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第一章 私が好きだったのは、誰なんでしょう? -8-


「お邪魔します」


 それからだいたい、四十分ほど。

 俺と遊奈は、高嶺に案内されるままに彼女の家に上がり込んだ。住宅街の一角にある、平均的な真新しい一軒家だ。


「うちは共働きだし、今日はお父さんもお母さんも遅くなるらしいから、ゆっくりしていって大丈夫だよ」


「そうか」


「……センパイ、ヤらしいこと考えてない?」


「彼女が横にいるのにそんな思考回路に繋がるわけないだろ」


 そんなやりとりをしながら、俺たちはとりあえず高嶺の部屋へ。

 六畳ほどの広い部屋の中はよく整理されており、何一つとして煩雑に置かれているものはなかった。あるのはベッドと机、そしてタンスや本棚というシンプルさだった。しかし、いろいろと小物やインテリアで飾られていて、華美すぎない彼女のセンスの良さがうかがえる。


「あの、あまりじろじろと見られるのは恥ずかしいんだけど……」


「センパイ、エロい目で見てる」


「見てねぇし、悪かったよ……」


 この状況は多勢に無勢であることは理解している。漂う甘くいい匂いに心の内が掻き乱されそうになるのを必死に誤魔化しながら、俺は適当に床へ腰掛ける。


「あ、座布団――はないから、クッションを出した方がいいかな」


「気にしなくていいぞ」


「あたしはほしいです!」


 ぐっと手を挙げて、遊奈は高嶺の傍にくっつく。


「あ、あの、美丘さん……?」


「遊奈でいいですよ、高嶺センパイ。――センパイ、めっちゃいい匂いする」


「あの、恥ずかしいよ……?」


 そんな高嶺の声は聞こえなのか、遊奈はくっついたまま離れない。


「センパイ、羨ましそうな目で見てる。どっち? どっちを羨ましいと思ってるのかな?」


「見てねぇよ……。ただ、お前が急に懐いてるからどうしたのかと思っただけだ」


「だって高嶺センパイみたいな美人と一緒にいれるんだよ? テンションくらい上がるじゃん?」


「び、美人じゃないよ……?」


「えぇ!? 肌とかめっちゃ綺麗だし! 目もぱっちりしてるし、スタイルもめっちゃいいし、すごい憧れなんですよ!」


 そんな会話を聞いて、俺は少しだけ納得した。

 遊奈と高嶺の外見は、確かにどちらも端麗であるのだが、そのベクトルは異なっている。遊奈の方は小動物系の可愛らしさ、高嶺はモデルのような美しさ、と表現すればしっくりくる。――そして、遊奈は自分のことを子供っぽいとマイナスに評価している。

 自分が理想とする容姿の高嶺に惹かれてしまうのは分からないでもない。

 ただ不思議なのは、高嶺の方も、まんざらではない様子だったことだ。


「……嫌なら突き放していいんだぞ」


「う、ううん。友達とこんな風にスキンシップを取ってもらえることなんて小学生以来で、ちょっと嬉しいかな」


「あー。高嶺センパイみたいに美人だと、同級生とかだと遠慮しちゃうかも。じゃああたしがその分くっついても問題ないですね!」


「お前はもう少し遠慮しろよ……」


 呆れる俺に、しかし遊奈は唇をとがらせて言う。


「いいじゃん。っていうか、好きな人を想って日記を綴るくらい純粋なセンパイなんだよ? そんなのすごい仲良くしたい! 出来れば思い出して貰って恋バナに花を咲かせたい!」


「どこまで行ってもお前の私利私欲だな……」


「でも、私も遊奈ちゃんと話せるのは嬉しいよ」


「ならいいけどさ……」


 女子会じみてきた特有の空気に居心地の悪くなった俺は、二人から視線を外すついでに推理の下準備としてもう一度部屋を見渡した。

 改めて見ても、机の上すら綺麗に整頓されている。鍵が見当たらないという時点で部屋の中に物が散乱して隠れてしまっているのでは、という仮説を立てていたのだが、それは真っ向から否定される形となった。


 だが、それならばむしろ方向性は狭まってくる。

 記憶を失う前の彼女が、きちんと理由を持ってその鍵を適切な場所に保管していた、という証拠に他ならない。偶然や適当、という可能性を排せる。ならば、考えれば絶対に(せいかい)には辿り着けるはずだ。


「それで、センパイ。そろそろ推理の披露をしたら?」


「そうだな」


 正直なことを言えば、まだ結論には至っていない。だが何の用意もないことを隠すと決めた以上、もう動き出すほかない。


「日記帳の鍵だからな。基本的には毎日書くものってことは、鍵は取り出しやすい位置にあると思うんだ。ベッドの下だとか本棚の裏だとか、そういうところにはないだろう」


「……センパイ、そこに『そういうの』隠してるの?」


「お前が何のことを言っているかは知らないけど、そもそも持ってない」


 遊奈の冷めた視線を掻い潜りながら、俺は推理を披露するように見せかけて自分の思考を整理していく。


「鍵のサイズは、金曜に文房具屋で見たとおりとても小さい。それだけで持ってたらすぐなくしそうだったな。そのサイズ的にキーホルダーにつける穴はなかったし、他のメーカーだったとしても開けられる大きさじゃないだろ」


「はい、センパイ! あたし分かったかも!」


 遊奈が勢いよく手を挙げる。俺が何の推理の用意もしてきていないことを知っているから、もしかすると助け船のつもりなのかも知れない。


「言ってみ」


「うん、えっとね。やっぱりセンパイの言うとおり、取り出しやすいところにはあると思うの。けど普通の家の鍵みたいに、キーホルダーには付けられないし、そういうところには付けないと思う。――けど、鍵自体をチャーム、ストラップとして使うっていうパターンはあると思うんだよね」


 もっともらしく遊奈は言う。もしかすると、俺の仕事を完全に横取りして、一足先に答えを披露してしまう魂胆なのだろうか。それはそれで俺が楽を出来るから助かるが。


「具体的には、ほら、シャーペンに鍵の形のチャーム付いたやつってあるじゃん? あんな感じで日記の鍵が付いてるとか」


「…………残念だが、それはないな」


「なんで? 別にシャーペンじゃなくてもいいよ。スマホとか筆箱とかUSBメモリでも何でも、とにかくストラップとして鍵がくっついててもおかしくない場所なら」


「それを加味した上で、可能性が『ない』って断言できる話なんだよ」


 俺はそう言って、指を二本立てる。


「理由は二つ。――まず、高嶺は鍵を開けるのにピッキングを嫌がった。傷を付けたくなかったからだ」


「それが?」


「傷を付けたくないって言うのは、記憶をなくす前から思っていたことの可能性は十分にあるだろ。そんなやつが、鍵の方をストラップにして普段からガチャガチャ物とぶつかる場所にしまう、なんていうのは考えにくい」


 俺がそう指摘すると「うっ」と遊奈は声を詰まらせる。


「そして二つ目にして、最も大きな理由。――そんな目に付く場所に鍵のチャームがくっついてたら、真っ先に高嶺が気付いて試してるはずなんだよ」


「あ」


 間抜けな顔で遊奈は言う。横で高嶺は俺に感心したような目を向けながらもくすくすと笑っている。それは俺の意見の肯定だ。


「つまり、前提条件は全部で三つ。一つはキーホルダーには付けられず単体で保管はしない。二つ、高嶺が日常的に使う場所にある。三つ、高嶺が記憶をなくしてから今まで一度も目にしなかった場所にある」


「……二と三で矛盾していると思うんだけど」


「確かにな。けど、矛盾してない場所があるかも知れないだろ」


 そう言いつつ、俺は部屋を見渡す。……が、残念ながらそれらしい場所は見受けられない。タンスの中か、なんて思考が過ぎりはするが、それを口に出したが最後遊奈に何を言われるか分かったものではない。

 だから、この部屋にはない、あるいは、見えないものだと仮定しよう。――たとえば、いま身に着けているものか、鞄の中か。


 制服のポケットは頻繁に物を出し入れするはずだ。入れっぱなしになるのはせいぜい生徒手帳くらいか。だが、そこに挟んでいる可能性は薄いだろう。

 何せ高嶺が記憶を失ったのは半年前。夏服から冬服への移行があったときに、ただ挟んでるだけの鍵なら落ちて気付く。

 つまり制服ではない。消去法で、場所は鞄の中だ。


「日常的に使って、中身を確認しない場所。とくれば、まぁ、俺の場合は財布なんだが」


「財布なんてほとんど毎日開けるでしょ?」


「小銭のポケットと札を入れる部分はな。ただ、長財布なんかだと見えないポケットは多いよ。レシートとかカードを入れっぱなしにして放置、っていうのは割と聞く話だと思う」


 そして、財布の中であれば鍵が傷つく恐れはぐっと減る。俺としても、姫那がわざわざ買ってくれた受験の御守なんかを財布に入れていた記憶はそう遠くない。鍵の保管場所、そして隠し場所としては有力な候補のはずだ。


「……確かに、あまり財布の中をまじまじと確認した記憶はないかも」


「嫌でなければ、この場で確認してみてくれ」


 そこに鍵がなければ、間違いなくお手上げになる訳だが。

 がさがさと高嶺が鞄の中からターコイズブルーの長財布を取り出す。中を開けて色々とポケットを確認してくれているが、彼女は首を横に振る。


「ごめん、見当たらないかな……」


「センパーイ」


 ぶーぶーと遊奈が非難するが、俺はそれを無視してさらに思考に没する。

 推理の方向性は間違っていないはずだ。人間の行動に理由をくっつけるのが間違っている、と言われてしまえばそこまでで、もしかしたら無意味に適当に放られているのかも知れないが、そう結論づけてしまうのはただの逃避だ。

 それ以外の全ての可能性を排した結果がそこに至るなら、それでもいい。だが他の検証すべき可能性が残っているのなら、まだ考える価値はある。


 前提条件には何もおかしな点はない。二つ目と三つ目で一見すると矛盾するように見えるが、そこをちょうど埋められる場所が正解、という意味だ。

 引き出しの中、筆立ての中、筆箱の中、コスメポーチの中、エトセトラを想定するが、どれも決定力には欠ける。――何より、高嶺が一度も見ない訳がない。


 では、発想を変えるべきだ。

 見なかったわけじゃない。見たが、気付かなかった。


「……鍵の形をしていない……」


 思えば、傷を付けたくないと言っていたのだ。だから、その鍵の保管場所だけでなく、鍵そのものにも何かを施すという可能性は考えるべきだった。


 ――そう。

 たとえば俺は御守を財布の中に入れているけれど、そんな風に大事に鍵をしまっている可能性だってあるはずだ。俺みたいに御守でもいいし、パワーストーンを入れた巾着でもいい。何かのカードやブロマイドを保護するケースの隙間なんてこともあるかも知れない。


「……高嶺、財布の中にあるお金とかカード以外のモノは片っ端から出してみてくれ」


「いいけど、どうして?」


「たぶんそこにある」


 実を言えば『だといいなぁ』という願望なのだが、そこは誤魔化して強気に出る。好きな相手が見ているのだから、少しは格好を付けたい、と思うのはおかしいだろうか。

 高嶺は少し恥ずかしげに、レシートだとかポイントカードだとかを財布に中から取り出していく。最初は買い物に関係のあるものだったが、次第に映画の半券やプリクラなど思い出の品めいたものになって、


 ――そして。

 何か小さな布の袋が出てきた時点で、俺は声をかけた。


「ストップだ、高嶺」


 高嶺にアイコンタクトで許可を取って、俺はその袋を手に取る。簡素な作りだが、丁寧な刺繍を施した手作りの御守のようだった。


「これ、中学校卒業するときにクラスのみんなで作ったやつだ。卒業式の方が入試より先にあるから、合格しようねって願掛けだったんじゃないかな」


「いいクラスですね。――それでセンパイ。これが?」


「可能性は高いと思う。本物の御守なら開けたら御利益が、とか言うけど、これそもそも手作りだし」


 本物の御守であれば口のところを二重叶結びなんていう、なんとも形容しがたい複雑な結び方をされているが、これはそうではなく丁寧なだけで普通の蝶々結びだ。

 それをそっとほどいて、彼女は逆さに振る。零れるように出てきたそれは彼女の手からうっかりと落ちて、そのままテーブルの上で金属音を立てる。


 小さな金色の金属で――それは紛れもなく鍵だった。


「センパイ!」


「伊吹くんすごいね!」


 女子二人からの尊敬のまなざしに、くすぐったくなって俺は鼻を掻きながら目を逸らす。ただ、顔が少し火照っているような気がするから、何も誤魔化せてはいないのだろうが。

 それから二人して褒めちぎった後、まるで突き落とすみたいに遊奈は言う。


「ところで、センパイ」


「なんだ?」


「こんな風に見えないような工夫がされていたなら、別に財布じゃない可能性だってあったよね? 筆箱とかポーチの底にあったって条件は満たすはずだし。財布の中にあったからいいけど、なんであんなに強気に出ちゃったの?」


「……結果的に見つかったんだからいいじゃん」


 完全な見切り発車で全く締まらない俺に遊奈が冷たい視線を向けるが、別種の居心地の悪さを感じて咳払いをして誤魔化しておく。


「とりあえず、さっそく開けてみたらどうだ?」


 俺が促すと高嶺はその鍵を取って、鞄から取り出した件の青い日記帳の南京錠へ差し込んだ。

 ガチリ、と。

 そんな音がした。


「……え?」


 それは、誰の声だったか。

 きっとそれは、誰の声だってよかった。

 そして彼女は、あり得ないはずの真実を告げる。


「……開かないよ」


 高嶺の声が陰る。

 これは、砂漠の迷宮のよう。――見えていた形は一陣の風で瞬く間に形を変える。

 何も解決しないまま、ただ俺は、まるで責め立てられるみたいに、鳴り響く秒針の音に身を叩かれていた。


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