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第二章 あの問いは、まるで鏡のようで -5-


 冬の雨が、街中から熱を奪い去っていく。

 聖鷹祭のステージリハーサル中、観客のいない体育館は足下からその冷気に浸されていて、思わず俺は身震いした。

 壁際で腕を組んで寒さを紛らわせながら、俺は横に立つ蒼生に問いかける。


「……このリハーサル、何のためなんだ?」


「照明と音響の準備が整ったから、それのリハーサルだ。あとは初回のリハーサルの改善が出来ているか、各グループの最終チェックも兼ねている」


 分かっている通りの事務的な答えが返ってきた。


「……それ、生徒会長のお前の仕事は?」


「何もない」


「……なんでお前いるの?」


「監督という名目で堂々とサボるためだ」


 そう言い切る生徒会長に俺は深くため息をつく。役職があるわけではないが、俺は照明のセッティングを担当しており、この寒い中で冷たい金属の塊を相手に格闘していたというのに、仕事を振った本人がこの調子なのは若干腑に落ちない。


「そもそも、聖鷹祭まであと四日だろ。遊んでていいのかよ」


「あと四日の時点で生徒会長が奔走しているようなイベントは、企画や計画のときから間違っているだけだ。――それより、次はお待ちかねの彼女の出番だぞ」


 にやりと笑う蒼生に、俺は少し鬱陶しそうにため息を漏らす。


「別に待ってるわけじゃないよ」


「照明のセッティングが終わったのに体育館に残ってるのはそういうことだろう? 今さら隠す必要もないぞ」


 蒼生に言われ、言い訳も出来ない俺はただ黙って壁にもたれたままステージに視線を送る。

 ただ蒼生は、俺が遊奈と付き合っているからここにいると思っている。ただ、それは厳密に言えば間違っている。

 俺がここに来ているのは、遊奈の姿が見たいからと言う理由だけではない。


 ――ただ、胸騒ぎがするのだ。

 まるでテストの解答欄が一つずれていることに、終盤になって違和感を抱き始めるような。


「そろそろ始まるぞ」


 蒼生に言われ、本番でもないのに俺は声を出すのもはばかられ口をつぐんだ。

 暗く照明の落とされた舞台で、一度下りた緞帳が再び上がる。

 その奥に、制服姿の美丘遊奈は立っていた。トレードマークのようなサイドテールが微かに揺れて、彼女はマイクを握っている。

 後ろには既に電子ピアノが搬入されていて、彼女の同級生らしき少女が椅子に腰掛け、遊奈の様子を窺っている。

 そして、アイコンタクトと共に伴奏が始まる。

 遊奈の息を吸う音さえ聞こえる、観客のいない空虚ささえ湛えた体育館の中を、そのピアノの音色が覆い被せるように満たす。

 そして、彼女の澄んだ声がマイクに乗る。

 つい数日前にも聞いた彼女の歌声だ。始めて聞いたそのときから、俺は彼女の声に惚れていたのだと思う。


 ――なのに。

 何かが、それを明確には出来ないのに、決定的なほどに違う。

 それはまるで、悲鳴のようだった。

 何かを引き裂くような声が、サビに入ると同時に肌へ突き刺さる。


「……あいつ、調子悪いのか?」


「俺に聞くなよ。前のリハと同じで学生レベルとは思えないくらいに上手いと思うぞ」


 俺の問いかけに、蒼生は首をかしげている。おそらくリハーサルの第一回も見ているであろう彼がそう答えた以上、おそらくほとんど変わっていないのだろう。音響の調子もあるだろうし、俺の思い過ごしということも大いにある。

 その可能性の方がきっと高い。俺自身にそもそも音楽センスがないのだから批評する方が間違っている。

 なのに、掌はじっとりと汗が滲んでいた。こんなにも壁際は寒いのに。

 やがてラスサビのロングトーンが切れると同時に、曲は終わる。余韻を楽しむように遊奈は天井を見上げ、ややあって挨拶を終えると共に緞帳が下りた。

 その幕を見送って、俺は心を切り替える。

 本番まで日はない。俺の理屈のない不安を吐露する必要などないどころか、害悪でしかないだろう。

 そもそも、遊奈の歌は十二分に素晴らしいものだった。そこに間違いはない。

 下手に理屈を付けて考えようとするのは俺の悪い癖だろう。もう既に高嶺の依頼を解決したいま、俺は素直に、そして純粋に、聖鷹祭の準備を楽しむべきだ。


「どうだったよ、お前の彼女は」


「めちゃくちゃ歌が上手くてめちゃくちゃ可愛かったな」


「……弄られすぎて開き直るのはいいんだが、それ本人の前で言ってあげたことあるのか?」


 俺をからかって遊ぶ蒼生に嘘偽りなく答えると、むしろ全力で呆れられていた。言われて思い返すが、昨日と同じ結論に至りそうなので進みかけた思考を引き返させる。

 そして一曲を終え、挨拶と共に緞帳が下りる。再び緞帳が開いたときには軽音楽部か何かのメンバーが立っており、次の演目に入っていた。

 遊奈はどこに行ったのか、と舞台袖に視線を送ろうとした俺より先に、とんとんと肩を叩かれた。


「――やっぱり、センパイ来てたんだ」


 サイドテールを揺らし、俺からぴょんと跳ねて一歩距離を取る遊奈がそこにいた。ステージで一曲歌ってからだが暖まっているのか、動きの一つ一つがいつもより少しオーバーに見える。


「まぁ照明の手伝いでな」


「と言いつつ仕事を終えても大事な彼女が見たくて残ってたんだぞ」


「センパイ……っ」


「俺はまだ何も言ってないよ……」


 蒼生の改竄にも近い補足に感涙を流しそうな遊奈に、俺は否定はせずに誤魔化しておく。――いつもならここで腕に抱きついてきたりするのだが、しかし遊奈は二メートルほど離れた位置から動かない。


「……遠くないか?」


 嫌われてしまったのだろうかと不安になって、問いかける俺の声は小さくなる。正直なことを言えば心当たりが多すぎて、自問にすら全く否定できない。


「あ、違うからね。別にセンパイを遠ざけてるわけじゃないし」


「じゃあ何だよ」


 俺が首をかしげると、遊奈は少し恥ずかしそうに視線を泳がせながら、


「ほら、今日はめっちゃ寒いけど、照明って熱いじゃん? あのスポットライト、五分くらい浴びたら、その、ね?」


 もう分かるだろう、と遊奈は上目遣いでこちらを見ている。いくら俺でもこれだけヒントが揃っていて正解に辿り着けないわけがない。


「あぁ。別に汗くらいで嫌いにならないけど」


「こういうのは乙女心なんだから触れないでいいし! センパイほんとデリカシー足りないんだから!」


 遊奈はむぅっと頬を膨らませるが、頑なに近づこうとはしなかった。こっちからにじり寄ってもいいのだが、そうする遊奈から本格的に嫌われそうな未来が見えるので止めておく。


「……楽しそうなのは何よりだが、次のリハーサルが始まっているから声のトーンは落としてくれ」


 生徒会長が呆れたように言って、俺と遊奈は顔を見合わせながら自分の口に手を当てる。舞台上で軽音学部がやりづらそうにこちらをちらちらと見ていて、愛想笑いで誤魔化した。


「――そう言えば、昨日も今日も手伝って貰ってるが、もう『用事』っていうのはいいのか?」


 騒ぎすぎないようにという配慮か、ただ気になっただけか、蒼生はそんな落ち着いた話題を振ってきた。


「ん? あぁ、あれか。一昨日に解決したからな。絶賛暇を持て余してる」


「何をしてたんだ? 生徒会長兼小学生からの友人の俺の手伝いをほったらかしたからには、それなりに納得できる理由があるんだろう?」


「なぁ、なんで面倒くさい女みたいなこと言い出してんの……?」


 呆れたように俺は言うが、確かに蒼生としても気になるところではあるだろうというのは推察できる。そもそも――それが間違っているとは思うが――この聖鷹祭の準備に俺の助力があるという前提でスケジュールを組んでいたはずで、それを唐突に何度か放っているのだ。その分のしわ寄せが蒼生に向かったことは想像に難くない。


「まぁそうだな。別に口止めをされてるわけでもないし、お前になら言っていいだろ。そんかわりあんまり広めるものでもないし、他に言いふらさなければ、だけど」


 そう前置きし蒼生が頷いてから、俺は彼に高嶺からの依頼を説明した。

 記憶喪失、日記帳、鍵など断片的な情報を丁寧に、俺の推理の内容などは省いて簡潔に。――ただ俺の一回した失敗を遊奈が鬼の首を取ったようにひけらかしていたので、そこだけはやたらと詳細の説明になってしまっていたが。


「――てな感じで、高嶺の鍵を探してたわけだ」


「見つかったんだな」


「あぁ、一昨日だな」


「……それで終わり、か?」


「そうだけど。あのあと高嶺からは『告白もしました。結果は内緒ですけど』ってメッセージが来たぞ」


「…………本気で言ってるのか?」


 俺が説明している間、蒼生はずっと怪訝な顔を向けていた。まるで彼は、この現状に違和感を抱いているかのような。


「なんでそんなことを?」


 ざわり、とまた胸に嫌な影が降りる。どくんどくんと流れる血液の一滴までもが俺の神経を震わせる。


「だって、相手はあの高嶺だ。俺たちが小学校の頃から同じの」


「そうだけど」


「しかもその日記、小学生の頃から使っていたらしいんだろう? ならお前に送ったメッセージは嘘だ。まだ告白はしてない――いや、悪い」


 そこまで言いかけて、蒼生はハッと我に返って口に手を当てた。


「俺から言うべきではないことだった。忘れてくれ」


「それどういう意味――」


 俺がもう一度問いかけるより先に。

 彼女は――美丘遊奈は、俺に背を向けて走り出していた。

 ちらりと、すぐ背に隠れた彼女の横顔は、涙に濡れているように見えた。


 一瞬、思考が真っ白に塗り潰された。

 ただ、がぎり、と。

 歯車が外れるような、そんな音を聞いたような気がした。


「なん、だ……? おい、蒼生!」


 俺が問い詰めようとしても、蒼生はかぶりを振るだけだった。

 決して彼はその先を口にしようとはしない。

 ざぁざぁと雨が降る。

 扉の開いた向こうの景色は、のしかかるほどに重い鉛の色をしていた。


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