表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/22

第二章 あの問いは、まるで鏡のようで -6-


 音が揺れる。

 ロングトーンは途切れ、リズムは走り、簡単な小節ですらミスを重ねる始末だった。

 高嶺の吹くトランペットは吹奏楽の花形と言われている。入部当時のパート分けでこれを手にしたとき、高嶺は感激と共に責任を感じた。先輩が引退していったとき、自分が音でこの部を引っ張っていかなければいけないのだ、と。

 それがこのありさまだ。自己嫌悪と共に、高嶺雪花はそっとトランペットを下ろした。


 窓を見れば、激しい雨がそのガラスをけたたましく叩いている。

 心が掻き乱されている。落ち着こうと思っているのに、どうしたって心と体は乖離している。

 原因は分かっている。

 そしてその解決策なんて、もうたった一つしかないのだと。


「――だから、頑張って目を逸らしていたんだけどなぁ」


 きっと、このままでは何も変えられない。

 分かっていたことだ。

 だから彼女は、()()()()()()()()

 それで見極めようと思った。見極めて、納得して、それで終わりにしようと思った。

 なのにこのありさま。何も諦められてなんていないのだと、偽った心に音がそう突きつけるようだった。


 それでも、高嶺は諦めようとした。

 そうでなくてはいけないから。

 そうしなければいけないから。

 耐えて、耐えて、耐え忍んで、いつかそれを笑い話に出来るときまで、ただじっと自らの感情を封殺しようとしていたのに。


「――……なのに、なんで来ちゃうかな」


 そう呟いて、彼女は一人きりで練習していた空き教室の入り口へ視線を向ける。

 ぽたぽたと、滴の滴る音がする。


「高嶺センパイ……」


 そこに立っていたのは、知り合ったばかりの後輩の、美丘遊奈だった。

 きっと雨に濡れたのだろう。彼女の綺麗な茶髪からは水が滴っていて、白いブラウスの下のキャミソールが透けて見える。

 真冬のこの時期にずぶ濡れになっているのだ。歯の根も噛み合わない様子で美丘の体はがくがくと震えていて、顔色だって蒼白だった。


「待って、遊奈ちゃん。早く乾かさないと風邪引いちゃう。いまタオル貸してあげるから」


 慌てて高嶺はトランペットを置いて、横のスクールバッグからタオルを出して彼女に駆け寄った。

 けれど、美丘はまるで凍り付いたみたいに動かない。頭からタオルをかぶせられても、ただ震えているだけだった。


「ごめ、なさい……っ」


 嗚咽を漏らしながら、彼女はタオルを顔に押し当てた。きっとその頬を伝った滴は、雨なんかではないのだろう。

 彼女が震えているのも、その顔色が優れないのも、きっと他の理由と混じり合った結果だ。


「あたし、知らなかったんです……っ」


 それはまるで、贖罪のようだった。

 謝るべきは自分なのに、美丘の方が申し訳なさそうに、その場に崩れ落ちていく。涙と雨でぐちゃぐちゃになっているはずの顔をタオルに隠したまま、美丘はいやいやをするように子供みたく首を振っている。


「……うん、分かってるよ」


「手紙も、高嶺センパイの気持ちも、あたし、本当に……っ」


「うん」


 知っているとも。それが知りたくて、高嶺は美丘に近づいたのだ。

 そして、自らの目で答えは得ている。彼女がそんな狡猾な人間ではないと。――そんな、自分のような人間ではないと。

 まぶしいくらいに真っ直ぐで、純粋で、伊吹一維が惚れるのも分かるほど可愛い子だった。

 高嶺はそっと美丘へ手を伸ばした。


「高嶺センパイ、濡れちゃいますよ……っ」


「いいよ」


 そう言って、高嶺はそのまま美丘を抱き寄せた。

 何が出来るわけでもない。きっとこうして慰める側に回ろうとしている時点で、高嶺雪花は間違えている。

 それでも、彼女とは誠実に向き合いたかった。

 もうこれ以上嘘を吐いたりなんてしたくなかった。


「私もゴメンね。遊奈ちゃんにそんな思いをさせたかったわけじゃないの。――何を言っても言い訳にしかならないって、分かってるんだけど。許して、なんてことも言えないのに」


 高嶺の胸の中で、美丘の震えは大きくなる。

 ぎゅっと彼女はきつく美丘を抱き締める。

 彼女のことを、この短い間に高嶺は本当に好きになった。


 ――こんな出会い方をしなければ。

 ――こんな騙すような真似をしなければ。

 きっと、高嶺と美丘の関係はもっと違った形があっただろうに。


「――でも、私も譲れないんだよ。それに、気付いちゃったから」


 そこまで思っても、それでも、高嶺は引き下がれなかった。

 分かっている。

 今からだってそんな関係に戻れる。

 ここで引くのが正解だと、それがあるべき姿だと、そんなことは分かっている。


 ――だけど。

 もうそんな道は選べない。

 どれだけ理性的な判断を自ら求めたところで、何よりも高嶺の心が、それを拒絶してしまっている。

 求めるものは、たった一つしかないのだから。


「――はい。あたしも、同じですから」


 そっと美丘が高嶺の胸から離れる。高嶺とタオルで隠れた美丘の視線は、決して交わらないまま。

 だから、と、泣き声の二人の少女の言葉が重なる。

 そして――――…………


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ