乗りさえすれば、そのままほぼ自動で貴族区に行けるよね?」
「ええ。そうです」
「なら頼む。俺も男の子だからさ」
「……はい。わかりました」
そう言うと、女の子は名残惜しそうにすうっと俺から離れた。
俺一人、それも左腕一本で漕ぐことになるけど、でも大丈夫。さっきいっぱいパワーを貰ったから。
女の子の道先案内もあって、ようやく貴族区に着いた。
「あっ後は私がやります」
女の子は再びオールを漕ぐ。それでも俺はやめない。また女の子の後ろに抱きつく。
またしても女の子の首筋が赤くなる。
「…………なんだか、嬢ちゃんを…………一生懸けて、守らなきゃって思う」
「ふぇっ!?」
俺は女の子の耳元で囁いた。本当にそう思ったのだ。
「あ……あの…………それって………………」
女の子は口を噤んだ。
その先を言わない。
「あっ、見えてきました。……あれが私のお屋敷です」
目の前にはルネサンス建築風のシンプルな建物が見えた。
「ただいま戻りました。ドクター? ドクターはいますか?」
女の子が帰宅を告げると、ドクターを呼ぶ。
すると、えっろい女医さんが現れた。メリハリのあるボディは白衣の上からでもわかる。
その女医さんに医務室に連れて行ってもらって、治療を受けた。
治療とは言っても消毒して絆創膏を貼ったのみである。なんなら医者はいなくとも出来る。
女医さんから応接室にお嬢様が待っていると伝えられ行く。
「このハンカチ洗って返さないとなぁ」
そんなことを呟きながら、俺は応接室の扉を開く。
「あっ、大丈夫でしたか?」
「あぁ。別に傷痕にはならないそうだ。……って後ろの人たちは?」
女の子の後ろで、椅子に座っている二人がいた。
一人はコールマン髭を蓄えた初老の男性。
もう一人は髪をアップにした壮年の女性。
「紹介いたします。私のお父様とお母様です」
「えっ!?」
突然のご両親紹介で、俺は泡を食った。
「どうも、娘のマインの父です」
「母です」
「えっ、ああ、俺はケヴィンです」
「先程、娘から事情を聞きました。娘を助けてくれてありがとうございます」
「い、いえ。当然のことをしたまでで」
「是非ともあなたにお礼をしたい。どうですかね」
「そ、そんな」
俺がうーんと考えあぐねていると、考える時間をくれたのか両親たちは娘に叱責する。
「しかし、マイン、お前は貴族の一人娘なのだ。いくら寝ていたとはいえ、スラム街まで行ってしまうなんて」
「そうよマイン。もし貴女に何かあったらお母さんたち卒倒しちゃうわ」
「申し訳ありません。お父様、お母様」
「またこんなことが起きたらと思うとマインには一人での外出を禁ずるかもしれん」
「そ、そんなお父様」
「……………………」
黙ってこの家族の会話を聞いてたらいくつか思う節がある。
まず、この女の子は貴族の一人娘で箱入り娘だということ。
次に、この女の子はそのことに窮屈だと思っていること。
最後に、母親はどちらかというと父親側だ。娘の完全な味方というわけでない。
「……はぁ」
つい、ため息をした。
家族というのは首根っこを鎖で縛り付ける。
俺には家族という人はいない。擬似家族的な関係性を持った人たちがいるだけだ。
その中の一人のヤツが俺の首根っこをキツく縛り付ける。
10数年逃れられなかった。
成人し兵役試験を理由にしてようやく少しの間、自由になったんだ。
そのバックボーンもあってか、俺は家族については複雑な感情になる。
この女の子は裕福で恵まれている家族だが、上には上にしかわからない窮屈さがあるのだろう。
両親が娘を叱責しているなか、俺は割り込んで言った。
「あの、いいですか」
「はい、なんですか? 決まりましか? 何でも言って下さい」
「はい。何でもいいってことは何でもいいんですよね」
「? えぇ。娘を助けてくれたお礼ですから」
「ならば、俺の願いはただひとつ
『娘さんの強い願いを聞くこと』
それが俺の願いです」
「えっ? それでよろしいんですか? あなたのお礼ですよ」
「俺の幸福は彼女の幸福です」
本当なら『親の幸福は子供の幸福』が正しいのだろう。
「どうか、それだけはわかって下さい」
うーんと父親は唸る。想定問答は金貨を授けるとかだっただろう。
人なりを見ていればわかる。この人たちは何かお礼と称して政治的な悪どい企みをしない。
本当に自分たちに出来うる限りのお礼をしたかったのだ。
「では、マイン、強い願いはあるかね?」
父親が娘にそう聞くと、娘はうーんと考えた。
俺は、自由になりたいとかなりたい職業があるとかを想定していた。
子供の独立心を奪う親はいずれ別れが来ることを拒み続ける。
裕福だから一生娘を楽にしてやれる位の甲斐性はあるのだろう。
でも、一生娘を鳥かごの中で飼うのは間違っている。
だから、俺はこの娘に親と対等に扱ってもらうために、武器を力を持たせた。
「……決まりました」
少女の目から強い決意を感じる。
もしかしたら、縁を切る勢いで言うのかもしれない。
「私はこの方と、結婚します!!」
「へ?」
縁を切るどころか、縁を結びにきたぁ!?
「私、決めました。この方……いえ、ケヴィン様となら添い遂げるって。それにプロポーズもされましたし」
「いやいや、ちょっと待て。した? したかなぁ?」
「ええ。プロポーズの言葉……私、忘れません」
思い当たる節がない!!
「マイン」
母親が真剣な顔をして言う。
「セックスはしたの?」
お母様ぁ!?
「そっ、そんな。だってセッ……は成人してからじゃないと……」
「そう、なら残念」
ええ!? 何しょぼーんとしちゃってんの!?
「ちょっと待ちなさい」
今度は父親が参戦してきた。この流れだと父親も変なことを言わないだろうなっ。
「マインは15歳だ。まだ成人していない。王国法では結婚が出来るのは16歳からだ」
ほっ、父親はまともだった。
「ところで、ケヴィン君はいくつだね?」
「えっ、16歳になりました」
「なら、マインが16歳になり次第すぐに結婚できるね」
お父様ぁ!?
「なので、マイン。それまでは婚約という形にしなさい」
「はいっ。わかりました。お父様」
はあ!? 婚約ぅ!?
「え、え、ちょっと待て下さい。いいんですか? 一人娘をそんな簡単に結婚を許しちゃつて」
「え? だってそれがケヴィン君の願いだろ。それに私どものお礼でもあるし」
「お礼に娘をプレゼントするって聞いたことありませんよっ!?」
なんだか、父親も乗り気になってる。嘘だろ、普通は父親は娘の結婚を嫌がるものだろ。へりくつや揚げ足を取っていじめようとするだろ。
「ちょっと、ケヴィン君」
母親がこそこそと俺の耳元に話しかけてきた。
「マインのこと性的にどう思っているの?」
「はっ? いや、どうって……」
そういえば、ゴンドラで共同作業したときちょっと興奮はしたけど。
「それともお気に召さなかったの?」
「いや、別にそういうわけじゃあ。どちらかというと、むしろ逆だったような気もする……」
「じゃあ、キスできるわね」
「ええっ!?」
「とは言っても友達でやるようなものじゃなくて、恋人のキス。フレンチキスをレロレロレロレロレロレロとできるわね」
「ちょっ、その言い方ですと、ハレンチキスみたいですよ」
ヤバイ母親はこの歳になっても思春期だ。年齢知らんけど。
「……あ、あの……お母様。聞こえてます」
顔を真っ赤にして言った。
「でもねぇ、婚約となれば誓いのキスを」
「えっ、それは結婚式とかするものじゃなくて!?」
「何言ってるのよ、ケヴィン君。結婚指輪や婚約指輪があるように、結婚キスや婚約キスもあるのよ」
「どんな論法ですか!? それは! ってか、婚約キスがそんなディープなものなら、結婚キスは一体どういうものになるんですか!!」
「それは……ねぇ」
はぐらかしたっ!?
「ケヴィン君、今日から私のことはお義父さんと呼んでもいいぞ」
「私も今日からお義母さんと呼んでもいいのよ」
話がどんどん進められている!?
「私のことはマインでも、お前でも何でも好きなように言ってください。……婚約者ですから」
外堀がどんどんと埋められている。
「ちょっ、ちょっと待て」
「はい。ケヴィン様」
「………………」
えっ? 俺の結婚こんな簡単に決まっちゃうの!?
俺の独身生活は成人して間もなく終わり!?
これから人生の墓場が始まるの?
…………いや、人生の墓場は違うな。自由が無くなるから、そんなことを言うのだけれど。
俺はすでに墓場にいた。地獄の墓場だった。
そんな生活を抜け出したいからは違う。
本当に愛しているかどうかだ。
…………ふと見やる。ほんの一二時間前まで嬢ちゃんって呼んでいたのに。
確かにかわいい。一目惚れするほどに。それが結婚したいほどにか。
でも、初めて会ったとき、一生懸けて守らなきゃって思った。それに嘘はない。
「決めた」
俺は立ちあがり、マインの手を握る。
「結婚しよう。マイン」




