第一章 私が好きだったのは、誰なんでしょう? -2-
「とにかく、センパイがその好きな子のプレゼントに印をつけたんでしょ」
「どうやって?」
「印を付けさせて、って本人に頼んだとか」
「それもう告白してるようなもんだろ……。俺にそんな勇気があると思うか?」
「ないね」
即答だった。
「それと、付けたところでスタートで誰がその印付きプレゼントを持ってるかも分からないし、音楽を止めるタイミングをどうやって操作するんだよ」
「むぅ……っ。ヒント、ヒントちょうだい!」
そんな風に遊奈が食い下がる頃には、言われた通りぐるっと半周して、昇降口とは真逆の位置の階段まで来ていた。きゅっきゅっと上履きを鳴らしてそれを下りながら、顎に手を当てて程よいヒントを考える。
「ヒント、ねぇ。――そうだな。目当てのプレゼントを誰でも手に入れられるなら、そもそも交換会をやる意味がなくなる、っていう前提をよく考えたらいいんじゃないか?」
「なに言ってんの? それをセンパイはしたっていう話でしょ?」
「考えろ考えろ。仮にも県内二位の進学校に進んでるんだぞ、お前だって」
半ば他人事のように答えながら、俺は少し足取りを速めようとする。――が、それに感づかれて、がしっと腕を絡められて無理矢理ペースを戻される。いつもの倍以上の遅さで、遊奈が少しでも解答時間を延ばそうと足掻いている証だ。
「分かった! センパイに協力者がいたんだ。たぶん、そう。生徒会長!」
「へぇ」
「で、生徒会長が進行役なの。生徒会長に話を通しておいて、センパイの手元に例のアイテムが来るタイミングで音楽を止めて貰うってこと。――だって、そうすれば全員がプレゼントを選べない。選べるのは生徒会長と仲のいいセンパイだけ。これならプレゼント交換会は機能するよね? どう、完璧でしょ!」
「悪くない発想だ。――ただ、なんでその進行役がプレゼントを把握できていたのかっていう説明がないし、そもそも残念ながらそれは違う。だって、俺はあいつにだって初恋の相手を教えてないし」
「別に生徒会長じゃなくたっていいよ。もっと仲のいい他の誰か」
「教えてないよ」
「えぇ、違うのかぁ……」
これだ、と思って自信満々に解答していた遊奈は露骨に肩を落としていた。
「そもそも小学生の頃の俺はその好きな相手を誰にも教えたくなかった。このプレゼントが欲しいからって教えたりしない。俺はメリットとデメリットを天秤にかけるの嫌いなんだよ。どうせならデメリットなんてない方がいいだろ」
「センパイ欲張り」
「自分でもそう思うよ。――で、約束の昇降口前に着いたぞ」
「えぇ! まだ答えてないのに!」
ぶぅっと明らかにむくれる遊奈だが、俺の勝利に違いはない。無事にこのシャーペンを後生大事に抱えている件に関しては見逃してもらえる――と思いたい。
「答え合わせするか?」
「………………する」
「よし」
いくら暖房のない廊下と言っても外の方が寒い。外に出る前に、と俺は廊下の柱にもたれて、解説を始める。
「進行役に目を付けたのは正解だ。正直、ドキッとした」
「でも、協力者がいないんでしょ? 進行役だったら輪の中には入れないから、そもそもプレゼントもらえないし」
「その発想が間違いなんだよ。――これ、子供のクリスマス会だぞ? 進行役だけハブられてプレゼントもらえないなんて、誰がそんな損な役回りをしたがるんだ?」
「え、あ、それもそうか。――ってことは、そういうこと!?」
「そう。進行役は俺だ」
なんとなく、解けてないクイズを人に解説する、という優越感はなかなかに得がたいものだ。少しばかり気分が良くなってくる。
「進行役のプレゼントは、回さないで一つだけ先に選ばれるんだよ。だから、進行役になれば音楽を止めるタイミングもスタートのプレゼントの位置も何も関係ない」
「あれ、でもそれじゃあズルいってならない?」
「ならないよ。だって、包装はみんな同じもの。混ぜて集めれば、それから一つを選んだってランダムに引いたように見える」
「……でも、センパイはそれを当てたじゃん」
「ランダム性とか値段調整とか適当な理由を付けて包装の規格を整えたのは、そうやって『進行役にも選べない』って騙されてもらうためだよ。――けど、包装を用意するのも進行役だぞ。一人に渡す分だけ、気付かれない目印を付けるなんて余裕だ」
そうやって、小癪な策を弄して俺はこのシャーペン一本を手に入れた訳だ。いまにして思えば、随分と馬鹿な真似をしているな、と呆れてしまうが、当時はこれでも真剣だった。
改めてそれを取り出した俺は、まじまじと眺めてみる。
青い金属製の細身のシャーペンだ。ノック部分はクリアなプラスチックで宝石のように輝いている。五年近く前のものだが、それでも壊れるどころかメッキが剥げることもない。
この青のシャーペン一本が、まるで世界の全てのようだった。本人に告白することよりも何よりも、これを手に入れることこそがゴールのように思えた。だから、手に入れてしまったら手放せない。手放し方を考えていなかったのだから、仕方のないことだ。
そうして答えを披露し終えた俺に、いよいよ絶対零度に近づきつつある遊奈の視線が刺さる。
「…………どうした?」
「そうまでしてシャーペンが欲しかったんだ。そんなに好きな子のプレゼントが欲しかったんだ。センパイきもい」
「やめろよ、結構傷つくこと言うの……」
とは言え、クイズの勝敗で文句を言えないと思ってくれているのか、視線こそ冷たいままだがそれ以上の罵詈は飛んでこなかった。こういう無駄に思えるほど律儀な部分は、間違いなく遊奈の美点だろう。
小さく俺は微笑んで、壁に預けていた背を離す。
「さて、帰るとしますか」
「センパイ。なんとなく今日のあたしは機嫌が悪いなぁ」
「……何をしたら機嫌を直してくれます?」
「手を繋いで帰ることを所望します。センパイ、恥ずかしがって滅多にやってくれないし」
「いま寒いじゃん……」
「センパイ?」
「いえ、いいです。分かりました。とりあえず靴を履き替えてからな」
それくらいでシャーペンの件を見逃してくれるなら安いものか、と心の中で呟いて、自分の下駄箱を目指す。
高すぎず低すぎず、ちょうど自分の胸の高さにあるその下駄箱の扉を引くと、ひらりと、まるで雪片のように何かが中から落ちてきた。
下駄箱に外履きと上履き以外を入れない俺は不思議に思って、床のそれを拾い上げる。――それは真っ白な洋形の封筒だった。
「……センパイ?」
後ろから、俺を射殺しそうなほど鋭い声がする。「ヒェッ」と思わずそんな声が漏れた。
「初恋の思い出に浸るだけじゃなくて、ラブレターまで貰うとか! あたしという彼女がいながら! 浮気だし!!」
ぼすっぼすっ、とスクールバッグを振り回して俺に叩きつけながら、遊奈は猫みたいな唸り声を上げる。
「痛いって、お前! っていうかこれ貰ったのは俺の意思じゃないだろ!」
ラブレター禁止、なんてナルシストのようなことを張り出すわけにもいかないとは言え、感情的な話で遊奈に面白くないことは鈍感な俺でも分かる。
遠心力を利用してまだ叩き続ける遊奈の鞄を掴んで、どうどうとなだめて一度呼吸を整えさせる。
「オーケー。遊奈の前で開封する。まだラブレターと決まったわけじゃないけど、とりあえず一回それで落ち着こう?」
「…………なら許す」
すっと鞄を下ろし、遊奈は息を吐く。冬だというのに額にはうっすら汗が滲んでいる。――この一瞬で疲れたと言うより、真剣にラブレターだと思って焦ったのだろう。
そんなに好きになって貰えるほど俺に価値などないのに。そんな卑屈な思考が過ぎりそうになるくらい、遊奈は俺に好意を寄せてくれているのだろう。それが知れて、なんとなく顔が熱くなって、小さな笑みがこみ上げる。
「……ラブレター貰ってニヤけるとか浮気」
「違うっての……。ほら、開けたぞ」
ごほんごほんとわざとらしい咳払いをして気を紛らわし、破れないように封を剥がして中の便せんを取り出す。
四つ折りにされたそれを広げると、一行目を読んだ時点で俺も遊奈も肩の力が抜けた。
「ご相談、って書いてるね」
「だな。ラブレターじゃなさそうだ」
内容を要約すれば、相談したいことがあるから帰る前に教員用の駐車場前に来て欲しい、ということだった。行間を読めば告白の呼び出しとは違うことは、俺にも、そして遊奈にも伝わっていた。
「……センパイ、叩いてゴメンなさい」
「お前ほんと素直だよな」
遊奈のその真っ直ぐなところを、付き合い始めてから俺は何度か見てきた。こういう素直さは本当に遊奈のいいところだと思う。――ひねくれていて理屈屋の俺には、きっと逆立ちしたって出来ないことだ。
「とりあえず、呼び出された場所に行くか」
「これ、あたしも行っていい? いいよね?」
「……相手が退席して、って言い出したら一回離れて待ってくれるなら」
「りょーかい」
そう言って、俺たちは呼び出された先――教員駐車場へと足を向ける。
ただ、そう決めた瞬間だった。
ざわりと、胸の奥で何かが蠢いた。
何度かこの手紙に視線を落とすが、その正体は分からない。ただどうしようもないくらい心が波を打ち、白く泡立っている。
それを悟られないように気を配りながら、足早に駐車場へ。
アルミの安っぽい戸を引けば、真冬の空が頭上に広がった。
ざぁっと枯れ木を鳴らすような強い風が吹く。
腰まであるだろう黒髪のストレートが風になびき、耳元でそれを抑えて整えている女子の姿があった。きっと、深窓の令嬢とは彼女のことを指すのだろうと、漠然とそんなことを思った。
息を呑んだ。
彼女が髪を直す。ただそれだけの風景が、まるで、絵画を切り取ったかのようであったから。
――いいや、きっと違う。
俺は分かっているはずだ。そんなどうしようもない理由で見惚れたりなんかしない。ただ彼女の存在そのものが、俺の心を掻き乱すのだ。
胸ポケットに差した青色のシャーペンが、急に熱を帯びたような気がした。
そこに立つのは、高嶺雪花。
俺の、初恋の相手だった。