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第一章 私が好きだったのは、誰なんでしょう? -5-


 放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。

 それと同時に掃除当番だった俺は用具をしまったロッカーの扉を閉め、くるりと振り返る。

 その先に、彼女はいた。


「セーンパイ」


「……ねぇ、待って。なんで教室にまで迎えに来てんの?」


 教室の後の入り口に立つ後輩の姿に、同じく掃除当番に残っていたクラスメートがこちらを気にしたような視線をちらちらと向けてくる。


「センパイがあんまりバレたくないのは知ってるけど、たまにはいいでしょ。それに文化祭の準備期間はしょっちゅうだったし」


 言われてみればその通りだとは思う。あの頃は付き合う前だったからと言うべきか、互いが校内でどれだけ接していても気に留めることはなかった。そのときのことを少しでも知っている者なら、この光景だけを見て変に騒ぎ立てたりはしないだろう。


「で、何の用?」


「可愛い可愛い後輩が迎えに来てるのにその対応はいかがなものか」


 むぅっとあからさまに不機嫌になる遊奈だが、それがポーズであることくらいは分かっている。はいはいと適当に手を振って、俺はさっさと鞄にノートと筆記用具だけを詰め込んでいく。


「それで、本当に理由は?」


「……せっかく相談を受けたんだし、早く動き出した方がいいかなって」


 少しむくれたまま遊奈はそう言った。

 ただ、俺は片付け始めた手をピタリと止めて、心底うんざりとした様子で答えてしまった。


「……マジで言ってる?」


「大マジだけど」


「だって今日は金曜だぞ? もう休んで月曜からでよくね?」


「あたしはセンパイがそんな薄情な彼氏じゃないって知ってるよ?」


 にっこり笑顔でそんなことを言われてしまえば、もう俺に拒否権はない。このあとは適当に蒼生の手伝いだけをして、さっさと家に帰ってぐだぐだと遊ぶつもりだったのに、という恨み節は喉奥で呑み込んでおく。

 仕方なく、俺は下校まで使う予定のなかったマフラーを早々に手に取って巻いていく。その潔さ、あるいは無抵抗さに気をよくしたのか、遊奈は「うんうん」と頷いている。


「とりあえず、蒼生には連絡しとくか」


「センパイ律儀だね。別に生徒会じゃないんだし、約束してるわけでもないでしょ?」


「こういうのは律儀じゃなくて礼儀って言うんだよ」


 そう言って俺はスマートフォンを取り出して蒼生へ通話をかける。ほんの数コールで彼には繋がった。


『どうした、校内での携帯の使用は校則違反だぞ』


「いまお前も使ってるし細かいこと言うなよ。――今日は用事が出来たからそっちの手伝いはパス。悪いな」


 端的に用件だけを伝えると、電話の向こうで蒼生は「ふむ」と呟いて、


『……デートか?』


「デートじゃねぇわ」


「デートです」


 スピーカーホンにしているわけでもないのに俺のその返事で会話を察したのか、遊奈がさっと俺のスマホを奪取してそう言い切る。

 慌てて取り返すが、電話の向こうで蒼生は何やら大笑いしている。


『わざわざノロケで電話をかけてくるとは』


「違うっての。お前が俺を戦力に数えてると迷惑かけるから、声かけただけだ」


『遊んでこい遊んでこい。彼女をほったらかして手伝わせて、後で別れたなんて言われたら俺は馬に蹴られることになる』


「……まぁ、そうだな」


 俺の返事はどうしても歯切れが悪い。

 状況を整理すれば、今から他の女――それも初恋の相手――の為に働こうというのだから、蒼生を手伝うよりよほど不貞行為と言えるだろう。幸いにも本人が高嶺に懐いてしまい乗り気になってくれているのが救いだが。

 とにもかくにも別に不要ではあるが蒼生の許可も得たので、俺は今から遊奈と帰りながら高嶺の日記帳について考えることになる。簡単な挨拶を済ませて通話を切り、スマホは手と一緒にポケットへねじ込んだ。


「デートだね、センパイ?」


「残念ながら高嶺も呼ぶぞ」


「……けち」


「デートは土日な」


「センパイ大好き」


「……お前のそういう性格、なんていうか、本当に()()な」


 皮肉を込めていているのだが、遊奈は気付いているのかいないのか「でしょ」と言って笑っている。

 何はともあれ、転がり出した石は止まらない。

 窓の外を見て空を見る。まだ橙に染まっていない青空の元に帰るのはいつぶりだろうか、なんて思考が過ぎる中、俺は先の手順に当たりを付ける。


「お前、昨日は高嶺と連絡先交換してたよな? ちょっと呼び出しといてくれ」


「いいけど、どこに?」


「日記帳探すんだ。とりあえず、雑貨店か文房具店か。駅前に集合すればいいだろ」


     *


 それから高嶺と集合できたのは一時間弱が過ぎてからだ。バスの待ち時間や移動時間を合わせると、どうしてもこの田舎ではそれくらいの時間がかかってしまう。

 駅前の広場の適当なオブジェに俺は腰掛けて、やってきた高嶺を出迎える。

 無駄に進んだ開発のおかげで店は多く、道路とは違って人の姿は見える。だがそれでもまばらであり、これが帰宅ラッシュの時間帯とは思えない。しかしそのおかげで、こうして高嶺との待ち合わせもスムーズに合流できる。

 自分の方が遅かったことを気に病んだのか、黒い髪を少し乱して高嶺は小走りで駆け寄ってきていた。彼女への視線の位置に気を配りながら、軽く挨拶を交わす。


「――早速動き出してもらえるんだね」


「時間をおいたってセンパイはやらないんで、早めにお尻を叩いてあげないと」


 挨拶の中のそんな高嶺の言葉に、なぜかあまりない胸を張って遊奈が答えていた。残念ながら否定する材料はない俺は、少しずれたツッコミをするしかない。


「……なぁ、後輩のお前はもう少し俺を敬うべきでは?」


「敬って欲しいんなら、テスト前に『課題に追われてるから』なんて理由で着信拒否にするのやめてから言って」


 一学期、二学期の期末考査のことでヘイトが溜まっているらしく、ぎろっと睨まれてしまう。それに気付かないふりをして、俺はそそくさと前を歩き始める。

 それに高嶺が困ったように、遊奈は「……逃げたな」なんて言って、二人でついてきてくれている。


「それで、伊吹くん。今日は何をするの?」


 駅と融合したショッピングモールに入るエスカレーターに乗りながら、高嶺は俺に目的地を尋ねてくる。


「とりあえず、その日記についての情報を集めようと思ってな。高嶺が記憶喪失なら、思い出して貰うよりこっちで同じものを探してきた方が早いかなって」


 開くことの出来ない高嶺の日記より、販売された状態の方がヒントは多いだろう。俺はそう考えた。そもそも付属の鍵を見ることが出来れば、鍵部分の形は違っても、そのデザインから何かを思い出す可能性だってある。


「そうなんだ。……それで、なんで実際のお店をチョイス? ネットでちょちょっと検索すれば良くない?」


 遊奈は首をかしげている。「捜査は足で、ってやつ?」と聞いてくるが、もちろんそんな無意味な理由ではない。遊奈が俺に声をかけてきてから、きちんと考えた末の結論だ。


「あの日記帳、昨日見た感じじゃ所々すり切れてただろ。教科書やノートみたいに毎日持ち運ぶものでもないのにそうなるってことは、それなりに昔から使ってるってことだろ」


 そう言って、俺は指を一つ立てる。


「となると、入手した時期は俺たちが小学生くらいの頃じゃないかな。その年代で自分が欲しがったとしたら、ネットショッピングじゃなくて実際に自分で見つけてきたから――つまり、こんなド田舎じゃ八割方この駅前で見つけたもの。何かの機会に友達から贈られたものなら、なおさらこの駅前で買われたはずだ」


 ネットで適当にポチッと買う、という文化は少なくとも俺が小学生の頃に友人の間には広がっていなかった。ネットで使えるお金もなければアカウントの作り方も知らないのが当たり前だから、当然の帰結とも言える。


「だったらネットで探すよりこっちで見つける方が可能性は高いだろ。――まぁ、五年以上前の商品だからな。田舎とは言えそこそこ開発されてる上での綺麗な店だし、そのまま商品が残ってる、なんていうのはあんまり期待はしてないけど」


「そうかもしれないね。私自身もネットで検索をかけたことはあるけど、思ったより鍵付きの日記帳の種類が多くすぎて、同じものは見つからなかったし……」


「逆に言えば、こっちで見つからなきゃほぼ見つからないと思った方がいい」


「何で? 時間かけてネットを探せば出てくるんじゃない?」


「それ、砂漠で一粒の砂金探すようなものだぞ。――単純な期待値の問題だな。たとえば『ある一〇〇個のどれかに目当てのモノが一〇%の確率である』としたら、期待値は千分の一で済むけど、『この一〇〇〇〇個のどれかに絶対ある』ってなったところで期待値は一万分の一。これよりもっと酷くなると思えばいい」


 首をかしげる遊奈に俺はそう説明する。

 無駄な労力を割くのは俺の本意ではない。元々の依頼からしてそれこそ砂漠の中の砂金なのだから、これ以上の浪費は避けるべきだ。


 そんな会話をしている間に、俺たちは目的地である文房具店に到着していた。

 小学生の頃からある、おそらく市内で一番の広さを誇るチェーン店の一店舗だ。入り口には大きく店名が掲げられていて、中に入ればペンのコーナーだけで棚が四列も五列もあるようなそんな大きな店だ。

 そんな店の中を、俺は遊奈と高嶺を連れ立ってうろうろと歩く。この広さでは、その日記帳がどのコーナーにあり、それが店のどの位置にあるのかを探るだけでも一苦労だ。


 ただ、そうして歩く間にも、俺の心は気付けば日記帳から遠のいていく。視線はそっと俺の胸ポケットに注がれる。昨日まではそこに、一本のシャーペンが差されていた。――高嶺に見られるのは精神衛生上良くなかったので、今日からあれは筆箱の底に眠り始めた。

 あの青メッキのシャーペン。小学生の頃は鉛筆の使用が義務づけられていたから使う機会が少なくて、少しじれったかったのを覚えている。

 それがいま横にいる高嶺に貰ったものだからかもしれない。あるいは、これを貰った際のクリスマス会で俺がプレゼントを用意したのがこの文房具店だったからか。

 ただ歩いているだけなのに、様々な思い出がフラッシュバックする。――たとえば、もしも高嶺の手に俺のプレゼントが巡ったらと思って、二時間もここでプレゼントを悩んで立ち尽くして店員に怒られていたこととか。


「うぉぉ……」


「ちょ、センパイ急にどうしたの?」


「な、何でもない。思い出したくない記憶の蓋が開きそうになっただけだ……」


 そんなことを言いながら探していくと、手帳や日記のコーナーを発見した。ぐるりと一周して見れば、幸いにも一角に鍵付きの日記帳が平積みされている。

 だが、高嶺が持っているあの青い表紙の日記帳は、残念ながら見当たらなかった。


「――これ、高嶺センパイと同じものはないね」


「まぁないだろうな、とは思ってたよ。あれは古すぎる。店の仕入担当だって入れ替わっているだろうし、そもそも同じメーカーがまだ出しているかも分からない。出していてもデザインが刷新されている可能性だってある」


 そう言いながら、俺は一冊を手に取る。


「……センパイ。同じのがないなら何のために来たの?」


「鍵の形を確かめに、だよ」


 そう言って、俺は積まれている中から同じ二冊を取って遊奈へ渡す。


「そのビニルの下に鍵が入ってるだろ? それが同じ形かどうかを調べたかっただけ」


 俺が指さす日記帳全体は圧着されたビニルで包まれているが、その日記とビニルの間にチャック付きの袋に包まれた小さな南京錠と鍵がある。


「……どういうこと?」


「こういうの、別に本物の鍵である必要はないだろ? ぶっちゃけてしまえばただのデザインなんだから、全商品が完全に同じ鍵を使ってたって別に問題はない。だったら、同じ商品を買えばその鍵で開くと思った」


「けどこれ、一個一個違う形だよ?」


「そうだな。裏の製造元を見たら、どうにも鍵だけ別会社みたいだし。つまりデザイン性じゃなくて、鍵としてもちゃんとしてる。他のメーカーもそうみたいだから、高嶺のもそうなんだろうな。だから俺の期待は外れってこと」


 そう言って、俺は遊奈に渡した物を受け取って元の場所へ戻す。

 これで、俺の淡い期待は砕けた。

 ここで商品を買ってしまえばあっさり開くのでは、というそんな少し怠惰な期待が。

 つまりこの件を解決するには、この小さな鍵を見つけ出すほかないということだ。


 せっかく来た以上、裏技は使えない、という現実を突きつけられただけでは割に合わない。もう少し、情報らしい情報を入手して次に繋げたいところだ。

 自分が手に持っていた分を改めて顔に近づけて見る。


「南京錠のサイズが高嶺のと同じくらいだから、鍵もこんなもんだろう」


「思ったより小さいね」


 高嶺はそう言って、自分の小指を立てた。彼女の細いその指の指先から第二関節までですら、おそらく鍵よりも大きくなってしまう。

 果たしてそんな小さなものが見つかるのか。そんな不安だけが残る結果となった。


「……正直、落ちたコンタクトレンズを探すのと同じくらいの難易度だとは思うぞ」


 思わず、そんな弱音が零れて漏れた。

 手がかりらしい手がかりは今のところない。見つかりづらいという現実を改めて再確認しただけだ。


「センパイ、頑張ってよ?」


「……お前も協力するとか言ってただろ。丸投げは勘弁だぞ」


 逃げ腰になりつつ俺から叱咤という形で退路を断った遊奈に、俺はため息交じりにそう答えるしかなかった。


「……とりあえず、そうだな。月曜までには何か考えとくよ」


 現状、出来ることが何も浮かばない俺は、先送りにしかならないと分かっていながらもそう宣言して、そっと商品の日記を棚に戻した。


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